055.精霊術士とマネージャー
チェルの冒険者引退をかけた攻略勝負。
それを目前に控えたある日、僕はノルの格好で、マネージャーさんに呼び出されていた。
「あっ、マネージャーさん」
「おう、ノル。付き合ってもらってすまんな」
噴水広場で合流し、繁華街を並んで歩くマネージャーさんと僕は、やがて一軒の飲み屋へとたどり着く。
マネージャーさんの行きつけらしく、慣れた様子で、店内の奥のカウンターへと腰を下ろすと、僕もその隣の席へと座った。
「マスター、ボトル開けてくれ。お前はどうする?」
「あ、えーと……果実酒のソーダ割りで」
「かぁ、相変わらずだな。だが、まあいい」
すぐに飲み物がやってくると、あとは、マネージャーさんが適当につまみ類を頼む。
「この店のたこわさは絶品なんだよ。お前も食ってみろ」
「あ、はい」
勧められるままに口に運ぶ。
もぐもぐ……うん、ちょっと僕の口には合わないかも。
黙々と咀嚼して、なんとか飲み込もうとしているうちに、マネージャーさんは早くも1杯目を飲み干すと、かぁー、と熱い息を吐いた。
「ふぅ、五臓六腑に染み渡るぜ」
「マネージャーさん、本当お酒好きですね」
「まあ、唯一の趣味みたいなもんだからよぉ。とはいえ、お前に押し付けたりはしねぇから安心しろ。セシリアの奴も入ったしな」
あー、そういえば、セシリアさんも結構いける口だったな。
良い飲み友達が見つかったらようでなによりだ。
でも、それなら、なんで、今日は僕を誘ったんだろう。
疑問に思っているのに気づいたのか、マネージャーさんは、舌を湿らすように2杯目を煽ると、ゆっくりと口を開いた。
「……ノルよ。おめぇには感謝してんだ」
「えっ……?」
どうしたんだろう。急に。
「今、お嬢があんなに楽しそうにしてんのはよ。おめぇのおかげだ」
「そんな、僕の方こそ、チェルが誘ってくれたら、今があるって感じで……」
「お互いそう思ってんのが、なお良いんだよ。お嬢はお前と一緒にいるようになってから、笑顔が増えた。少し前までは、どちらかというと必死な表情ばかりしていたからな」
「チェルが……ですか?」
チェルはいつも真剣だが、どちらかというと必死というよりは、なんでも楽し気に、飄々とこなしてしまうイメージがある。
「ああ。生き急いでるっていうかな。実際、限られた時間の中で、何かを為そうと、必死に踏ん張ってたんだと、俺は思う」
「そっか……」
今のチェルからは、あまり想像できないが、考えてみれば、アイドルとして頂点に立つのも、簡単ではなかったはずだ。
必死に、歌やダンスを練習して、人気が出るためには何が必要かを考えて、マネージャーさんとたった2人で頑張ってきたんだろう。
ちょっと想像すれば、すぐにわかることなのに、僕は、そんなことにすら思い至っていなかった。
「だがよ。今は違う。一生懸命なのは変わらずだが、ずっと力が抜けて、本当に楽しそうにやってる。実際、楽しいんだろうぜ。お前らと冒険するのはよ。俺もお嬢とは長い付き合いだが、こんなに楽しそうにしているお嬢が見られるようになったのは、最近になってからだ。その上、お嬢が貴族だってわかっても、接し方も変わらずいてくれてるしな」
「あ、えーと、なんというか、今さら変えるのもおかしいかと思って……」
急に、チェルシアナお嬢様って呼び出したり、敬語で話されたりした方が、嫌がりそうだし。
「それでいい。お嬢に本当に必要なのは、お前らみたいな、対等に接することのできる"仲間"だからな」
「マネージャーさんは……元々は、チェルの従者だったんですか?」
「ああ、コーラル家の使用人だった。もっとも、その前は、ただの物取りだったがな」
懐かしむように、マネージャーさんは目を細める。
「10年ほど前だ。金目の物を取りに入った屋敷がたまたまコーラル家だった。まあ、お貴族様のお屋敷だからな。さぞ、高価なもんがあるかと思ったんだが……まあ、びっくりするほど何もなかったな。それでも、唯一、見つけた価値のあるもんっつうのが……ちょうど亡くなったばかりのお嬢の母様のネックレスだった」
「あっ……」
「形見の品だったんだろうなぁ。そうとは知らない俺は、たまたま廊下でお嬢と鉢合わせして、ネックレスを持ったまま逃げた。でもよ、お嬢は当時からアクティブでよ。俺を全力で追いかけてきやがったんだ。ガキ相手に焦った俺は、ドジ踏んじまって……屋敷の2階から落ちちまった。足を折っちまってよ。痛みに蹲るバカな盗人を見たお嬢はよ。それでも、こう言ったんだよ」
『おじさん。大丈夫?』
「……って」
「ははっ」
なんとなく、イメージができてしまうな。
「当時、まだ、お嬢は幼かったが、利口だった。母親の形見が盗まれたとわかってなかったわけじゃねぇ。それでも、お嬢は、俺の手当てをして、屋敷で治療してくれたんだ。いや、お嬢だけじゃねぇ。コーラル男爵様も超がつくほどのお人好しでよ。俺の身の上話を聞いたら、わんわん泣き出してよ。そんで、俺を使用人として屋敷に置いてくれたんだ。自分の妻の形見を盗もうとした怪しい盗人をだぜ。最初は、こいつらイカれてんじゃねぇかと、本気で思ってた」
手酌でちびちびと酒を進めながら、マネージャーさんは話し続ける。
「でもよ。屋敷でそんなお嬢や旦那様と過ごしているうちに、すっかりそれが当たり前になっちまった。生まれて初めて、穏やかな気分ってやつを味わったんだ。俺は心から感謝してる。お嬢にも、旦那様にもな」
「だから、マネージャーさんはチェルのことが大好きなんですね」
「ああ。俺にとっちゃ、お嬢はモノホンの女神様よりも女神様してんだよ。目に入れたって痛くねぇ。だから、お嬢のしたいことは、できる限り叶えてやりたくて、この自由都市まで来たんだ。まあ、アイドルなんてものをやりたいって言った時は、さすがに面食らっちまったが、それでも、お嬢がやりたいことならって、ここまでやってきた。正直、俺自身、今の生活が楽しくて仕方ねぇんだ。お嬢の笑顔を見れるのはもちろんだが、お前さん達の世話を焼くのも、悪くねぇ気分だしな」
「マネージャーさん……」
「おっと、酒が入ってるから言えることだからな」
少し恥ずかし気に、サングラスのズレを直したマネージャーさんは、再び真剣な顔になった。
「今だって、お嬢はよ。好きなことやってるようでいて、いろんなものを背負ってるんだ。アイドルや冒険者として稼いだ金のほとんどは、領地の運営費として、実家に送ってるし、侯爵様からだって、毎月のように手紙が来てる。気が滅入るだろうによ。それにだって、きちんと返事を書いてるのさ。不興を買えば、自分はともかく、男爵家がどうなるか、わかったもんじゃねぇからな」
だから、とマネージャーさんは続ける。
「本当は、侯爵様に、お嬢を渡したくなんてねぇ。でも、俺はあくまで使用人だ。主の判断に口を挟める立場でもねぇ。お嬢は、俺なんかよりも何倍も賢い。だから、お嬢の判断は、最善に間違いはねぇ。侯爵様と結婚すれば、男爵家は安泰だ。旦那様やお嬢の弟達も、必要のねぇ苦労をしなくて済む。理屈では、わかってる……わかってるけど、わかるよなぁ、ノル」
「わかります……」
痛いほどに。
僕だって、マネージャーさんと気持ちは同じだ。
チェルを好きでもない人と結婚させるなんて、絶対に嫌だ。
でも、僕ら外野の人間が、軽々しく口を挟める問題じゃないのもわかる。
「最後に判断するのはお嬢だ。俺には、とても嫁ぐなとは言えねぇ。だから、せめても頼みがある」
マネージャーさんが、サングラスを外した。
出会ってから、ずっとかけっぱなしだったサングラス。
初めて見た素顔は、想像していたよりも、ずっと優し気な顔だった。
「今度の勝負、絶対に勝ってくれ。少しでも長く、お嬢が笑顔でいられるように、あいつに……あの黒づくめ野郎に、一泡吹かせてやってくれ」
周りの目も気にせず、膝に手をついて、深々と頭を下げるマネージャーさん。
頭を上げて下さいとは、言わなかった。
僕が、言えるのは、ただ一言。
「約束します。必ず、チェルに勝利をもたらすことを」
気持ちは一つ。マネージャーさんも、仲間達も。
僕らの目標はあくまで、チェルと一緒に聖塔を攻略することだ。
こんな些細な事で、立ち止まってなんかはいられない。
「マネージャーさん、僕にも、それいただけますか?」
キープしているらしいボトルを指差すと、マネージャーさんは、ニヤリと笑った。
「景気づけにゃ、ちょいときついぞ」
いつもとは違う、男2人の"かわいい"の欠片もない夜は、こうして更けていったのだった。
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