アフターストーリー
幾渡は目を覚ました。穏やかな風が窓から吹き込み、いつから置かれているのか分からない色鮮やかな造花が揺れ、洗濯したばかりのような純白のカーテンがなびいている。
漂う独特の消毒液の匂い。またか、と幾渡はため息を小さくついた。身体を起こそうと左手を動かしたとき微かに痛みを感じた。ベッドの横に目をやると袋に入った液体が下に繋がっている管に等間隔に落ちていく。管は左腕につながっており針が皮膚に刺さっていた。
ーー点滴なんて何時以来かなーー
身体の力を抜いて再び枕に頭を沈み込ませ、目を瞑った。幾渡は駐車場での出来事を思い出そうとしたが、断片的な記憶しか思い出せないでいた。思い浮かんだのは強大な力を持ったグリーガーと桜色のアーマー、そして宮野ヒナ。
ーーよく覚えていないな。みんな無事だったんだろうか……あれから何時間くらい経っているのだろう……僕は、ヒナちゃんを救えたのかなーー
目を開きグッと体に力を入れ、上半身を起こした。ベッドの下に用意されていたスリッパを履いてキャスター付き点滴棒をカラカラ転がしてドアに近づく。ドアに近づくと廊下が騒々しいことに気が付いた幾渡は静かに引き戸になっているドアを少し開けた。
この前運ばれた病院とは違い、慌ただしい雰囲気の院内。せわしなく往来する看護婦たちの表情は険しく、患者の家族だろうか大勢の人が沈んだ表情で廊下に立っている。中には泣いている人、看護士を呼び止めている人。見舞いに来た人ですら健康な人ばかりではないようだ、松葉杖をついている人や頭に包帯を巻いている人もいる。
点滴を引きながら廊下を歩いて行くと天井から吊り下げられているテレビが目に入った。
戦場となった場所のライブ中継が行われているようだったが、画面に映し出されている映像は日本とは思えない有様だった。
崩壊したビルやショッピングモールが映し出された後に住宅地や公園まで映し出された。
「冗談だろ。これ、ほんとに日本?」
幾渡は眩暈を覚えて近くのソファに座り込んだ。周囲にいる人の声に敏感に反応してしまう。
「どうなっているんだ!もう4時間も待たされているんだぞ!」
「娘は、娘は無事なんですか!」
「おうちかえりたいよーーーー」
--最悪だ……。また僕は救えなかったーー
顔を上げると報道は変わっていた。現地レポートを行っていた辛辣な顔のアナウンサーから笑顔が可愛いと人気のアナウンサーに変わり天気予報が流れている。
--よく、まぁこんな状況でそんな笑顔ができるなーー
幾渡は気がふさいだ表情のままテレビを見ていると幾渡の隣に三十路後半くらいの美しい女性が腰かけてきた。女性はとても高貴な、しかし、高飛車さは一切感じられない雰囲気で優雅に腰を落ち着かせている。
「彼女たちも大変ね、無理に笑顔を作らなければいけないなんて」
女性から静かに発せられた言葉を聞いて幾渡は恥ずかしくなった。幾渡は自分の勝手な思い込みが一人の押し殺した痛みを知る機会を失ったことに落胆した。
ヒーローを目指していたのは過去のことだが、誰かを救いたい性分は変わらない幾渡にとって、人の痛みが分からない人間は許せなかった。その矛先は自分自身に向いた瞬間だった。
幾渡は女性を見た。温和な目をした彼女は幾渡に小さく微笑みかけると正面を見つめなおし、そして真っすぐ何かを見つめながら口を開いた。
「新東京に生まれ変わって数年、何が変わったのかしらね。新しい街、新しい価値観、新しい政治態勢。旧東京の機能の半分を麻痺させた大事故のおかげでこの街そのものが一新された。でも、人々の価値観は一新されたかしら。大事故の後は"古き良き日本、助け合いの精神は壊れていない"なんて、まるで都民が一致団結してたみたいにニュースで流れてたわ。でも実際は世界各国の支援と一部の人の自己犠牲のおかげで今があると私は思うの。もし、本当にここに住んでいる人の意識が変わっていたらこんな大事故は起きなかったはずよ。結局欲望に塗れた生活を送った人間はその生活から抜け出せないの。この新東京で暮らしている人のほとんどは旧東京の頃の生活より厳しい生活を余儀なくされてきたわ。そして、このタイミングで爆発したの。何も学んでいなかったのよ人は…」
「あ、あの」
幾渡が話しかけようと女性の方を見て驚いた。目つきが腰かけた時とは別人のように鋭くなっていた。何かを睨みつけているようだった。女性はふっと我に返ったかのように穏やかな目つきになり、スッと腰を上げた。
背筋の伸びた立っている姿勢は上品さを醸し出し、幾渡を含め周りにいる者たちとは生きている世界が違っているかのようだった。
「如月幾渡くん。私はあなたに期待しています。あなたが世界を変えると信じています。今より大勢の人を救える力が欲しくなったらいつでも連絡してください」
女性はそう言うと足早に去っていった。幾渡は女性の姿が見えなくなるまで彼女の背中を目で追っていた。奇妙に思った幾渡は足早に病室に戻ろうと立ち上がろうとすると女性の座っていたソファに小さな紙が置いてあるのを見つけた。小さな紙には電話番号らしき数字と彼女の名前 平塚 静香と書かれていた。
彼女が現れてからだろうか、喧騒を忘れたかのようにホール全体が静かになっていた。
その中で幾渡は不穏な視線を感じ、周りを見渡すと奇異な目でこちらを見ている人が少なくとも2.3人。彼らは幾渡が振り返ると目が合わないように視線を落としたり移したり。
幾渡は視線を顔ごと下に落として、クリーム色をした床を見つめた。
ばつが悪いようで、視線を落としたまま席を立とうとしたところ、甘い匂いが鼻に入ってきた。顔を上げると一人の少女が目の前に立ち塞がっていた。金髪のツインテール、青い瞳、白い肌と細く長い四肢。彼女は流暢な日本語を話した。
「やっと見つけた。ついてきて下さい。」
喋り方に気品が感じられたが、睨むような目付きだったため乱暴に聞こえる。
幾渡は手を強引に引っ張られ病室へ連れていかれる。とっさに点滴棒を掴んだ。
見慣れない学生服姿の少女の素性を怪しんだ幾渡は手を振りほどこうとしたが病み上がりだったためか力が出なかった。それに、ぶっきらぼうな態度をとられたと言っても手を繋いでいる相手は美少女。幾渡もそこ まで悪い気はしなかった。
金髪の彼女は灰色を基調としたブレザーに黄色のチェック柄のスカート。幾渡の住んでいる付近の学校ではないようだ。
制服のところどころに装飾が施されている。一般的な公立高校の制服ではなさそうで、繊細な装飾と上質な生地から察するにいわゆるお金持ちが通う私立校の制服に見える。
幾渡は病室に連れ込まれた。病室に入るなり幾渡の手は払われた。
「ちょ、なんだよいきなり、誰なんだよ」
美少女は部屋を見渡し、幾渡の方を振り向きもせず答えた。
「私はニーナ。ニーナ・グリーン…………」
美少女は幾渡の頭から爪先までを一瞥すると片方の眉毛がくいっと上げた。美少女はすぐ振り返り部屋の隅に置いてあった来客者用の椅子を窓際に動かしながら口を開いた。
「無理矢理引っ張ったのは悪かったわ。でも、あなたが悪いのよ勝手に出歩いてるから。探しちゃったわ」
彼女は椅子に座ると上着のポケットから文庫本を取り出し開く、開いたページに挟んであった栞を大切そうにポケットに入れた。
「あなたを訪ねて、人が来るの。ここでおとなしくしててもらえるかしら」
「人?」
幾渡の頭にさっきの貴婦人のような女性が過った。
「いったい誰が」
幾渡は口を開いたがすぐに閉じた。
本を読んでいる彼女がまるで「話しかけないで」と言っているかのように窓の方に体を向けていた。