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与謝ログ G first story  作者: てら
第二章 飴とムチ
7/22

Faille 6

 急に髪の毛を強引に掴まれ、操るかのように下に、上に頭を揺らし続け、五十嵐がもがいている途中、佳志は彼の首、そして脇の下へと腕をまわし、その勢いで力強く地面に叩きつけた。

 後頭部をダイレクトにアスファルトに直撃した五十嵐は甲高い声を上げながら悶絶し、佳志はただひたすら倒れた彼の顔面をストンピングし続けた。

 何度も――何度も――。

「立てよ。おい、立てよゴミ!」

「た……タンマ! タンマタンマ!」

 五十嵐は両手をT字にし、ギブアップの合図を必死に伝えた。


 しかし全然伝わらなかったのだろうか、佳志は更に馬乗りになり、五十嵐の首を両手で絞め始めた。そこは丁度頸動脈の位置にあったのだ。

「天国でも地獄でも行ってこいよこの屑!」

 声がかすれるほどにそう叫び、本当に殺してしまうのを察した亜里沙は佳志の両腕を掴み、「もういいでしょ」と言わんばかりの呆れ顔をした。

 ようやく我に返った佳志は手を離し、ゆっくりと立ち上がった。


 どうにもならないこの沈黙の状況で、亜里沙が出した行動。


 それはその場にいたストリートギャングの連中全員に深々と頭を下げる事だった。


「ウチの部下が、ご迷惑をおかけしました。どうか、どうか穏便に済ませていただけないでしょうか」


 意外な行動に辺留も、黒ずくめの幹部も、瀧宮も驚倒してしまった。なぜこの婦人警察官が頭を下げなければならないのだろうか、と疑問に思っていたからだ。

「そんなんで済む話じゃねぇだろうがコラァ!」

 メイルバールの舎弟が謝礼を飲まず、亜里沙にペットボトルを投げつけた。そしてバラードの舎弟は亜里沙の顎を掴み、

「テメエこの状況を頭下げるだけで済む話だとか思ってんじゃねえだろうなぁ? 部下? テメエの部下、いわゆる警察の1人がな、理不尽な殺人事件おこそうとしたんだぞ?」

 男が亜里沙の頬に掌を下ろそうとすると、瀧宮がその腕を止めた。

「女が代わりにこうして頭下げてんだ。手出すことはねえだろ」

「…………チッ…」

 男は掴んでいた手を離し、ビン入れの箱を蹴って元に戻った。


 辺留も自分の舎弟を止めた。

「まぁ、今回は確かに単なる集会の途中でこうなったから俺としてはメチャクチャ焦ってんやけどな。サツが俺らみたいなゴロツキに謝ってくれてんや。本来なら俺らはな、逮捕されてる身なんやぞ? それを反って謝罪されるっちゅーのは本来あり得ん事なんや。今回は佳志と五十嵐の問題や。それ以上でもそれ以下でもない。だからええやろ? お前ら」

 そう説得すると、男達は納得したかのような、してないような微妙な仕草で持っていたゴミから手を離した。

「辺留さんがそう言うんなら仕方ないけどよ……」


 皆は一斉にそこから立ち去り、その後でもしっかり頭を下げている亜里沙に、佳志は声をかけた。

「なぁ、オメエ何で謝っ――」

 全て聞き切る前に、亜里沙は即座に頭を上げ、佳志の方を振り向き、彼の頬を全力ではたいた。


 跡が付くに値する、先ほどのドロップキックの何倍も痛い、そのビンタは悲しみも、怒りも混じっていた。

 左方向に顔を捻じ曲げる佳志に、今度はもう片方の掌で彼の頬を思い切りはたきつけた。

 自分の前髪が邪魔で彼女の顔を見ることはできなかった。しかしいくらバカな彼でも、想像できる表情であった。

 もちろん彼は、もう何も言い返す事ができなかった。もう、何も。反論する言葉がまるで見つからないからだ。

「……痛い?」

「………………」

「痛いかって聞いてるの」

 言葉を探している佳志は、「痛くねえよ」とも言わず、ぶたれた方向を向いたまま、

「メチャクチャ痛い」

 と、感情も何もない一言を小声でささやいた。


「これ以上に強烈な痛みを、アンタは他人に何度も味わあせたの。それは分かってるわよね?」

「………うん」

「分かってるなら、どうして平気でできるの? あんな躊躇なくやるなんて、一度本当に人を刺した人間にしかできない事よ」

「分からない」

「え?」

 すると佳志は前髪が乱れたまま亜里沙の方を向いた。

「俺には分からない。人ってのは結局自分がよければそれでいい。そういう自己中な生物。これから死ぬことも、生きる覚悟もない人間ばかりだ。だから、俺からしてみれば自分以外皆ゴミ屑にしか見えない」

「だから躊躇いもなく刺せるっていうの?」

「それは、自分でも分からない。俺だって塀の奥行く前までは人なんて刺した事も、刃物も持つ気がなかった。なのに何で自分はこうも普通に人を殺そうとできるのか。分からない」

「…………」

 その佳志の顔は、普段通りしかめっ面のはずだった。前みたいな嫌に礼儀正しい佳志ではなく、いつも通りの彼には違いなかった。

 それなのに、初めて見る、悲しみの表情であったのだ。


それどころか、彼は瞳の淵から涙をこぼしていた。



「佳志、アンタまさか……」

 亜里沙は何かを察した。そう、確信に近いほどに。


 しかし、それを彼に伝えることはできなかった。彼の泣きっ面はまるで、今までの苦しみが全て表向きに現れたかのような重みが感じ取れたからだ。


 亜里沙はそれでも相手が加害者ということを忘れず、励ますことはなかった。


 そこで佳志は、自身が着ているワイシャツのボタンを上からゆっくりと外し始めた。何をするのだろうかと亜里沙は少し困惑したが、困惑する矛先は急に脱ぎ始めることではなく、服の奥だった。

 全てのボタンを外し、彼は脱ぎ捨てた。


 なぜ真夏日でも長袖を着ているのか、なぜ自分の刺された傷跡を意地でも見せようとしなかったのか、そこで全てが判明した。


 与謝野佳志、その身体には大量の切り傷の跡が残っていたのだ。


 胸、両腕、全てだ。一瞬タトゥーにも見えたが、こんな柄はないと思った彼女は、それが何なのかをすぐ察することができた。

「アンタ……虐め受けてたの……?」

「……小学校、中学校、続けて」

「何でアンタがそんな酷い事されたの?」

「血色が、赤じゃないからだよ」

「え?」

「蒼いんだよ。俺の血」

 一瞬空想の話でもしているのか、と言った怪訝な表情を彼女は浮かべたが、佳志は刃物を再び持ち、腕に軽く傷をつけた。

 そこからは濃い赤色の血――ではなく、濃い青色をした血だった。

「そ……それどういう事なの?」

「知らない。他の人と血の色が違うから、面白がられて、何度も何度も、カッターナイフで地肌を削られた」

「医者には行ったの?」

「すぐに追い出された。人間じゃないってよ」

 返す言葉がなかったのだ。


 ただのチンピラなのかと思いきや、優しい男性になったり、凶悪な殺人鬼みたいになったり、泣いたり、血が蒼かったり。

 そう、もう彼が何者なのかも分からなくなったのだ。


「お前の言うとおり、俺は可哀想な奴だよ」

 そう言って佳志は再び服を着た。これ以上は他の人に見られるとまずいからだ。


 ひとまず亜里沙は両手を叩き、深々と深呼吸した。

 落ち着いてから、彼女が佳志に告げた言葉、それは――


「ウチ戻ってカレーライスでも、食べよ?」


 だった。



 二人は白アパート302号室へと戻り、佳志は呆然とした感じでちゃぶ台の横に胡坐をかき、亜里沙はエプロンを着て鍋を用意した。

 彼女は黙ってカレーライスを作り、当然佳志は色んな意味で疑問があった。

「お前、怖くないのかよ?」

「ん? 何がー?」

 先程の怒りも悲しみも、まるでストンと抜けたかのような微笑みで彼女は聞き返した。

「いや、その……さっきの……」

「バカね、気にしてないわよ」

「何で俺にカレーライス作ってるんだよ」

 するとその質問に、亜里沙は佳志の方を向き、持っていたボールを佳志に突き付けた。

「そんなの、アンタが笑ってないからよ」

「え?」

「アンタはね、笑った時の顔が一番似合ってるのよ。不愛想な面してカッコいいとでも思ってるのまさか? 否! 佳志は笑顔が一番カッコいいかつ可愛い」

「か…可愛い?」

「元々童顔だからね佳志は。ほら、カレーライスできたよ!」

 彼女は大きな皿にルーと米を盛り、佳志に渡した。


「食べてみなさいよ。私はね、カレーライスを作ることだけが専売特許なんだから!」

 最後に大きなスプーンを手渡しされ、佳志は黙ってそれを取り、カレーとライスを少し、その大きなスプーンの淵にすくいあげ、一口食べてみた。

「………!」

「どう? 美味しい? まずい? まずいならちゃんとそう言い――」

 その問いには佳志は聞かず、透かさず彼は皿を持ち上げて口に流すかのようにただひたすら食べこんだ。

 十秒たらずでその大盛りカレーはなくなり、残ったのは皿とスプーンだけだった。


 まさか自分が生まれて初めて作ったカレーライスを、こうも喜んで食べてくれるとは、思ってもいなかったのだ。無論、カレーライスに自信があると言ったのは嘘。

 彼は喜ぶどころか、さっきの涙の量よりも多い涙を出していた。

「ど……どう?」

「……お前、これ作ったの初めてだろ」

「えぇ!? どうしてそれを……!」

 正に図星だった。怒るのかと思いきや、彼は少し、ほんの少しだけわずかな微笑を感じさせる表情を浮かべた。

「料理作った事ない癖に、どうしてそんなに笑わせたいんだよ」

「い…いや、それはその……」

 思いつく言葉がまるでなかった。


 しかし一つだけ、確かな理由がある。それを思いついた亜里沙は人差し指を立たせてこう言った。


「そりゃあ、私はアンタの『保護者代理人』だからよ!」


 自身ありげな表情でそう言われた佳志は、当然驚いていた。



 しかしその自信はすぐに途切れ、苦笑いになってしまった。

「まぁ、会ってまだちょっとしか経ってないからこんな事偉そうに言えないけどさ……。アンタ見てると何か、昔の自分思い出すのよね。だから何か昔の自分を叱りつけてる感覚だったのよ」

「昔の……自分?」

「うん。まぁ、その時はハッキリ言ってアンタと同じような人間だったのよ。でもそんな時、あの金司部長に拾われて今に至るの」

「あの眼帯のオッサンがか?」

 金司は左目に黒の眼帯をつけている。それが何によるものなのかは神のみぞ知るというものだ。

「まぁ幸い、アンタみたいにナイフ使ったりはしなかったわ。けど孤独だった。アンタも思ってるはずよ。自分が以下に孤独な人間かってこと。女の癖に、女の癖にってずっと言われ続けて、屈辱な思いばかりしたのよ。女だから手は出さない、女だから許してやる、とか。本当に最悪な気分でしかならないの正直」

 すると佳志は、一時釈放された当日に彼女に躊躇いなく椅子を振り下ろした記憶を振り返った。

「ねぇ佳志。アンタ、まさか男女関係なく暴力を振るってたの?」

「男女差別が嫌いだからな。正直俺も、女だから許すとかいう奴は嫌いだ。女を見るとなぜか胸糞悪くなるんだよ。だからお前を見た時、あの時は殺そうと思ってた。けどお前は避け、しかも俺に何一つ恐怖感などを感じていない様子だった。それ以降、お前を見て胸糞悪くなる事はなくなったよ。不思議なくらいによ」

「え…何よそれ」

「分からない。ただお前だけは何か違うって思ったんだよ」

 佳志はそこで布団にかぶり、彼女に顔を見せることはなかった。


 亜里沙は自分でも分からないくらいに酷く赤面し、いつの間にか正座していた。

「やっぱアンタ、本当は良い奴なんじゃ……」

「悪党だよ所詮。俺は別に、お前の説教を受け入れたわけじゃない。お前を受け入れただけだ」


 何に勘違いしたのか、亜里沙は色々と彼に質問責めをしたが、それ以降彼が声を発することはなくなった。


「ていうか、そこ私の寝床なんだけど……」


 自分の寝床を奪われていた。




 佳志と五十嵐のタイマンの決着は最終的に佳志の勝利で終わった。それで終わるはずだった。


 しかし、それはまだ甘い話。腑に落ちていない者が約一名。

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