第六話「花筵 ーはなむしろー」 (前編) ②
「気の乱れは国の乱れ。余分な気は切り捨てなければならないの。植木も剪定しないと、日当たりが悪くなって害虫が湧くでしょう。それと同じよ」
「なるほど」
国の庭師。そう考えるとイメージしやすい。
だけど、余分な気を切り捨てるという言い方をしているからだろうか。巫女というには、なんだか苛烈な印象を受ける。
「だから巫女は、基本的に社から離れられないけど、視察も必要な政。その両方を補うために、人々に披露する舞という形で気の管理を行うのよ」
「……つまり、気の管理の一環として、舞を覚える必要があるんですね」
「そうよ。同時に、気の見方も道中に会得してもらうことになるわ」
どうやら、視察は新米巫女の教育も兼ねているようだ。ますますありがたい。
「というわけで、舞と気の見方は、優等生の花鶯が教えるからよろしく!」
「はっ!?」
虹姫の妙にノリの良い指名に、当の本人が驚きの声を上げた。
「それはいつもあんたが教えてるじゃない。大体、私は一言も聞いてないわよ」
「今決めたからね」
「あんたって人は……」
花鶯姫が溜め息をつき、眉間に指を押し当てた。日頃から気苦労が絶えないのだろう。失礼だけど、その姿が様になっている。
「別に急な話じゃないよ。基礎を教えるなら花鶯だと、私は前から思っていた」
「何それ、お世辞? 陽国の巫女のあんたに言われても説得力に欠けるわよ」
「私は持ってる力が強いだけだ。巫女としての総合的な実力は、基礎を疎かにせず、日頃から努力を怠らないあんたの方がずっと高い」
「…………」
花鶯姫が俯いた。
席が離れている僕から見ても、顔が赤い。褒められて嬉しいことが一目瞭然だ。
「……まぁ、いいけど」
嬉しくても、絶対に口には出さないらしい。そういう意地っ張りなところも、きいちゃんに似ている。
不意に、花鶯姫と目が合った。
なぜか、眉間に皺を寄せて睨みつけてくる。
(あ、じっと見つめ過ぎたか……?)
怖くないとはいえ、指導を受ける身としては、先生に気分を害されるのは困る。不良ではないことを率直に伝えるべく、僕は頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
「こちらこそ。やるからには、みっちり叩き込むから覚悟なさい」
「はい!」
普通に会話してくれた。表情は硬いものの、気分を害した様子もない。
睨まれたと感じたのは、単なる気のせいだったようだ。連日の衝撃と疲れで、少し過敏になっているのかもしれない。
ほっと一安心したところで、黄林姫が「ちなみに」と説明を再開した。
「道中は各駅で宿泊しつつ、次の社町へ向かうことになるわ」
「え、駅……?」
「『駅家』のことよ。今では略して駅と呼ぶことがほとんどなの」
「あ、なるほど」
そもそも、電線もないこの世界に電車なんてあるはずがないのだ。もしかしてと、ちょっとワクワクした自分が恥ずかしい。
「それって、桜道沿いに設置された施設ですよね。馬と人を休めるための」
「お? よく知ってんな」
「本でかじった程度ですけどね」
桜さんに勧められた本の中には、交通制度に関するものもあった。
古代日本の交通制度と似ていて、駅路という官道沿いに駅家があるのも同様だ。それらを使うのが、国の官吏や貴人といった一握りであることも変わらない。
違う点があるとすれば、この世界の官道が『桜道』と呼ばれていることくらいだ。『花道』という別称もあるらしい。文献で『花』や『桜』といえば巫女を指すらしく、巫女が通る道という意味合いで『桜道』と名付けられたという。
この世界において、桜は信仰の対象として大切にされている。
地図上で、五国が桜の形で描かれているのが分かりやすい例だけど、『花』や『桜』が巫女を指すのも、それと同様なのかもしれない。
ちなみに『花』や『桜』は、女の子の名前としても人気らしい。桜さんや花鶯姫が良い例だろう。
「言っておくけど、駅でゆっくり休んでいる暇はないわよ。自分の国に入るまでに、気の見方も舞も習得しないといけないんだから」
花鶯姫に現実を突き付けられ、思わず「う……」と言葉が詰まった。
「忙しないのは確かだけど、心配はいらないわよ。月国は一番最後だから時間はあるし、初めてなのは蛍ちゃんも同じだから」
「え?」
驚いて蛍姫の方を見る。
目が合うや否や、肩を縮めて俯いてしまった。
「彼女もね、巫女になりたてのほやほやなの。あなたにとっては同期になるわね」
(そうだったんだ……)
「あの」
「ひゃい!?」
話しかけると、蛍姫が肩をびくつかせて顔を上げた。すごいあたふたしている。
「これからよろしくお願いします」
同等の立場ではあるけど、この世界の人間としては、僕よりずっと先輩だ。
だから、そんな畏まる必要なんかないんだよという意味合いを込めて、笑いかけた。少しでも緊張が解けるようにと。
だけど、蛍姫はなおさら驚いた様子だった。「うぇっ?」と上擦った声を上げ、さらに顔を真っ赤にしている。耳まで真っ赤だ。
(あれ……むしろ逆効果だった?)
選択を間違えただろうかと後悔しかけたその時、意外にも蛍姫の方が「あの」と声を上げた。消え入りそうなくらいに小さな声だけど。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
蛍姫が姿勢を正し、振り絞るような声を出しながら、深くお辞儀をした。僕も慌てて「よろしくお願いします!」と同じようにお辞儀をする。
なぜか黄林姫が小さく笑った。虹姫も、にやにやと口角を上げている。
「お見合いみたいね」
「「えっ?」」
「息も合ってるな。もう結婚しちゃうか?」
「「えぇ!?」」
「また馬鹿なことを言って……変な気でも起こしたらどうすんのよ」
花鶯姫に窘められた二人が、互いにきょとんとした顔を見合わせる。
そして、二人して悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「大歓迎だね」
「可愛いじゃない」
「駄目に決まってるでしょう!!」
(多分、怒ると逆効果だと思います……)
僕らを冷やかすためではなく、むしろ花鶯姫を怒らせるためにやっているような気がする。いじられキャラというやつなのかもしれない。
『――すんな――ソ野郎!』
『――い待てって!!』
部屋の外から、ただ事では済まなさそうな足音が聞こえてきた。
彩雲君の怒鳴り声に加え、知らない人の叫び声もする。溌溂とした声だ。声変わりはしているけど、幼さが残っている。おそらく少年だろう。
そしてどういうわけか、その騒がしい足音と声がだんだんと近づいてくる。
「あらあら」
「……虹、こっちに来たら即刻追い払いなさいよ。あんたが連れてきたんだから」
「別に放っておけばいいだろ。鹿男もいるし」
「よくないよ。鹿男が疲れて寝過ごしたら、俺も寝坊するから」
落葉殿が眉をひそめる。とりあえず、彼の従者だということは分かった。
「あ、あの……」
「あんたが狼狽えることないわよ、蛍。責任は虹が取るんだから」
「えー、花鶯冷たーい」
巫女たちが通常運転を発揮している間に、部屋の前まで来てしまったらしい。襖の向こうから「おい開けろ!!」と怒声が上がった。
「まったく、朝っぱらから世話の焼ける餓鬼だ……鹿男―、開けていいぞー」
虹姫が面倒くさそうに、極めてやる気のない声を襖の向こうへ投げかけた。
「でもこいつ、めちゃめちゃ暴れますよ?」
「問題ないよ。いざとなったら私が押さえる」
「では……」
襖が遠慮気味にゆっくりと開く。
見るからに不機嫌そうな彩雲君が、ずかずかと部屋に入ってきた。
その後ろから、別の少年が「あ、おい!」と追いかける形で入ってくる。多分、彼が『しかお』だろう。『鹿男』と書くのだろうか。
「おい!! 肉よこせ!!」
開口一番にすごい台詞が飛んできた。
そしてなぜか、虹姫は愉快そうに笑っている。
「おっかしいなー、肉じゃがなんだから入ってるはずだけど?」
「あんなん肉に入んねーよ!! もっとガッツリしたやつ出せ!!」
(ひき肉も立派な肉だよ……)
ちなみに僕の家の肉じゃがはひき肉だ。僕はそれで慣れているのもあって、むしろひき肉で良かったと思っている。ひき肉は美味しいよ。
「諦めな。生憎、お前の求める類の肉は涎ものの貴重品でね。私ら巫女だって、そう毎日食べれるもんじゃないよ」
「ウソつけ!! どーせ隠してんだろ!!」
「ふふふ……」
(なんでそこで意味深に笑うんですか!?)
「やっぱそうか!! ふざけたマネしやがって、このクソ女が!!」
前へと踏み出した彩雲君を、鹿男さんが「駄目だって!」と羽交い絞めにした。
改めて、鹿男さんへと視線を移す。
髪は全体的に短い。動きやすくするためか、着物の袖をまくって紐で留めている。活発という言葉が服を着て歩いているような少年だ。
会議の時の三郎さんがそうだったように、男の従者の正装は水干らしいけど、この少年がそんな畏まった格好をするのを想像できない。
「はなせバカザル!!」
「馬鹿猿じゃなくて鹿男だって!!」
動物が三匹も入った言葉にちょっと笑いそうになった。なんとか堪えたけど。
「ていうか、巫女が肉を隠すなんて阿呆なことするわけないだろ!?」
「この怪力女が認めてんじゃねーか!!」
「さっきから虹様に失礼だって!!」
鹿男さんがもっともなことを叫ぶ。
ただ、巫女じゃなくてもそんな『阿呆なこと』はしないと思います。
「おいお前!!」
彩雲君が突然、こちらを指差して……いや、明らかに僕を指している。
「えっと、僕?」
「あぁテメーだよ。そん中で一番ザコだろ。かくしてる肉よこせ――!?」
彩雲君が、急に白目を剥いて静止した。
鹿男さんが、崩れ落ちた彩雲君をとっさに支えたので事なきを得た。
いつの間にか、本当にいつの間にか……二人の背後に、三郎さんが立っていた。それも、鬼のような怖すぎる表情で。
「あ、ありがとう三郎さん」
「いいから早くその馬鹿を連れていけ」
「分かった!」
鹿男さんは切り替えが早い人なのか、動揺しつつも彩雲君を引きずっていった。とりあえず、前向きなのは良いことだ。
「皆様。お騒がせして申し訳ありませんでした」
襖が閉まり、部屋の中に平穏が戻った。平穏という感じの面子でもないけど。
「ところで、あの子供はどうするんですか?」
③に続きます。