第十六話「余花 ーよかー」③
話が終わると、早々に部屋から追い出された。
鹿男君を呼び出し、僕の送迎を命じるまでの手際が良すぎたので、初めからそのつもりだったのだろう。とことん時間の無駄を嫌う人のようだ。
鹿男君が「あの」と声を上げた。
普段から勢い任せの彼にしては、珍しく口籠っている様子だ。
ここまでの流れと彼の気まずそうな顔で、言いたいことは何となく分かる。
「申し訳ございません。せっかく来ていただいたのにその……慌ただしくて」
案の定、彼の口から出たのは謝罪だった。
口籠っていたのは、鹿男君なりに言葉を選んでいたからだろう。『慌ただしくて』と置き換えることで、主人を極力貶めないように。
「謝るのは僕の方だよ。こんな時間に突然、部屋に押し掛けたんだから」
「滅相もございません! むしろ――」
「むしろ?」
「い、いえ! なんでもございません!」
鹿男君が、あたふたと首を横に振り出した。
何を慌てているのか分からないけど、あえて突っ込まないことにした。
ふと顔を上げて、夜の闇がさらに深みを増していることに気付いた。いつもなら、とっくに床に就いている時間だ。
それを証明するかの如く、部屋には布団がきっちりと敷かれていた。
鹿男さんが「おやすみなさいませ」と、屈託のない笑顔を残して去っていった。忙しない足音が遠ざかり、夜の静寂が訪れる。
布団に入り、暗闇に身を委ねた。瞼を閉じれば、闇がさらに深みを増す。静かな闇に包まれている内に眠くなっていく――――いつもなら。
(…………眠れない)
いったん起き上がり、部屋を出た。近くの庭の前に腰を下ろす。こういう時にふらりと出歩けるのだから、本当に今の体は恵まれている。
(綺麗な月だ)
心の中で呟いてみるけど、無意味だった。
確かに綺麗だと感じているのに、ぼんやりとしか見えない。頭の中にある言葉が、さっきからずっと、ぐるぐると回り続けている。
謎の幻覚。
魂の状態。
落葉さんが感じた『臭い』。
黄林さんの…………。
今のところ、体に変化はない。気の状態も毎日欠かさず確認し、花鶯さんに報告している。例の白い箇所は気になるものの、こちらも特に変わりない。
現時点で分かるのは、魂の状態を、自分で把握する必要があることだけだ。
だけど、今の僕にはそれができない。
やるべきことが分かっているだけに、もどかしくて仕方な――――
「葉月様」
声をかけられ、我に返る。
三郎さんが、僕を見下ろしていた。
「僭越ながら、卑賤の身で無礼な口を利くことをお許しください」
三郎さんが跪き、拱手する。
見事な礼が終わった瞬間、恭しさから一転して素っ気なくなった。そしてごく普通の友人のように、僕の隣に腰をかけてくる。
「珍しいな。こんな時間に出歩いているなど」
「ちょっと、眠れなくて。とりあえず風に当たろうかなと思って」
僕が『普通に話してもいい』と言って以来、こうして表向きの断りを入れてから口調を崩すようになった。主人の命とはいえ、巫女に軽口を叩くのは身分不相応と考えてのことだろう。本当に真面目な人だ。
「体の方は?」
「お陰様ですっかり元気です」
「そうか」
「すみません。心配かけてしまって」
「仕事だ。謝られる筋合いはない」
三郎さんが吐き捨てるように言い放つ。
その清々しい口ぶりに、思わず笑いが零れた。
「三郎さんらしいなぁ」
「何が」
「三郎さんって、むやみやたらに愛想を振りまかないでしょう? 相手が巫女であろうと、必要以上に畏まらないというか」
「……悪かったな。愛想がなくて」
「あ、いや! 悪いどころかむしろ逆です」
三郎さんが訝しげに目を細めた。
「僕、気を遣われ過ぎるのが苦手なんです。悪いなって感じちゃって。かといって何を考えているか分からないのも、それはそれで怖くて。三郎さんはどっちでもないから、気楽に話せるんです」
「……それを言うなら、桜の方がよほど気心の知れた仲だと思うが」
「分かるんですか?」
「あいつは人目のないところで、お前にため口を叩いているだろう。僕以上に砕けて、笑い声まで上げて」
「えっ!?」
突然の指摘に、驚きを隠せなかった。
「好きで聞き耳を立てたわけではない。たまたま耳にしただけだ」
「あの、桜さんはその……」
「公でなければ問題ない。第一、巫女であるお前が了承していることだ。他国の従者である僕がいちいち騒ぎ立てたりしない」
その言葉に胸を撫で下ろした。桜さんが不敬の罪を被る心配はなさそうだ。
「まぁ、花鶯様にだけは見つからぬよう気を付けることだな。あの御方はまだ幼い。巫女としての在り方が純粋かつ、真面目が過ぎる」
(三郎さんから見ても『真面目』なのか)
正直、三郎さんも『真面目が過ぎる』と思うけど、もしかしたら僕が思っている以上に大人で、真面目の使いどころを心得ているのかもしれない。
(あ、でも……)
出会った当初、黄林さんと一緒にいる時間を割かれたと怒っていた。そして黄林さんの命というだけで、僕の我が儘を聞いてくれている。
三郎さんは、黄林さんに弱い。
そして花鶯さんは、蛍ちゃんに弱い。
(……うん。やっぱり似た者同士だ)
「おい。なんだ、その顔は」
「へ?」
「なぜ僕を見てにやついている。気色悪い」
「すごい辛辣!!」
嫌悪感たっぷりの目で睨まれてしまった。顔を戻そうにも、出会った当初を思い出してしまい、どうにも顔が緩んでしまう。
「……何かあったのか」
「え?」
「普段からへらへらしているやつほど、何かあると一人になりたがる」
図星だった。
図星すぎて、思わず苦笑した。
「なんというか、自分の体なのに、ちゃんと管理できてないなぁって」
「前に倒れたことか」
「まぁ、そんなところです。と言っても、深く悩んでるわけではなくて、大したことはないんですけど」
「大したことだろ。自分の体のことだぞ」
「というと?」
「怖くないのか? また倒れるのではないかと」
「……そりゃあ、怖いですよ。また迷惑をかけてしまったら、どうしようって」
なぜか、三郎さんが深い溜め息をついた。
「僕は、お前自身のことを言っている」
「え?」
「人のことではなく、自分がどうしたいかを考えろと言っているんだ」
「……? 考えてますよ。花鶯さんにこれ以上心配かけたくないですし、桜さんにも余計な負担をかけたくない。だから、もう前みたいに倒れたくないんです」
「そうか」
三郎さんの声色が、やけに静かになった。どこか遠い目で、虚空を見つめている。無愛想な彼でも、感情豊かな彼でも、黄林さんに弱い彼でもない。
初めて見る顔だ。
まるで、大切なものを失くして、途方にくれる子供のような――――。
「三郎さん?」
声をかけると、遠かった目の色が戻った。
そして、誤魔化すような溜め息と共に「なんでもない」と吐き捨てる。
「お前の生き方に口を挟むつもりはないが……少しは自分自身の心配もするべきだ。もう、お前一人の体ではないのだから」
「それはもちろん。肝に銘じます」
立ち上がり、改めて三郎さんを見た。
「そろそろ寝ます。夜中なのに、長いこと引き留めてすみません」
「声をかけたのは僕だ。それに、こうしてお前と話をするのは嫌いじゃ――」
一瞬の沈黙を、無理やりな咳払いが破った。
月明かりが一段と眩しいからか、夜の闇でも耳が真っ赤なのが見て取れる。
「……『好き』?」
「普通ということだ!!」
「僕は好きですよ。三郎さんと話をするの」
「お前の好き嫌いなど聞いていない」
「これまた辛辣な」
理不尽な八つ当たりに苦笑した。
それでも嫌な感じがしないのは、僕も三郎さんと話すのが楽しいからだろう。会話のキャッチボールを楽しめる相手なのだ。
「それじゃあ、僕はこれで」
「待て」
部屋に向かおうと歩き出したところで、三郎さんに呼び止められた。
三郎さんが立ち上がり、歩み寄ってくる。あっという間に、長いまつ毛が見える距離まで迫ってきた。
(ていうか、近くない?)
急な距離の詰め方に、戸惑いを隠せない。
困惑して狼狽える僕に構わず、三郎さんが腕を伸ばしてきた。
そのまま、僕の頭に両手を添え――――!?
「いでででででで!!」
「つぼを押すだけだ。大人しくしていろ」
「え? つぼ――あだだだだ!!」
今度は両耳と首の間に重圧がかかった。
これは痛いどころではない。冗談抜きで、悲鳴が上がるレベルの重圧だ。
(やばいやばい首がもげる!!)
実際にはあり得ない危機感を抱き始めたところで、地獄の重圧から解放された。
「眠れない時に押すつぼだ。寝る前に、少し痛いくらいに押すといい」
「は、はい」
あれが少しなのかと突っ込む余裕もなかった。三郎さんのことだ。力任せに見えて、ちゃんと加減していただろうけど……地獄だった。マジで。
その後、部屋は近いけど念のためと三郎さんに送られ、そのまま寝床に就いた。
(あ、なんか体がぽかぽかする)
それに、頭の中がすっきりした。
考えすぎてごちゃごちゃしていたものが、驚くほど綺麗にまとまっている。
(……ひとまず、虹さんに相談しよう)
落葉さんの名前は伏せて、幻覚の件を伝える。
魂を見てもらうのが無理でも、アドバイスをもらうくらいはできるはずだ。花鶯さんに相談するかどうかは、その後に考えればいい。
(黄林さんのことも、気になるけど……)
菩薩のような笑みが、頭を過る。普段から良くしてくれるし、悪い人ではないと思うけど、何を考えているのか分からない。
何より、あの笑顔は――笑っていない。
いろんな表情を見せるけど、僕は、彼女が心から笑っているところを一度も見たことがない。ちゃんと笑顔のはずなのに、笑顔に見えないことが……怖い。
だけど、それは僕の主観でしかない。
落葉さんは、あくまでも『盗聴の可能性があるから気を付けろ』と忠告しただけだ。今は、それだけを頭に置いておけばいい。
結論づけたところで、眠気が押し寄せてきた。
今度こそ、心置きなく瞼を閉じた。
④に続きます。




