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桜吹雪の後に  作者: 片隅シズカ
三章「堅国の花」

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第十五話「夕桜 ーゆうざくらー」⑤

「葉月くんは()(れい)(しょ)の味がする人だから、私も影響受けたのかなって」

「馬鈴薯の……味?」


 そういえば、初対面の時も同じことを言われた。

 ちなみに、馬鈴薯はジャガイモのことだけど……うん。全く分からない。


「意味分かんないよね。えっと……」


 蛍ちゃんが(うつむ)き、懸命に言葉を探し出す。


「昔から、いろんなものに味がするの。笛の音を聴いて『あんこの味だ』とか、本を読んで『梨の味だ』とか、『お米の味』がするから雨が降るかもとか……」

「えっ、天気まで分かるの?」


 人と違う感覚なんて話じゃない。それこそ、雨を予言する巫女そのものだ。


 だけど、蛍ちゃんにとっては日常の一部でしかないのだろう。僕の反応に目を丸めて「大したことないよ」と苦笑した。


「なんとなくだから、毎回当たるわけじゃないんだよね。口に入れたら確実かもしれな……あ、もちろん本当に口に入れたりしないよ!?」

「うん、分かってる」


 慌てる蛍ちゃんを前に、思わず笑みが零れた。


「それでね、次第に味でどういう人か……なんとなく分かるようになったんだ」


 顔を上げた蛍ちゃんと目が合う。

 目を合わせるのが申し訳ないくらい、澄んだ瞳だ。


「葉月くんは自分に厳しくて、努力を怠らない人の味がするの。そして、実際にその通りだった。このままじゃ駄目だって、もっと頑張らないと、私なんてあっという間に置いてかれちゃうって、ずっと焦ってた」

「蛍ちゃんが?」

「うん。でも、それは葉月くんも同じなんだって知って……安心しちゃった」




 蛍ちゃんの顔が、ふにゃりと緩んだ。


 見ているこっちの心まで緩めてしまう笑顔で。




(……馬鹿だなぁ、僕は)


 僕よりずっと前にいると思い込んでいたけど、違った。僕と同じように不安だらけで、毎日を必死に生きている。彼女だって、巫女になったばかりなのだ。


「――僕も」


 まだ重たい口を、勢いに乗せて動かす。

 この気持ちを、ちゃんと伝えたいから。



「蛍ちゃんが同じだって知って、安心した」



 蛍ちゃんと改めて目が合う。

 なんだかくすぐったくて、小さく笑い合った。


 そんな心地良い時間の中で、蛍ちゃんが「そういえば!」と表情を明るくした。


「『春の息吹と共に』っていう小説があるんだけど、葉月くんは知ってる?」

「うん。本屋で立ち読みしたことあるよ」

「そうなんだ!」


 蛍ちゃんの顔が、いっそう明るくなった。


「昨日の夜に読み始めたばかりなんだけど、すごく面白いよね! 金平糖の甘さと酸っぱい梅の味が共存していて、世界観も凝ってて――」


 いつもの朗らかな蛍ちゃんはどこへやら、息を荒くして、好きなものに熱くなっている人特有の早口で語っている。


 もちろんそれだけなら、全然問題ない。

 問題なのは、その小説だった。


「……蛍ちゃんは、それをどこで?」

()()さんがね、『淑女たるもの、このくらいは読んでおかないと時代遅れですよ』って、少女向けの本を何冊か集めてくれたの」

「そ、そうなんだ……」


 蛍ちゃんのいう『春の息吹と共に』は、いわゆるボーイズラブ小説だ。この世界では『淑女小説』なんて呼ばれている。間違っても幼気(いたいけ)な少女向けではない。


 ちなみに僕も物語の雰囲気に惹かれて立ち読みしたことあるけど、読み進める内に淑女系だと分かって、そっと本棚に戻した。


(まさか、蛍ちゃんがあの本を読むとは……)


 蛍ちゃんが大人の階段を上る姿を想像してみたけど、居たたまれない気持ちになるだけなので止めておいた。これ以上は、触れてはいけない領域だ。


 とにかく、話を変えよう。

 必死に頭を回転させながら、口を開いた。

 

「蛍ちゃ――」


 叩きつけるような鋭い音が、耳に突き刺さる。

 二人して(ふすま)の方を見た。




 花鶯さんが、両手で襖を開いたまま立っていた。


 もの凄く、怖い顔で。


 


「…………蛍」

「は、はい!!」


 ただならない剣幕の師匠を前に、蛍ちゃんがびくりと体を震わせた。


「その本」

「え?」

「『春の息吹と共に』。李々に勧められたのね?」

「あ、はい」

「そう……」


 花鶯さんは一言呟くと、僕たちに背を向けた。


「今から授業を再開する予定だったけど、もう少し休んでていいわよ」

「姫さ……花鶯さん、何かあったんですか?」

「主従を(わきま)えない無礼者にお(きゅう)()えるだけよ。すぐ終わるから待ってなさい」


 それだけ言うと、花鶯さんは部屋にも入らず早足で立ち去っていった。傍にいた侍女が、開いたままの襖を「失礼致しました」と(しと)やかに閉める。



 訓練の場には、変な空気だけが残された。



「花鶯さん、大丈夫かな?」

「大丈夫だと思うよ……多分」


(怪我人が出ないといいけど……)


 修羅場の再来としか思えない展開に、僕はただ無事と平穏を祈るばかりだった。






   ***






 訓練が終わる頃には、外が見事なまでに鮮やかな茜色で彩られていた。


「め、目がぁ……」


 花鶯さんが戻ってきた後、昨日と同じく『第三の眼』の訓練をした。おそらく三時間ほど、視覚と聴覚を封印していたと思う。


 それなのに、完全に油断した。

 いつもの癖で空を見た結果、一瞬で夕焼けに目を潰されてしまったのだ。


「失礼致します」


 菜飯さんの声と共に、(まぶた)の外に影が差し込む。

 恐る恐る瞼を開くと、目の前に傘が広がっていた。


「あ、ありがとうございます」

「いえ。お役に立てたようで何よりです」


(ザ・有能な大人だ……!)


 柔和な笑みを前に、ただただ感服した。桜さんが手放しで褒めるのも頷ける。


「ところで、体調の方はいかがですか?」

「え?」

「桜さんの代役としてはもちろん、花鶯様の従者としても、貴方様の体調を把握するべきと思いまして」

「体調ですか。そうですね……」


 少し考えて、言葉を選ぶ。


「自主練をやり過ぎて、今日はその疲れが出てしまいましたが、体調自体は日に日に回復しています」

「それは何よりでございます」

「……もしかして、花鶯さんに心配かけてますか?」


 菜飯さんが目を丸め、そして苦笑した。


「お見通しでございますか」


 やっぱりそうだった。

 何かと素直じゃない花鶯さんのことだ。菜飯さんを通して、僕の体調を聞き出すつもりだったのだろう。


「すみません……」

「ご心配には及びません。単に、花鶯様が世話焼きでいらっしゃるだけです。その上、御身を削られるほどに真面目でございますから」

「確かに」


 淑女小説の件で血相を変えた花鶯さんを思い出し、ふふと笑いが(こぼ)れた。


「でも……花鶯さんのそういうところ、好きです。あの人が教育係だから、ここまで頑張れるんだと思います。あ、異性としてではないですけど」

「えぇ、分かります。私も同じですから」


 菜飯さんの笑みが、いっそう柔らかくなった。


「かつて行く当てがなかった私に、花鶯様は御手を差し伸べてくださりました。今こうして生きていられるのは、他でもないあの御方のおかげです」

「そうですか……」


 さぞかし過酷な過去だろうに、少しも悲痛な響きがない。美しい思い出を紡いでいる人の微笑みだ。本当にかわいそ――――




 違和感で、思考が固まった。




(…………かわいそう?)


 菜飯さんの姿が、ぐにゃりと歪んだ。


 また眩暈(めまい)かと思ったけど、違う。

 何が違うのかさえも分からず困惑している内に、視界が戻っていく。


 視界が、戻った。

 だけどそこに存在するのは、暗闇と少女だ。


(…………誰?)


 薄汚れた着物をまとう少女が、鉄格子の向こう側に座り込んでいる。暗くてよく見えないけど、少女が腰を下ろしているのは座敷だ。


(……座敷牢?)


 灯火か何かで照らされているのか、辛うじて少女の顔が見えた。


 少女は、震えていた。

 目を見開き、膝に爪を食い込ませる姿は、見ているだけで痛々し――――


(あれ?)


 よく見ると、鉄格子の傍にもう一人いた。

 間違いなく人だけど、場所のせいか、周囲の暗闇と同化しているように見える。


『――――て―――――――ら』


 どこからか、音が聞こえる。


 いや、声だろうか。ちゃんと聞こえているはずなのに、それが何なのか分からない。辛うじて『音』だと認識できているだけだ。


 ふと、灯火のような光が、鉄格子の傍らにいた人を照ら――――


「葉月様!!」

「――――っ!」




 視界が、一瞬で明るくなった。




 目の前には、駅の廊下と夕焼けが広がっている。鉄格子の向こうにいた少女も、暗闇に溶け込んでいた人も、そこにはいない。


 状況が呑み込めず、声がした方を見た。


「大丈夫ですか?」

「…………」


 菜飯さんだ。柔和な物腰は変わらないけど、顔には動揺の色が見て取れる。


(……倒れては、いない?)


 その事実が分かって、ひとまず安心した。

 そして、肩に手が置かれていることに気付いた。菜飯さんじゃない。



 細い指先を視線で追い、後ろを振り返る。



「気が付いた?」


 落葉さんだ。僕の肩に手を置いたまま、静かにこちらを見下ろしている。そこでようやく、自分が座り込んでいたことに気付いた。


「今のが、例の発作?」

「……分からないです」

「そう」


 肩から、落葉さんの手が離れた。

 僕も立ち上がり、落葉さんと向き合う。


 逆光で顔がよく見えないからだろうか。夕焼けを背に立つ彼は、いつもと違う、どこか背筋の凍るような雰囲気をまとっていた。


「あの……」

「菜飯の声がして、見に来たらあんたがここに座り込んでた。呼びかけても心ここに在らずって感じだったから、あんたの魂に触れさせてもらった」

「えっ?」

「あんたが今習ってる、第三の眼を使っただけだよ。どうなるか分からなかったけど、とりあえず引き戻せたみたいだね」


 魂を通して、身体の症状を和らげることができる。花鶯さんが言っていたことだ。それを、落葉さんがしてくれたのだろう。


「……すみません。ありがとうございます」

「別に。じゃあ、俺はもう行くから」

「はい」


 落葉さんが、僕の横を通り過ぎていく――と思いきや、足を止めて振り返った。




 再び、僕を見据えてくる。


 夕焼けに染まった、どこか不機嫌な顔で。




「……状況は全く分からないけど、早くなんとかした方がいいよ」

「何が、ですか?」

「あんたの魂」


 吐き捨てるように言うと、落葉さんは何事もなかったかのように歩き出した。


「……たましい」


 声に出してみても、全く分からない。

 遠くなっていく背中を見つめながら、同じ言葉を頭の中で繰り返した。



挿絵(By みてみん)

次回。第十六話「余花 ーよかー」




<各話タイトル解説(第十五話)>



夕桜ゆうざくら……夕暮れ時に咲く桜】


「一日を終えた安らぎ」と「夜への畏怖」の両方を内包している夕暮れ時は、その時の心境や環境でがらりと姿を変えます。


昼と夜の狭間に咲く桜……すなわち「変化の狭間にいる葉月」を指しています。


桜との絆を再確認し、蛍とも心を通わせる。

今の葉月はとても幸せです。それはもう、夕暮れを美しいと思えるほどに。


葉月もいつしか、美しい夕暮れという狭間から抜けて「変化」します。


美しい夕暮れが闇に染まった時、葉月は何を感じ、何を想うのか――――

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