カリフォルニアロールから始まる友情
クラス中がざわつく。
基本的に静かになる方が少ない我がクラスだが、今日は一段と騒がしい。
もちろん俺も騒ぐ側の一人。
委員長の石田千尋がメガネをあげ、
「みんな静かにして! 転校生の子が話せないでしょ!」
と声を荒げている。
理由は黒板の前に立つ女の子だった。
担任の中村先生もどこか緊張してるような気がする。
「では、今日からみんなと一緒に勉強する、アメリカ合衆国から来たクロエ・スミスさんだ。スミスさんはまだ日本に来て間もない。みんな仲良くしてあげてくれ」
「ハジメマシテ。My name is Chloe Smith.」
そう言ってクロエは少し照れた様に笑った。
その仕草に俺はハートを射ぬかれる。
彼女はとんでもない美少女だった。
大学に通い初めてから染めた兄貴とは全然違う金髪。
日焼けしたら真っ赤になりそうな白い肌。
ビー玉みたいな青い目、高い鼻。
クラスの女子達とは別の生き物に見える。(こんな事、本人達にはさすがに言えない。)
「席は広岡の隣だ。それとみんな、昨日の授業で作ったローマ字表記付きの名札を付けるように」
「え」
広岡の名字はこのクラスに俺しかいない。目の前の女の子に夢中で気づかなかったが、隣にいた奴はいつの間にかクラスの後ろ側に座っていて、今は空席だった。
クロエはこくりと頷き、俺の横に座る。
緊張する。音楽のテストの時のリコーダーをみんなの前で演奏以上だ。
とりあえず、まず挨拶をするべきだ。
頭の中の英単語をありったけかき集める。……その量は、数えるくらいにしかないが。
「は、はろー」
「Hallo! ah……」
クロエは嬉しそうにほほ笑み、――そして、
「ダイスキ!」
「えぇ!?」
顔が熱くなる。聞き間違えかもしれない。
「ダイスキ! ヒロオカ!」
クロエはニコニコしながら衝撃的な言葉を繰り返した。
「お、お、俺も大好きです……」
頭が真っ白になり、何も考えられず日本語で答えたので、クロエには伝わらず、キョトンとしていた。
その日から俺は英語の猛勉強を始めた。
兄貴に頼み込んで、教えてもらった。
「へぇ、いきなり美少女から告白ねぇ。それ本当か?」
「ほんとだよ」
「まあ、確かにお前はイケメンである俺の弟だからな」
「兄貴。そうゆうの、普通自分で言わないよ」
兄貴は俺の話を聞かずに、「外国の少女との恋愛……いいねぇ、良い曲が作れそうだ」
とバイト代を貯めて買ったギターを弾き始める。
自分自身で話しても、絵空事の様に思えた。
それから2週間。クロエは元々日本語を勉強しているらしく、先生達も熱心に教えているせいか、簡単な言葉なら話せるようだ。
席が隣ということもあり、お互いの言葉を教えあった。分からない言葉は辞典を使ったり、ジェスチャーや絵で伝えた。そんな毎日を過ごしていたので、彼女と仲良くなるのにそれほど時間は掛からなかった。
そしてクロエはいつも言葉の最後に、
「Thank you! ダイスキ!」と明るく言い放ち、俺を赤面させるのだった。
そんなある日、兄貴が新作のラブソングを弾きながら、「そろそろデートに行くべきだろ。」と言った。
兄貴は何故か、女の人にモテモテだった。
よく家に綺麗なお姉さん達が遊びに来る。
理由を聞くと「そりゃ俺は愛の歌を歌ってるからな。愛の達人じゃなきゃ歌えないだろ?」
と言い、ラブ&ピースと叫んだ。
ある日の放課後、帰り支度をするクロエに勇気を振り絞って誘った。
「クロエ。えっと、今度の日曜日、サンデー。どこか行かないか?」
クロエは目を輝かせてこくこくと何度も頷く。
「オスシ! オスシガタベタイデス!」
寿司……。
確かにアメリカ出身のクロエにはとても珍しい食べ物かもしれない。
しかし小学生の俺がお小遣いで行けるのは、テレビで芸能人が食レポしてる寿司屋では無く、ムードなんてあったもんじゃない回転寿司。
「寿司……回転寿司でもいいか?」
恐る恐る聞くと。
「Sure!」
クロエは天使の様な笑みで答えた。
慌てて辞書で調べると『もちろん』という意味だった。
俺は嬉しくてそのまま溶けてしまいそうだった。
クロエに別れを告げた後、「ちょっと広岡!」と呼び止められた。振りかえると、石田千尋がいた。
千尋は神経質そうにメガネをあげる。
「噂で聞いたんだけど、クロエさんに告白されたって本当?」
「ああ、大好きって言われたぞ。今度の日曜、一緒に寿司を食べに行くんだ。」
しかし千尋は怪訝そうに眉をひそめる。
「でも何かおかしくない? まだ転校して2週間くらいしか立ってないのよ。それに言葉だって、少ししか通じてないし……」
俺は少しカチンと来た。どうしてプライベートな事を全く関係無い千尋にとやかく言われなくてはいけないのだ。これも学級委員長の仕事だと言うなら、とんだお節介だ。
「一目惚れだろ? 俺だってあの子に一目惚れだ」
「でもクロエさんから広岡が好きなんてクラスの女子は誰も聞いたことないわ。恋の話を女子達が知らないのは、ちょっと怪しいよ」
引き下がらない千尋に、俺は遂に完全に頭に来た。
「お前には関係ないだろ! クラス委員長だからっていい気になるなよな」
千尋の方も、”クラス委員長だから”という言葉を言われたくなかった様で、みるみる顔が険しくなる。
「なにそれ! 最低! こっちは心配してるっていうのに」
「余計なお世話だ! 勉強ばかりして、モテないからってひがむな、ブス!」
「はぁ!? あったま来た! 今度中村先生に言いつけてやるんだから!」
金切り声をあげる千尋を無視して、俺は乱暴に教科書をランドセルを突っ込み、教室を飛び出す。
クロエの事を詐欺師の様に悪く言いやがって。あんなに可愛くて良い子だというのに!
それに先生に言い付けるのは反則だ。
女子と喧嘩した場合、ほとんどの場合、「女の子には優しくしなさい」という理由で男子側が叱られる。
まったく、不公平極まりないルールだ。
家に帰り、兄貴の部屋に行く。明日クロエと回転寿司を食べに行くことを伝えると、
「俺の言った通りだろ?」とまるでパズルを解いた時みたいに嬉しそうな顔をした。
「じゃあ次はズバリ、キスだな」
「は、早くないか?」
たじろぐ俺に、兄貴はニヤりと笑う。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。恋愛において百戦錬磨の俺が言うんだ。それに彼女はアメリカ人だろ?
日本の女の子より、大胆になるべきだぜ。ほら、洋画でも、キスシーンは多いじゃないか」
言われてみると確かに洋画はキスシーンが多い気がする。面と向かって大好きと言われたんだ。もしかしたらキスも当たり前の文化なのかも知れない。
「わかった。頑張ってみる、サンキュー兄貴!」
「おう。新曲の参考にしたいから、後で報告しろよな」
翌日、慣れないワックスを髪に付け、待ち合わせ場所で待っていると、「whats up!」と声が聞こえた。振り向くと、クロエが手を振り歩いてくる。
彼女が着ていたのはジーンズとパーカー。ラフな格好だけど、映画のワンシーンみたいに思えた。そんな事を考えていると――クロエは笑顔で抱きついてきた。
「クロエ!?」
俺は驚くけど、昨日の兄貴の言葉が脳裏い浮かぶ。
――大胆になるべきだぜ。
そうだ、大胆に行動するべきだ。
俺はクロエの桃色の唇にキスをした。クロエは目を丸くする。次の瞬間、頬に痛みが走る。
叫び声が聞こえた。
一瞬何が起きたのか、分からなかった。
クロエの方をゆっくり見ると、彼女は俺を睨み、手を振り抜いていた。青い瞳は涙がたまっていた。ようやくビンタを受けたと気づいた時には、すでに彼女は走り去っていた。
少し呆然とした後、目が熱くなる。手で拭うと、涙が出ていた
「……どうしよう、クロエに嫌われた」
平手打ちの痛みでは無く、彼女に酷い事をしてしまったという罪悪感と、いつも笑っていた彼女の批難する様な鋭い目付きが、どこか怖かったからだ。
俺は大泣きしてしまった。クラスの男達の間では、『男が泣くことは情けない事である。どうしても泣くときは誰にも見られないように。』という風潮があり、今までそれを守ってきたのだが、今回ばかりは涙は溢れて止めようが無かった。――その時、
「広岡!? どうしたの?」
声がする方を向くと、千尋がいて、駆け寄ってくる。
最悪だ。よりによってこんな時に千尋に会うなんて。この前の腹いせに、クラス中に言いふらされる。そしたら俺はみんなの笑いものだ。
だけど千尋の方は馬鹿にする様子は無く、「どうして泣いてるの? 確か今日クロエさんと……」 と心配そうに訪ねた。
千尋は人気の無い公園まで俺を連れて行き、泣き止むまで待ってくれた。
しばらくして、ようやく泣き止んだ俺は、今までの経緯を洗いざらい話した。
千尋は少し顔を赤らめたが、眼鏡の真ん中を指であげ、疑問を口にした。
「でもおかしいよね。大好きと言われてハグまでされたのだから、好意はあるはず。だけどクロエさんが転校してきてから、まだ二週間。言葉も伝わらないのに広岡の事を好きになるなんて、ちょっと早すぎる気がするわ」
「俺にはさっぱり分からない。千尋、何か分からないか?」
「うーん、最初に言われた言葉が大好き……”好き”じゃなくて”ダイスキ”……あっ! もしかして!」
ひらめいた様に手を合わせる。
「何か分かったのか?」
「広岡! 今から家に行って前の授業で作った名札を持ってきて。確か家、この近くでしょ?」
「ど、どうして」
「いいから!」
言われるがまま、俺は家に戻り、名札を取りに行った。兄貴は家にいなかった。いい加減な事を言った兄貴に怒りが沸く。文句の一つでも言ってやりたかった。
公園に戻り、千尋に名札を渡した。彼女は確信した様に頷いた。
「やっぱり。クロエさんはこの名札を見てダイスキと言ったのよ」
「なんで名前を見て大好きって――まさか」
ようやく俺も気がついた。この名札は、クロエが来る前の授業で作った物だった。名前の横にローマ字を自分で書く。
「そう、君の名前は広岡大介。だいすけ。ローマ字で書くとDAISUKE。DAISUKEとDAISUKI。たったの一文字違い……つまり、広岡は最後のスペルを間違えて書いたんだよ」
「じゃあ俺に抱きついたのは……」
「きっとハグの習慣だよ。日本じゃあまり馴染みが無いけど、海外では親しい友人に対してのスキンシップなんだよ」
「そんな。そんな事だったのか……」
俺は足の力を亡くし、膝を付いた。また悲しくなって涙が滲む。
千尋も俺に同情するように眉をひそめた。
「広岡……」
「だってあの子は、クロエは俺の事を好きじゃ無かったってことだろ? 俺が今までやってきた事は、全部無駄だったんだ」
千尋は優しく笑みを浮かべ、ハンカチを差し出した。
「そんな事ないよ。広岡、英語の勉強頑張ってたじゃん。この前のテストで、広岡が成績トップで中村先生びっくりしてたよ。クロエさんも、言葉が通じてとても嬉しそうだった」
俺は渡されたハンカチで涙を拭う。彼女の言葉で少し立ち直る事が出来た。
「いろいろありがとな、千尋。この前は酷い事言ってごめん」
「私の方こそ、プライベートな事聞き過ぎちゃった。ごめんね」
「この前ブスと言ってしまったけど、石田ってよく見たら結構可愛いんだな」
「なっ!?」
千尋はボンと、音が鳴りそうなほど顔が赤くなる。どうも、俺以上に恋愛事に耐性が無いらしい。
「冗談だ」
「……もぉ」
石田は怒る真似をして、その仕草が可笑しかったのでお互い笑い合った。
心の中で、半分本気。と、言葉をそっと付け足しておいた。
二日後、月曜日の放課後、千尋に頼んで、校舎裏にクロエに呼んで貰った。実は千尋は、英会話に通っているらしく、英語がある程度話せるらしい。
この前の件は誤解で、謝りたいという意味を伝えて貰った。そのおかげか、彼女はちゃんと来てくれた。 まだ、どこか拗ねている様な顔つきだったが。
「クロエ、この前はほんとごめん。俺、勘違いしてたんだ。仲直りしてくれないか?」
俺は頭を下げる。少しの間が開いた。しまった、焦ってまた日本語で話してしまった。そう思った時、クロエは微笑み答えた。それはたどたどしくもあるが、しっかりと聞き取れる日本語だった。
「ワタシのほうこそ、ゴメンナサイ。ニホンでは、ハグはあまりしないのデスネ」
そう言ってクロエは少し照れた様に、手を差し出す。
「仲直りのあくしゅ、シマショウ」
「……ああ!」
俺は頷いてその手を握ったのだった。
次の週の土曜日、クロエは俺と、千尋を呼んだ。
「今度こそ、オスシを食べにイキマショウ」
「それはいいけど、クロエさん、どうして私を?」
「チヒロさん。カリフォルニアロールを知ってマスカ?」
「え、ええ。食べた事は無いけど」
カリフォルニアロール。アメリカ生まれの巻き寿司だ。以前クロエに聞いた事がある。
「じゃあふたりとも、わたしのうちでタベマショウ! Mommyがごちそうしてくれるソウデスヨ」
「いいなそれ、一度食べて見たかったんだ」
賛同する俺に対し、千尋はどこか不安そうだった。
「……私もいいの?」
クロエはぱっと笑う。やっぱりドキっとするような笑顔だった。
「ずっと、ニホンのトモダチができたら、イッショにたべたいとおもっていたのです」
千尋は目を丸くしていたが、すぐに笑顔で答えた。
「ええ!私も是非行きたい!」
カリフォルニアロールから始まる友情。
その状況はなんだか愉快な響きで、俺たち三人は可笑しくて笑い合ったのだった。