第七話「花筵 ーはなむしろー」 (後編) ①
再び、勉強会の始まりです。
そういうわけで数時間後、僕は黄林姫の部屋にいた。彩雲君と二人きりで。
(こんなの聞いてないよ……)
とはいえ、折角の機会だ。何か話をしようと意気込むものの、視線を向けるだけで「何見てんだ?」とか「イチャもん付けてーのか?」と難癖を付けられる。こうも敵意をむき出しにされると話しかけづらい。
(……これは、なんとかしないと)
このまま萎縮してたら、確実に距離は縮まらない。ここは、あえてフレンドリーに接してみよう。ちょっと怖いけど。
「……彩雲君だっけ。『日本』って分かる?」
「あ? 分かるに決まってんだろ」
「――――!!」
(一発で通じた!!)
この世界に来て初めての奇跡に、僕は恐怖心も忘れて感激した。
「やっぱり!! 君も日本から来たんだね!!」
「はぁ? なんだよ、いきなり」
「僕もなんだよ。ここでは葉月で通ってるけど、フルネームは山根葉月で――」
「『山根』?」
なぜか、彩雲君が眉をひそめた。
「え、あれっ? なんか変なこと言った?」
「……別に。ムカつくやつと同じ名前だったから、ムカついただけ」
すごい理不尽な理由でムカつかれた。
まぁ、嫌でも連想してしまうのだろうから、仕方ないかもしれない。
「あー、なんかマジでムカつくな。おい、テメーどこ中だよ?」
(今時そのフレーズ!?)
「えっと、岐阜の西剣ヶ峰中」
「オレと同じかよ」
「あ、やっぱり。まぁ、同じと言ってもOBだけどね。今は妹が通ってるよ」
「妹だぁ?」
「あ、うん。三年生で、山根希沙羅っていうんだけど、知って――」
「テメーあのクソ女の姉貴かよ!! どーりでムカつくと思ったぜ!!」
実の兄の目前で吐き捨てる台詞ではなかった。なんと言うか、すごい度胸だ。度胸の使いどころを間違えているけど。
(…………ん?)
なんだろう。今、変な聞き間違いをしたような……気のせいかな。
「えっと……うちの妹が何かしたのかな?」
「いちいちうるせぇんだよ、ケンカするなサボるなって。マジでクソうぜぇ!」
「あぁ……きいちゃん、世話焼きだからね。悪気はないんだよ」
「オレのことがムカつくだけだろ。別にいいけどよ。オレもムカつくし」
「…………」
妹、同じ学校、喧嘩。
頭の中でそれらの言葉が結びついて、僕は思わず口にしていた。
「……きみ、もしかして『坂上雲』君?」
「あぁ!?」
「えっ? あれ、違った!? ごめん!! 妹から聞いた話と一致してたし、珍しい名前で印象に残ってたから――」
「別にちがうとか言ってねーし」
「そっか、よかった……」
ひとまず安心だ。人の名前を間違えるのはかなり恥ずかしいし失礼だ。
だけど、この後どうやって話を続ければいいのだろう。名前を口にした途端に血相変えたし、やっぱり本名は地雷だったのだろうか。
(まぁ、変わった名前ではあるけど……)
八方塞がりなまさにその時、「失礼します」と襖が開いた。三郎さんだ。
「お待たせ」
黄林姫が朗らかな笑顔で入ってきた。三郎さんが「それでは」と襖を閉める。
「ごめんなさいね、ちょっと話が立て込んでしまったものだから」
「いえ、大丈夫です」
助かった、とは口が裂けても言えない。
黄林姫が、僕たちの前に腰を下ろした。どうやら同じ机を挟むらしい。授業というよりは、個別指導塾とか家庭教師みたいだ。
「あの、三郎さんは入らないんですか?」
「えぇ。約束の時間になったら、また来るようにと伝えてあるわ」
「そうですか」
「よかった、ちゃんと来てるわね」
「え? それはもちろ……」
何を今さらと思いかけて、気付いた。
見ると案の定、彩雲君が小さく舌打ちをした。
「あの怪力女に、無理やり連れてこられただけだっての……クソッ!!」
(虹姫か……)
あの重苦しい会議の場に馬ごと乗り込んでくるし、見ず知らずの子供を拾った上に従者にしてしまうし、かと思えば異変の謎を解明する手掛かりとか言い出すし……いろいろと滅茶苦茶な人だ。
「それで、なんの用だよ。つまんなかったら秒で出てっからな」
そして拾われた方も滅茶苦茶である。類は友を呼ぶとはこのことだろう。
「彩雲君、それはさすがに」
「なんでテメーがオレに指図すんだよ、あ?」
「いや、指図ってわけでは」
「彩雲君、女の子を困らせちゃ駄目よ」
「ちっ」
(納得した!?)
やっぱり『兄貴』ではなく『姉貴』と言っていたらしい。これは、早急に訂正しなければいけない。
「あの、僕、男だよ?」
「だからなんだって…………あ?」
クスクスと黄林姫が小さく笑ってる。確信犯は止めてください。
「オカマじゃねーか!!」
「なんでそうなるの!?」
あんまりな言いがかりだ。女の子に間違えられただけでもグサッときたのに。
「『巫女』とか言ってたじゃねーか! 巫女ってのは女がなるもんだろ!!」
「で、でも、落葉殿も男だよ?」
「あ? 誰だよ『おちばどの』って」
そういえば、自己紹介の時はまだいなかった。
「平安貴族の男の人みたいな恰好をしてた人だよ。ぼーっとした感じの」
「……あー、あいつか。あの声ちっせーヤツ。あいつもオカマかよ」
彩雲君の中で、オカマが二人になった。
この場に落葉殿がいなくて、本当によかった。
「この世界には、男の巫女もいるのよ。個人を指す際にあてる東字は違うけれど」
「トージ?」
「東の文字と書いて『東字』よ」
「なんだそりゃ」
「要は漢字のことだよ」
横から口を挟む形になってしまうけど、こればかりは僕が説明した方が早い。
「ここでは『東字』って呼ばれてるってだけで、漢字と同じなんだ」
「はぁ? なんだそりゃ、訳分かんねぇ。どいつもこいつもコスプレしてるしよ」
(コスプレって……)
どうやら、彩雲君はまだここが異世界だと認識していないらしい。
「葉月君。『こすぷれ』ってなに?」
「えっと、仮装のことです。僕のいた世界では、秋に仮装する祭りがあって――」
「へぇ、なんだか面白そうな秋祭りね」
黄林姫が身を乗り出してきた。思わず、ちょっとドキッとした。
そこにいるのは、大人びた女性でもなければ、得体の知れない巫女でもない。
夢いっぱいに想像を膨らませ、目を輝かせるただの少女だった。
(そんな顔もするんだ……)
大人の女性だとばかり思っていたけど、意外と年が近いのかもしれない。
「さてと、そろそろ本題に入らないとね」
黄林姫が煌めきをサッと仕舞い込む。少女だったのは僅かの間だけだった。ちょっともったいない気がするけど、仕方がない。
「視察の間、葉月君と彩雲君のために、東語の勉強会を毎日開くことにしました」
「はぁっ!?」
彩雲君は初耳だったらしい。隣にいる僕の鼓膜まで破れそうな大声だ。
「よろしくお願いします」
「テメーなによろこんでんだよ!! 頭わいてんじゃねーのか!?」
「えぇっ? でもほら、教えてもらえるなら、その方が助かるでしょう?」
「けっ、とんだ良い子ちゃんだぜ」
(勉強するだけで良い子ちゃんなのか……)
面白い内容だってちゃんとあるのに。歴史とか、古文とか、英語とか。
それに英語は、将来的にも役に立つし、英語の本だって読めるようになる。もっとも、この世界で使う機会はまずないだろうけど。
「とにかくオレはやんねーからな! 英語だけでもクソだってのに!!」
「あら、言葉が分からないと不便よ。今は私たちがいるけど、今後、独り立ちしたらどうするの? 食事一つ注文するだけでも苦労するわよ?」
(え、そこですか?)
「う、それは……」
「あなた、好きなものはなに?」
「肉」
(うわぁ、めっちゃ豪快。めっちゃ単純明快)
鶏肉とか牛肉とかですらなかった。まさかの漢字一文字である。
「町には焼肉屋さんもたくさんあるわよ。まかないで食べ放題ね」
「よし教えろ!!」
すごいあっさり落ちた。肉だけで簡単に事が進んでしまった。ギラついた見た目に反して、かなりお子様なのかもしれない。
というわけで、早速といわんばかりに東語の勉強会が始まった。
そして開始早々、僕は悶絶しそうになった。
「まずは、発音の違いからね。つぁくら」
「!?」
思った以上に異国の言葉だった。ナニソレ?
確か、発音と使用する文字の比率の違いだけという話だったはずだけど。
「今のが東語よ。西語に訳すと『さくら』」
「さくら?」
「あなたの大好きな桜ちゃんと同じ『さくら』よ。東語では『つぁくら』と発音するの。発音してみて?」
「はい。つぁくら……」
(確かに、似てるかも……)
あと、桜さんの顔が見たくなった。今日は朝、足が痺れて悶絶しているところを見られただけだ。あれはなかったことにしたい。黒歴史だ。
「そして、葉月君は『ぱんどぅき』になるわ」
「ぱんどぅき……?」
「そうよ、『ぱんどぅき君』」
僕の名前に至っては『き』しか残らなかった。ばいばい、『は』と『づ』。
「……本当に大丈夫なんでしょうか。なんか、自信なくなってきたんですけど」
「要点さえ掴めれば、後は慣れるだけよ。例えば、濁音の前には『ん』が付く、は行は『ぱぴぷぺぽ』に近い発音をするという具合にね」
「濁音、は行……あ」
(葉月、はづき……ぱんどぅき)
「『づ』は『どぅ』ってことですか?」
「あら! 物分かり良いじゃない」
「え? そう、ですかね」
「えぇ。今の説明でそれだけ理解できるなら、何も問題ないわ」
黄林姫が興奮気味に笑う。さっき、コスプレの説明をした時のテンションだ。少女特有の煌めきは出していないけど。
(お世辞ではなさそう、かな……)
それにしても、そんなに難しくなさそうでホッとした。発音を聞いた時はナニコレ状態だったけど、仕組みを聞いたらなんてことはない。『づ』が『どぅ』だろうと思ったのも、単に『づ』が余ったからだし。
(まぁ、理論がどれだけできても、実際に使えないと意味な…………あれ?)
よくよく考えたら僕も彩雲君も、社の人たちと言葉を交え、意思疎通ができている。七国の内、三国は東に属しているにも関わらずにだ。
そして、今さらのように気が付いた。
「……もしかして、皆さん、ずっと西語で話してるんですか?」
「えぇ、あなたが西語しか話せないと聞いていたから。彩雲君も同様のようだし」
「でも、かなり流暢ですよ。社の人って、みんなそうなんですか?」
「私たちに限らず、人々の八割は両方話せるわ」
「えっ!?」
(とんだバイリンガルだ……!!)
「大丈夫。葉月君なら、なんの心配もいらないわ。あなた、頭も良いし」
「いえ、そんなこと――」
突然、黄林姫が口角を上げた。会議の時に見せた、ちょっと怖い笑顔だ。
②に続きます。
東語の発音は、上代日本語を参考にしました。
奈良時代頃まで使われたそうですが、日本語と言われても違和感しかありません。現代人からしたら、古代日本も異世界なのかも。