008.精霊術士、ボスをワンパンする
最下層フロアに降り立った僕とチェル、そして、マネージャーさん。
そこは、これまでの迷路のようなフロアとは違い。ただただ広いホールのような場所だった。
「あれ……」
その時、僕は妙な気配に気づいた。
「どうしたの。ノル?」
「うん、やっぱりだ。瘴気が濃い」
立ち止まって、周囲の魔力を感じる。
すると、初級ダンジョンとは思えないくらいの瘴気が、ボスフロアに充満しているのがわかる。
「えっと、それはボスフロアだから?」
「いや、このダンジョンのボスはそんなに強くはないはずなんだ。でも」
新しく見つかったより初心者向けのダンジョンの影響で、このダンジョンには長らく人が寄り付かなかった。
つまり、長い間ボスが倒されなかったということで、どうやら、その影響で瘴気が必要以上に充満し、力を増しているようだ。
「ノル?」
僕は、チェルの前へと一歩進み出る。
「普段よりも、ここのボス、ずいぶん強くなってるみたいなんだ。だから」
それだけ言うと、彼女はこくりと頷いた。
「見せて。ノルの、精霊術士の本当の力を」
「うん」
ゆっくりとフロアの中央へと歩を進める。
すると、周囲の瘴気が燐光を放ち、一つの姿を形成していく。
大岩のようにがっしりとした体躯──牛型のモンスター、ミノタウロスだ。
巨大な棍棒を振り上げ、咆哮する牛の化け物。
この迫力は、さっきまでの雑魚モンスター達の比じゃない。
どうやら、通常時のボスの数倍の力を身に着けているようだ。
「お、おい、大丈夫なのか……?」
その迫力に押され、これまで何食わぬ表情でついてきていたマネージャーさんから、そんな言葉が漏れた。
「大丈夫。ノルなら」
うん、チェル。
僕の姿、よく見ていてね。
「ペル・サーイサ・オー」
自分の中を無にして、言葉を紡ぐ。
そう、空っぽだ。
智を捨て、力を捨て、魔力すらも捨て去り、空洞になった僕の中に、アリエルを呼び込む。
無味無臭な僕という存在を精霊であるアリエルという存在が塗り替えていく。
自然と同化する感覚。
自然そのものになった感覚。
そう、今の僕は……。
「ルゥ・チガ」
精霊の力をその身に宿し、僕は駆ける。
アリエルそのものを自分の中に取り込む、僕の唯一の近接戦闘手段。
元パーティーメンバーにすら見せたことのない、僕の切り札。
大きくふりかぶったミノタウロスのこん棒に真正面から拳をぶつける。
「ヴ・オーアヤ」
インパクトの瞬間、身に纏った爆風を解放すると、ミノタウロスの巨体は、おもしろいくらい軽々と吹き飛んだ。
勢いは衰えず、フロアの壁面に身体の形のままにめり込む。
「す、すげぇ……」
「ねっ!! あれが、ノルなのよ!!」
ははっ、やはりこの力を全力で解放する感覚、たまらないな……。
こんな魔物、さっさと止めを刺して、俺を追放したパーティの奴らを皆殺しに……って、はっ!?
ダメだダメだ。久々に精霊憑依を使ったせいで、どうも気持ちが大きくなってるようだ。
あまり長時間、憑依を使いすぎると、そのまま人としての自我すら失ってしまいかねない。
ここは、さっさと倒してしまうとしよう。
「ぐ……ぐがぁあああああっ!!」
めり込んだ土壁から強引に抜け出してきたミノタウロスが地響きを立てながら、僕へと迫る。
耐久力だけはありそうだし、オーバーキルになるかもしれないが、アレを使うとしよう。
「ウィ・ヌルサーオーダ」
右腕に風の魔力を集中させる。
精霊そのものが持つ圧倒的な自然の力を一点に集中した風の剣。
無造作に、僕は、翡翠色に輝くその大剣を振るった。
大気が震えた。
次の瞬間、目の前にいたはずのミノタウロスは、まるで霞のように、魔力の残滓となって、虚空へと消えていた。
静寂がフロアを包む。
「ふぅ……」
すぐさま、僕は、精霊憑依を解く。
大事なものが抜け落ちていくような感覚と同時に、人としての温かみが返ってきたようななんとも言えない感覚。
その奇妙な感覚が抜けきらないうちに、温かい何かが、僕の右腕に抱き着いてきた。
「チェル」
「ノル!! やっぱり凄い!!」
手放しで、喜んでくれるチェル。
と、その瞬間、ボスが消失したその場に、赤い箱が出現した。宝箱だ。
「チェル、開けてみなよ」
「えっ、いいの?」
ボスを倒したのは僕だが、ここまで前衛として攻略を進めてきたのはチェルだ。
宝箱を開ける権利は、十二分にある。
彼女は、確認するように、僕に向かって、頷くと、ゆっくりと宝箱の淵に手をかけた。
ギシィっという音がして、ゆっくりと宝箱の蓋が開いていく。
「これは……」
中から出てきたのは、比較的シンプルなデザインの髪飾りだった。
中央に宝玉のようなアクセサリーがあり、そこから、金のラインの入った青いリボンがついている。
確か、歌姫の髪飾りというアイテムだったか。
初級ダンジョンからドロップする装備品としては、かなりレアで、確か、装備者の防御力を多少アップさせる効果が付与されいるという代物だ。
「結構レアな品だよ。幸先がいいね」
髪飾りを両手に、つぶさに観察していたチェルにそう声をかけると、彼女は嬉しそうににへらと相好を崩した。
「これ、似合うかも」
「ああ、確かに」
チェルの桃色の髪にも映えそうだ。
「いや、驚いたぜ。本当に大した冒険者だったんだな」
空っぽになった宝箱を前に佇む僕らの元に、マネージャーさんがやってきた。
精霊憑依状態の僕の圧倒的な力を目の当たりにしたマネージャーさんは、どうやら、すっかり僕の事を認めてくれたらしい。
バンバンと背中を叩かれながらも、僕は頭を掻く。
「マネージャー。私がノルと一緒に、冒険者になるの。許してくれるよね?」
「まあ、あの力を見せられちゃな」
「ノル。これから一緒に頑張ろうね!」
「う、うん……」
髪飾りを胸に出して、こちらに満面の笑みを向けるチェルに、心臓の高鳴りを感じつつも、僕たちは、事務所へと帰るのであった。
アイドルとの冒険者生活。いったいこれからどうなるのやら。
この時の僕は、アイドルと冒険者をすることのたいへんさを、まだ、まったく理解できていなかったのだった。
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