087.精霊術士と聖女
「う、うぅ……」
崖下はひどい有様だった。
遥か頭上で起こった大爆発。
その結果、大量の岩石が山肌を転がり落ちていく。
とっさに、崖下へとダイブした僕は、精霊憑依を敢行し、土埃を吹き飛ばしながら、落下途中のエリゼを目測、抱き留めた。
しかし、ギリギリだった。
地面へとぶつかる刹那、なんとか風のクッションで落下の衝撃は抑えられたものの、頭上から降り注ぐ岩まではどうにもならなかった。
精霊憑依が解けた僕は、魔力枯渇の虚脱感を振り払いながらも、その背中でエリゼを守ろうと覆いかぶさった。
岩が僕達の上に落ちなかったのは、不幸中の幸いだったとしか言いようがない。
もしかしたら、エリゼの幸運値が影響したのかもしれない。
なんとか身を起こし、エリゼの様子を確認すると、気を失っているようだったが、目立った外傷は見られなかった。
ホッと、息を吐くと、僕は改めて、上を見上げる。
かなりの高さを落下したようだ。
這い上がるのは当然不可能。大声を出しても、チェル達には届かないだろう。
周囲を見回せば、一応、山の上の方へと続いていそうな道が見えた。
「グラァアアアアアア!!!」
そう遠くないどこかから野獣の唸り声が聞こえてくる。
ここに留まっているのは危険。すぐにそう判断すると、僕は、エリゼを背負って、山道を歩き出した。
「ふぅ……ふぅ……」
昔から見た目より力があるとよく言われる僕だが、さすがに人ひとり背負っての山道は、かなりきつい。
その上、精霊憑依を使った直後で、魔力の欠乏による身体のだるさが全身を襲っていた。
けれど、だからこそ、今、魔物に襲われるわけにはいかない。
切り札である精霊憑依は既に使ってしまっており、アリエルも力が半減している。
仮にエリゼが目覚めたとしても、彼女は回復術師であり、攻撃手段はほとんど持ち合わせていない。
となれば、襲われた瞬間、ジエンドという可能性も十二分にあり得た。
チェル達は、絶対に僕らを探してくれているはず……。
それだけを頼りに、僕は、ただひたすら、山道を登り続けた。
「ノ……ノル……?」
「あ、エリゼ……!」
半刻ほども上り続けた頃だろうか。
僕の背で、エリゼがようやく目を覚ました。
「良かった。安心したよ」
「私……」
「魔物に襲われて崖から落ちたんだ。でも、なんとか助かった」
「ノルが助けてくれたの?」
「まあ、そんなとこ」
「そっか……。ありがとう、ノル」
耳元でお礼を言われると、なんだかくすぐったいな。
「お、降りるよ」
「そ、そう?」
正直、もうそろそろ体力的に限界だったから助かった。
ゆっくりと地面に降りたエリゼは、少しだけ顔を赤らめていた。
おぶられるのは、やっぱり恥ずかしかったのだろうか。
「お、重かったよね。ライブが終わってから気を抜いて、食べ過ぎちゃってて……」
「そんなことないけど」
どうやら、体重の方を気にしていたらしい。
エリゼは、ちょっとその辺りのことを気にしすぎるきらいがある。
確かに、チェルやセシリアさんに比べれば多少肉がついているかもしれないが、十分細いのに。
と、その時、また、それほど遠くない場所から、魔物の唸り声が聞こえた。
下手をするとさっきよりも距離が近づいているかもしれない。
「エリゼ、とりあえず進もう。早くチェル達と合流しないと、今の僕達じゃ、ちょっとまずいかも」
「う、うん。そうだね」
僕はエリゼの手を握ると、山道を少し足早に歩き出す。
「な、なんだか、ノルが、私の前を歩いていると、ちょっと変な感じ……」
「いつもは、僕が最後尾だからね」
暁の翼でも、極光の歌姫でも、彼女は常に僕のすぐ前にいた。
僕からは、ずっと彼女の背中が見えていたが、彼女にしてみれば、僕の背中を見る機会と言うのは、あまり無かったかもしれない。
「可愛い背中……」
「それを言うなって」
もちろん今もフリフリの冒険用衣装を身に纏っている僕だ。
ツインテールを揺らしながら前を行くその姿は、エリゼから見れば、かわいい以外の何物でもないのだろう。
今は、カメラもないし、存分に、男を出して、頑張ってるつもりなんだけどなぁ。
「でも、カッコいいよ」
「ありがと、お世辞でも嬉しいよ」
「……なんだか、2人っきりって、ちょっと久しぶりだね」
「あー、確かに、そうかも……」
極光の歌姫に入ってからは、事務所のみんなはほとんどいつも一緒だったもんなぁ。
暁の翼にいるときは、結構2人で行動することもあったから、なんだか、その頃を思い出す。
「……あのね、私、最近ちょっと、リオンの気持ちがわかるような気がするの」
「リオンの?」
「うん、たぶん、私がノルと仲良くしてるとき、リオンはこんな気持ちだったんじゃないかなって」
「それって、どういう?」
「ちょっとだけ、なんだか寂しいというか。もやもやするというか……」
僕と剣を交えた時のリオン。
あの時のリオンの感情は、端的に言えば、怒りだ。
そして、その怒りの根底にあったのは、大好きなエリゼに裏切られたということ。
もしかしたら、それは、エリゼが僕の元に行ったと考えたリオンの嫉妬だったのかもしれない。
だから、彼は、その感情をエリゼに直接ぶつけてしまったのだと、僕は考えている。
「正直言うとね。私、ちょっとだけ、極光の歌姫のみんなに嫉妬してるんだ」
「エリゼが……?」
「うん。ここでは、ノルはみんなのノルなんだもん。チェルシーやコロモちゃん、セシリアさんと仲良くしているノルを見てるとね。こう、胸の芯の辺りが、少しだけちくりと痛むの。ああ、ノルと一番長く一緒にいたのは、私なのに、って」
エリゼがそんな風に思っていたなんて……。
全然、これっぽっちも考えてもみなかった。
「もちろん、みんなのことが嫌いなわけじゃないよ。むしろ、大好きだし、感謝もしてる。でも、この感情は別なの。ずっと、ノルにとっての一番は私なんだって、勝手に思ってた。暁の翼にいた頃も、私だけがノルの理解者だと思ってた。独占欲っていうのかな。私、本当は、とても独りよがりな女の子なんだ。全然、聖女なんて職業、ふさわしくないような」
何か声をかけたいけれど、適当な言葉が見つからない。
そんな僕に、エリゼは独白するように続ける。
「だからね。今も、こうしてノルが私のために命を張ってくれたことが、本当に嬉しいの。危険な目に遭わせてしまった申し訳なさよりも、嬉しい気持ちの方が上なの。本当に、どうしちゃったんだろうっていうくらい、私、最近おかしいんだよ」
僕の手を握るエリゼの力が少しだけ強くなる。
包み隠さず、本音で話してくれた彼女に、僕も本音で返さなくちゃいけないような気がした。
「僕にとって、エリゼは、特別な人だよ。アリエルを除けば、一緒に過ごした時間が一番長いのは君さ。しんどい時も、楽しい時も、いつも一緒にいた。だから、僕は、エリゼのことを本当に大切な人だと思ってる」
「ノル……。うん、嬉しい……」
「でも、今は、みんなのことがエリゼと同じくらい大切なのも本当の気持ちなんだ。チェルはこんな地味な僕に光をくれた。コロモは僕を師匠と呼んで慕ってくれてる。セシリアさんは冒険者として、本当に尊敬できる先輩だ。そんなみんなのことが、僕にはとても大切なんだ」
自分の気持ちを正直に伝える。それが、今は、必要なのだと、僕には思えた。
「昔から、ノルは正直だよね。ちょっと正直すぎるくらい。こんな時くらい、やっぱり私が一番だって、言ってくれてもいいのに」
「それが半分冗談だってわかるくらいには、僕は、エリゼのことを理解しているつもりなんだけど」
「ふふっ、違いないかも。でも、そんな風にわかってくれてるのも嬉しい。惚れた弱みってやつかもね」
「エリゼ、それって……」
薄々は感じてたけど、やっぱり、エリゼは、幼馴染としてでも、パーティーの仲間としてでもなく、僕を……。
それは、一瞬の隙だった。
彼女は、僕を正面からギュッと抱きしめてきた。
「エ、エリゼ……?」
「少しだけ、こうさせて……」
「う、うん……」
まるで、抱き枕のように抱きしめられる僕。
目の前には、少し赤くなったエリゼの顔。
なんだか、ふにふにと柔らかいものが当たっていて、心地よいような、それとも、居心地が悪いような。
ひとしきりそうしていると、エリゼは、やがて、自分からゆっくりと腕を解いた。
「……おしまい」
「えっと……エリゼ、今のって……」
「魔力、回復してるでしょ」
「えっ……!?」
言われて初めて気づく。
いつの間にか、僕の魔力は全快近くまで戻っていた。
「私のユニークスキルのもう一つの効果だよ」
「そ、そんな効果が……」
「ノルってば、普通の魔法使いの十倍は魔法力があるんだもの。あんまり補充する必要のある機会ってなかったから」
僕の精霊憑依と同じで、彼女にも、暁の翼時代には、披露する機会のなかった力があったということか。
「凄いじゃないか。このスキルがあれば、チェルやコロモの魔法力が切れても、いつでも補充できる」
「あー、ごめんなさい。これって、ノルにしか効果がないの」
「えっ、そうなの……?」
「うん。だって、このスキルの効果対象は、私が──」
その時だった。
「グラァアアアアアア!!!」
先ほど響いてきた、魔物の叫ぶ声が再び聞こえた。
しかも、さっきよりずっと近くだ。
僕らが、上ってきた方向から、こちらに近づいてくる気配を感じる。
もう、逃げる時間はない。
「魔力は回復してる。エリゼ!」
「うん、後衛2人でも、なんとかしてみせよう」
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