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089.精霊術士、野営をする

 暁の翼(ウィングオブドーン)時代には、何度かあったが、極光の歌姫ディヴァインディーヴァでは、今回が野営をするのは初めてだ。

 初級、中級では、1日で踏破できるダンジョンばかりだったし、上級も、僕達ならば、その日のうちに攻略し終えることができた。

 だけど、特級ダンジョンは、さすがに広い。魔物も強く、足元も悪いとなれば、攻略に数日を要することもままあった。

 そんなわけで、初めての野営と相成ったわけなのだが、正直、暁の翼時代よりも、随分楽だった。

 その理由は明白で、メロキュアさんから譲り受けたマジックボトルのおかげだ。

 ある程度の大きさのものまでを収納できるこの魔道具のおかげで、野営に必要な道具や食料、水などをまったく労力をかけずに運ぶことができた。

 暁の翼時代は、荷物持ちは、主に僕の仕事だったので、野営となると憂鬱だったが、あの頃に比べれば、格段の楽さだ。

 マジックボトルから出した薪にファイヤーボールで火をおこし、マジックボトルから出した簡易式のテントを張れば、そこはもう立派な野営場だった。

 楽過ぎて、逆に拍子抜けしてしまうレベルだ。


「うーん、なんていうか。チェルにもあのしんどさを体験して欲しかったな」

「そうですね。野営って、本当はもっとたいへんですもんね」

「私もソロでダンジョンに潜っていた頃は、1人でたき火をしたものだが……あれは、精神的にもきつかったなぁ」

「あ、私も、養成学校の実習ではしたことあります。焚き火用の枯れ枝を探すのも結構たいへんで……」

「え、ちょっと待って。もしかして、初体験なの、私だけなの……?」


 全員からの視線を受けて、チェルが珍しくほんの少しだけ動揺している。


「わ、私も、何かたいへんな思いをした方がいいのかしら……」

「冗談だって。楽できる分には、楽しよう。明日は、もっと大変そうだし」


 実際、このキャンプを超えると、完全な山岳地帯へと入る。

 アップダウンも激しくなり、魔物の質もグッと上がるだろう。

 無駄な体力は、できるだけ消耗しないに限る。


「それにしても、凄い夜空ですねぇ……」


 コロモが天を見上げながらそうこぼす。

 今夜は新月。空は満天の星空だった。

 街からも、星は見えないことはないが、やはり魔力式街灯の並び立つ明るい街とここでは、星の見え方も全然違う。

 四方八方どこを見渡しても、どこまでも続く星の道を、僕らは、しばらく、黙って眺めていた。


「ねぇ、みんな」


 静寂を斬り裂くように、口を開いたのはチェルだった。


「ありがとう」

「何だよ、チェル。藪から棒に」


 柄でもない感謝の言葉に、こちらの方がなんだかむず痒くなってしまう。


「この星空を見てたら、なんだか、感謝を伝えたい気分になったのよ」

 

 わからないでもない。

 どうにもできないほどの壮観な大自然に出会った時、人は、無性に何かに感謝したくなる。

 なんとなく、そんな気持ちは僕の中にもあるような気がした。


「実際、みんなには感謝してるわ。私が、最後の自由な時間をこれだけ有意義に過ごせているのは、みんなのおかげよ」

「本当にらしくないな」


 セシリアさんの言葉に、自然とみんな笑い出す。


「私も、皆さんに感謝してます。養成学校を出て、どこのパーティーにも入れてもらえなくて、途方にくれていた頃の私からは考えられないほど、今、とても幸せです」

「私もそう。暁の翼にいた頃が、不幸せだったとは言わないけれど、あの頃よりも、もっと充実した気持ちで、日々を過ごせているように思うの」

「ふっ、私もだ。ずっと、ソロでやってきたからな。君達とこうしてわちゃわちゃと冒険ができていることが、正直、心から楽しい」

「なんだか、今日は、みんなやけに素直だね」


 焚火に星空、この環境がそうさせるのだろうか。

 次々とお互いに感謝の気持ちを述べる仲間達の様子に、僕もなんだか胸が熱くなってくる。


「ノルは、どうなのよ」

「僕? 僕だって、もちろん感謝してるよ」

「どれくらい?」

「そうだなぁ……聖塔の高さと同じくらいかな」


 冗談でそう言ってやると、チェルがまた、しれ~とした視線で見てきた。


「あんまり面白くない例えね」

「ええー、辛辣……」


 そんなやり取りを見て、みんなで、また、笑い合う。

 夢のように楽しい時間。

 でも、僕は、こんなときだからこそ、やはりチェルに聞いておきたいことがあった。


「ねぇ、チェル。侯爵様との……」

「ダメ。聞かないで」


 僕が何を言い出すのか、すでにわかっていたのだろう。

 チェルは、耳を塞ぐようにして、首を横に振る。


「お願い、みんな。私の決意を鈍らせないで」

「チェル……」


 何とも言えない気持ち。

 僕達ではどうしようもない結婚という約束事。

 その重みはチェル自身が一番よくわかっている。

 でも、だからこそ……。


「ねえ、チェル、これだけは聞いて。僕達は、最後まで君といる。そして、"最後"を決めるのは、君に委ねる」


 僕の言葉に、仲間達が力強く頷く。


「君がどんな結論を出すにしても、僕達はその瞬間まで、ずっと傍にいるから。それだけは絶対だ」

「みんな……」


 チェルがそっぽを向いた。


「嫌だわ。焚き火の煙が目に染みたのかしら」


 きっと、今なら、チェルのボロボロに泣き崩れた顔が見れるかもしれない。

 興味はあるが、今は、そっとその背を見守っておくことにしよう。

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