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16・鬼憑きの藤
数年前まで、唐棣の屋敷はこの郷で一番の名家だった。
唐棣家には美しいと評判の一人娘がいたが、その美しさゆえに藤のあやかしに攫われてしまったのだという。
今は空き家となってしまった屋敷の庭には、その鬼が棲んでいたと言われる一本の藤の木がある。
既に枯れ木と化したこの藤が花を咲かせることは二度とない。
それでも今なお、この枯れた木は「鬼憑きの藤」と呼ばれ、人々から恐れられていた。
月のない夜。
時折、聞こえるのだそうだ。
誰もいないはずの屋敷の庭で、楽しそうに囁き合う男女の声が。
不思議に思って顔を向けると、枯れたはずの藤が見事な花を咲かせているという。
はらり、はらりと揺蕩う、薄紫の波の中。
藤の簪を挿した美しい娘と、娘に寄り添う緋色の目をした白髪の鬼。
鬼に攫われたとも、自ら望んで攫われたとも言われているが、真偽のほどは誰にも分からない。
『薄紅』
『紫苑様』
愛を囁き、夜に咲く、妖しくも美しい薄紫の藤の花。
さわさわと、風もないのに揺れている。