第十九話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (前編) ①
桜視点です。
花鶯組の前に現れた桜は、彼らに何を求めるのか。
※人によっては、少々グロ注意かもしれません。
動国の巫女、花鶯姫。
私が彼女について知っているのは、周囲も認知していることくらいだ。
気が強く、真面目で気難しいこと。
誰よりも、黒湖様への信仰心が篤いこと。
誰よりも、巫女の使命に愚直であること。
そして、頑なに力を使おうとしないこと。
「私の力で、葉月を見つけてほしい……?」
「えぇ」
美しく華やかな顔から血の気が引いていく。気位の高い彼女らしからぬ表情だ。力について、よほど触れられたくないのだろう。
「……本気で言っているの? 下々の分際で、私に力を使わせたいと?」
「仰る通りでございます」
「だったら、お断りよ」
花鶯姫が、私を真っ直ぐに睨み付けてきた。
「私はね、必要に迫られない限り、絶対に力を使わないって決めてるの。だから私に近づいたところで、何一つ得しないわよ」
「そうですか」
私は、花鶯姫の力をこの目で見たことない。
あの女の気まぐれで、与太話を聞かされただけだ。夜長姫の従者の代役として参加した、去年の試合で。
『もったいないと思わない? 猿探しで存分に発揮できる力なのに、意地張って我慢するなんて。一体、何を楽しみに生きているのかしらね』
悪気の欠片もない笑みが、脳裏で鮮明に蘇る。
花鶯姫が聞いていたら、十中八九逆上していただろう。それほどまでに的を射た発言だったのだと、実際に花鶯姫と言葉を交えてよく分かった。
猿探しで、存分に発揮できる力。
つまり、人探しにも使えるということだ。
葉月を見つけたい今の私にとって、喉から手が出るほど欲しい力なのだが、こうも頑なに拒まれてはどうしようもない。
「では、一時的に御側に置いていただくだけで構いません。私としては、孤立状態から抜け出すことが最優先事項なので」
「信用できないわ」
「もちろん、あなたには損をさせません。それどころか、私と組まなければ後悔することになるでしょう」
「鵜呑みにすると思っているの? 巫女を殺めた人間の言葉など」
「まさか」
花鶯姫が目を丸め、敵意を剥き出しに唇を噛んだ。頬がみるみるうちに赤くなっていく。思い通りにいかなくて拗ねる子供のような表情だ。
(もしかして、嫌味のつもりだった?)
本来なら、とっくに地獄で焼かれている身だ。そんな私が、今さら巫女殺しを突きつけられた程度で動揺するわけがない。私のつまらない反応を見て、勝手に恥をかいているわけだ。この人は。
根本的に素直で人が良いからだろう。人の貶め方が極めて幼稚で下手すぎる。
(……この人を頼って正解ね)
感情的で、人が良くて、生真面目。
そういう人間は、得てして情が深い。どんなに取り繕っても、けして自分の良心を裏切れない。懐に入る上で、これほどやりやすい相手はいないだろう。
「しかし、あなたが損をしないのは確かです」
花鶯姫から目を離さず、帯に手を差し込んだ。彼女の傍らに控える菜飯の眼が鋭く、冷ややかになる。
帯から取り出したものを見て、二人の警戒が明らかに緩んだ。
当然だろう。私が取り出したのは武器でも毒でもなく、一冊の本なのだから。
だが、この場においては重要な鍵となる。
情が深く後輩思いな花鶯姫が、この本を無視できるはずがない。
「なによ、それ」
「蛍様が書いておられる小説です」
「はぁっ!?」
困惑の声に、はっきりと憤りが混じった。
「何してんのよあんた!?」
「蛍様には後ほど謝罪致します。無論、葉月様にお仕えする上で支障がない限り、どんな罰でも受けます」
「そういう問題じゃないから!!」
花鶯姫から悲鳴じみた声が上がった。堅物かつ信仰心の篤い人だ。巫女の私物を勝手に持ち出すなど、とても信じられないのだろう。
「李々から聞きましたが、蛍様は近頃、淑女小説を好んでおられるそうですね」
「それが何よ」
「好きが高じてとは、まさにこのことかと」
「だから何を言っ――」
花鶯姫が黙り込んだ。
蛍姫の名前と淑女小説が出てきて、私の意図を察したのだろう。震える唇の隙間から「まさか……」と小さな声が漏れる。
「ご安心を。見たのは最初だけでございます。文面から『春の息吹と共に』の二次創作だろうと察しはつきましたが」
「――――っ!!」
花鶯姫が目を見開いた。唇だけだった震えが、一瞬で全身へと行き渡る。
「……あ、あんた……私が協力を拒んだら、蛍の小説を晒すつもり?」
「御名答。従者の李々に限定致しますが」
「一番見せたら駄目な奴よそいつ!!」
(でしょうね)
李々は度々、私絡みで常軌を逸した行動を取る。この前も私に唾を飛ばしたという馬鹿な理由で、食堂を掃除中の彩雲を襲撃して縛り上げる凶行に及んだ。
おかげで鹿男に助けを求められ、目覚めたばかりの葉月を放置する羽目になってしまった。説教して拳骨を食らわせたが、もちろん反省などしていない。
私のためと判断すれば、喜んで何でもする。
そんな狂人が、蛍姫の嗜好を知ったが最後。何に使うか分かったものではない。ある意味、普通に公開するより質が悪いだろう。
加えて花鶯姫は、蛍姫を気にかけている。
私のような関わりの少ない従者が、傍目でも分かるくらいだ。過保護と言われてもおかしくないだろう。他国の巫女への接し方としては正直――異様だ。
当然、黙っていられるはずがない。
それほどまでに気にかける後輩が、偏愛の狂人に弱みを握られるなど。
「単刀直入に申し上げます。私と組まなければ、蛍様の秘め事がつま――」
「あぁ、もう! 分かったわよ!! 協力すればいいんでしょ!?」
そして現在。
私は、花鶯組と行動を共にしている。
「言っておくけど、あなたを信用したわけじゃないわよ。あくまで社の秩序を守るため、未来ある後輩を守るためだから」
「承知しております」
よほど不本意な同盟だったのだろう。花鶯姫は私を睨みながら、負け惜しみたっぷりの憎まれ口を叩いた。夜長姫とは別の意味で子供のような人だ。
「姫様、桜さん。こちらをご覧ください」
菜飯が己の足下を指し示す。近づいてみると、そこには足跡があった。この人間に近い形状は、猿の足跡で間違いない。
「近くにいるのかしら」
「既に離れた可能性もあるかと。この辺りにいたことだけは確かですが」
菜飯の言うとおりだ。足跡だけでは、猿の現在地を特定する材料になり得ない。
「まだ近くにいます」
だから、ここで恩を売っておく。
私にしか得られない情報を対価に。
「この辺りで、猿の糞を複数見つけました。証拠はこちらです」
話しながら、袂から小袋を取り出す。
花鶯組と合流してから、ここまでの道中に集めた糞を入れたものだ。
「……まさか、ずっとそれを拾っていたの?」
「はい。何かの役に立つかと思いまして」
糞を拾う度に、育ちの良い花鶯姫からは侮蔑の眼差しを向けられたが、念のために集めて正解だった。おかげで、花鶯姫に恩を売ることができる。
「どれも真新しいものばかりです。猪の糞の可能性もありましたが、菜飯の見つけた足跡で、猿の糞だと確信が持てました」
花鶯姫が、心底不快そうに顔をしかめた。その傍らで、菜飯が苦笑を浮かべる。
袋の中を見せた方が証拠としては確実だが、さすがに貴人を相手にそのような無礼は働けないし、何より花鶯姫自身が本気で拒絶するだろう。
「あなた……糞の知識まであるのね」
「調薬の際に、便の状態を確認することはよくあります。それに、薬として使えるものもございますから」
「はっ!?」
花鶯姫が、上擦った声を出した。
「じゃあ、私が常用している薬も……?」
「可能性は否定できませんね」
「そ、そう……」
花鶯姫の顔が真っ青になった。眩暈でも起こしたのか、今にも倒れそうな表情で額を押さえている。
(やんごとなき姫君には刺激が強すぎたか)
この様子だと、視察後に帰国したら、即座に常用薬の見直しを行うだろう。
在庫の整理は、地味だけど時間を食う作業だ。そして、最終確認には従者も立ち会う必要がある。巫女の健康を管理することも、従者の役目だからだ。
菜飯が苦笑したのは、己の仕事が増える未来が見えてしまったからだろう。頭の回転が速すぎるが故の察しの良さだ。ご愁傷様。
「ひとまず、今は猿を追いましょう」
「えぇ……そうね」
花鶯姫が額から手を退ける。
顔こそまだ青いが、その目には日頃から見せる威厳が戻っていた。
「菜飯。『影』に足跡を追わせて」
「御意」
菜飯が、いつもの見事な拱手で応える。
瞬間、その背中が縦に割れた。
背中の割れ目から、黒いものが姿を露わにしていく。羽化する蝶のように、もぞもぞと蠢きながら。
黒いものは地に足を付けると同時に、人の形と色を成した。菜飯と瓜二つの『何か』が、素知らぬ顔で私たちの前に立っている。
割れた菜飯の背中が、何事もなかったかのように塞がっていく。
『それでは、失礼致します』
菜飯の影が拱手をし、足跡を追い始めた。
あっという間に影が遠ざかっていく
(……何度見ても、気味の悪い力ね)
職業柄、多くの人が拒絶するような異形や光景には耐性がある。
その私を以てしても、菜飯の力は怪奇的というほかない。もっとも、存在するだけで奇跡を殺す私が言えた話ではないけど。
「たった今、影が猿を十一匹捕獲しました。ご案内致します。こちらへ」
程なくして菜飯が口を開き、情報を手短に告げて歩き出した。猿を見つけるのみならず、捕獲までしてしまう手腕はさすがというほかない。
菜飯の後に続いて、私と花鶯姫も歩き出す。
「相変わらず、便利な力ですね」
「私の従者だもの。当然よ」
花鶯姫が自慢げに胸を張る。非の打ち所がない菜飯を、たいそう気に入っているのだろう。初めて力を目にした時は、恐怖のあまり気を失ったそうだが。
あの影は、菜飯と五感が繋がっている。
そのため、巫女の傍から離れずに他の仕事をこなすことが可能だ。力の奇怪さはともかく、本人の優秀さも相まって、非常に有用であることは間違いない。
ただ、最善手とは思えない。
有用な力だけど、今はもっと――――
(……考えても仕方ないわね)
菜飯の言うとおり、そう遠くないところに猿の集団を見つけた。
だが、あと一歩が遅かった。
猿たちが、一匹残らず昏倒していたのだ。
その中には、菜飯の影の姿もあった。倒れた影の横で、三郎が軽く手を払う。傍らでにこやかに佇むのは、当然――黄林姫だ。
「あら、奇遇ね。かおちゃん」
黄林姫が、私たちを見るなり目を細めた。
優美という言葉がよく似合う笑みを絶やさず、瞳の奥に鋭利な刃を隠して。
②に続きます。
ちなみに桜は試合中、着物の収納をこんな感じで使い分けています。
帯:蛍姫の本など、大きいもの。
懐:土笛など、小さいもの。
袂:毒針、小袋(猿の糞)。




