第十四話「花曇り ーはなぐもりー」 (後編) ①
美しいものには、人の心を奪う力がある。
自分を魅せることに人一倍こだわりのあった、父の言葉だ。桜さんの眼に惹かれて、その言葉の意味がよく分かった。
そして、美しいものには二種類あるという。
触れていいものと、触れてはいけないもの。
目の前で微笑む小春さんは、後者だと感じた。
「…………話って」
静かな微笑みに呑まれないように、なんとか声を振り絞った。
「話があるのは、炭さんですよね?」
「あぁ……」
小春さんが微笑んだまま、さらに目を細める。
そして、とびきりの笑顔を見せた。
「あれ、嘘です」
「え?」
「あぁでも言わないと、有無を言わさず事務室に連行されたでしょう?」
「…………え!?」
(それってサボりでは!?)
すごく爽やかな笑顔だけど、騙されてはいけない。要するに、事務作業から逃れたいがために巫女を出汁にしたのだ。
ある意味、触れてはいけない人だ。下手したらサボりの共犯にされかねない。
「あ、もしかして怠慢だとか思ってます?」
「えっ?」
「間違いではありませんよ。半分そうですし」
(口に出しちゃったよこの人!!)
どうしよう、巫女として注意するべき?
いやでも、巫女を盾にサボるとか、下手したら懲罰ものだ。ご飯抜きどころか、三郎さんにひき肉にされてしまいかねない。
(あぁ、桜さんのような決断力と行動力が一ミリでもあれば……)
「――――っ!」
小春さんが、なんの前触れもなく俯いた。
なぜか口元に拳を当てている。よく見ると、肩が少しだけ震えていた。
「あの、小春さん?」
(もしかして……笑いを堪えてる? なんで?)
ようやく笑いの波が引いたのか、小春さんが顔を上げる。何事もなかったかのように、天人の微笑みをやんわりと浮かべた。
やっぱり綺麗な笑顔だけど……意味が分からない。
「もう半分は、せっかくなので愛らしい姫君とお話をしたいと思いまして」
「えっ!?」
「ははっ、冗談ですよ。ちゃん男性だと分かってますから。『葉月殿』」
はしたない声を上げてしまった自分が恥ずかしくて、耳が熱くなる。桜さんとの会話を聞いているのだから、冗談だと分かって然るべきなのに。
「ご無礼お許しを。俺の言葉をまともに受け取る者など、鹿男以外にいないのでつい……あ、取って食いやしませんよ。そっちの趣味は欠片もございません」
(あったら困ります)
本当に、黄林さんや炭さんとは別方向で掴みどころのない人だ。
とりあえず、この体が男でよかった。男というだけで、取って食われる危険性は格段に下がる……はずだ。多分。
「お話をしたいのは本当ですよ。もちろん、葉月様がよろしければですが」
「僕は授業に間に合うのなら構いませんけど、いいんですか?」
「ん?」
「桜さんに嘘ついてきたでしょう? 頭の回転が速いですから、勘づいてる可能性ありますよ。炭さんに確認でもされたら、後で小春さんが大変なんじゃ……」
「ご心配には及びません。社では、巫女同士の話については言及しないのが暗黙の了解です。その辺、桜はちゃんと弁えていますから」
「そうですか……」
やはり巫女のみならず、社全体が徹底して秘密主義を貫いているらしい。
夜長姫への復讐に全てをかけていた頃ならともかく、今の桜さんに、わざわざその空気を壊す意味はない。余計な心配はいらないだろう。
それにしても、社の人たちの不干渉ぶりには度々驚かされる。貴人への詮索がご法度なのは分かるけど、そういう環境にこそ、下心を持つ人がいるだろうに。
(いや……どちらかというと『触らぬ神に祟りなし』という感じかな)
巫女は『神にも等しい存在』だ。
民草は元より、日頃から巫女に接する社の人たちは、なおさら意識しているだろう。世界は違えども、神という存在が近寄り難いことに変わりはない。
「とりあえず、俺の部屋に来ていただけますか? 人に聞かれたら、暗黙の了解もへったくれもありませんからね」
そういうわけで、僕は小春さんの部屋にお邪魔することになった。
巫女の部屋よりは一回りほど狭いけど、人を通すには充分な広さだ。
むしろ、巫女の部屋が広すぎる。数人で使っても差し支えない部屋に一人でいると、なんとも言えない寂しさを覚えるのだ。
(病室にいた時も、そうだったな……)
日中は先生や看護師さんがいたし、家族も見舞いに来てくれたけど、夜は一人だった。どんなに寂しくても、心細くても、一人でやり過ごすしかなかった。
だから、今でも広い部屋は苦手だ。
お前は一人になるしかないのだと、突き付けられているような気がするから。
「秘密の逢瀬なので、お茶は用意できませんが」
小春さんが机を挟んで腰を下ろしたところで、脳裏の過去を片隅に追いやった。
「いえ、お構いなく」
「あれ? 今のは反応しないんですか?」
「え? あぁ、なんか慣れてきました」
「慣れんのはや……いや、なんでもありません」
ほんの一瞬、素のような表情を垣間見たけど、すぐに美しい微笑みが戻ってきた。僕は何も見なかったし、何も聞かなかった。そういうことにしておこう。
「それで、お話というのは?」
まさか雑談をしたいわけではないだろう。主人の名前を使ってまで、わざわざ近寄り難い巫女と二人きりになったのだから。
そして僕に話を持ちかけたからには、僕と無関係の内容ではないはずだ。
「……へぇ。ただのお人好しかと思いきや、けっこう頭回るんですね」
「え?」
「『主人の名前を使ってまで巫女と二人きりになったのだから、雑談では終わらないだろう』、『僕と関係のある話をするんだろう』……合ってるでしょう?」
図星を突かれて、全身が硬直した。
いや、図星なんてレベルじゃない。
僕が考えたことを、瞬時にそのまま返された。
この感覚は、初めてじゃない。
前に――――
「『黄林様の力を知った時と同じ』ですか?」
「――――!」
「ちなみに、黄林様は関係ないですよ。あなたの心を共有しているとか、心の声が周囲に駄々洩れなんてことは一切ないので、ご安心ください」
(安心してと言われても……)
その一言で納得できるほど、僕は図太くない。
だけど、少し分かってきた。黄林さんと無関係というなら、それは――――
「えぇ、俺の力です。察しが良くて助かります」
(マジで心読まれてる!!)
これは慣れるしかなさそうだ。心を読まれるのには抵抗あるけど、桜さんの前で泣いたことを知られた時と比べれば――――はっ!
俯いていた顔を、恐る恐る上げる。
面白いものを鑑賞するような笑みを、僕にがっつりと向けていた。
(うわあああああ!!)
最悪だ。黄林さんたちに知られただけでも結構なダメージだったのに。もう今すぐ部屋に飛び戻って布団に潜り込みたい。
「ちなみにですが、心を読むというのは少しばかり違いますよ」
「え?」
「俺の力は、黄林様のように器用なことはできません。自らの意思で声を遮断することはおろか、意図的に探りを入れることも不可能です。ただ、心の声が一方的に聞こえてくるだけなんですよ」
「そう……ですか」
「まぁ、心の声を聞かれるのも心を共有されるのも、される側からしたら堪ったものじゃないことに変わりありませんけどね」
「…………」
「もちろん、この力で聞いた内容は一切口外致しません。下手したら、巫子様に無礼を働いたと首を飛ばされかねないので」
(駄目だ、ショックが大きすぎてまともな反応ができない……)
即刻話を変えよう。そうでないと、これ以上は僕の羞恥心がもたない。
焦りに焦ってとにかく口を開いたけど、これがいけなかった。
「あの、小春さんは巫女じゃないですよね?」
「は?」
小春さんの素っ頓狂な声で、あまりにも間の抜けた言葉を口走ったことに気付いた。自分の傷に薬どころか、塩を塗りたくってしまった。
「……確か、異世界から来られたのでしたね」
「え?」
小春さんが僕の醜態をスルーしてくれてほっとしたけど、それ以上に驚いた。
まさか、彼の口から『異世界』という言葉が出るとは思ってもいなかったから。
「異世界のこと、信じてくれるんですか?」
「信じる信じない以前に、否定する根拠がありませんからね。何より、巫女たちが事実として受け入れています。巫女の言葉は絶対なんですよ」
「絶対、ですか」
「もちろん、あなたの言葉もね」
美麗な顔に笑みが浮かぶ。
作っていることをあえて主張しているような、一寸の狂いもなく整った笑みだ。
(まぁ、本心じゃないんだろうな……)
今のは、社という組織の言葉だ。彼はそれを口にしただけにすぎない。
「失礼、話を戻しましょうか。葉月様がお聞きしたいのは、なぜ巫女でもない俺が力を持つのか。そういうことですね?」
「はい」
僕の疑問を、小春さんが驚くほど綺麗に形にしてくれた。心の声が聞こえるから成せる技だろうけど、元々聞き上手なのだろう。
「まず巫女というのは、力を持つ『鬼』の中から黒湖様が選んだ者を指します。つまり巫女たちは、元々俺と同じ『鬼』だったわけです」
「鬼……」
「ですから仮に今、新たに巫女の空席ができた場合、俺が巫女に選ばれる可能性は十分あります。あくまで可能性の話ですが」
「…………」
そういえば、黄林さんの力を教わった時にもそんな話を聞いた。力を持つ者は『鬼』と迫害されるけど、巫女に限っては特別扱いされていると。
(あんまり、深く意識してなかったな)
自分がどんな力を持っているかは分からないし、持っている自覚もない。正直、自分がなんで選ばれたのか謎であるくらいだ。
だけど僕は、確かに黒湖様に選ばれた。
選ばれて、その加護で守られた。
すなわち、僕も『鬼』ということだ。
それなのに人々から崇められ、敬われるのは、巫女だからだ。社の秘密主義で、巫女が鬼であるという事実が伏せられているだけなのだ。
「あと、ここには俺たち以外にも鬼がわんさかいますよ。誰とは言いませんがね」
「えっ?」
「社では鬼なんて珍しくありません。巫女が住まう社は、言わば鬼の根城。鬼にとっては、駆け込み寺のような場所でもあるんですよ」
「あぁ、なるほど」
社では力を使っても鬼呼ばわりされないと、黄林さんが言っていたのを思い出す。そういうことかと、ようやく腑に落ちた。
でも、なんで彼は力を打ち明けたのだろう。
人に聞かれたくない話というのも、当然だ。社では迫害されないとはいえ、巫女ですら力の詳細は極力隠すのだから。
そんな力を僕に、巫女とはいえ初対面の相手に打ち明ける意図が分からない。
「葉月様、桜が好きなんでしょう?」
「へ?」
思わず、間抜けな声を上げてしまった。
話の切り替わりが唐突すぎる。小春さんみたいに、心の声が聞こえる人にとっては、全て繋がっているのだろうけど。
(大体、なんで桜さんの名前がここで――)
混乱する頭を必死に働かせた。
小春さんの問いかけが、形を成していく。
桜さんが、好き。
言葉の意味を理解した途端、全身の熱が、脳を一気に突き抜けた。
「えっと、これは、その……っ」
「なるほどなるほど。蛍様にも同じことを言われたんですか。しかも、その時まで桜を好いておられる自覚が全くなかったと」
「――――っ!!」
全身がさらに熱くなる。
僕をからかっているのか、別の意図があるのか、もう訳が分からない。
燃えるような熱で、頭が馬鹿になってしまう。
「ちなみにさっき、どう思いました?」
「え?」
「俺が桜に触れた時」
「――――」
全身の熱が、驚くほど急に引いていった。
なんて説明すればいいんだろう。小春さんが気安く彼女に触れた時の、変な胸の疼きを。ていうか、なんでわざわざそんなことを聞くんだろう。
(……僕は、どう思った?)
少なくとも、良い気分じゃなかった。
むしろ――――
「嫉妬」
「え?」
「嫉妬ですよ、それ」
聞き間違いかもしれないと思ったけど、それはないだろう。念を押すかの如く、はっきりと二回も口にしたのだから。
②に続きます。




