第十九話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (前編) ④
三郎視点、桜視点です。
「……僭越ながら申し上げます。あの者どもは、姫様を散々愚弄してきました。早急に然るべき厳罰を下すべきです」
「必要ないわ。私がそうさせたのだから」
「え?」
「あえて泳がせて、機会を伺っていたの。国事に追われて、私への警戒が疎かになる機会をね。まさか、夜ちゃんがそのきっかけになるとは思わなかったけど」
姫様の仰るきっかけ。
おそらく、夜長姫の死だ。
七年前、月国で起きた『衣瀬村鬼狩り再来事件』。
あの事件を知らぬ者などいない。
それほどまでに衝撃的で、けして他人事では済まされない惨事だった。鬼狩りの火種など、月国に限った話ではないのだから。
そのような惨事は被害者に留まらず、民衆全体の不安を増幅させる。不満の矛先となる。時と共に風化しても、些細なことで再び燃え上がる。
夜長姫の死が、そうだ。
鬼狩り再来事件の黒幕として世に知れ渡り、一転して『稀代の鬼女』と呼ばれた巫女の突然死。当然、大臣たちは『国事』として火を鎮める必要がある。
「不謹慎だけど、夜ちゃんにはね、本当に感謝しているの。おかげで、あの人たちの面白い顔を見ることができたのだから」
姫様が、ゆっくりと口角を上げた。
愚か者たちを嘲るその笑みに、巫女としての品性はない。薄く細められた目元まで、最高に楽しそうだ。
姫様があえて花鶯姫に負けた理由が、今、ようやく分かった。
大臣たちはこれまで、姫様の目を通して試合を見物してきた。
先ほどの勝負も見ていたはずだし、当然、姫様の勝ちを望んでいたはずだ。葉月組を優勝に導く道化として、生き残ってもらうために。
だからこそ、負けた。
悪事を暴露する前に、大臣たちの鼻をあかしてやりたかったのだ。この人は。
私は、お前たちの人形ではない――と。
(嗚呼……本当に、お美しい)
僕は知っている。
国のために御身を粉にされようとも、大臣たちに利用されようとも、絶対にただでは起きない『我』を持っておられることを。
姫様ご自身が知らずとも、僕だけは知っている。
静かな我を秘める御方だからこそ、どんな作り笑顔も尊く、お美しいのだと。
「さてと。邪魔者もいなくなったことだし、ここからは存分に楽しみましょう」
姫様が、至高の笑顔を見せてくださった。
今度こそ、頭が冷えた。くだらない豚どもへの憤りなど、もうどうでもいい。
「――――はい」
この御方の傍に仕え、内に秘めざるを得ない美しい我をお守りする。
それこそが僕の揺るぎない存在意義であり、僕の我なのだから。
***
勝敗は、あっさりと決まった。
「……なんなの、あいつ」
花鶯姫が俯いたまま、拳を強く握りしめた。
勝者は花鶯姫だ。
しかし、その屈辱で歪んだ表情は、勝者のそれではなかった。
十一匹の猿は、最初の一振りで均等に分けられた。あぶれた一匹を除いて。
花鶯姫、五匹。
黄林姫、五匹。
残り一匹を捕らえれば、勝負がつく。
その状況で、思いも寄らないことが起こった。
『この勝負――あなたの勝ちよ』
黄林姫がそう言って、唐突に刀を納めた。わざと負けたのだ。
当然、花鶯姫は激昂した。
しかし黄林姫は、その逆鱗を意に介することなく、いつもの笑みで『ごめんなさいね』とほざいて早々に立ち去ったのだ。
(何もかも計画通りってわけね)
勝負に至るまでの経緯が、あまりにも出来すぎていた。勝負の放棄も、始めから予定に入れていたと考えるのが自然だ。
ただ、勝負の放棄は三郎も驚いていたから、彼も知らされていなかったのだろう。そこで難なく合わせられる辺り、さすがは古株の従者だ。
私が推測できるのは、あの敗北は、黄林姫の目的の一環ということだけだ。その目的までは分からないし、知りたいとも思わない。
「横取りしておいていらないって、どれだけこけにしたら気が済むのよ……!」
もちろん、頭に血が上った花鶯姫に、黄林姫の思惑を考える余裕などない。ただただ、与えられた屈辱に身を震わせるだけだ。
「姫様、御手に傷が付いてしまいます」
菜飯の諫言で、花鶯姫がようやく手を緩めた。指先まで赤くなっており、血が滲み出そうなほどに強く握りしめていたことが見て取れる。
(つくづく不便な生き物ね、巫女は)
神に等しいとされる巫女に傷が付けば、真っ先に責任を問われるのは従者だ。だからこそ彼女は、菜飯の諫言を大人しく受け入れた。
巫女というのは、自分のかすり傷一つで、誰かの人生を狂わせる。
情の深いこの少女にとって、本来なら息苦しい環境のはずだ。それでも毅然としていられるのは、巫女としての使命感と強い自尊心があるからだろう。
だけど、それだけでは、巫女として生き続けることは難しい。
権威を持つ者には、時に情を捨て、国のために犠牲を強いる覚悟が必要だ。その結果、誰かを地獄に突き落とすことになろうとも。
この人にとって、力を使うことが、過去の傷を抉る行為であったとしても。
「花鶯様」
花鶯姫の視線が、私へと注がれる。
気の強さと頑な情に溢れた眼だ。巫女としては極めて幼稚だが、人間味があって、私は嫌いじゃない。
「非礼を承知で申し上げますが、花鶯様の御力であれば、あのような隙をつかれることもなかったのではないでしょうか」
菜飯の力は、確かに有用だ。
しかし最善手ではなかった。もっと効率的に猿を捕まえる『力』を、この人は持っているのだから。
「だから……使うわけにはいかないのよ。あなたも『鬼』なら分かるでしょう。力を使うというのが、どういうことなのか」
そう言って、再び堅く口を閉ざした。
その瞳と同様に、頑な意思を以て。
(……私にできるのは、ここまでね)
彼女の人生は彼女のものだ。どうするかは、彼女自身が決めること――――
小枝を踏む音がした。
反射的に、音がした方を振り返る。
花鶯姫と菜飯も、音がした方を見据えた。
菜飯はともかく、貴人である花鶯姫までもが同様の反応をするとは……さすがは、戦乱の時代に数多の猛将を傑出した緋家の人間だ。
敵か、味方か。
全身を研ぎ澄まし、警戒を高める。
足音がさらに近づいてきて、人影が微かに見えてきた。三人だ。
次の瞬間、笛の音が高らかに響いた。
「え、笛……?」
参加者が持つ土笛の音ではない。だからこそ、花鶯姫は分かりやすく動揺した。平静な菜飯も、珍しくその顔に困惑の色を浮かべている。
私の警戒だけが解けた。
合流する時、先に気付いた方が慣らすよう、事前に決めておいた合図だから。
「ご安心を。味方です」
「何よそれ、どういう……」
「桜ちゃーん!!」
人影の一つが、馬鹿みたいな奇声を上げながら猛烈な勢いで飛び出してきた。
すかさず体を翻し、足を掛けて転ばせる。お馬鹿な人影は体勢を崩しながらも、器用に体を回転させてこちらに向き返った。
人目も気にせず抱きつこうとした馬鹿、もとい李々は、不満げに眉尻を下げた。
「えぇー、なんで避けるのぉ」
「巫女様の御前よ。頑張ってくれた分、後で頭を撫でてあげるから我慢して」
「はぁーい」
そして、このちょろさだ。
花鶯姫が、若干後ずさりながら異常者を見る目を向けてきた。まともな人間の常識的な反応に、ある種の安堵を覚える。
少し遅れて、残りの人影が姿を現した。
一人は蛍姫。
私と李々のおかしな会話を前に、微笑ましいと言わんばかりの笑顔を見せた。
従者に放置されたというのにこの反応だ。なるほど、見かけ以上に図太い。李々が常々『脳みそ花畑すぎる』と愚痴を零すだけある。
「あ、桜さん!」
それから、もう一人。
蛍姫の横にいた葉月が、弾けんばかりの笑顔で駆け寄ってきた。
「よかった、無事だったんだね」
「はい。葉月様もご無事で何よりです」
他の目があるので従者の面を被る。
それでも、頬の緩みは止められなかった。急に一人で放り出されたにも関わらず、葉月の笑顔に疲労も陰りもなくて、ほっとしたから。
私に向けてくれるその笑顔が、どうしようもなく愛おしいから。
次回。第二十話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」(後編)
ようやく葉月と桜が合流できました!
葉月と桜は、優勝を手にできるのか。
力を使わない花鶯姫は、どう立ち回るのか。
そして、蛍姫は――――
引き続き、巫女たちの余暇をお楽しみください。




