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桜吹雪の後に  作者: 片隅シズカ
三章「堅国の花」

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第十六話「余花 ーよかー」②

 湯気で覆われた視界は、どこか夢現のようだ。

 そんなことをぼんやり考えながら、蒸し風呂のほど良い熱気に身を委ねていた。


(……温泉、楽しみだなぁ)


 蛍ちゃんとの会話を思い出し、頬が緩む。


 本当に、楽しみだ。

 楽しみなのに、胸のざわつきが治まらない。




『状況は全く分からないけど、早くなんとかした方がいいよ。あんたの魂』




 (おち)()さんの言葉通りに捉えるなら、魂を癒すということだろう。落葉さんが僕に触れて、現実に引き戻してくれたように。


 あの時に見た女性も、影のような人も、結局よく分からないままだ。そして今のところ、前回のような目立った変化も起こっていない。


 一つだけ確かなのは、僕の魂に触れた上での言葉であることだ。


 だから一刻も早く、自分の魂の状態を確認する必要がある。一か月の猶予なんて言ってられないのだ。

 本来ならそれを花鶯さんに伝えるべきだけど、例の『変化』に関連することだったら口外できない。虹さんに口止めされているから。


(虹さんに相談するのが、一番無難だけど……)


 虹さんはかつて、僕と同じく変化を経験したことがあるという。

 それなら彼女に魂を見てもらえば、あの眩暈(めまい)が変化と関係あるかどうか分かるかもしれない。変化と無関係なら、花鶯さんにも相談できる。


 だけど、その前に落葉さんの言葉の意味をはっきりさせておきたい。もちろん、変化のことは伏せた上でだけど。



 そういうわけで、落葉さんに話を持ち掛けた。



 ()(めし)さんを通して鹿(しか)()君に伝え、落葉さんと待ち合わせの約束を取り付けた。

 そして僕は今、蒸し風呂で温まりながら落葉さんを待っている。


(まさか、こんな形で落葉さんと裸のお付き合いをするとは……)


 風呂場を指定したのは、生活において必ず足を運ぶ場所だからだ。日頃の接点がない落葉さんと会える場所が、他に思いつかなかった。

 ちなみに、物書きとしての話を聞いてみたいという淡い期待もある。未だにまともに会話できたことないので、話に持っていけるかすら分からないけど。


(……予行練習しておこうかな)


 深呼吸を一つ。

 隣に落葉さんがいる体で口を開いた。一人なので、落葉さん役も兼ねて。


「えっと、この後、時間ある?」

『別にあるけど』

「実はその、ここじゃなんだから部屋で……じゃなくて、あんまり人に聞かれたくない話だから、できれば部屋でゆっくり話がしたくて」

『じゃあ、俺の部屋来る?』

「え、いいの!? ありがとう。ちなみに、好きな小説とかってあ――」




 扉が開いたのは、まさにその時だった。




「…………」

「…………」


 風呂場の一人劇場を目撃されてしまった。

 しかも、よりによって、ご本人に。


 落葉さんの冷たい目線が突き刺さる。多分、ごみを見る目だ。湯気ではっきりと目視できないのが、不幸中の幸いだった。


「…………」


(いや何か言って!)


 こんなに痛い沈黙が他にあるだろうか。

 今すぐ逃げ出したいけど、呼び出したのはこっちなのでそうはいかない。ここはもう、僕から口を開くしかないだろう。


 羞恥心でのぼせそうな頭を働かせて、なんとか「アノ」と口を開いた。駄目だ。混乱し過ぎて、口がまともに動かせない。


「コノアト、ジカン――」

「いいよ」

「え?」

「人に聞かれたくないのは俺も同じだから。ここから近いし、俺の部屋でいいよ」


(全部聞かれてたああぁ!!)


 恥の上塗りでのたうち回りそうだけど、話が早い。断られる可能性もあったと考えると、むしろ運が良いだろう……タイミング以外は。


「じゃあ、行こうか」

「え? でも落葉さん、今来たばかりじゃ……」

「別にいいよ。行水はもうしたし」

「そ、そうですか」


 落葉さんに(うなが)され、早々に風呂を後にした。

 急かしてしまったような居たたまれなさを感じると同時に、落葉さんとの雑談はなかなか厳しそうだと改めて痛感した。


 脱衣所の前には、鹿男君が待機していた。

 主人の風呂の短さに驚いた様子がないことから、落葉さんは普段から長風呂しないのだろう。時間の無駄を嫌う人なのかもしれない。


 そんなことを考えつつ、鹿男君に声をかけた。


「ちょっと二人きりで話がしたくて、落葉さんの部屋にお邪魔させてもらおうと思うんだ。そんなに長い時間にはならないと思うから」

「えっ!?」


 なぜか、鹿男君の顔が真っ青になった。


「お、お館様の部屋にですか……?」

「うん。駄目かな?」

「とんでもございません! すぐに準備をして参りますのでしばしお待ちを!」


 言うや否や、鹿男君は背中を向けて猛ダッシュで遠ざかっていった。また(さぶ)(ろう)さんに怒られるのではと、背中を見ているだけでひやひやする。


(ていうか、そんな大層な準備が要るのか?)


 だとしたら、いきなり部屋に上がり込むのは迷惑だっただろうか。後で謝らなければと思ったところで、落葉さんが「気にしなくていいよ」と口を開いた。


「俺の部屋、基本的に散らかってるから。片付けるだけだと思う」

「えっ?」

「足の踏み場くらいならあるよ」

「いや、あの……」

「俺が片付けると、余計散らかるから」

「それどういう状況ですか!?」

「どうって、言葉通りの状況だけど」


(どの辺が言葉通り!?)


 落葉さんはいわゆる『片付けられない人』らしい。その口ぶりから察するに、鹿男君がいつも部屋を片付けているのだろう。


 程なくして、鹿男君が戻ってきた。

 そして、おたふく風邪さながらに頬がパンパンに腫れあがっていた。あぁ、恐れたことがものの数分で現実に……。


「お二方、大変お待たせいたしました! すぐにご案内いたします!」


(なんで殴られたのにキラキラ笑顔なの!?)


 今すぐ土下座したい衝動に駆られたけど、倍の勢いで土下座されて互いに気まずくなるのは目に見えている。申し訳ないけど、あえて何も見ていないふりをすることにした。そうだ……僕は、何も見ていない!


 そんなこんなで落葉さんの部屋に案内され、用意された座布団に腰を下ろした。



 僕と机を挟む形で、落葉さんも腰を下ろす。



「話って、あんたの魂の件?」

「――――っ」


 思わず、息を呑んだ。

 秘密主義の社で、ここまで単刀直入に切り込まれるとは思っていなかった。


「…………はい」


 呼吸を整え、(はや)る気持ちを静める。


「あの時、急に眩暈(めまい)がして、見たことのない光景を目にしました。僕に分かるのは、それが幻覚だったことだけです」

「例の『発作』と関係は?」

「それは……すみません。分からないです。あの時とはだいぶ違うみたいで」

「まぁ、前みたいに倒れなかったしね」

「落葉さん、僕の魂に触れた上で言いましたよね。なんとかした方がいいって。あれは、僕の魂を癒す必要があるという認識で合ってますか?」


 落葉さんが口を閉じ、考える素振りを見せる。


「……半分正解、かな」


 そして少しの沈黙の後、再び口を開いた。


「確かに、俺は『早くなんとかした方がいい』と言った。だけどそれが、魂を癒すことで解決できるものかは分からない」

「そうですか……」

「ただ、あんたと同じものを俺も見聞きした」

「えっ!?」

「座敷牢に幽閉された女と、黒装束の男。あとは、声のような『音』だったかな」


 驚きのあまりに絶句した。

 同じだ。僕が見た人たちも、声なのか音なのか判別できない『何か』まで。


「気持ち悪い音だった。まるで声の主を隠すかのような、不自然極まりない音だ」


 声の主を隠すような……言い得て妙な表現だ。音にも声にも聞こえる奇妙な『何か』には、その表現がしっくりとくる。


「俺から言えるのは、一刻も早く魂を見る必要があることだけだよ。魂だけは、自分でどうにかするしかないからね」

「え? でも落葉さん、僕の――」

「人の魂に触れるのはご法度だ。同じ巫女同士であっても変わらない」

「え――――」

「だから俺は、今回の件を誰にも話していないし話せない。もちろん、あんたも」


 射抜くような眼差しを、静かに向けられる。


「仮に『魂を見てほしい』と頼んだどころで――誰にも、どうにもできない」


 つまり変化と関係あろうがなかろうが、誰かに相談して解決することはできない。自分で魂を見るしか、現状を知る術はないということだ。



 だけど、問題はそこじゃない。



 落葉さんはさらりと口にしているけど、当の本人がそのご法度を破ってしまったのだ。僕の目を、覚まさせるためだけに。


「……すみません。僕のせいで」

「別に、俺が勝手にやったことだから」

「でも……なんで?」




 落葉さんが、微かに眉をひそめた。


 怒りとも不快ともとれるそれは、夕暮れの中で見せた『あの顔』だった。




「臭かったから」

「え?」

「臭すぎて我慢ならなかった。それだけだよ」

「え!?」


 思わず自分の脇や腕の臭いを嗅いでみたけど、よく考えたら風呂上がりだ。

 落葉さんがたちまち冷たい視線を向けてきたけど、こればかりは仕方ないと思う。あまりにも言葉が足りなさすぎる。


「体臭じゃないよ。あんたの『気』の臭い。そういうのが分かる鼻だから」

「あぁ、なるほど」


 そういえば、初対面の時に『青臭い』って言われたような気がする。


 この世界において巫女は神聖視されるけど、本来は普通ではないと人々から恐れられる『鬼』だ。落葉さんの場合は、その鼻が『鬼』である所以(ゆえん)なのだろう。


 だからこそ、彼は『臭い』を無視できなかったのかもしれない。

 巫女という立場でありながら、ご法度を破ってしまうほどに。


「それと、黄林には気を付けた方がいいよ」

「え、黄林さん?」

「感覚を共有するあの人の力なら、今の会話を盗聴するくらい訳ないから」

「…………」



 否定できなかった。


 先日、虹さんの言葉が急に途切れた時、真っ先にその可能性が頭を(よぎ)ったから。



「まぁ、同じ巫女相手に危害を加えることはないだろうけど、あの人はどこまでも『社の人間』みたいだから。念のため」

「……肝に銘じます」


 それしか、言葉が見つからなかった。

 わざわざ話題を変えてまで忠告したのだ。今の言葉に、おそらく他意はない。


 だからこそ、頷くことしかできなかった。

③に続きます。

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