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漆黒の君


 幾渡の目の前に異様な形をした漆黒の翼が広がる。

 肩から生えた奇々怪々たる翼は、破れた布が集まり捻れ幹のように伸び、さらに枝が生えるように分岐していた。

 

 「敵を倒さないと。私が守らないト」


 ヒナは片手でこめかみを押さえながら自分の肩に生えた翼に目を移した。

 ヒナは自らの身体の変化に驚き戸惑う様子を見せると「いや、いやぁあ」と声を上げ落ち着きを失くしていた。

 幾渡はヒナに必死になって声をかけ落ち着かせようとするものの声は届いていない様子である。


 「落ち着いて、呑まれちゃダメだ。敵はいない君が倒した、だから落ち着いて僕の目を見て」


 幾渡はヒナの肩を掴んで目を覗き込んだ。しかし、ヒナの目は朦朧としており幾渡に焦点があっていない。


ーーくそっ、鎮静剤が効いていない。ーー


 チョーカーから撃ち込まれる鎮静剤は暴走寸前のクリエイターを気絶させる効果がある。しかし、効かない場合もある。

暴走状態に入ってしまったクリエイターの命を救うことは可能だが、1部の人間が持たされている脳の機能を停止させる薬を打つことでしか助けられない、そして脳死は避けられない。


ーー助けられないのか。また、また僕は救えなかったイヤだ、イヤだ、イヤだっーー


「イクトっイクトっ聞こえるか!ヒナの状態はここから把握した、いいか、よく聞け、なんとかヒナを食い止めろ、俺が薬を打ち込む」


数十メートル離れている栗原の声がインカムから聞こえる。栗原の矢継ぎ早に発せられた言葉に幾渡は戸惑いを見せる。

モールの外から大きな音が響き空気が揺れる。衝撃波を受けた壁は穴を中心に更に崩壊を増す。

崩れた壁の向こう、駐車場では未だ激しい戦闘が行われており、グリーガーの姿を目にしたヒナは「敵」とだけ呟き、外へ跳んで行った。


幾渡の隣に栗原が駆け寄って来た。ヒナが跳び出て行った直後だったため栗原は小さく「くそッ」と拳を振りながら呟いた。そして屈んで靴紐を結びなおし始めた。近くの靴屋から拝借してきたのか彼の履いている靴は新品のように見える。


「状況はあまり良くない。外はいまだグリーガー2体と交戦中。応援に来たクリエイターの1人が重症だ。東城は隊員に任せて…………イクト?大丈夫か?」


栗原は靴紐を結び直しながら少し顔を上げると、遠くを見たままの幾渡が目に入る。

幾渡は呆然と壁の穴の向こう側を見ていた。

二人のインカムに通信が入る。


「グリーガー1体の沈黙を確認っ……」


外で戦闘中の隊員から通信が入った。背後は騒々しく戦闘中であることが伺え、ジッっと通信が一時的に途切れる音と隊員の声、そして隊長の難波の指示が、繰り返しインカムから流れてくる。


「RV#3”インドラ”の到着を確認」


騒々しい通信の中で淡々とした一報入るとインカムの奥の雰囲気が一変するのが耳から伝わってきた。栗原は吃驚し、呟いた。「インドラ、こんな市街地で使うのか」栗原はインカムに向かい問いかけた。


 「難波!難波!聞こえるか!どういうことだ!雨が降っているんだぞ!インドラなんて使ったらヒナが巻き添えになるっ」

 

 栗原はインカムを耳に押し付けるようにして普段見ることのない険相な面構えで声を荒げた。レーザーパレスを放出し目的の場所に稲妻を発生させることのできる兵器であるインドラは対グリーガー兵器の中でも高威力だが、問題点も数多く存在している。


 「落ち着け、宮野ヒナが暴走する前に要請していたものだ。彼女の能力でグリーガーを圧倒している今、インドラを使うつもりはない」


 「なら今すぐに引き上げさせろ、本部が使うという前になっ」


 インカムに向かって叫んでいる栗原の横で幾渡が駆けだし、栗原は彼の急な行動に面を食らいながらも彼を引き留めようと咄嗟に腕を伸ばしたが掴むことはできなかった。走っていく彼を追うように駆けだす栗原は幾渡を呼び止めるが彼は振り向きもせず外へと向かって行く。


 彼らが外に出たところだった。ヒナがグリーガーの頭部を的確に槍で貫きグリーガーを灰塵へと変えていた。ヒナはまるで物足りないとでも言うかのような表情を浮かべ幾渡の方を見た。その顔の半分はすでにグリーが特有の漆黒色をしており虚ろな目は獲物を見つけたように凛と光を取り戻した。

 ヒナの周りには無数の槍が現れゆっくりとヒナを中心に公転し始め、黒い翼はヒナの身体を包み深黒色のドレスでも着ているかのような様相になり、顔の半分はグリーガー化により仮面でも被っているように見える。その姿はまるで、素顔をベールに包み仮装舞踏会で踊る貴族のようである。

 インカムの奥が静まり返っている。

 先ほどまでの轟音はなくなり嵐が去った後のように静まり、隊員たちのやり取りは一時的に止まってしまっていた。

隊長である難波の声が静かに聞こえてくる。「どうなった」その一言に返答したのは1人だけであった。

「目視で瘴気を確認……宮野ヒナへの攻撃許可を」

彼は宮野ヒナに最も近い位置にいた。うつ伏せで隠れるように姿勢を低く保っている。彼の周りには先ほどの戦闘で負傷した隊員たちがうずくまっている。

 恐怖。

最も近い彼から見たヒナは十分化け物であった。何十人も束になって実弾を撃ち込み、クリエイター3人の攻撃をもってしても動きを鈍らせるのが精一杯だったグリーガーを瞬時に2体倒したヒナを恐れていない隊員は少なかった。

さらに、能力で形成されたドレスのような鎧が威圧感を強めている。

 宮野ヒナの暴走は深刻であった。現状、戦闘可能なクリエイターは幾渡を除いて2名。

幾渡たちがいるモール以外でもグリーガーの目撃が相次いでおり、多くのクリエイターが派遣されているという情報がインカムを通して伝えられる。


 静けさすらある戦場はヒナの動きで再度荒れ始めた。ヒナが振り返る仕草をすると無数の槍が流れに沿って、空中を舞い始めた。最も低空で舞う槍が地面をえぐりながら進む先に先ほど通信をしていた兵士がいた。幾渡が気付き走り始める。身体が勝手に動いていた。頭の中で考えがユラユラと流れ、一向にまとまらないでいた。

仲間が敵になる。心臓を少しずつ削ぎ落とされていくような感覚が幾渡を襲った。

 「ッく、攻撃を許可する!!」

 難波は仲間に向けられた刃を見て、決意を声に乗せた。その通信を聞いた幾渡は加速するために能力を使った。まとまりきらない光が幾渡の肩に集まり、不完全な形のままジェット噴射する。

 目の前には隊員がいて、必死に槍から離れようとしていた。しかし、推進力が思いもしない方向にかかり足がもつれ躓く。手を伸ばすが届きそうもない距離であった。

 --あと少しっーー

 隊員を殺したとなればヒナは排除対象になり、インドラを容赦なく撃たれることになる。

 幾渡よりも先にヒナの槍が先に届く寸前、桜色の特殊アーマーが目の前に現れる。特殊アーマーの最高出力を出したとしても超えられない速さで現れた彼女は能力を使用した。

 光が鉄の壁に変わり槍の進行を妨げる。

 桜色のアーマーを着た隊員は幾渡に通信で語り掛ける。

 「戦いなさい、彼女が大切なら尚更。あなたは戦かわなくてはならないの」

 止んだ雨。雲の切れ目から日が差し込んだ。日の光は幾渡の目の前の彼女に当たり、桜色のアーマーが輝いていた。


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