第十六話「余花 ーよかー」④
翌朝、起きた瞬間から絶好調で驚いた。
体に羽が生えたように軽いし、視界もくっきりと明るい。寝起きは悪くないけど、ここまで目覚めがいいのは初めてだ。
(しかも、めっちゃ熟睡できた)
三郎さんには本当に感謝だ。体がもたないので、次からは自分でやるけど。
そんなわけで、朝から絶好調すぎる自分の体に歓喜しつつ菜飯さんに送られ、巫女たちが一堂に会する朝食の時間を迎えた。
虹さんが遅刻して窘められたり、花鶯さんがいじられて怒り出したりする。
そんな他愛ない団欒の後に、今後の予定を黄林さんから聞いて共有する。朝礼を兼ねたいつもの朝食だ。
だけど、今日はそれだけで終わらなかった。
「試合、ですか?」
「あぁ。巫女と従者の二人一組、計七組で競い合う形式だ。蛍は李々と、葉月は桜と組むことになるな」
「視察中は皆、この催しを楽しみにしているの。初参加の葉月君や蛍ちゃんにとっても、良い息抜きになると思うわ」
虹さんと黄林さんが、揃って笑顔を見せた。それはもう素晴らしい笑顔を。
二人とも、普段から人をからかって楽しんでいる節があるけど、今日は輪をかけて楽しそうな雰囲気を醸し出していた。ろくでもない内容であることは明白だったので、衝撃に備えて身構えていたつもりだった。
想像より遥かに、ろくでもない内容だった。
「……あの。確か、次の駅では温泉に入れるという話ですよね?」
「そうだ」
「温泉に猿が侵入してくるから、毎回従者の皆さんが対処するけど、それだけでは面白くないからと猿の捕獲数を競わせるようになり、いつしか視察の恒例行事となった。僕の聞き間違いの可能性は……」
「ないわね」
「嘘でしょそんなの!! 温泉ですよね!?」
「だからそうだと言ってるだろ」
取り乱す僕に、虹さんがしょうもないものを見る目を向けてきた。
温泉といえば、癒しの空間だ。
だけど、今の内容を聞いた限りではとても癒されそうにない。さるかに合戦ならぬ、さるひと合戦だ。どう息を抜けというのか。
「でも、温泉って神聖な場所ですよね? そんな所で試合とか不敬だったり――」
「しないわよ」
しどろもどろな僕の言葉を、花鶯さんが無慈悲にも一刀両断した。
「むしろ、聖域に無粋な獣共を入れてしまう方が不敬よ。社の矜持にも関わるわ。故に、見せしめも兼ねて徹底的に駆逐するのよ」
まさかの花鶯さんもやる気満々だった。
普段は常識的なこの人も、信仰が絡むとタガが外れるらしい。しかも見せしめで駆逐とか、言葉選びまで血の気が多すぎる。
「ちなみに、安全の保障とかは……?」
「問題ないよ。従者共が肉壁になるからな」
虹さんが笑いながら、ブラック企業の上司も真っ青な発言をぶちかました。
「万が一従者共が逃したとしても、私たちには黒湖の加護がある。分をわきまえない獣の攻撃など、かすりもしないよ」
「いや、そうじゃなくて……」
黒湖様の加護がどうこう以前に、猿に襲われる状況が普通に怖すぎる。
それに従者が捕獲するということは、桜さんも前線に駆り出されるのだ。もちろん、僕たち巫女のように黒湖様の加護もない。
「大丈夫よ、葉月君」
黄林さんが、いつにも増して柔和に微笑んだ。
「巫女の傍仕えには護身の心得があるの。並の暴漢くらいなら、草むしり程度の労力で片付けられるわ」
「人どころか雑草扱いですか!?」
「その中でも抜きん出た強者が、巫女の従者に選ばれるのよ。早い話、従者たちが猿に後れを取る心配はないわ。もちろん、桜ちゃんもね」
「そう、ですか……」
(そういえば桜さん、凶器を振り回している人を素手でぶっ飛ばしてたな)
静国での騒動を思い返す。桜さんだからと軽く流していたけど、冷静に考えたらとんでもない話だ。年頃の女の子のすることじゃない。
(……桜さんが大丈夫なら、まぁいいか)
突っ込みどころ満載だけど、もう無理やり納得することにした。僕が何を言ったところで試合は行われるだろうし、お湯に浸かりたい気持ちに変わりはない。
「それはともかく、彩雲はどうするのよ」
花鶯さんが、もう少し気を引き締めろと言わんばかりに溜め息をついた。
「あいつは従者と言っても仮初でしかないわ。護身の心得なんてまず期待できないし、何より子供よ」
「それがどうした?」
「……まさか、他の従者もろとも猿共の前に放り込むつもりじゃないでしょうね」
「そのつもりだが?」
虹さんが疑問符と共に、きょとんと目を丸めた。いや嘘でしょこの人……?
「さらっと答えてんじゃないわよ!! 何考えてんのよあんたは!!」
花鶯さんが分かりやすく血相を変えた。信仰が絡むと血の気が多いだけで、やっぱり良識的な人だと密かに安堵した。
「いざって時は三郎の傍に置く。三郎に任せておけば問題ないからな」
「またそうやって三郎に押し付けて!!」
「私に言われても困る。黄林の提案だ」
「あら? それを受け入れた虹さんも共犯よ」
「これはこれは……とんだ確信犯だな」
「ふふ。私の従者を使うからには、無償というわけにはいかないでしょう?」
したり顔な黄林さんに、虹さんが苦笑というのは表向きの話。互いに言葉のやり取りを楽しんでいる。真っ当な発言をした花鶯さんは完全にスルー状態だ。
(一番の被害者は……間違いなく三郎さんだな)
カオスな戦いに巻き込まれた彩雲君も気の毒だけど、それ以上に、本人のあずかり知らないところで仕事を増やされた三郎さんが溜まったものじゃないだろう。黄林さんの提案なら受け入れるだろうけど。
「まぁ、冗談はさておき。遊びとはいえ、今年で三十周年の催しだ。それだけ続けば、伝統行事と言っても差し支えないだろう」
(さるひと合戦なんてカオスな催しが三十年も続いているのか……!?)
ひっくり返るほど驚いたけど、胸の内に収めた。どんなにカオスな催しでも、本人たちは大真面目だ。とても突っ込める雰囲気じゃない。
「そんな歴史ある伝統行事にこだわるのが、あの狸共だ。仮にも従者であるあいつを一人外すとなると、習わし云々とうるさいだろう」
「それは、そうだけど……」
花鶯さんの口調が、珍しく弱々しくなった。
ここで虹さんの言う『狸』というのは、元の世界でいう大臣や貴族に相当する人たちで、要は国の政治を担うお偉方だ。
国の頂点に立ち、神の如く崇められる巫女だけど、国政にはけして携われない。
巫女が唯一できるのは、決定事項に目を通して印を押すことだけだ。神としての権威はあっても、人としての権力はない。
巫女を祀り上げる今の世は、王という独裁者を否定した上に成り立っている。乱れた王政時代を反面教師として、巫女が独裁者にならないよう徹底されているのだと、東語の授業の合間に黄林さんから教わった。
そんなわけで社のお偉方は、政治家であると同時に巫女の監視者でもある。
つまるところ、巫女にとっては口やかましい老臣的な存在というわけだ。
奔放な遅刻魔の虹さんが、日常的に彼らのお小言を受けているのは想像に難くない。先ほどの狸呼ばわりは、日頃の鬱憤の表れだろう。
そして虹さんに限らず、巫女はみんな、彼らのお小言に頭を痛めているという。真面目で信心深い花鶯さんですら例外ではないらしい。
もちろん、月国の社にもお偉方はいる。
視察が終わったら、僕もその洗礼を受けると思うと……胃が痛くなってくる。
「どっちにしろ手遅れだ。狸共にはすでに参加者名簿を送ってしまったからな」
「手遅れとか言って絶対わざとでしょ!!」
本日二人目の確信犯を前に、花鶯さんが絶叫に近い怒声を上げた。高血圧で倒れないか、ちょっと心配になってきた。
「さて、試合の話に戻るとしよう」
虹さんが、狸共など興味がないと言わんばかりにさっさと話をすり替えた。本当にこの人は自由すぎる。
花鶯さんはこめかみに青筋を立てながらも、しぶしぶと引き下がることにしたらしい。虹さんの奔放さを前に、これ以上は無駄だと判断したのだろう。
「試合では七組、総勢十四名で猿の捕獲数を競い合う。猿共の殺害と試合自体の妨害は禁止だが、それ以外は自由だ。自分たちのみで戦うも良し、他の組と共闘するも良し、組同士で潰し合うも良し、漁夫の利を狙うも良しとする」
元の世界の言葉で表すなら、バトルロイヤル形式のチーム戦と言ったところか……乱戦の予感しかない。
「そして目指すは優勝のみ!! それ以外は全て敗者とする!!」
虹さんが自らの拳を掲げ、握り潰した。他の組は全て潰してくれると言わんばかりの気迫だ。ますます乱戦の予感しかしなくなった。
「優勝した組には、豪華な景品が進呈されるわ。これが毎回楽しみなのよねぇ」
「やっぱり景品があると燃えるよな」
黄林さんも交えて二人で盛り上がり出した。猿との戦い云々を除けば、体育祭前日のノリそのものだ。
(……体育祭か)
何気なく浮かんだ例えに、心が揺れる。
思えば、その手の行事に参加していたのは保育園の頃くらいだ。その頃だって、他の子のように全力を出せなかった。
何度、羨ましいと思っただろう。
いつか僕もと、どれだけ想像しただろう。
僕にとって体育祭という行事は、夢物語でしかなかった。みんなが当たり前のように走り回る光景は、もはや異世界と変わらなかった。
でも、今は違う。
僕も、あの熱気の中で走り回れるんだ。
心なしか、胸の内が弾んできた。
笑みが溢れそうになるのを堪えながら、豪華な景品へと想いを馳せる。
「そして今回、優勝を手にした組の景品はなんと……あの『温泉卵』だ!」
(…………ん?)
温泉卵?
今、温泉卵って言った?
嬉しいし大好きだけど、体育祭さながらな催しの景品としては些か地味な気がする。元の世界なら、コンビニやスーパーでも買える代物だ。
他のみんなはさぞかし拍子抜けだろうと、軽い気持ちで周囲に目を向けた。
(――――えっ!?)
この場にいる巫女たちの目が、身震いするほどにぎらついていた。
虹さんや黄林さんはもちろん、つい今しがたまで怒鳴っていた花鶯さんも、会話に入っていなかった落葉さんや炭さんまでもが、人が変わってしまったかのようにその目に闘志の炎を宿している。
そして、蛍ちゃんも例外ではなかった。
「お、温泉? あ……ああぁののの、おおおお温泉卵……ですか!?」
いつもの可愛らしい蛍ちゃんはどこへやら、震えながらも殺気立ち、窮地に追い込まれて覚醒した小動物と化していた。
「け、蛍ちゃ――」
「葉月」
耳元でなぞるような低い声がして、反射的に肩が跳ね上がった。驚きのあまりに「ひぃ!?」と情けない声まで漏らしてしまう。
恐る恐る振り返ると、満面の笑みに怖すぎる影を帯びた虹さんが真後ろにいた。
「これは遊びだが、恨みっこなしの真剣勝負でもある……覚悟しておけよ?」
(ひええええええ!! 助けて桜さん!!)
予想外の展開と恐怖を前に、内心で悲鳴を上げるほかなかった。
<各話タイトル解説(第十六話)>
【余花……初夏に咲く遅咲きの桜】
遅咲きの桜は、「魂」が見えなくて焦る葉月を指しています。
今の葉月は、自分の体に異変が起きたこと「しか」分からない状態です。何が起きたのか把握するには、自分で魂を見るしかありません。
だから、葉月にとっては急を要すること。
いくら物分かりの良い葉月でも、焦るなと言われて納得できるわけがありません。
だけど、そんな時こそ「休息」が必要です。
そういう意味では、強制的に焦りから引き離される「さるひと合戦」は良い息抜きになるでしょう。温泉で猿を捕獲するという内容のおかしさはともかく。
そして物語においても、次回からしばらくは「温泉回」です。
そういうわけで「余暇」ともかけています。
余暇を堪能する一行と共に、温泉回を楽しんでいただけたら幸いです。




