第十七話「花狩り ーはながりー」 (前編) ①
温泉卵を賭けた「さるひと合戦」の開幕です。
ふと顔を上げると、木漏れ日が目に刺さった。堪らず瞼を閉じる。
どれくらい歩いただろう。
改めて、周囲に目をやる。
凡人なりに五感を全力で研ぎ澄ましているけど、状況は一向に変わらない。歩き始めた時から、同じような木々が目に入るばかりだ。
僕は、隣を歩く桜さんに声をかけた。
「……猿、全然出てこないですね」
「そうね」
今朝、さるひと合戦の火蓋が切られた。
駅で一泊し、夜明け前に眠たい体を引きずって近隣の森に集合した。そこで試合の詳細を確認した後、巫女と従者の二人一組で各自散らばって今に至る。
試合の時間は、今日の日没まで。
勝者は、最も多く猿を捕獲できた一組のみ。
そんな単純明快な勝敗条件だけど、僕たちは初っ端からつまずいている。
試合が始まって数刻経った今も、猿を一匹も捕まえられていないのだ。
「猿を探すのって、想像以上に大変なんですね。姿どころか気配すらないし……」
「いないということはないわ。公平を期すために、参加者は猿の生息地に配置されるから。猿たちは、あんたを警戒して身を潜めているだけよ」
「え、僕を?」
「正確には夜長姫を、だけどね。猿たちに要注意人物として認識されているのよ」
桜さんの口から夜長姫の名前が出てきて、思わず息を呑んだ。
「警戒って、やっぱり力とかを?」
「単に危険人物というだけよ。あいつ、試合の度に暴れ回っていたみたいだから」
「あ、暴れるっ?」
「ちなみに去年は、猿たちに精神的な揺さぶりをかけて同士討ちをさせた挙句、崖まで誘導して一匹残らず川に落としたわ」
「それ捕獲どころか死にますよね!?」
「普通はね。事故と殺傷を防ぐために、事前にこの辺り一帯の気は強化されているから、落下の衝撃や溺水で死ぬことはないわ」
「確かに、今朝の説明でもそんなこと言ってましたけど、さすがにやり過ぎ――」
唐突に、桜さんが自分の唇に指を当てた。
どことなく、苦笑しているような――――
「――――あ! また口調戻ってた!!」
桜さんが、小さく肩を揺らしながら笑った。
どうも最近、こうやってからかって、僕の反応を楽しんでいる節がある。
恥ずかしいけど、鈴を転がすように笑う桜さんが可愛いので何も言えない。この笑顔を見れるのなら、僕の羞恥心くらい安いものだ。
「葉月の言う通りよ。どんなに気を強化しようが、絶対に怪我をしない保証はない。実際、黄林様からも社のお偉方からも、やり過ぎだとこっ酷く叱られたわ」
「叱られるだけで済んだんだね……」
そう口にしたものの、叱られるなんて人間臭い夜長姫を想像できなかった。話で聞く彼女は、およそ人間臭さからかけ離れているから。
(でも、桜さんはそうじゃないんだ)
桜さんは復讐のためとはいえ、夜長姫を間近で見てきた人だ。今話したような人間臭い一面も、数多く見てきたのだろう。
きっと、去年の試合でも――――
(――あれ? なんか、目の前で見たみたいな言い方してるけど……)
この試合は巫女と従者の二人一組。
夜長姫の存命中、桜さんは侍女だったはずだ。
「……桜さん、その頃は従者じゃないよね。試合に参加したことあるの?」
「えぇ。当時の従者は、夜長姫から別件を命じられてね。毒を扱えるのが面白そうだからと、代理で参加させられたのよ」
「へ、へぇ……」
聞けば聞くほどドン引きだった。毒が面白いとか、絶対近寄りたくない人だ。
(でも、戦う桜さんは格好いいだろうな)
想像していたら、桜さんが怪訝そうに目を細めてきた。その視線でにやけていたことに気付き、慌てて頬の緩みを直す。
「桜さんは、今回も毒で戦うの?」
「そう、こいつでね」
桜さんが袖口に手を滑らせた。隙間から見える針は細いけど、裁縫道具のそれとは違う威圧感を放っている。早い話が『ザ・暗器』だ。
「まさか、それで首をぐさりと!?」
「ただ痺れさせるだけよ。医術でも鍼治療とかあるでしょう?」
「あ、確かに」
「まったく、私をなんだと思ってるんだか……葉月の方は大丈夫なの?」
「え?」
「刀なんて、一度も使ったことないでしょう?」
桜さんが、僕の腰に視線を向けた。
腰には小ぶりの刀を差してある。時代劇とかでよく活躍する刀ではなく、予備として持ち歩く脇差だ。護身のために、巫女は全員この刀を持たされている。
そして、猿を捕縛するための要でもある。
「刀と言っても脇差だし、使い方は花鶯さんからしっかり学んだから問題ないよ。それに、これは鞘から抜いて振るだけでいいから」
「そう。でも、無理は禁物よ」
「え?」
「少し疲れてるでしょう。さっきから、目の焦点が合いにくくなってる」
見事に言い当てられ、返す言葉を失った。
驚きのあまり、考えるより先に笑いが零れる。
「さすが桜さん、分かるんだね」
「それくらいはね。これでも薬師だから」
(敵わないなぁ)
思えば、これまで彼女には、どんな些細な変化も隠し通せたことがない。それだけ僕のことを見てくれているということだ。
だから、なんとなく分かる。
従者である前に薬師である彼女が、次に何を言おうとするのか。
「この試合はあくまでも遊びにすぎない。無理をする必要は少しもないわ。しんどくなったら、私に気を遣わず――」
「棄権はしないよ。優勝したいから」
桜さんが目を丸くした。彼女の象徴とも言える切れ長の大きな瞳は、ほんの少し丸めるだけで目力がより強くなる。
この試合はお遊びだ。いつでも棄権できる。
首から下げた土笛を鳴らせば、随所に散らばる救護部隊が駆けつけてきて、安全地帯である本陣に連れていってくれるのだ。
だけどその場合、相方も強制的に棄権となる。
今までの頑張りが、全て水の泡となるのだ。
笛の音一つで、呆気なく。
「今回みたいな行事はもちろん、鬼ごっことか、かくれんぼとか、そういう誰かと勝負する遊びって、まともにやったことがなかったんだ。だから、最後まで全力で戦ってみたい。全力で優勝を目指してみたい」
「……なるほどね」
桜さんの目力が、緩んだ。
「悪かったわ。あんたの気持ちを汲まずに、勝手なことを言って」
「勝手なんかじゃないよ。薬師としての助言だって、ちゃんと分かってるから。もちろん、倒れるような無理は絶対にしない」
「私も、最後まで戦うわ。葉月と一緒にね」
桜さんの眼差しが、鋭い光を放つ。
その輝きを見てほっとした。これで僕も桜さんも、心置きなく試合を楽しめる。
「とりあえず、まずは疲れを取る必要があるわね。座るのにちょうどいい場所があるから、そこまで歩いたら少し休みましょう」
「うん。そうする」
桜さんはこうと決めたら切り替えが早い。猿探しをいったん中断し、小休憩のために歩く方向を変えた。土地勘のない僕は、その頼もしい背中についていく。
「それにしても、少し意外ね」
「何が?」
「葉月がそこまで試合に乗り気だとは思わなかったわ。初めて試合のことを聞かされた時、周りの反応を見て引いていたって聞いたから」
「ま、まぁ……最初は驚いたかな……」
桜さんの何気ない言葉で、冷や汗が滲む。
全力で戦って優勝を目指したい。その気持ちに、もちろん嘘はない。
だけど、それだけじゃない。
景品の温泉卵が、どうしても欲しいのだ。
温泉卵は、この世界では『神の恵み』と言われるほどの贅沢品とされている。温泉の湯を使用するからだそうだ。温泉は神聖な場なので、その湯も大変ありがたいという感覚だろう。神に等しい巫女ですら、おいそれと口にできないのだとか。
そういうわけで巫女たちは、人格が豹変するレベルで温泉卵に執心している。おそらく、彩雲君以外の従者たちも同様だ。
僕は、温泉卵にそこまでの思い入れはない。
だけど桜さんは、他の面々とは別の意味で目の色を変えた。なんでも、温泉の成分を含む『薬』として興味があるのだとか。
『味はともかく、効能が気になるわね』
頬の紅潮を隠しきれず、丸々と開いた目からは、幼い子供さながらの純粋な好奇心が滲み出ていた。前に日本語の話をした時に見た、あの顔と同じ……いや、それ以上だった。とんでもなく可愛かった。
だから優勝して、喜んでほしい。
そのために温泉卵を手に入れたい!
(まぁ、さすがに恥ずかしいから、そこまでは口にできな――――!?)
何かに、視界を遮られた。
何が起こったのか理解するより先に、桜さんが僕の前に出た。
「わー!! 待って桜ちゃん。俺だよ!!」
桜さんが目を見開き、両手を上げる鹿男君の首に針を突き付けていた。
「まぁ、そうなるよな」
横から声がして、思わず「わっ」と飛びのく。
いつの間にか、落葉さんが隣に立っていた。
②に続きます。




