第十九話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (前編) ③
桜視点、三郎視点です。
奇遇。黄林姫が悪びれもなく放ったその言葉に、花鶯姫は苛立ちを見せた。
「……白々しいわね」
「なんのことかしら」
「とぼけないで。どうせまた勝手に共有したんでしょう? 奇遇なんて言うけど、明らかに出来すぎてるのよ。この状況」
「大正解」
黄林姫の微笑みに、愉悦が浮かぶ。
相変わらず、温和そうな見た目に反して狡猾というか、良い性格をしている。
張り詰めた空気の中で、菜飯が「申し訳ありません」と首を垂れた。
「私の見立てが甘いばかりに、このような不覚を取ってしまいました」
「あなたが謝ることじゃないわ。ずるをしたこいつらが悪いんだから」
くすりと、黄林姫が笑い声を立てた。
小馬鹿にしたような含み笑いを前に、花鶯姫が心底不快そうに顔をしかめる。
「今さらでしょうけど、この試合においては『勝つためなら何でもあり』よ?」
「分かってるわよ。私は、ずるを堂々と公言する神経の太さに呆れてるだけ」
「あら、言うようになったじゃない」
「耐性が付いたのよ。顔を合わせる度におちょくってくる誰かさんのおかげでね」
「成長したわねぇ。虹さんと三人で花札をした時は、ぼろ負けで涙目――」
「いつの話よそれ!!」
花鶯姫の顔が一瞬で真っ赤になった。日頃から情緒の忙しい人だけど、黄林姫の戯れ言のせいでさらに拍車がかかっている。
(……面倒ね)
巫女の戯れに付き合っている暇はない。
話を進めるべく、外野の私が「恐れながら申し上げます」と口を挟んだ。
「先に目をつけたのは私たちです。何でもありとはいえ、力を利用して横取りなど、巫女として品のある行動とは言えません」
「えぇ、そうね。それで?」
「ここは公平に、巫女様同士で雌雄を決されては如何でしょう? 転がっている猿は奇数なので、勝負にはうってつけかと」
「いいわよ」
思いのほか、黄林姫はあっさりと承諾した。
「でも、かおちゃんはそれでいいの?」
「何がよ」
「だって、あなたの力なら、この状況だって簡単に塗り替えられるはずよ?」
花鶯姫の表情が、分かりやすく固まった。
(――あぁ、そういうこと)
黄林姫の目的を理解した。
この状況を作り出したのも、横取りをあっさり認めたのも、私の提案をすんなり受け入れたのも、花鶯姫に力を使わせるため。
彼女は見たいのだ。
花鶯姫の力の、有用性を。
(まぁ、目的は他にもあるだろうけど)
黄林姫は、無駄なことをしない人間だ。
どんな些細なことでも、そこから必ず何かを得ようとするし、無理なら得られるまで待つ。逆に価値がないと判断すれば、少しの時間も割かない。
今のような余興であっても同様だ。いくら期待できるからといって、花鶯姫の力を計るためだけに、こんな回りくどいことをしないだろう。
「……力を使わなくても、私は勝つわ」
表情を硬くしていた花鶯姫が、意を決したように黄林姫を見据えた。ここまで挑発されてもなお、力を使うつもりはないらしい。
「審判は桜さんで如何でしょう。どちらの組にも属さないので、より公平かと」
菜飯のその言葉で、私へと視線が集まった。さすがは菜飯だ。話が早い。
私は「異論がなければ引き受けます」と前に出た。誰からも声が上がらなかったので、さっそく審判としての采配を始めた。
「それではお二方、猿たちの前にお立ちください。数は全部で十一匹。猿を多く捕獲できた方を勝者とします。私の合図で、刀を抜いてください」
私の采配で、二人の巫女が猿たちの前に立つ。
「刀を抜いて、構えてください」
金属が擦れる音と共に、巫女たちの鞘から刀が抜かれた。刺すような日の光が刀身に反射し、鋭い煌めきを帯びる。
巫女たちが、刀を構えた。
沈黙が、この場を支配する。
「では――始め」
巫女たちが、刀を振り下ろす。
双方の刀が起こした嵐によって、木の葉と共に猿たちが舞い上がった。
***
絹のような御髪に、そっと指を通した。
ひんやりと柔らかな感触が、指先から手首を包むようにくすぐってくる。
その心地よさに浸りたくなる邪な心を抑え込み、乱れた御髪を整えていく。
「終わりました」
「ありがとう、三郎」
姫様の滑らかな御手が、整った御髪に触れる。
「いつもながら見事ね」
「もったいないお言葉です」
「んー、日頃の運動不足が身に沁みるわぁ」
姫様が、大きく背伸びをされた。
絹糸のような御髪、澄んだ御声、柔らかな笑み。
挙げ出したら切りがないほどに美しい御方だ。この人を前にすると、日頃の鬱憤が嘘のように解けていく――いつもの僕なら。
「……姫様。無礼を承知の上で、お尋ねしたいことがございます」
「許すわ」
「なぜ、わざと負けられたのですか?」
勝負はあっという間に終わった。
本当に、呆気ないほどに。
「まだ負けてないわよ」
「試合そのものではなく、花鶯様との勝負のことを申し上げております」
「もちろん、分かっているわ」
姫様の笑顔に、なんら変化はない。聡明なこの御方のことだ。僕の考えていることなど、御力を使わずともお見通しなのだろう。
「でも、あそこで勝っちゃうと、あの人たちの思い通りだったから」
「あの人たち?」
「直接見てもらった方が早いわね」
不意に、視界が暗転する。
姫様の御力だ。すぐに視界が開けて、こことは違う場所が目の前に広がった。
「こ、これは……?」
社の政堂だ。大臣たちを始め、見慣れた顔が並んでいる。中つ国の政堂だろう。
だが、おかしい。どういうわけか、他国の外務大臣の姿が見受けられる。それだけじゃない。七国全土の名高い貴族まで……。
(僕は、何も聞いていない)
すなわち、巫女にも話が通されていないということだ。政治に干渉できないとはいえ、社に人を招く際には、国の頂点である巫女の許しが必要なのに。
巫女に内密で集まっている。
つまり、密談だ。
(そもそも、これは誰の視界だ?)
姫様が、あの場にいる誰かの視界を共有しているのは確かだが、まず大臣ではないだろう。互いを監視し合う巫女と大臣は、根本的に相容れない。
「これは、菜飯の視界よ」
「左様でございますか」
正確には、菜飯の『分身』だろう。あいつの力は分身するだけに留まらない。その姿を自在に変えることもできる優れものだ。
おそらく、あの中の誰かになりすましている。
姫様は菜飯に命じ、分身を秘密裏に密談の場へと送り込ませたのだ。
菜飯の分身が巻物を広げた。大臣たちの視線が集まり、場がざわめき出す。
『そ、それは……姫様の捺印!?』
『馬鹿な!! なぜお前が……?』
巫女の捺印が押された書物を、公で広げる。
それは、巫女が勅命を下すことを意味する。
本来なら、政治活動に口を出せない巫女が、政堂で勅命を下すことはあり得ない。理不尽なことに、密談であってもそれは変わらない。
すなわち、暗に指摘しているのだ。
お前たちは政堂に集まりながら、本来の職務を全うしていないと。
『菜飯と申します。動国の巫女、花鶯様の従者を務めている者です。黄林様の密命により、書記長、長八様の御姿を拝借致しました。卑賤の身で、静粛なる政堂に足を踏み入れた無礼、お許しください』
分身が拱手し、一糸乱れぬ名乗りを口にした。
そして、巻物を読み上げる。
曰く、彼らは姫様に視界を共有してもらい、試合を内密に見物してきた。
曰く、この場にいる大臣や貴族たちは、試合の度に勝敗結果で賭けをしてきた。
曰く、中つ国の大臣は、他国から度々八百長を求められ、賄賂を貰っていた。
曰く、大臣たちはこれまで幾度となく、巫女を八百長に加担させてきた。
曰く、今回の試合において、中つ国は『葉月組の優勝』を月国から求められた。
曰く、月国の目的は、葉月組の優勝という華やかな話題を作り、夜長姫の件で貴族間に広がった月国への不信感を払拭すること。
曰く、葉月組以外を敗退させた上で『葉月組に敗退すること』が、この試合における姫様の役割だった。
曰く、以上のことを、菜飯が『書記長』として余すことなく記録した。
曰く、記録は巫女の命なので、巫女の許可なく取り消すことは不可能。
曰く、この件は『大臣たちの個人的な趣旨』なので、巫女の介入が可能。
『――私からは、以上でございます。ご意見や疑問等がございましたら、黄林様に直接お伺いください』
文面を読み終えた分身は書物を閉じ、涼しい顔で再び拱手をした。大臣たちの醜い顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
(つくづく、我が国は良いように使われる)
中つ国は、巫女の中では中心的存在だが、こと国交においては七国の中で最も立場が弱い。元々が、敗戦によって分割統治されていた弱小国だからだ。
中立国と言えば聞こえは良いが、実際には、東西の仲介役という面倒事を押しつけられる形でようやく独立できた傀儡に過ぎない。
独立してから数百年も経つのに、大臣たちは未だに他国へ媚びを売り続けている。賭け事だの八百長だの、その程度で今さら驚きはしない。
だから、僕が我慢ならないのは、そんなくだらないことではない。
巫女と大臣は、互いを監視するが干渉はしない。それが、不要な血を流さないための約定のはずだ。
だが、奴らはそれを破った。巫女の数少ない息抜きである試合を、くだらない媚びのために操作してきた。しかも、その媚びに巫女まで加担させてきた。
姫様を――利用し続けてきた!
(あの豚ども、絶対に許さん!!)
僕は従者だ。姫様から許しを戴ければ、豚どもの首を即座に切り落とせる。
それなのに、姫様は僕の肩に御手を置いて、静かに首を横に振られた。思わず「なぜですか!」と声を荒げてしまい、慌てて口を噤む。
「申し訳ございません」
「いいのよ、三郎」
被害者とは思えぬ柔和な笑みを前にして、ようやく『共有』が解かれていることに気が付いた。完全に、頭に血が上っていた。
だが、怒りは収まらない。
冷静であれと己を律しつつ、口を開く。
⑤に続きます。
果たして、黄林姫の目的とは?




