第十二話「桜の便り ーさくらのたよりー」(後編) ③
「そろそろ行こうぜ? このままだと、桜まで職務怠慢の共犯になるかもだし」
「冗談じゃないわ」
早足で歩き出したら、小春がにやにやと笑いながら隣に並んできた。
(相変わらず、頭の悪そうな笑顔ね)
「もう少し離れてくれる?」
「相変わらず冷たくいらっしゃる。まぁ、そこが良いんだけど」
「黙って歩いて」
へらへらと笑いながら歩く様は、いつもの小春そのものだ。今まで話していたことなど、始めからなかったかのように。
(……妙ね)
なんだか、いつも以上に女たらしの自分を前に出している気がする。まるで、私に知られたくないことでもあるかのような――――
「ん? どうかした?」
「……別に」
聞いたところで、どうせはぐらかすだけだ。
私は、何も気付いていないことにした。
『あい――頭――悪そ――笑顔――』
(頭の悪そうな笑顔、ねぇ)
いつも通りの辛辣な声を耳にして、俺は安堵した。桜に気を遣われるなんて、どんな顔をすればいいのか分からなくなる。
隣で適当に笑いつつ、密かに物思いにふける。
桜と久しぶりに話せたのに、落ち着かないというか、違和感を拭えなかった。
桜の声が聞こえることに、間違いない。
間違いないが、断片的にしか聞こえない。
桜には『聞こえている』と認識されているけど、聞こえてくる声はどれもこれも、文としての意味を成していない。今までの経験と話の流れから、ばらばらの言葉をそれらしく結び付けているだけだ。
目の前で飲んでいたのは、確かに、桜の葉を煎じたものだった。俺には薬の知識などないが、心の声が聞こえることが何よりの証拠だ。
桜は、俺の力を拒絶していない。
だけど、あの聞こえ方から察するに、少しずつ薬の量を減らしている。
同じだ。夜長姫に仕えていた頃と。
夜長姫の側仕えとしての信頼が揺るぎないものになった頃合いで、今度は夜長姫を殺すために、力を拒絶する体へと戻していたあの頃と。
(過去に縛られてんのはどっちだか……)
だけど、夜長姫の時とは明らかに違う。
今の桜には、激しい怒りがない。
あの頃と変わらず涼しい顔をしているくせに、さっきからずっと、泣きそうな『声』を引っ切りなしに聞かせてくるのだ。
嫌だ――――と。
桜はまた、人を殺そうとしている。
しかも、自分の心もろともに。
俺に隠し通せるとでも思っているのだろうか。どんなに嘘が上手くても心は……とりわけ無意識下の声は、けして偽れないというのに。
だから、どうした?
声なんか聞こえても、意味がない。宝の持ち腐れだ。俺のような小心者が何を言ったところで、この女は絶対に止まらないのだから。
(……どうしろってんだよ)
己の傷さえ物ともせず、我を貫き通す。
そんな彼女に、昔からずっと憧れていた。そうでなきゃ、人生を棒に振ってまで七年がかりの復讐に、巫女殺しに加担するわけがない。
だからこそ考えてしまう。我を貫く桜が、己を殺すなんてあっていいのかと。
もちろん、いいわけがない。
分かっちゃいるけど、何もできやしない。
小心者の俺には、心の声を盗み聞くことしかできない。どうしようもないのだ。
夜長姫の時だって、俺は止められなかった。桜の姉さんを――環さんを傷つけてしまった。あんなに優しい人を、死なせてしまった。
そのくせ、俺は今ものうのうと生きている。こうして『頭の悪そうな顔』で馬鹿みたいに笑いながら、見て見ぬふりを続けている。
そんな俺は、力なんて関係なく『鬼』だ。
『妙ね』
さり気なく目をやって、全身がざわりとした。
桜の視線が、鋭くなっている。
この五年間の付き合いで、心を読まずとも分かる。何かに勘づいた時の眼だ。
『女たら――前――私――知られ――』
そして、実際に勘づいている。
厄介な流れになる前に、先手を打つことにした。
「ん? どうかした?」
「……別に」
俺の性格を熟知している故だろう。桜は、言葉を続けるのを止めた。
それでいい。俺は桜に干渉しないし、桜も俺に干渉しない。
ただ同じ村で育ち、過去を共有するだけ。それだけの関係なのだから。
***
社に着くや否や、悪鬼の顔をした三郎を拝むことになった。
「昼間から優雅なことだな……小春」
「んげぇ!!」
眉間にしわを寄せて仁王立ちする三郎に睨まれた者は、もれなく説教と折檻の嵐に見舞われる。三郎が下々の者に恐れられるが所以だ。
「えーっと、これには事情が――」
「どうせ用事のついでに、華町で女と遊ぼうとしていたのだろう?」
「仰る通りです」
「桜ぁ!?」
私の簡潔かつ真っ当な報告に、小春の顔が絶望一色に染まる。
庇ってもらえるとでも思ったのか。生憎、馬鹿の肩を持つ義理などない。
これ以上は時間の無駄だと言わんばかりに、三郎が小春の腕を掴んだ。
「あー!! 痛い痛い腕折れ――」
「黙れ」
ぴたりと小春の声が止んだ。どんなに痛かろうと、三郎の機嫌をこれ以上損ねるくらいなら、腕の一本や二本は安いものだろう。
それにしても、自分よりも図体の大きな男を、握力一つで黙らせるのだから大したものだ。小柄な体のどこにそんな力があるのやら。
感心していると、三郎が手綱を掴んだまま私へと目を向けてきた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。おかげさまで」
「そうか。お前が出ている間に、葉月様がお目覚めになられた」
「えっ!」
不意打ちもいいところだ。
さらりと告げられた言伝に、はしたなく声を上げてしまった。
今は仕事中だ。落ち着けと、己に強く命じる。
「後で医官に診させるが、今のところ異常は見受けられない。熱があるという以外は、なんらお変わりないご様子だ」
「そうですか……」
「ただ、なぜか異様に興奮なされていたから、大人しく休まれるよう伝えておいた。それと、お目覚めになって早々にお前を探しておられたぞ」
「は――」
葉月と、危うく呟きそうになった。
巫女に馴れ馴れしく接するのは、本来ならご法度。名前を呼び捨てにするなどもってのほかだ。素を出すのは李々や小春、虹姫の前でのみと決めている。
「ありがとうございます。花鶯様に報告をしてから向かいます」
「構わん。報告は僕がするから、すぐさま葉月様の御部屋に向かえ」
「しかし……」
「こいつのくだらん遊びの報告より、葉月様の方が大事だろう。さっさと行け」
「……お気遣い、感謝致します」
首を垂れ、拱手する。
三郎に会ったのは運が良かった。早々に小春を引き渡せた上に、花鶯姫への報告の任まで引き受けてもらえるとは。
「では行くぞ」
「ちょ、いででで腕が千切れる!! ちゃんと自分で歩きますって!! ああああ!! 待って桜ぁ!! 見捨てないでー!!」
引きずられ出した小春の横を通り過ぎ、葉月の部屋へ向かう。
(……葉月が、目を覚ました)
意識した途端、周囲が一気に静まり返ったような錯覚に陥った。自分の足音が、やけに耳に刺さる。
『大丈夫! 今のあたしは無敵だから!!』
葉月が目を覚ましてくれて嬉しい。
なのに、頭を過ったのは『あの子』の明るい笑顔と快活な声だった。記憶の中だというのに、笑顔が痛いほど眩しい。
部屋の前で足を止める。
心の臓が、激しく脈を打つ。
虹姫は言った。生まれ変わり続けてきた自分の経験から、間違いないと。
虹姫は、私を欺くことはけしてしない。あの人は、私の命と意思を可能な限り尊重する。それが、消えてしまったあの子の願いだからと。
その虹姫が、自分と同じだというのだ。
つまり葉月は、確実にあの子と同じ道を歩むということになる。
私には、それが分からない。
気を見るどころか、奇跡を拒絶してしまう私に、葉月が夜長姫に侵されていることを認識するなんて、できるはずがない。
だからこそ、確かめなければならない。
葉月がどのように変化したのか、この目で。
④に続きます。
ついに葉月が…………!