きりたんぽ、おばあちゃん、豪速球
作者、野球は全然わかりません。ほんの出来心で書いた軽い読み物ですので、どうかご容赦を。
世界最高齢の現役ピッチャーにして、女性初のプロ野球選手。それが橋本やよい選手だ。しかもゴリゴリの豪速球投手なのだから、もう訳がわからない。
世界中の野球ファンの目が、点になるのは無理もない話だろう。登録名は「やよい婆ちゃん」。もちろん、超人気者だ。
意外なのか当然なのか、よくわからないが、ドラフト指名外の入団テスト組だ。彼女が現れた入団テストは、今でも語り草になっている。何しろ、試験当時のやよい婆ちゃんは御歳七十五歳。立派な後期高齢者だ。
やよい婆ちゃんは、マウンドに立っていなければ、本当に普通の老人だった。小さくて痩せていて、筋肉のかけらすら見当たらない。そんな老人がプロ野球の入団テストに現れたものだから、誰もが心配した。マウンドで倒れられたりしたら大問題だ。
テストを受ける者も、主催者も取材陣も、誰もがハラハラして見守った。
実際婆ちゃんは歳相応で、バットを振る様子もヘロヘロだし100M走などは歩いていた。ところが、マウンドに立ち投球フォームに入った途端、そこに居合わせた全員が息を呑んで立ち上がった。
恐ろしく綺麗なフォームから、見失うほどの速さで振り切った腕から放たれたのは、紛うことなき豪速球だったのだ。時速150キロのストレートがキャッチャーミットに突き刺さった。しばらく誰もが口を閉じることすら出来なかった。声を上げることも出来ずに、隣にいる者と目だけで会話した。
なにあれ、見た? 嘘だろ? どうなってるの?
最初に口を閉じ、また開いて声を発したのは、ピッチングコーチだった。
「橋本やよい選手。もう一球、お願いします」
絞り出すような声がグラウンドに響くと、ゆっくり頷いたやよい婆ちゃんは、トレースするように、全く同じフォームから、髪の毛ひと筋のブレもなく、ど真ん中へとボールをぶち込んだ。
「変化球は投げられますか?」
やよい婆ちゃんは首を振る。
「他のコースへ投げてもらえますか?」
またもや首を振る。その様子は、キャッチャーからの逃げのサインに承知しない、強気のピッチャーそのものだった。
やよい婆ちゃんはもう一球、同じコースへと投げて、自らマウンドを後にした。
ピッチングコーチに声をかけられると「三球しか投げられません」と、恥ずかしそうに笑ったと言う。
球団の首脳陣は色めき立った。スター性、話題性に於いては文句の付けようがない。間違いなく今シーズンの台風の目となるだろう。
「三球しか投げられない。しかもど真ん中のストレートのみ。だが、使いどころは必ずある!」
「「「合格だ!!!!」」」
全員一致の採用となった。
「健康診断の結果は?」
「神経痛と肩こり、老眼、緑内障の手術歴あり、総入れ歯です!」
「そ、そうか……特に持病は?」
「ありません。ですが、念のため試合中はドクターとナースを常駐させましょう」
「何年現役でやれるんだ?」
「見当もつきませんね……」
果たして伸びしろはあるのか? 常にあのパフォーマンスを期待して良いのか?
「家族構成は?」
「配偶者は昨年亡くなっていますね。子供は三人、すでに全員既婚者です。孫が五人、長男家族と同居しています」
「家業は?」
「秋田県在住で、きりたんぽ鍋の店を営んでいますね。なかなか評判の良い店ですよ」
「なるほど。……プロの選手になることに、家族は同意しているのか?」
「孫たちは大喜びですね。息子さんたちはまだ半信半疑のようです。橋本選手が野球をやることすら知らなかったようです」
更に驚くべきことに、やよい婆ちゃんは野球のルールをよくわかっていなかった。婆ちゃんが得意だったのは、孫とよく行く川原での『水切り』だ。
平らな小石をアンダースローで投げ、水面をポンポンと弾ませて数を競うアレだ。あまりに上手いので、少年野球をやっていた孫が投球フォームを教えたら、とんでもなかったらしい。
「と言うことは……アンダースローも投げられるのか⁉︎」
「イケますよ! こちらはスピードはそこそこですが、地を這うような低い弾道で、バッターボックス付近でポップします。こちらも充分通用しますよ……」
「素晴らしいな……! それも三球か?」
「はい。三球が限度だそうです!」
「アンダースローの方はマスコミに嗅ぎ付けられるなよ! 切り札として申し分ない!」
そこから三年、やよい婆ちゃんはプロ野球選手として一世を風靡した。一試合三球のみのピンポイントだが、登板率は低くはなかった。チームのピンチを何度も救い、絶大な人気を誇り、惜しまれつつ引退した。
引退会見の「大変楽しゅうございました」という言葉、流れるような美しいフォーム、寸分の狂いなくキャッチャーミットへと突き刺さる完璧なコントロール。
今も世界中の人々の心に、強く焼き付いている。