062.精霊術士、温泉に浸かる
チェルが投げ飛ばされた瞬間、反射的に精霊憑依を使い、全力で僕はそれを追っていた。
氷鬼の最後の力を振り絞った投擲は、並じゃなかった。
勢いの衰えぬまま、渓谷を挟み込む崖を飛び越え、遥か雪原の向こうまでも飛んでいくチェルの身体。
そのまま地面に叩きつけられれば、下手をすると死ぬ可能性すらあり得る。
「くっ、間に合え!!」
精霊と化した力を全力で振り絞り、今まさに、地面に叩きつけられようとしていたチェルの身体をかばうように抱き留める。
なんとか風でブレーキをかけるが、完全に勢いを殺し切る前に、雑な変身で安定していなかった憑依が切れた。
「あっ……!?」
僕はチェルを抱いたまま、地面へと落下する。
抉り取るように、雪原を転がると、やがて僕達は、雪の上に重なるようにして止まった。
「う、うぅ……チェ、チェル……?」
無事を確認するように、チェルの顔を見る。
彼女は気を失っているようだったが、幸いな事に外傷はない。
良かった、とホッと息を吐いたのもつかの間、僕は気づいた。
彼女の身体の異様な冷たさに……。
「ま、まさか……」
あの氷鬼、ただ、チェルを投げ捨てただけではなかった。
残った魔力で、チェルの身体を凍り付かせようとしていたのだ。
下半身を中心に、少しずつではあるが、チェルの白い肌がピキピキと音を立てて凍り付き、その体温が奪われていっている。
血色の良かった顔も、徐々に蒼白となり、唇も紫に変色してきていた。
「は、早くなんとかしないと……!!」
コロモのファイヤーボールで火を焚いて、身体を温めなければ。
そう思って、再び精霊憑依を使おうとするが、さっき変身したばかりなこともあってか、魔力がほとんど空っぽになっている上に、アリエルも力を消耗してしまっていた。
歩いてみんなのところに戻ろうにも、元いた渓谷は遥か崖の下だ。
そんなところまで移動しているうちに、チェルの体温は益々奪われてしまう。
「なんとか……なんとかしないと……」
焦る気持ちを落ち着かせるように、アリエルの風の瞳で周囲を見回す。
すると……。
「こ、これは……!」
雪山の一角に、わずかではあるが、湯気が立ち上っているのを発見した僕は、チェルを背負うと、すがる思いで、そちらへと歩を進めた。
歩きにくい雪原を、人を背負ったままで、なんとか進み続けると、やがて、山間の岩場のような場所にたどり着く。
「あ、あった……!!」
岩場の陰に隠れるようにしてあったのは、天然の温泉だった。
元々この島の中央に聳え立つ山は、火山。もしかしたらと思っていたが、こんなに近くにあって助かった。やはりチェルは持ってる。
ほんの小さな温泉だが、人ひとりくらい浸かるには問題なさそうだ。
僕は手を突っ込んで、温度を調べる……うん、浸かるには少し熱いが、雪で埋めればなんとか。
湯船に向かって、近くの雪をかき集めて入れると、人が入るのにちょうど良さそうな温度になった。
よし、これならチェルを入れて大丈夫だ。
「あとは……」
さすがに、装備をつけたまま湯船に浸からせるわけにもいかない。
今は緊急事態だ。躊躇してる場合じゃない。
「チェル、あとで、いっぱい謝るから……」
僕は、チェルの鎧を外すと、身に纏っているものを全てを丁寧に脱がした。
雪上にあっても、なお白く感じるチェルの肌。
見惚れるほどのものではあったが、今は、血の気の引きつつあるその様子があまりにも心配だ。
極力見ないように、腕の感触を意識しないように、僕は、チェルを温泉へと浸からせた。
すると、徐々にではあるが、肌にまとわりついていた魔力の氷が溶け落ち、唇にも生気が戻ってきた。
「良かった……」
これでなんとかなりそうだ。
「う……さぶっ!!」
チェルの安全が確保できたことで、ようやく自分の状態を顧みる僕。
いつの間に脱げたのか、もふもふのフードはかぶっておらず、頭には雪が降り積もっていた。
その上、氷の魔力に侵食されつつあるチェルを背負っていたためか、体温も驚くほど下がっている。
これは、僕自身も何か暖を取る手段を考えないとまずいかもしれない。
「ん……ノル……?」
その時だった。ゆっくりとチェルが目を開いた。
「チェル!! 良かった……!!」
喜ぶ僕の姿をボーっと眺めていたチェルが周囲を眺め、そして、自身のつかる湯船を眺める。
「あー、なるほど、そういうことかぁ……」
さすがに、頭の回転の速いチェルは、自身の置かれた状況に思い至ったらしい。
「私、これから、野獣のようになったノルに、奪われちゃうのね」
「いや、奪わないから!! わかってて言ってるでしょ!!」
冗談を言う余裕さえ見せるチェルに、胸を撫で下ろす。
「私、ドジ踏んじゃったのね」
「仕方ないさ。あいつがあそこまでしぶといのは、僕達も予想外だった。ドジというなら、それはチェルだけじゃなくて、みんなのドジさ」
「優しいなぁ。もっと罵ってくれないと、また、同じことをやらかすかもしれないわよ」
「君は、ちゃんと失敗を自分で反省できる人だって、僕は知ってるから」
「…………買いかぶりすぎよ」
そう言いつつ、弱々しく笑う彼女。
「くちゅん!!」
鼻にちょうど雪の塊が舞い落ち、思わず、くしゃみが出た。
唐突にブルリと来て、思わず肩を抱く。
すると、そんな僕の腕をチェルが掴んだ。
「チェル?」
「ノルも入りなさい」
「いや、でも……」
「私を助けようとしてそうなったんでしょ。このままじゃ、あなたの方が、凍え死んじゃう」
「だったら、僕は他の温泉を探してみるよ。きっと、近くに他にも……」
グッと、僕を掴む腕に力が入る。
有無を言わさぬ、無言の圧力。
「…………わかったよ」
「うん」
妙にかわいらしい返事に、少し戸惑いつつも、僕は岩陰に入ると、服を脱いだ。
まだ、攻略の途中なので、服は脱ぐが、ウィッグやメイクはそのままだ。
さすがにチェルの前で全裸をさらすのは憚られて、腰には、アイテムポーチに入っていた布を巻いた。
そうして、できるだけ距離を取って、チェルと同じ湯船に入る。
「あっ……」
温かさが、身体へとじんわりと伝わって、ぽかぽかと力が湧いてくる。
それに、この温泉、もしかしたら、土地の魔力が染み出しているのかもしれない。
少しずつではあるが、精霊憑依で枯渇しかけていた僕の魔力が回復していくのを感じる。
これなら、しばらく浸かれば、十分に戦線復帰できそうだ。
「チェル、身体はもう大丈夫そう?」
「うん、まだ、脚があんまり動かないけど、ちょっとずつほぐれてきてる」
「そっか、僕の方も、魔力が回復するまで、少しだけ時間が要りそうだ。小休止だね」
「なんだか、嘘みたいだわ。あれだけ焦って、攻略勝負をしていたのに……」
「気が抜けた?」
「そういうわけじゃないけど……。不思議と、そこまで焦った気持ちじゃないの」
別に勝負を捨てたわけじゃないんだろう。
でも、回復しなければならないときは、焦らず回復に努める。それも、冒険者としての冷静な判断だ。
チェルには、どうやらそれが自然にできているようだ。
なんとなく、言葉を続けるのがはばかられて、僕は雪景色をぼんやりと眺めた。
周囲はアリエルに警戒してもらっているので、魔物の襲撃の心配は今のところない。
思いがけず訪れたまったりとした時間。
努めて何も考えないようにしようとはするものの、やはり近くにいるチェルを意識してしまう。
今も、ほんの少し手を伸ばせば、触れられる位置に、彼女の身体がある。
さっき、温泉に浸からせた時の一糸まとわぬ姿が、鮮明に脳裏に浮かぶ。
ダメだ。僕、早く忘れろ。そんなつもりはなかったとはいえ、頭に浮かんでしまえば、もう申し訳が立たない。
ぶんぶんと頭を振って、脳内イメージを散らしていると、ふと、何かが僕の左手に触れた。
「チェル……?」
「ノル……手、まだ、少し冷たいね」
そう触れたのはチェルの手だ。
だいぶ温かくなったその手のぬくもりが、波紋のように僕の左手に伝わる。
その滑らかな肌の感触を、極力意識しないようにと、僕は口を開いた。
「そ、そうかな? だいぶぬくもったと思うけど……」
「少し、こうしててもいい……?」
「う、うん……」
それきり、また、無言の時が過ぎた。
妙にしおらしい雰囲気のチェルに、なんだか少しドギマギしてしまう。
凄くむず痒い感覚。そんなにまだ浸かっていないのに、なんだか、逆上せたかのように頭が熱い。
どうにも耐えきれなくなって、何か会話の糸口がないかと思った僕は、なんとか話題を見つけた。
「あ、あのさ。この前、マネージャーさんに、チェルの子どもの頃の話を聞いたよ」
「ああ、そういえば、2人で飲みに行ってたわね。私とは行ってくれないのに」
「い、いや、だって。チェルと2人で行って、もし、誰かに見つかったら凄い騒ぎになっちゃうし……」
アイドルが男と飲んでる場面なんか見つかってしまったら、まさにスキャンダルってやつだ。僕の命が散ってしまいかねない。
「ま、仕方ないわよね。で、マネージャーのことだから、私と出会った時の話でもしたんじゃないの?」
「ご名答。凄く感謝してるって、言ってたよ」
「ふふっ、今度、私も感謝してるって伝えておくわ」
なんだか上機嫌になってきたチェル。どうやら、体力の方もかなり回復してきたらしい。
「どうせなら、もう少しだけ、私の昔話、聞いてもらってもいい?」
「うん、是非、聞きたいかも」
「ありがとう。じゃあ、これは、ある少女が、アイドル冒険者になろうと思ったきっかけのお話よ」
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