009.精霊術士、女の子になる
「ほら、マネージャー早くしてよ。ノルが起きちゃう」
「わかってるけどよ。元がいいんだ。ちょっとこだわりが出ちまって……」
「わかりみが深い。でも……」
何だろう。
どうやら、寝ている僕の傍で、チェルとマネージャーさんが何かをしているらしい。
いや、違う。
何かをしているんじゃない。僕がされているのだ。
先ほどから、顔に何かをこすりつけられるような感触がしている。
うん、確実に僕、何かされてるわ。
とりあえず……。
「おっと!?」
むくりと起き上がると、僕の顔に何かをしていたらしいマネージャーさんが飛び上がった。
周囲を見回す。すると、隣には、なんだか少し慌てた様子の、チェルの姿があった。
「あっ、とっ……」
「おはよう」
「お、おはよう……」
「……何してたの?」
「あはは……別に何もしてないわよ」
いや、その反応は明らかに何かしてるでしょう……。
見れば、マネージャーさんも後ろ手に何かを隠している。
……まあ、いい。姿見で見れば、わかることだ。
僕は、ゆっくりと立ち上がると、眠い目をこすりながら、洗面所まで向かう。
大方、顔に落書きでもしていたんだろうけど……。
ふぁ、とあくびをこぼしながら姿見を見る。
「あれ……」
寝ぼけているのだろうか。
僕の視線の先にある姿見、そこには、可憐な少女が立っていた。
大きな瞳に、白い肌。頬はわずかに赤みがかり、唇は形よく、美しいピンク色だ。
まつ毛が長く、まるで作り物かのように艶めく、翡翠色のセミロングヘアーが印象的だ。
でも、なんでこんなところに、女の子が?
あ、もしかして、この事務所には、チェル以外にもアイドルがいたんだろうか。こんなに可愛いし。
僕は、とりあえず、挨拶をしようと右手を軽くあげた。
すると、目の前の可憐な少女が左手を上げた。
…………ん?
今度は左手を上げてみた。
すると、鏡の前の少女は右手を上げた。
頭を右に傾げた。すると、少女は左に傾げた。
左に傾げた。少女は右に傾げた。
…………………………。
「ええぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!」
その時、僕が発した叫び声は、間違いなく、僕の人生において、一番の声量だった。
「ど、どういうことなんですか……!!!」
目の前で正座するチェルとマネージャーさんに向かって、僕は声を荒げる。
当然だろう。
だって、寝ている間に、こんなにがっちがちの女装をさせられていたのだから。
服こそそのままだったが、女の子のようなメイクががっつりされている上、ウィッグまでかぶらされていた。
さらに言えば、ご丁寧に、ウィッグの後頭部には、あの初級ダンジョンで手に入れた歌姫の髪飾りまでつけられている。
あれか。もしかして、あの時、チェルがつぶやいた「似合いそう」という言葉は、チェル自身ではなく、僕に似合いそうという意味だったのか……。
「ノル、かわいいよ、ノル♪」
なんて言いながら、嬉しそうにこちらを眺めるチェルの様子を見ていると、どうにも確信犯である可能性が濃厚だ。
「俺から説明しよう」
と、切り出したのはマネージャーさんだった。
どうやら、このメイクとウィッグは、チェルの指示で、マネージャーさんが施したものらしい。
いたずらというには、少々クオリティが高すぎるこれ。いったいどんな事情があったら、こんなことになるというんだ。
「お嬢はこれから顔出しで冒険者をやっていくことになる」
顔出し。つまり、アイドルであることを隠さず、素顔のままで冒険者もやるということだ。
「そうなった時、その隣に、お前さんみたいな野郎がいるのは、アイドル業の方で大きなマイナスイメージになる」
「マイナスイメージ……」
想像してみよう。
冒険者デビューすると宣言したチェル、そして、紹介されるパーティーメンバーであるところの僕。
うん、ただでさえ、同業者からも視聴者からも評判の悪い僕だ。まず、間違いなく、チェルのファンから殺される。
ブルリと背筋が震えて、思わず僕は肩を抱いた。
そんな僕に、チェルがにっこりと微笑みながら口を開く。
「でも、私の隣にいるのが、かわいい女の子だったら、どう?」
同性同士なら、少なくとも男性と一緒にいるよりは、安全が保障されるということか。
少なくとも、チェルのイメージダウンにつながるということはなくなる。
「ねっ」
「いや、だけど……」
さすがに、女装は無理があるでしょ。
僕も月のない夜にびくびくして歩かなければいけないのは避けたいのは避けたいけども……。
「女装じゃなくてよくない? 仮面をつけるとかさ」
「それじゃ、余計に地味になっちゃうじゃない」
「うっ……」
正論すぎる。
「それに、ほら、見てみろよ」
マネージャーさんが、小さな鏡を僕の前に差し出す。
「お前、かわいいぜ。ぷふっ」
「笑ってるじゃないですか!!」
もう嫌だ。やっぱり無理すぎる。
「でも、女装をするのは、他にもちゃんと理由があるのよ」
「他の理由……?」
これ以上、何があるっていうんだ。
「女装することで、ノルの地味なイメージを払拭できる!」
心を的確に抉る事をストレートに言ったね、この娘。
「私は、ノルの力は誰よりも偉大だと思ってるわ。でも、精霊の見えない人々にとっては、ノルの戦い方は、端的に言って、地味。超地味」
うん、それは痛いほどわかってるから、そこまで言わないで、お願い。
「でも、最後方に控えているのが、根暗でなよなよした男子じゃなくて、守ってあげたくなるようなかわいい女の子だったら、どう?」
確かに……同じ守られているようなポジションでも、男か女で言えれば、女の子の方が、あまり叩かれないかもしれない。
「いや、でもなぁ……」
2つの理由は、どちらもそれなりの正当性はあると思う。
だけど、やはり、いきなり女の子の格好で冒険者をやれと言われても、頭の整理が追い付かない。
何より、女装なんて、すぐにバレる。
そして、バレてしまったら、だまそうとした分、余計にファンたちを怒らせることにもなりかねない。そうなったら、もう、確実に僕の人生はジエンドだ。
「不安に思う気持ちもわかるけど、たぶん大丈夫だよ」
「楽観的すぎるよ。チェルは……」
バレた時の僕の処遇を考えると、怖いなんてもんじゃないんだが……。
「つまるところ、ノルは、自分のかわいさに自信がないのよね?」
「えっ、あっ……まぁ……」
微妙にニュアンスが違う気がするが、まあ、女装の出来に関して不安があるというのは、確かにそうだ。
「わかったわ。じゃあ、こうしましょう!」
パンと手を叩きながら言ったチェルの笑顔に……僕は、背筋がゾクリとするような不安を覚えたのだった。
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