エルフ、不満、マヨネーズ
僕の恋人はエルフ。名前ではない。種族名だ。
そう、あのエルフだ。耳が尖っていて、スレンダーで美男美女ばかりで、ファンタジー世界での定番キャラのエルフだ。
名前をカリリカラーシャという。変な名前だって? 異世界の人だから仕方ない。それに、僕はとても可愛い名前だと思っている。
出会いはネカフェ。僕のバイト先だ。
彼女は何日も続けて深夜パック(夕方から朝まで)を利用していた。そういう人は、店長に連絡することになっている。家出少年とか普通にいるし、割と問題を抱えている人が多いからだ。
彼女を見かけるようになって四日目の夕方、受け付けに現れたところで声をかけた。
「あのー、何か困りごとはありませんか? サービスで僕がなんとかしますよ」
遠回しに聞いてみた。本当に困っている人だと、これでけっこう心を開いてくれる。
「ダイジョブ、コマル、シテナイ」
ニコニコしながらマスクをずらして答えてくれた。ずっと顔を隠していたからわからなかったけれど、とてもきれいな笑顔だった。
(外国の人なのか! カタコト、可愛いなぁ)
彼女はいつもの深夜パック利用を利用して、いつもの個室へと入って行った。
『コマル、シテナイ』のか……。ちょっと残念だ。もう少し話していたかったけれど、しつこくして迷惑がられたくない。
(朝、出る時にまた話せるかな?)
僕は夜勤の間、彼女の入った個室が気になって仕方なかった。思えば一目惚れだったかも知れない。完璧に整った口元から発せられるカタコトが、拙さの印象をより濃いものとしていた。
いわゆる“ギャップ萌え”というヤツだ。
次日の朝、彼女の会計時に小さな飴玉を三個、お釣りと一緒に手渡した。彼女は手のひらに飴玉を乗せたまま、コテンと首を倒して「?」という表情で僕をじっと見つめる。
「キャンディ、サービス、プリーズ」
僕こそカタコトだ! 顔が赤くなるのを自覚して俯いてしまいたくなる。
(外国の人って、目を逸らしたら失礼なんだっけ⁉︎)
彼女の首は倒れたままだ。親しくない人間の差し出した食べ物に、警戒しているのかな? 僕の英語の発音がヤバすぎる?
咄嗟に僕は彼女の手のひらから飴玉をひとつ取り、包みから出して自分の口に放り込んだ。
「キャンディ、スイート!」
もごもごと飴を舐めながら、赤い顔を自覚しながらやけ気味で言った。
彼女はニッコリと微笑むと、不器用そうな手つきで飴の包みを解く。唇を少し尖らせているのが、幼い頃の弟妹が必死になっている時の顔を思い出させる。
彼女は期待に瞳を輝かせて、僕の真似をしてポンと飴玉を口に放り込んだ。
「アマイ」
陽だまりの猫のように、ほっこりしたゆるゆるの笑顔になる。さっきまでのキリッとしたシャープな表情が溶けるように消えた。
こんなの、恋に落ちるに決まってる。
僕の恋心と世話焼き魂に、火が点いて燃え上がるのはあっという間だった。元々僕は長男で、幼い弟妹の世話をしながら育った。最近は二人とも中学生になった途端に手がかからなくなってしまい、物足りない日々を送っていたせいもある。
無料ドリンクの紙コップが取れなくて、四苦八苦していると手助けをし、高い本棚に手が届かずに背伸びしていれば脚立を持って駆けつけ、くしゃみが聞こえれば貸し出し用のブランケットを持って個室をノックした。
その甲斐あってか、彼女の警戒は徐々に緩んでいった。僕の夜勤明けの時間に合わせて、一緒にモーニングを食べるようになった頃、意外にも隠さずに彼女は自分がエルフであることを明かした。
けれど僕は彼女の耳を見せてもらっても、髪の毛を掻き上げて耳にかける仕草の方が気になった。
朝のカフェで人目を避けながら、僕だけにこっそり見せてくれるなんて……。なんだか秘密めいていて、ちょっとドキドキしちゃうよね。
僕が「本当だ尖ってるんだ。いいね! ラーシャにすごく似合ってる」と言ったら、嬉しそうに笑ってくれた。あ、ラーシャっていうのは、彼女の愛称だ。「カリリカラーシャ」だからラーシャ。かわいいだろ?
うちの弟妹もよく「魔法が使えるようになった!」とか「勇者の剣を拾った!」とか騒いでいたから、頭ごなしに否定しないで話を合わせる癖がついていたんだよなぁ。
だから「異世界から観光しに来た」「植物と話せる」と言われても「そうなんだ! 僕で良かったら色々案内するよ」「へぇ! どんなことを話すの?」と、普通に対応していた。
そんな突拍子もないことを言うラーシャも気に入っていたんだ。
そうして僕は、彼女の歌で植物が成長したり、葉をゆらゆらと揺らすのを見た時に、度肝を抜かれることになる。今更、全然信じていなかったとは言えずに、冷や汗を誤魔化した。
ラーシャにとっては植物はトモダチらしい。ということは、僕らはトモダチを喰らう鬼畜になるのだろうか? 「イブンカ、ソンチョウ、スルヨ!」と言いつつ、花屋の前を俯いて歩く彼女を見るのは、胸が痛んだ。
食文化は仕方ないにしても、飾るために花を切る僕らは、ラーシャの目にどう映っているのだろう。
そんなこんなで、ラーシャの日本滞在期間目一杯を一緒に過ごした。地球の生態系に興味を持っていた彼女のために、水族館や動物園、植物園を案内した。僕の部屋で日本料理をご馳走したり、ラーシャが異世界風の料理を作ってくれたりもした。
彼女と過ごせるなら、葉野菜や根菜が食べられないことくらい、僕が不満に思うはずはない。喜んでマヨネーズとオサラバした。
そうして楽しい二週間があっという間に過ぎ、ラーシャが異世界へと帰る日が来た。たくさんのお土産を抱えて、鏡の前に立つ。異世界へは鏡の道を通って行くらしい。
僕は意を決して告白した。
「ラーシャ、僕は君が好き。大好き。君と恋人同士になりたい」
言葉の壁があるので、ストレートでわかりやすい表現で気持ちを伝えた。
「ワタシモ、スキ。ダイスキ! アナタ、トテモヤサシイシ、オイシソウ。マタ、アイニクル!」
ラーシャはそう言って、僕に熱烈なディープキスをした。舌を甘噛みされた時は、腰が砕けるかと思った。
鏡の道へと入って行くラーシャを、夢心地で見送る。ちゃんと次に会う約束もした。僕らは恋人同士になった……んだよね?
「オイシソウ」って、性的な意味だよね⁉︎
僕の恋人はエルフ。意外なことにお肉は大好物。
「イブンカ、ソンチョウスルヨ!」
いつか聞いたラーシャの言葉を、やけにリアルに思い出す。もう少しエルフの食生活について、詳しく聞いてみるべきだった。
僕は、逃げた方が良いのだろうか?