第十二話「桜の便り ーさくらのたよりー」(後編) ①
再び、桜の回想です。
姉を失った『あの事件』で、何が起こったのか?
注:残酷・暴力描写があります。
衣瀬村鬼狩り再来事件。
七年前に人々を震撼させた、月国の異質な鬼狩り。
その事件の生き残りとして公的に記録されているのが、私と小春だ。
私は生き残りでありながら、あの事件の渦中に居合わせていない。事件の数か月前から、社町の薬師の下で奉公していたからだ。
姉さんは村の薬師の後を継ぎ、薬屋を営んでいた。
そして仕事の合間に、私が自分の体質を負荷なく制御できるようにと、桜の葉の研究をしてくれた。そのために薬師を志したと言ってくれた時の、あのはにかんだ笑顔は――けして色あせない宝物だ。
私も薬師になって、そんな姉を支えたいと思った。
だからこそ、本当は一時も離れたくなかった。
だけど、姉さんが師事した薬師は、既にこの世の人ではなかった。他に師事できる薬師が近くにいなかったので、社町に行くほかなかった。何より姉さんが、私のためになるからと社町行きを勧めてくれた。
姉さんは十三歳という若さで薬屋を任され、そこから二年の時を経て、繊細ながらも少しずつ生きる強さを見せるようになった。
人の良さから村人にも好かれていたし、実家から離れたおかげで、姉さんが伯父と呼んでいた、あのろくでなしと顔を合わせることもなくなっていた。
もう、私が付きっ切りで守らなくても大丈夫。
そう思えたからこそ、私は社町行きを決断した。
姉さんとは週に一度、手紙を交えていた。内容は日記のような他愛のないものだったけど、そのささやかなやり取りが、奉公中の数少ない楽しみだった。
そんなある日、姉さんからの手紙が途絶えた。
姉さんは薬屋の運営に訪問診療、桜の葉の研究と、実に目まぐるしい日々を送っていた。その上、何かと不器用な人だった。
日々の生活に追われて、なかなか手紙を書く時間を作れないのだろうと思っていたけど、一か月経っても、なんの音沙汰もなかった。
もしかして、過労で体を壊したのかと思い始めた矢先に、鬼狩りが蘇ったという噂を聞きつけた。程なくして、鬼狩りの発端が衣瀬村だと知った。
居ても立っても居られず、大急ぎで戻った。
村は、地獄と化していた。
広場には首吊り死体がぶら下がっており、村全体に死人特有の腐臭が充満していた。村の一角には、死体が無造作に積まれていた。
何かに祈るような思いで、姉さんを探した。
薬屋を始め、姉さんが行きそうな場所をくまなく探しても見つからなかったので、かつて姉妹で暮らしたあの忌々しい家へと駆け込んだ。
家の中は、恐ろしく静かだった。
伯父を名乗っていたあの男がいないのは知っていた。首吊り死体の中には、その男もいたから。それは別にどうでもよかった。
私が見たのは、最も見たくない光景だった。
『姉さん……?』
姉さんは、眠るように横たわっていた。
体は冷たくなっており、満月のように白い顔はより青白くなっていた。丸い頬に蠅が止まり、もうこの世の人ではないのだと、否応なしに突き付けられた。
『姉さん!?』
傍らには、空になった猪口が置かれていた。残り香と遺体の状態から、毒をあおったことは容易に想像できた。想像したくなかった。
『なんで……嘘でしょ!? 姉さん!!』
揺すっても、泣き叫んでも、何も変わらない。
分かっていても、そうせずにいられなかった。
その直後、近くにいた村人に『鬼の子だ』と捕まりそうになった。必死に抵抗して逃げ出した直後に、突然、村が炎に包まれた。
訳が分からなかった。
だけど、あの地獄が不自然であることくらいは、混乱する頭でも分かった。
鬼への差別はあれども、なんの前触れもなく、あんな殺し合いが起こるはずがない。平和条約によって、鬼狩りは徹底して規制されたのだから。
何より、私を襲ってきた大人たちの目は、明らかに正気じゃなかった。
あれは、鬼への嫌悪だけではない。見えない何かに酷く怯えている様子だった。誰かが意図的に、あの状況を引き起こしたとしか考えられない。
つまり、そいつが姉さんを追い詰めたのだ。
姉さんが、自ら死を選んでしまうほどに。
許せなかった。姉さんを死に追いやった奴を。
そいつを見つけ出して、この手で八つ裂きにしなければ気が済まなかった。
しかし、十歳の子供ができることなど、たかが知れている。それくらいは、怒りで気が狂いそうな頭でも理解できた。
とにかく、まずは金だった。
生きるため、復讐の資金を稼ぐため、社町での奉公を続けることにした。
そして、年に二度ある長期休暇を利用して『衣瀬村の小春』を探した。
首吊り死体の中には、小春の両親も含まれていた。
それなのに、小春の死体はどこにもなかった。
誰かが『鬼』とされれば、その家族も『鬼』となる。要は皆殺しだ。小春だけが見逃されるなんて、絶対にあり得ない。
村から逃げ出したとみて、間違いなかった。
私は、小春が生きている可能性に賭けた。
生き残りであろう小春に事件の全容を聞き出して、元凶を見つけるために。もし小春が元凶ならば、その場で殺すために。
二年の時を経て、静国の酒屋で働いているところを見つけた。私は後ろから忍び寄って、小春の首筋に小刀を突き付けた。
その際に羽交い絞めにして、気が付いた。
まだ成長途中だが、骨格が男のそれであることに。小春が、男であることに。
私だけではない。
村人は皆、小春を女だと思っていた。
名前も、恰好も、表情も、仕草も、言葉遣いも、少女そのものだったから。
小春に女装癖などない。前の子供が死産だったことから、息災であり続けるようにと、十二歳まで女として育てられただけだ。
珍妙な話だが、田舎の農村でたまに聞く、古い迷信や呪いの類だろう。
皮肉なことに、事件は彼が十二歳になる前に起こったわけだが、その中で後遺症もなく生き延びたのだ。ある意味、呪いの効果はあったと言える。
迷信とはいえ、親は必死だったのだろう。戸籍まで女として届ける徹底ぶりだった。事件の生き残りが『少女二人』となっているのは、そのためだ。おかげで、小春の居場所を突き止めるのに苦労した。
もっとも、小春の性別なんてどうでもよかった。
私はその首に刃物を突き付けたまま、小春の恐怖心と罪悪感を徹底的に、これでもかというほど揺さぶった。小春は、今にも倒れそうなほどに震えていた。
そして、事件の詳細を吐かせた。
小春が私の仇ではないことはすぐに分かった。
夜長姫。月国の巫女になったばかりの少女。
その少女が元凶だと、この時に知った。
亜麻色の髪に飴色の瞳という浮世離れした外見から、まだ巫女の候補だった事件当時から、既に知らぬ人はいない有名人だった。
村には、お忍びで来ていたそうだ。
巫女の候補になるのは、巫女を多く輩出する家の貴族か、ある日突然、巫女として選ばれた者のどちらかだ。お忍びというからには、確実に前者だった。
普通なら、あんな田舎の村に、巫女の候補が足を運ぶなんてあり得ない。
だけど私は、小春の発言が嘘ではないと確信した。
村に向かう途中に、馬車とすれ違ったのだ。煌びやかな馬車は、山に囲まれた田舎の風景からあまりにも浮いた存在だった。
『赤い桜が咲いているわ』
その馬車から、すれ違いざまに声が上がった。
子供の声であることに驚き、思わず足を止めた。
簾から顔を出したのは、亜麻色の髪のたいそう美しい少女だった。
堂々とした話しぶりから同世代だろうと思ったが、顔付きや雰囲気は年より幼い印象を受けた。あまりにも幼くて、拍子抜けしたくらいだ。
一方で、幼い外見に不相応な威厳があった。
人を見下ろすことに慣れている様子は、他の子供とは一線を画していた。
『見頃は過ぎたけど、まだ間に合うわ。本当に……とっても綺麗だから』
何がそんなに嬉しいのか。
少女はうっとりと、頬を赤く染め上げていた。
美しい少女だとは思ったが、それ以上に気味が悪かった。人の姿をした物の怪だと言われても、すんなりと納得できただろう。
馬車は、村の方から来ていた。
あの少女が事情を知っているのは間違いなかったが、聞いたところでまともな返答は得られない。そう感じるほどに、少女の微笑みは得体が知れなかった。
小春の話を聞いて、初めて合点いった。
飢えで荒んだ村で起こった、子供たちの異常。
不安と恐怖が広がる中で、一人の少女が、三人の村人を『鬼』だと指差した。
それが、夜長姫だという。
巫女の候補という存在と発言力は、国の頂点である巫女には劣るものの、小さな村一つを動かすには充分だ。やりようによっては、地獄に落とすことも。
村人たちはろくに調べもせず、三人を拷問した。
巫女の候補の言葉だから、考えることを放棄した。できてしまった。
体中の骨を折られて悲鳴を上げる三人と、三人の体を躊躇なく破壊する大人たちを前に、子供たちは震え上がることしかできなかったという。
ただ一人、夜長姫だけは笑っていたそうだ。
私に見せた、あの――至福の笑顔で。
小春への尋問を終えた瞬間に、己の人生を使って為すことが決まった。
この手で夜長姫を殺す。
冷酷に、虫けらのように、惨たらしく。
あの姫が何を考えていたのかは、分からない。
なぜ、あんな辺鄙な村に赴いたのかすら謎だったが、どうでもよかった。
ただ殺す。それだけで充分だった。
②に続きます。
(2025/4/16 追記)
改稿の末に、ここからが第十二話となりました。
桜の姉や小春、事件の経緯などをより詳細に描くため、十二話は大幅な加筆と修正をしましたが、内容自体は変わっていません。