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039.精霊術士、戻って来てと懇願される

「じゃあ、行ってくるね」

「うん、僕はここで、待ってるから」


 街の中央にある噴水広場の前で、僕は、エリゼと分かれた。

 ここから、ベースまでは一本道だ。

 いつもの聖女然とした純白の服に身を包んだエリゼの背中を見送りつつ、僕は、空を見上げた。

 すでに、時刻は夜、空にはぽっかりと満月が浮かんでいる。

 魔力灯の暖色系の灯りが、なんだか、ほんわりと少し幻想的な雰囲気だ。


「なんだか、色々あったなぁ」


 思い返せばこの一か月ほどの間に、本当にいろいろなことがあった。

 暁の翼をクビになったと思ったら、チェルに拾われて、なぜか、女装で冒険者をやることになって。

 その上、アイドル業まで一緒にやることになるなんて、夢にも思わなかった。

 でも、冒険者を始めたばかりの頃に、勝るとも劣らないほどの充実感のある一か月間だった。


「これからも色々あるんだろうなぁ」


 エリゼとセシリアさんの加入した極光の歌姫ディヴァインディーヴァは、確実に強くなる。それも、飛躍的に、だ。

 もしかしたら、本当に、チェルの目標である1年以内の聖塔攻略すら、実現してしまいかねないほどに。

 全てが上手くいきすぎて、なんだか怖いくらいだ。

 だが、やることは決まっている。

 何があっても、とにかく全力を尽くす。

 エリゼの帰りを待ちながら、僕はそんなことを考えていた。すると……。


「ああ!! ノル!!」

「えっ……?」


 唐突に呼びかけられた声、それは、聞き馴染んだ、元パーティーメンバーのものだった。


「ヴェスパ、それに、メグ……」

「お前、ずっと、どこに行ってやがったんだ!!」


 ヴェスパとメグはにじり寄るようにして、僕のすぐ目の前までやってくる。


「お前がいなくなってから、暁の翼(ウィングオブドーン)は大変なことになったんだぞ!!」


 あまりに自分勝手な物言いに、僕は思わずムッとした。


「知らないよ。君達が、僕を追い出したんだろ。セシリアさんの代わりにさ」

「うっ、それは……!!」

「ねえ、もう、お兄ちゃん!! そんなこと言ってられる段階じゃないでしょ!!」


 メグが腕を引っ張るようにして、ヴェスパを落ち着かせる。

 すると、彼は、未だに恨みがましい視線を向けながらも、語り出した。


「聖女様が……お前がいなけりゃ、パーティーを抜けそうなんだよ」

「あっ……」


 そういうことか。

 どうやら、彼らも、さっきのライブの映像を見ていたらしい。

 エリゼの極光の歌姫への加入を知って、彼女を引き戻すために、僕を探していたというところだろう。

 まったく、本当に今更が過ぎる。

 

「悪いけど、僕は、暁の翼には戻らない。もう僕には、新しい居場所があるんだ」

「お、お前みたいな、役立たずを拾ってくれるパーティーがあったってのかよ! どうせ荷物持ちじゃねぇのか?」

「だから、お兄ちゃん!!」


 再び、メグにたしなめられるヴェスパ。

 彼女は、悲痛な表情をしつつ、兄に代わって訴えかける。


「ノル、私達が、悪かったからさ。戻って来てよ。このままじゃ、リオン様がおかしくなっちゃう……」

「リオンが?」

「セシリアが出て行った時も、凄くイライラしてたけど、エリゼが他のパーティーに行くとわかったら、今度はもう手が付けられないくらい暴れまわって……」

「何だって……」

「もし、今、エリゼと会っちゃったら、きっと……って、あっ、ノル!!」


 メグの言葉を最後まで聞くまでもなく、僕はベースへの一本道を全力で走り出していた。




 ベースの扉を開けると、そこは真っ暗だった。

 みんな出かけているのだろうか。

 とりあえず、魔力灯をつけようと思ったが、いつも置いていた場所にそれがない。

 手探りで、探しているうちに、徐々に目が暗闇に慣れてきた。

 そして、その惨状に気づく。

 いつも、攻略に向けてのミーティングなどをしていたリビング、そこは今、ぐちゃぐちゃに物が散乱した状態になっていた。

 飲み食いしたゴミなども落ちているが、それだけじゃない。

 家具や食器類は壊れ、映像水晶も粉々に砕けている。

 明らかに尋常な状態ではなかった。


「いったい、何が……」


 ここは、街中だし、魔物の襲撃なんて、ありえない。

 空き巣? いや、さすがに、いくら空き巣でも、入った家をこんな状態にはしていかないだろう。

 だとしたら……。

 そこまで考えた時、背後に人の気配を感じ、私は振り返った。


「リオン……?」


 外から入った月明り、それに映えるように赤い髪が艶めいている。

 ダラリと頭をもたげた彼は、ただただゆらりと、私の前に立っていた。


「リオン、ベースに何かあったの? こんなに滅茶苦茶になって……」


 尋ねたものの、リオンはまるで私の声など聞いていないかのように、一歩前に踏み出した。

 そして、どこかけだるげな動作で私の肩を抱く。


「リ、リオン……?」

「エリゼ……どうしてだ……」


 耳もとでささやいたその声は、まるで、呪詛のように響いた。


「どうして、俺を裏切った……」


 彼も、あの放送を見ていたのだろう。

 どうやら、私が暁の翼を脱退することを彼はもう知っている。


「ごめんなさい、リオン。でも、私……」


 そこまで言った時だった。

 頭をもたげたままのリオンが、まさぐるように、私の下腹部へと手を這わした。

 そうして、そのまま、服の中へと……。


「止めて……!!」


 反射的に身を捩り、抱き着く彼から抜け出すように距離を取ると、私は、散乱した家具に足を取られ、床へと倒れた。


「痛っ……」


 落ちていた食器の破片で指を切る。

 ぽつぽつと滴る血の雫を眺め、目の前のリオンが恍惚とした表情を浮かべている。

 その瞳は、異様なほどに血走っていた。


「あははっ、そうだ。俺から離れると、お前はそうやって傷つくんだ」

「ど、どうしたの、リオン! なんで……」

「なんで? なんでだって……?」


 再び、彼の手が、今度は私の首を掴む。


「う、うぅ……」

「裏切ったからに決まってるだろう!! 俺がどんなにお前を必要としていたか!! どれだけお前を愛していたか!! お前はわかっちゃいない!!」

「リ……オン……」


 明らかに、普通じゃないリオンの様子に、恐怖を感じ、どんどん血の気が引いていく。


「俺の物にならないお前なんて……!!!」


 首を絞める力が増す。

 呼吸が苦しい。

 身体の感覚が、どんどんなくなっていく。

 このままじゃ、私……。

 リオンが何か叫んでいるが、もう、聞き取ることもできない。

 朦朧としてきた意識。

 走馬灯のように過ぎる記憶の中で浮かぶのは、やっぱり、ノルの顔だった。

 ああ、せっかく、また、彼と冒険ができると思ったのに……。

 ダンスの練習、頑張ったんだけどな……。

 でも、もう……。


「エリゼ!!!」


 声が……聞こえた。

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