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幽霊になってできること

作者: どらぽんず

昔書いたものを書き直したものです。

doragonsだかsrikだかの名前で出したような気がします。

本人証明はできませんけれど。


2016/2/15:読み返していて気付いた誤字と抜けを訂正

<1>

 始まりは一年前。よく晴れた新月の夜。



 その日。一人の少女が死んだ。

 彼女は中学三年生で、腰までと届く茶の髪と、同色の瞳を備えた柔和な目をもち、よく笑い、よく泣き、よく悲しみ、よく怒る――感情家で人当たりのいい子で、歌うことが大好きだった。

 原因は交通事故。

 夜。帰宅途中の彼女が横断歩道を渡っている最中に、信号を無視して進入してきた自動車にはねられたのだった。その車の運転手は酒を飲んでいたらしく、彼女に気付くのも遅れ、ブレーキを踏んだものの間に合わなかった。

 すぐに病院に担ぎ込まれたが、彼女はすぐに息を引き取った。

 あっけないと言えば、あまりにもあっけなく訪れた死別に、彼女の家族や友人は悲しんだ。





 通夜が終わり、彼女の家族も寝静まった夜更け。

 この日は新月で、彼女のいる町の上にあるよく晴れた夜空はどこまでも暗かった。

 その夜空の黒に、ぽつんと浮かぶひとつの靄がある。

 靄はうごめき、やがてヒトの型を象り始める。

 それには色も付いていた。

 長い髪と瞳には茶を。肌には透き通るような白を。そして、身に纏わせたセーラー服には紺を。

 胸元で結ばれたリボンには、鮮やかな赤があった。

 しかし、その輪郭は曖昧にぼやけて、靄のままゆらめいている。

 ――幽霊。

 その靄の塊は、そう呼ばれる類のものだった。

 それは目を一度ゆっくりと閉じると、しばらくの間を置いて、その身体をびくりと跳ねるように震わせて、再び目を開いた。

 そして、何度かまばたきをした後で、上下左右に視線を巡らせて、

「……あれ?」

 と、笑うように口元を引きつらせて歪めながら、小首を傾げた。





 彼女が夜空に浮かぶ視界を認めたとき、一番初めに浮かんだ感想は、

「すっげ、空飛んでる……つか浮かんでるよ私!」

 であり、直後に自分の身体を眺めて、

「うお、体がなんかもやもやしてる!?」

 と、叫ぶように呟いた。

 まあ、そんな調子でひとしきり驚いた後、彼女は自分の記憶を掘り返し、

「なんだ、幽霊になったのか、私」

 と妙にすんなり納得した。

 一応、夢だったりしないかなぁ、なんて思ったりもしたので、自分の家に降りてみて――壁がすり抜けられることとその感覚でちょっと驚いたりもしたが――寝ている家族の辛そうな、悲しそうな寝顔を見て、自分にこんなの想像できないやと納得する理由が増えただけだった。

 それだけを確認して、再び空に浮かび、どうして幽霊になんてなったんだろうとぼんやり考え始めた。

 ――好きな人に告白できなかったから?

 ――夢を叶えたかったから?

 ――生きていたかったから? 死にたくなかったから?

 ――ああ、そういえば今月欲しい文庫の続編出るんだっけ。それかな?

 次々とそれらしき理由を思い浮かべたものの、その思考にはすぐに否定の言葉が湧いた。

 ――あれは好きというより憧れだったかなぁ。恋とか愛とか、そんなんじゃなかった気がする。

 ――ただ好きで、なれたらいいなとは思っていたけど、無理だろうって諦めてたじゃないか。

 ――そんな間際にどう思っていたかなんて覚えてないけど、多分違う。なんか妙な確信がある。

 ――そんなこと言い出したらキリがねー!

「…………」

 湧いた否定は本当にそう思っているものかどうか自分でも自身が持てないものもあったが、浮かんだ理由に確信をもって肯定できるものもまたひとつもなかった。

 そんな調子で、ひたすらぼーっと自問自答を続けていると、ふと、彼女は自分が歌を口ずさんでいることに気がついた。

 ただ節を紡いでいるときもあれば、何度もCMで聞いたフレーズを歌っているときもあった。

 それに気付いた彼女は、だんだんと歌うことに没頭し始める。

 もはや誰にも届かない声で、だからこそと言うように、出来うる限りの大声で。

 そうやってしばらく歌い続けていると、歌も尽きてきて、それでも歌い続けたいと思った彼女は、

 ……誰にも聞こえないならいいかなぁ。

 そう思って、生きていた頃に一人でこそこそ隠れながら考えていた曲を歌うことにした。

 その曲は、まだ殆どが節くらいしか出来ていなかったが、そのいくつかの中でも楽しく歌えそうなものを歌い始めた。

 届けばいいな、と思いながら。

 誰に、とは考えないままで。

「……っ!」

 そして、歌いながら思った。ああ、自分は本当に歌うことが好きだったのかもなぁと。続けてみて、歌手とか目指してみるのも面白かったかなぁ、と。

 ここで初めて死んでしまったことが惜しく思えて、悲しくなって、少し声が震えた。

 しかし、歌うことはやめなかった。

 最後まで歌いきり、深く息を吐くと、不意に音が響いた。

 それは乾いた肉を叩く音。高く響くその音が拍手の音だと彼女が気付いたタイミングで、彼女の耳に声が届いた。

「いやー、すごいね。思わず聞き入ったよ」

「え……?」

 彼女が声の方に顔を向けると、そこにはひとつの人影が、自分と同じように空中に浮かんでいた。

 声は男のもので、声変わりを終えたのだろう低めの声音だった。だから、それはおそらく青年なのだろうと彼女は思う。

 ただ、服装が少し奇妙だった。

 暗闇の空でもぽっかり浮かび上がって見えるような深い黒の外套を羽織り、フードを目深に被っている。表情も体格も曖昧になるような格好は、不思議というより不気味な印象を受ける。

 その人影――男性だろうから彼としよう――彼は、彼女から向けられた訝しげな視線を気にする様子もなく、言葉を続ける。

「特に最後のが良かったかな。俺は音楽なんてよく判らないが、気持ちが強くこもっているのだけは判ったから、つい足を止めてしまった」

「はあ……ありがとう、ございます」

 彼女はかけられた言葉に曖昧に頷きを返しながら、思わず、わずかに身を引いて、浅く体を抱いていた。

 それは半ば無意識の行動だった。

 得体の知れない他人が声をかけてきたのだから、そういう反応をしてしまうのも当然だ。

 しかし、少女の頭の片隅に浮かんだ感情は不審者に対する警戒などという軽い感情ではなく、得体の知れない恐ろしい何かを前にしているとしか言いようが無い、今まで経験したことのなかった恐怖だ。

 目の前に居る彼は格好こそ奇妙だが、佇まいや口調はいたって普通で、特に危険を感じるものではない。しかし、自分が彼を視界に入れていること、彼が自分の存在を認めていること――それ自体がとても恐ろしいことだと、彼女の中の何かが叫んでいるのだ。

 経験したことのない感覚に彼女が内心混乱していると、

「……ああ、混乱させているかな。君みたいな子と関わるのは久しぶりだから、うっかりしていた」

 彼女の様子に気付いたかのようにそう言って、彼は嘆くように天を仰いで片手で顔を覆い、首を何度も横に振って見せた。

 大げさで、芝居がかった、胡散臭いともいえる反応を見て、彼女はへ? と一瞬呆気にとられて、

「……っ!?」

 一瞬前まで感じていた恐怖を全く感じなくなったことに気付いた。

 代わりに、その変化をもたらしたであろう彼への警戒心が一気に膨らんで視線に力が入ることになった。

 見る側が疲れてしまうような警戒心の塊を前にして、彼はおおっと驚いた後で、うははと笑う。

「いや、そう警戒されるのは仕方がないことだとは思うんだが、少なくとも俺の方に君をどうこうするつもりはないよ。

 まぁ何も説明しないで警戒を解いてくれというのも難しいだろうから、説明はしてみるが……」

 一息。あらぬ方向を見て考えるような間を一瞬挟んだ後で、言葉を続ける。

「端的に言えば、君が感じていた恐怖は、君にとってわからない何かが見えてしまっていたから感じていたものだ。

 君は幽霊と呼ばれるものになっている。その状態では、肉体を持っていた頃とは違うものが見えたり、感じたりもする。

 俺も普段は生身の人間を相手にすることが多くてね、君みたいなのときちんと関わりを持つのは久しぶりなんだ。お互いのために、そういう部分は見えないようにしているよう努めていたんだが、ちょっと失敗していたようだ。申し訳ない。

 ……うん? これじゃ特に説明になっていない気がするな。ちょっと待てよ。何を言うつもりだったっけ――」

 そうして、うんうんと唸り始めた彼を見て、彼女はぷっと吹き出した。

 くすくすと笑う彼女を見て、彼は反応に困ったようにフードの上から頭を掻く。

 ひとしきり笑った後で、彼女は彼を見て言う。

「もういいです。少なくとも、何か怖いことをしてくるわけじゃないんでしょう?」

 彼は勿論、と頷いた後でフードを取って、続く動きで片手を彼女の前に差し出すと、人の良さそうな笑顔を浮かべて言う。

「はじめまして。よければ、君の名前を聞かせてもらえるかな? 本当なら俺の方から名乗るべきなんだろうが、生憎と持ち合わせがなくてね」

「持ち合わせがない、って……」

「そのままの意味さ。昔から名前を持つ必要がない生き方をしていてね。……この手は取ってもらえそうかい?」

「あ。す、すいません」

 彼女はそう言われて、慌てた動きで手をとった。そして、彼の視線に促されるような形で、言う。

「えっと……は、はじめまして。私の名前は――といいます」

「いい名前だね。よろしく」

「ど、どうも」

 一度、握手をした手をゆらすようにしっかりと握り合った後で、どちらともなく二人は手を離した。

 少しの間を置いた後で、彼女は尋ねる。

「あなたは、いったい……?」

 言葉の足りない問いかけだったが、彼は特に気にした様子もなく、確認するように聞き返す。

「それは、俺がどういう者かということかな? それとも、俺がなんで君に話しかけたのかを聞きたい?」

「両方です」

 少女の即答に彼は小さく笑うと、しばらく考えるように腕を組んで首を傾げた後で、話し始めた。

「では、まずは俺が何者かというところから話そう。

 色々な形で呼ばれることが多かったが……通りがいいのは、やはり魔法使いというやつだろうな。実態としては、ただの老害みたいなもんだが。随分と長く居続けてるだけの暇人。それが俺だ。

 こう見えて、実は神様より長生きなんだぜ、すごいだろ?」

 彼はにやりと笑ってみせたが、彼女はどう反応していいのかわからずに戸惑うだけだった。

 彼は咳払いをして間を置くと、話を続ける。

「あとは、君になんで話しかけたか、だったか。これは、別に言って聞かせるほどの理由はないよ。歌を聞いて、本人と話してみたくなった。それだけさ」

 言われた内容に、彼女は困ったように眉尻を下げた笑みを浮かべる。

「……なんだか、ナンパみたいですね、それ」

 かもなぁ、と彼は苦笑を浮かべたが、少しすると浮かべた笑みを消して彼女に問いかける。

「じゃあ、今度は俺の方から質問しよう。――これから君はどうするんだ?」

「え? な、何ですか、急に」

 彼女は突然の問いかけに戸惑うだけだ。

 彼は彼女の戸惑いを他所に、言葉を続ける。

「幽霊ってのは、どうして生まれるか知ってるかい?

 その発生には魔法……というと曖昧だな、はっきり言えば人身御供に近い仕組みが働いているんだが、それは置いとくか。本筋じゃないな、うん。

 よく知られているように、未練が元になって幽霊は生まれる。どんな幽霊になるのかは、それこそ場合によって違うけれど、どういう仕組みで生まれるのか、何を元にして生まれるのかは共通している。

 君には未練があった。だから幽霊になっている。

 しかし、意外と幽霊というのも大変だ。そういうものを餌にして生きる化物――死神やらクリーチャーみたいなのが居てね、安穏とただ在り続けるのは存外難しい」

 彼女は言われた内容に息を呑む。

 死んだ後に、また死ぬこともあるのだと、彼はそう言っているからだ。

 しかし、彼女がそう思ったことをわかっているかのように、彼はその思考を否定する。

 化物に殺されることも、運よく成仏することも、大した違いはないのだと。

「生まれたものはいずれ消える。それはどんなものにでも適用される。俺は運よく長続きしているが、いずれ終わりは来るんだろう。

 だから、重要なのはどう過ごすのか、どういう終わりを迎えるのかの二点だけだ。

 基本的には肉体を持って生きていた頃と変わらない。ただ、それよりも少し環境が厳しいから、寄り道せずに目標に向かう必要がある。

 折角の縁だ。可能な限り君の希望に沿うよう協力しよう。なぜ協力するのか? 理由は簡単、暇人らしい道楽だ。それが気に障るかもしれないが、一人で何かをし続けるよりは随分楽なはずだ。利用するといい。

 でも、協力しようにも、利用したいと思っても、何をするのかが明確になっていなければそれもできない。

 だから聞くんだ。君はこれからどうするんだと。君はこれから何がしたいのかと」

「でも……私には、なんでこうなったのかなんて、わからないですよ」

 彼女の呟くように口から漏れた言葉を、彼は否定する。

 それはどうかな、と。

「嘘を言ってるわけじゃ――!」

 彼女が顔をあげて言葉を言い切るより早く、その言葉を遮るように、彼は言う。

「君はわかっているよ、その理由を。それは間違いない。君は運がいい。同じ境遇にある他のものよりも、君には時間がある。だから、考えて、思ったことを少しずつでもいいから口にしてみるといい。

 ……そうすることで、わかってくることもあるんだから」

 そして、彼女に優しく笑いかけた。

 あとは無言。

 彼は何も言わず、彼女は何も言えない――そんな状態がどれほど続いただろうか。

 やがて、彼女はゆっくりと口を開く。

「私は――



<2>

 一年後。


 彼女は、かつて通いたいと思っていた高校の校門の脇で空を見上げて待ち人を待っていた。

 周囲には楽しそうに、騒がしく行き交う多くの人が居る。

 彼女の立っている場所、そのすぐ隣には色鮮やかな造花で縁取られた看板が立てられており、そこには文化祭という文字がでかでかと載っている。

 今日はこの高校で催される文化祭の最終日であり。

 少女にとってこの世界で過ごす最後の日でもある。

「そう。私の本当の命日は、今日だ」

 彼女は目を閉じて笑う。

 思い返せば、きっかけは偶然で。本当に、私は運が良かったんだなぁとしみじみ思う。

 色々なことがあった。悩むこともあった。嘆いたこともあった。

 それらを含めて、いい時間を過ごせたとそう思っている。それでいい。

「待たせたかな?」

 視界の外で、不意にそんな声がかけられた。

 聞こえた声は、聞き覚えのある彼のものだ。

 目を開けて、彼女は彼に笑いかける。

「いいえ? あなたが来なければ、私はこの私のままで、もう少し長く居られますし」

「はは、言うねぇ」

 そう言って笑う彼の姿を上から下まで眺めると、彼女は浮かべた笑みを苦笑に変えた。

 彼は苦笑をする彼女に視線だけで問う。何か問題でも? と。

「いえ、相変わらず目立つ格好だなぁと」

「わかりやすいだろう?」

「それに、周囲のこともあまり気にしていない」

「それは……ああ、なるほど。こっちじゃない方ね」

 彼女に言われて、彼は自分の服をつまみながら頷いた。

 彼女が言っているのは、服のことだけではない。彼の行動そのものを言っているのだ。

 彼女は幽霊で、普通の人には見えないものだ。しかし、彼は違う。彼は決してヒトではないが、それでも周囲の人間には見えるのだ。

 そんな二人が会話することになれば、もちろん――

「確実に変な奴に見えるだろうな。何も無いところと会話をしてるんだから。まぁ幸い、周りは祭りの雰囲気だ。多少のお目溢しはあるだろう」

「だといいんですが」

 彼女は苦笑を深めて、周囲を見る。

 実際、行き交う人々は奇異な行動をする彼を変な目で見ることはあっても、積極的に関わろうとする様子はなかった。

 ただ、と彼女は思う。

「見られているのは行動より格好のほうな気もしますけど」

「春先にコートは変かね?」

「喪服っぽいからだと思います。全身黒って、あんまり居るもんじゃないでしょうし。とは言え、有象無象の視線なんて気にするあなたじゃありませんよね。――じゃあ、そろそろ行きましょう。このまま、迷惑をかけることになりますけど」

 彼女は校門をくぐって、学校の敷地に足を踏み入れた。

 そのまま進もうとする彼女の足を止めるように、彼はその背中に声をかける。

「いいのか?」

 彼女はそのまま足を止めることなく、しかし歩調を緩めた後で、首だけを動かして彼を見る。

「置いていきますよー?」

 彼の問いかけは今更だ、と彼女は思う。

 だから笑った。笑って、彼の問いに問いを返して進んでいく。

 彼はそうか、と短く呟き、口元を緩めて彼女の背を追うように歩き出した。

「置いていかれるのは困るな。俺はこういう所とはあまり縁がないから、迷子になっちまいそうだ」

「その時はアナウンスでも頼んであげますよ」

「無理だろ。君は幽霊だぞ?」

「そうでした、そうでした」

 彼と彼女は会話をしながら、祭りの活気を楽しんでいく。

「この喫茶店、実は豆をひいてコーヒー煎れてるんでおいしいんですよ。衣装は手作りです。すごいですよね、純メイドルック」

「この劇のヒロイン、実は男の子がやってるんですよ? その男の子が華奢で、童顔で、女の子みたいなんです。……見えてるからわかりますよね? 最後にバラして笑いを取るつもりらしいです」

「あ、ここ、ちゃんと出たんだ。――ああ、すいません。このたこ焼き屋、前日に仕入れやら……何かよくわからなかったんですけど、失敗しちゃってるのわかったみたいで。揉めてたんですよ、色々。でも、ちゃんと間に合わせてきたみたいですね。よかった」

 と、そんな最中に、彼女が案内している足を急に止めた。

 彼は彼女より二三歩遅れて足を止めて、どうした? と首を傾げて彼女の視線を追うと、そこには一人の少年がいた。

 引き締まった体躯に、日に焼けた肌。短く刈り上げた黒髪が特徴の、いかにもスポーツ少年然とした少年だった。

 事実として、その少年がスポーツをやっていることを、彼女は知っている。

「あの子は確か……」

 少年は彼の視線に気付き、怪訝そうな顔をしたものの、それ以上の反応をすることなく彼の横を通り過ぎた。

 もちろん、彼女には気付いていない。

 彼女は目を浅く伏せて、口元を力なく歪めながら、彼の言葉を引き継いだ。

「幼馴染ですよ。今は、私の親友と付き合ってます」

「そうか」

「さ、行きましょう。――まさか、会うとは思わなかったら、びっくりして足を止めちゃいました」

「…………」

 彼はそう言った彼女の顔をみやる。

 視線に気付いた彼女は、どうかしました? と首を傾げる。

 その顔には、ただの微笑が浮かんでいるだけだ。

「いや、なんでもないよ」

「……私は大丈夫ですよ?」

 彼女の切り返しに、彼は苦笑を浮かべる。

「心配はしてないさ。君は強い。ただ、溜め込むのは良くないと思うだけで」

「そうですねえ。でも、秘めて、溜めておかないといけないこともありますから」

 彼女はにへら、と目が無くなる笑みを見せ、再び歩き出す。

「行きましょう。そして、見て回りましょう。まだ、楽しいところはいっぱい残ってますから」

「……そうか。案内、よろしく頼むよ」

 彼の言葉に、彼女は、

「はい」

 と笑顔で頷いた。





 時間が経って、夕暮れ時になると、文化祭は終わりを迎えた。

 学校の各所で後片付けが始まったが、まだ所々に一般客の姿も見える。

 その様子を、二人は屋上で眺めていた。

 彼女は屋上の縁に腰掛けて。

 彼はその脇に立ったままで。

「終わりましたねえ、文化祭」

 彼女は後片付けの様子を眺めながら、呟くようにそう言った。

 その顔には、寂しげな笑みが浮かんでいる。

「名残惜しい?」

 彼が彼女を見ないままで問う。

 彼女は苦笑を浮かべて聞き返す。

「それはどっちのことを聞いてるんですか?」

「どっちも」

「勿論、どちらもです」

「出来ることならこの生き方を続けるか――それとも、生き返ったりしてみたいか?」

 彼女は彼の言葉を聞いて、眉をひそめて彼を見上げた。

「……いったい、何を」

 言っているんですか、とは続かなかった。

 彼がじっと彼女の顔を見据えたからだ。その視線の力に押されて、彼女の言葉は喉の奥に引っ込んだ。

 それ以上を聞いていない。

 そう言われているようだったから、口を噤んだ。

 彼女は視線を逸らして俯き、ぽつりと言う。

「それは……生き返る形にもよるんじゃないですかね」

「君の望む通りに生き返れるとして、の話だよ」

「例えば?」

 それを俺に聞くのか、と彼は驚いたような呆れたような声を漏らしたが、少し思案するような間を空けた後で言葉を続ける。

「そうだなぁ……。俺が思いつく方法は、二つかな。

 ひとつは、今の君の状態で、器を与えて受肉させるという方法。もちろん、戸籍も用意しよう。その辺の伝手はあるしな。きちんと社会生活が送れるのであれば、それは十分生き返ったと言えるだろう。

 ただしこの場合、君の両親や友人とは、いちから関係性を築きあげなければならなくなる。君はその時点で、それまでの君とは別人としての生き方をすることになるからな。記憶があると、辛いかもしれない。

 もうひとつは、時間を戻して事故で君が死ななかったことにするという方法だ。一番単純だろう? 過去の死を改変すれば、現在はもちろん生きていることになるだろう。ただ、現実は元に戻りたがるという話もある。死ぬべき運命で死ななければ、後により悲惨な死を迎えるという話だな。しかし、そこはそれ。その度に助けよう。ただし、事故だけだぞ? ま、人間の寿命なんざ、長くて百数年――オカルトに染まったところでたかだか数百年だ。その程度なら面倒見るのも造作ない。

 この場合のデメリットをあえて挙げるなら、この一年という時間が無駄になるという点になるのかな」

「…………」

「俺に提案できる内容はこの程度だが、どうする? これ以外の方法でもいい。もし生き返ることができるのなら、君はどうするんだ?」

 彼女はしばらく黙って俯いていたが、やがて顔をあげて、彼の顔をまっすぐ見つめて言った。

 それでも私は消えることを選ぶでしょうね、と。

 彼は面食らったように目を見開いて驚いた後で、吐息をひとつ吐いて表情をリセットしてから少女に問いかける。

「理由を聞いても?」

 彼女はどう答えるべきか悩むように目を閉じた後で、ぽつりぽつりと言葉を作る。

「だって、最初から、そう決めてたんですよ。

 あの時言ったじゃないですか、私の未練。あの時、私は私が居なくなったことを傷にして、どこかで思い出す度に誰かが痛むことがイヤだった。

 そんなの、ちっぽけな傷なんですけどね。それがわかったのは、そう決めた後でしたけど。少し経てば埋もれるような、小さな傷なんです。それでも……私は、それをそのままにして、埋もれていくのを見届けないまま消えてしまいたくなかったんです。

 でもまー、一年も居ましたけど、こんなに長く居る必要はなかったですねえ。一ヶ月くらいも経てば、家族以外の人たちは、それなりに暮らしてましたし。半年も経てば、家族も少し思い出すくらいで、ちゃんといつも通りになりました。今となっては、私が居ないことがもうすっかり普通になっちゃって、誰も痛んだりしません。感傷に浸るくらいは、あるみたいですけど」

 一息。だから、と彼女は笑う。

「だから、もう充分なんですよ。見届けるべきものは、見届けましたから」

「それでいいのか?」

「はい。寂しいのは確かですけど、それはそれ。まぁ、ある意味で私は自分の死に場所、死ぬ時間を全て決められますから、幸せ者ですよ。ただ……」

「ただ?」

 彼女は彼の顔を見て、

「私は死ぬほどの痛みと傷を得たことはありますけど、死んだことはまだ無いので――それがちょっと怖かったりはします」

 はにかむように笑った。

 彼をその顔を見て、ああ、と頷いた後で、顔を手で隠しながら笑い始めた。

「な、なんで笑うんですかっ!」

「いや、すまない。……君はとてもいいな。こんな気分になるのは久しぶりだよ」

 謝りながらも、彼は笑い声を止めなかった。

 笑い声が収まるまでしばらくの時間を要した。

「もう。笑うなんて失礼ですよ」

「いや、本当に悪かった」

 彼女が口を尖らせながら不満を言うのを、あれはしばらく見ていたが、ふと思いついたように言う。

「最後に一曲、聞かせてくれないか?」

 彼女はちょっと驚いたような表情を見せた後で、わっかりましたと勢いよく立ち上がって彼を見る。

「どんな曲がいいですか?」

「君が気持ちよく歌えるものなら、なんでもいいよ」

「難しいリクエストですねえ。……うーん、わかりました」

 彼女は一度深呼吸をすると、静かに歌い始めた。

 高く、低く、ラとアの音を響かせてできる流れが彼女の口から紡がれる。

 響く音は静かに、しかし確かな音をもって曲を奏でた。

 それは、そこに込められた純粋な思い――歌が好きで好きでたまらないという気持ちが聞く者に正しく伝わるものだっただろう。

 ――もし、聞く者がいれば。

 そして、

「君がその気持ちを持ち続ければ」

 彼が呟くと同時に、彼女の歌が終わる。

 彼女は歌い終わると大きく息を吐いて、彼を見た。

「どうでした?」

「ああ。あの時と同じ……いや、それ以上に、聞いていて気持ちが晴れやかになる気分だった」

 彼女は彼の言葉を聞いて、目が弓になるような笑みを浮かべると、

「よかった」

 と安堵の吐息を吐いた。

「心残りなく歌うことはできた?」

「それは……時間が経てば、湧いちゃう気持ちですから、なんとも。でも、今は歌いきったーって感じで、胸がいっぱいで、気持ちいいです」

「そうか」

 頷く彼に、彼女は頭を下げた。

「今まで、ありがとうございました」

 上げた顔にはとびきりの笑顔が浮かんでいる。

 彼は口元を緩めて問う。

「もう行くのか?」

 彼女はその笑みのまま、はい、と頷いた。

「楽しかったです。変ですけど、本当に、楽しかったです。……それじゃ、名残惜しいですけど――いえ、名残惜しいからこそ、これでお別れです」

「寂しくなるな」

「またまたー。そんな感傷は無いでしょうに」

「そんなことはないさ」

 彼女は彼の反応にうれしそうな困ったような顔をした後で、うんと頷いて表情を笑みに戻すと、顔の横で小さく手を振った。

「じゃ、さようなら、です」

 直後。

 彼女の体についていた色が失せ、細部が曖昧になり、

「――――」

 ただの靄になったそれは、一瞬すらその場に漂うことなく霧散した。

 その間にかかった時間は、瞬きが終わるより早かっただろう。

「……随分とあっさりしてるもんだ」

 彼は苦笑しながら呟いて、吐息をひとつ、肩を落とす動きと共に吐き出した。

 続く動きでフードを被り、

「さて、そろそろ俺も行くか。――その前に、一仕事してみるのも面白いかもしれないな」

 くく、と喉を鳴らして笑いながら、彼はその場から姿を消した。



<蛇足>

 よく晴れた新月の夜だった。

 時刻は八時を回ったところだった。学生が外を出歩くには遅いと、一般的には認識されうる時間帯だ。

 弱い蛍光灯が照らす道を、一人の少女が走っている。

 紺のセーラー服を着込んだその少女は、ぜえはあと息を荒げながら夜の道を走っている。

 腰まで届く茶髪は走る動きに伴って四方八方に暴れている。邪魔だと思ったのか、走りながら出したゴム紐を使って首元で雑にまとめてしまう。

「もー! バカに付き合ってたら遅くなったっつーの! 怒られるじゃん!」

 ぼやきながら走る。呼吸が苦しい。喉が痛い。もう諦めようかな、ここまで遅くなったら変わらないって――そう思いながらも足は止めない。

 走っていると、目の前に横断歩道が見えてきた。緑の信号が目に痛い。もうちょっとで行けそうだと思ったところで、緑の光は点滅を始めた。

「やばっ」

 ここの横断歩道は、一度赤になると長いのだ。できれば渡ってしまいたい。

 そう思って、少女は足に力を込めた。ぐんと走る速度が増す。なんとか半分以上を渡りきったのだが、そのあたりで信号が赤に変わった。

 やばいやばい早く渡り終わらないと、と思ったときだ。

 横手から光が見えた。

 え? と思ったときにはもう遅い。

 信号無視の車が突っ込んできたと理解したときには、車がもうすぐそこに来ていた。

 あ、これダメなやつだと諦めたときだ。

「信号は無理して渡っちゃダメだろ。なあ、おい」

 声が聞こえて、ぐいっと腕を引っ張られる感覚があり。

 光が後ろを通過した。

「は?」

 少女の思考が回る。

 何が今起こったんだろう。今確実に死んだと思った。そうだ、死に掛けたんだ私。何が原因で? ――車だ。あれどこ行った? 行き過ぎた!? ふざけんな!

 そう考えたところで、少女は道路の方に向き直る。しかし、既に件の車はその場を去った後だった。その事実に、少女は憤慨する。

「むがぁああああ! あんのクソ車、何やってんだヘタクソ! おまえみたいなのが車に乗ってんじゃねー!」

 感情のまま地団駄を踏んで叫び終わると、少女はくつくつと笑う声に気付く。

 そっと後ろを振り向くと、黒ずくめの格好をした青年がこちらを見て笑っていた。

「いや、君は本当に面白いな。それでこそ助けた甲斐もあるってもんだ」

 言われて、少女は気付く。そういえば、誰かが自分を助けてくれたのだと。そして今、自分の痴態を見られて笑われていたということにも気付いて、顔がかあっと赤くなった。

 ごほん、と少女は咳払いをひとつ挟んで姿勢を正して、青年と向き直った。

 青年は少女を見てにやっと笑って言う。

「怪我はなさそうだな」

 少女は青年の妙な気安さに戸惑いを覚えたが、彼は命の恩人なのだからと、やるべきことを優先させた。深く頭を下げて、お礼を言う。

「ありがとうございました。本当に、助かりました」

「ああ、無事でよかった。さっきも言ったが、急ぐ時こそ注意をすることだ。うっかり死んだら、やりたいこともやれないまま終わってしまう。……なあ、お嬢さん。君には好きなことはあるかい?」

「へ? ……いや、まぁ、人並みには、ありますけど」

「まぁ今後どうなるかはわからんが、それをやり続けるためにも注意は必要不可欠だ。どうやってもあっさり終わることも多いが、人事を尽くして天命を待てとも言うだろう? やるべきをやったと思えるかどうかで、最後の在り様は変わるものだ。前の君はすばらしかった。今後もそう在れるといいがね」

「はぁ……?」

 少女は青年に言われた内容を理解しようとしてみたものの、正直うまく理解できなかった。妙に説教くさいことを言われているのだけはわかったが、前の君とはいったいどういう意味だろう?

 青年は少女の反応を見て小さく肩を竦めると、小さく笑った。

「すまんな。年をとると若いのに説教したくなっちまう。聞き流してくれ。……ああ、と言っても、注意一瞬怪我一生ってのは本当のことだ。さっきも危ない目に遭ったろう? よくないぞ、ああいうのは。気をつけろよ」

「はい、すいません」

 青年の言うことは正論だ。助けられた身である少女はその言葉に反論することはできない。素直に謝ることしかできなかった。

 それに、なんとなくだが、彼の言うことは素直に受け止めることができた。人徳というものでもあるのだろうか? 見た目はただの怪しいお兄さんなのだが――

 少女がそう思ったタイミングで、青年は少女の横を通り過ぎるように歩き出した。すれ違う瞬間に、ぽんと軽く肩を叩かれて、

「がんばんな。君のやりたいと思ったことに挑戦していくといい。辛いが楽しいぞ、きっと」

 かけられた言葉の内容に驚きを得て、通り過ぎた青年の姿を追うように背後を見たが、

「え?」

 そこにはもう、青年の姿は影も形も残っていなかった。

 広くは無いが、狭いというほどのものでもない道で、隠れる場所などそうはない。にも関わらず、どこにも青年の姿を見つけることができなかった。

 ぎくりとして、少女はきょろきょろと周囲を見回すが自分以外の人影を見つけることすらできなかった。

 しばらく呆然と立ち尽くしていたが、けたたましい音が鳴り響いてはっとなる。

 音源は制服のポケットに入れてあった携帯電話だ。開いて画面を見れば、ディスプレイには自宅という文字が表示されている。

 うげぇ、と嫌そうな顔をした後で、少女はしぶしぶ通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。

『――っ!!』

 受話口から発された第一声は耳を左から右に突き抜けるような怒声だった。

 少女はすぐに受話口から耳を離した。きーんと高い音が頭の中で鳴っている。大分離したというのに、普通に声が聞こえてくるのはどういうことだ。どんだけ声出してんの。

「うがぁ、うるさい! すぐに帰るってば! 今家のすぐ近くにある横断歩道のとこ! もうすぐだから、切るよ!」

 送話口にお返しとばかりに大声でそう叫んでから通話を切った。直後に再び携帯電話が震え始めるが、相手はわかっているので出ない。面倒くさい。

 ポケットに携帯電話を入れなおして、走り出す。

 消えた青年のことはなんだか妙に気に掛かったものの、今は帰るのを優先する。

「もう会うことはないんだろうけど」

 また会えたときは、あなたのおかげでこれが出来たと言えるようになっていたいと、なぜだか無性にそう思った。

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