第十二話「桜の便り ーさくらのたよりー」(後編) ②
この回で、回想終わります。
それから私は、幾度となく小春を利用した。
裏切る素振りを少しでも見せれば、鬼であることを世間に晒すと脅して。
心の声を聞く力については、この時に無理やり聞き出して知ったけど、小春が『鬼』であること自体は、以前から知っていた。
姉さんに聞いたことがあったのだ。
小春も、私と同じ『鬼』なのかと。
小春は、余所から村に流れ着いた家の子だった。
村では、表立った差別は受けていなかったものの、極力関わらないようにと避けられていた。素性の知れない余所者が『鬼だから故郷を追い出された』と警戒されることは、閉鎖的な村社会ではよくある話だ。
私もそうだった。
他人と衝突しやすい性格も相まって、多くの村人から避けられ、裏では『鬼の子』と言われていた。それでも、村人から受けの良かった姉さんが庇護してくれていたから、まだましな方だったと思う。
私と同じ、余所者。
その家の子供が女子だと聞いて、幼い私は淡い期待を抱いた。自分と同じ『鬼』なら、親しくなれないだろうか、友達になれないだろうかと。
結局、そんなことを軽々しく口にしてはいけないと叱られた。鬼かどうかを抜きに、普通にお友達になりなさいと優しく諭された。
その時の困った笑顔を見て、私は察してしまった。小春は『鬼』なのだと。
姉さんは知っていたのだ。
小春が、人ならざる力を持つことを。
本来、力を他人に知られるというのは、心臓を握られるのと変わりない。知られたら、普通は口を封じるか逃げるかの二択だ。
小春はどちらも選ばなかった。
むしろ、姉さんに対して絶大な信頼を寄せていた。
姉さんといる時の小春は、日頃の人見知りからは想像できないほどに表情豊かで、よく笑っていた。義妹の私が妬いてしまうほど、姉さんに懐いていた。
姉さんは小春のことを、ただの一度も『鬼』だと言わなかった。心の声を聞かれると知ってもなお、変わらず『人』として接し続けたのだ。そうでなければ、怖がりで警戒心の強い彼が、あんな無防備な笑顔でいられたはずがない。
私は違う。
小春を慮ることなく、その心臓に爪を立てた。
小春は言っていた。事件の火蓋を切ったのは夜長姫だけど、姉さんが死を選んでしまったのは、間違いなく自分のせいだと。だから、私に殺されても文句は言えないどころか、当然の報いだと。
私は、事件の最中を知らない。
だからこそ、小春が悪くないとは断言できないし、するつもりもない。当事者の一人だった彼だからこそ、できたことがあったはずだ。
だけど、私にまで負い目を感じるのは違う。
心臓に爪を立てられた小春に、選択肢などなかった。黙って従うほかなかったのだ。私に人生を狂わされたと恨みこそすれ、私を背負う必要なんかない。
小春が背負うのは、姉さんだけで充分だ。
「復讐は終わった。だから、もう私に必要以上に気を遣わなくていいわ。あんたが損するだけだもの。今回の謹慎みたいにね」
「……『背負う』ねぇ」
ぼそりと、小春が呟いた。
「なんか勘違いしてるみたいだけど、『背負う』とか『選択肢』とか、そんな難しいこと考えてないぜ? ましてや『お前に従うしかなかった』なんてな」
「だったらあの時、なんで追及しなかったの? あんたなら、聞こえた声から、いくらでも情報を絞り取れたでしょう?」
「よく言うぜ。それされて困のは桜だったろ?」
「そのくらいは想定内よ」
「さっすがー」
重い空気を払拭するためか、小春がひゅーと口笛を吹く。感心している風を装っているが、小春だって知っていたはずだ。
私が、葉月を連れて町を出るつもりだったことも。
そのために、葉月に職を探させていたことも。
黒湖の調査を命じられた時は、薬を服していた。離れた場所から連絡を取り合うのに、黄林姫の『共有する力』が必須だったからだ。
だけど、葉月を匿った日から薬を絶った。
黄林姫の力を拒絶して、身を隠すために。
当然、巫女たちは黙っていなかった。
連絡が途絶えた理由を、静国の社を通して追及してきた。その際に使者として寄越されたのが、炭姫の従者である小春だった。
菜飯の件でも言えることだが、普通は、従者が巫女から離れるなどあり得ない。
それなのに小春が寄越されたのは、おそらく私と同郷だからだ。昔馴染みに追及させることで、私にぼろを出させようとしたのだろう。
もちろん、同郷だからとて関係ない。
小春には、本当のことは一切話さなかった。
黄林姫の力が途切れたことに関しては、それらしい理由で『私は何も知らない』と誤魔化した。薬で抑えているだけで、完全にこの体質を消すことはできないと。さらに駄目押しで、距離が遠すぎて力が及ばないのではと付け加えた。
ただし、その言い訳を通すために、小春と会う時は、あえて薬を少量だけ服用した。少量なら、遠くにいる黄林姫の力は及ばないと知っていたから。
当然、小春には葉月のことが筒抜けだった。
どんなに嘘が上手くても、心だけは偽れない。
それが、小春の持論だ。物心がつく前からずっと『声』を聞き続けた小春だからこそ、生々しいほどに説得力がある。
力を受け入れた時点で、葉月のことを隠せなくなるのは承知の上だった。
だけど、力は無限に使えるわけじゃない。
力の悪用や乱用が起きないよう、力を以て物事を証明していいのは巫女のみと法で定められている。その巫女だって、自由に力を行使できるわけではない。
つまり、小春は葉月の存在を伝えられない。
それでも、心の声から得た情報を元に、尋問して吐かせることは可能だ。
小春は、それをしなかった。
私が言ったことを、ただそのまま伝えた。だから職務怠慢なのだ。
謹慎処分で済んだが、平和条約前だったら間違いなく首が落ちたはずだ。
「次に同じようなことがあったらどうするの? また私を庇うつもり?」
「さぁね……そん時の気分かな」
「二度目も謹慎処分で済むとは限らないわ」
今回は、傍から見ても甘い処分だった。
おそらく小春だったからだろう。
怠け癖はあるものの仕事はできるし、何より小春の力は使える。条約によって平和が約束された今でも、下々の者が駒であることに変わりない。
だとしても、二度も同じ過ちを見逃すほど、社という組織は甘くない。
「あんたはもう、私に縛られる必要はないのよ。だから――」
「だったら、俺の自由だよな?」
「え?」
「何を考えようが、何をしようが、それで首が飛ぼうが俺の自由……だろ?」
「――小春! 私は」
「考えてもみろよ。脅されたってだけで、ご丁寧に協力し続けると思うか? 途中からは社に入って、力を隠す意味もなくなったのに?」
「それは……」
確かに、その通りだ。
社は徹底した秘密主義の組織だ。夜長姫の侍女として社に入れば、小春と連絡を取ることが困難になる。
だから、小春にも社に入ってもらった。
月国以外ならどこでも、どんな形でもいいから、とにかく巫女に仕えろと。
社の庇護下に入ることは、世間の差別から離脱することを意味している。
巫女たちが力を使えるように、下々の者も力で差別されることがないのだ。そういう噂を聞きつけた者が、社に駆け込むことも珍しくない。
社に入った時点で、私に従う理由はなくなったのだ。私に従っていたのは、力のことを晒すと脅されたからなのだから。
私自身、社に入った後の協力はそれほど期待していなかった。
あくまでも保険として連絡手段を確保したかったにすぎないし、仮に裏切って情報を流したところで、大した痛手にはならないと踏んでいた。
側仕えの私と他国の者となら、間違いなく私を信じる。そう断言できるほどの信頼を得るつもりで臨んでいたから。
私にとって、小春は捨て駒でしかなかった。
なのに、小春は私に協力し続けた。恨み事を吐くことも、裏切ることもなく。
全部、小春の意志だったのだ。
たとえそれが、姉さんや私に対する罪悪感から来るものであったとしても。
「最初だけだよ、仕方なくだったのは。その後はずっと、俺が自分で選んできたの。だからあの時もそうしたし、これからも変わらない」
「…………」
何も、言葉を返せなかった。
ここまで警告しても、今まで通りに自分の意思を貫くというのだ。
返す言葉など、あろうはずもなかった。
「……分かったわ。私からは、何も言わない」
「そっか」
小春がにかっと歯を見せて笑った。この話はもう終いだと言わんばかりに。
(伝えるべきことは、伝えた)
今まで散々、小春の人生をめちゃくちゃにしてきたのだ。勝手な私心で、今ある小春の意志までかき乱すべきではない。
小春の心は、小春だけのものだ。
③に続きます。