Faille 2
とりあえず女は失神した佳志を病室へと自力で担ぎ、ベッドへ乗せた。未だ失神している彼に、女はその顔を見つめた。
「さっき調べたら、元黄金美工業高校付属中等部出身の生徒って書いてあったけど、こんな普通の人がどうやったら――」
そう自問すると同時に、さきほどの状態を回想し、すぐに理由は分かった。
「人は見かけによらないって言うのかな。私が捕まえた不良達は皆柄悪くてチャラチャラしてるから、こういう人見ると何か不思議な気分になるのよねー…」
独り言をブツブツ呟く彼女に、失神していた佳志が目を覚ました。
「誰」
「ちょっと。せっかく重い身体私1人で担いで苦労したってのに、その言い方はちょっとないんじゃない?」
「……オメエ、さっき俺に銃口向けた――」
先ほどの出来事を思い出した佳志は速やかに起き上がり、小さな椅子を片手で持ち上げて女に躊躇なく振り下ろそうとした。
しかしわざわざ病室へと連れて来てくれた人を殴るわけにもいかない、と。普通の人ならそこで止めるはずだった。
彼は否。容赦なく女の頭部に椅子を振り下ろした。彼女は横に避け、椅子は床に直撃した。それは痕跡がハッキリ残るくらいだった。
「なるほどね。要するに、人を人と思ってないってことね」
「アァ?」
「どんなに容赦ない人でも、女に躊躇いもなく傷をつける人なんて初めてだわ。酷くても乱暴するくらいしか考えられなかったし」
「………」
佳志は一度椅子を放り投げ、女の胸ポケットに手を突っ込み、その中から一枚の紙を取り出した。
「ちょっと……!」
「オメエ、ここに苗字書いてねえけど、どういう事だよ」
「そういう問題じゃないでしょうが! か弱い女の子の胸安易に触ってんじゃないわよバカ!」
「うるせえ。苗字の訳はよ」
女は顔を真っ赤にし、胸部を守るかのように腕を交差させた。
「……何でもいいじゃん。亜里沙よ。私の名前は」
「そうかい」
佳志はそう言って亜里沙に名刺を返した。
「あ、アンタの名前は?」
「よさの」
「それは分かってるわ。下の名前よ」
「……佳志」
「ケイジ……か。私はアンタの事嫌いだけど、まぁ同僚ってことだから仕方なく名前で呼んであげるわ」
「どっちでもいいよ。与謝野でも佳志でも」
「そう。新人だからって甘く扱わないわよ。その上私はアンタの事が嫌いだから人種差別並みに差別する。私は不良が大っ嫌いなのよ」
「勝手にしろよ。生まれつき差別はされてるから慣れてるよ」
「えっ……」
その背中は、不気味なような、寂しいような、そんなオーラを彼女は見逃さなかった。
2人はそのまま事務へ戻り、佳志は金司に呼び出された。
「さっきの蹴りはどうだったかね?」
「痛いから二度とすんじゃねえ」
「え、痛い? そんな答え方初めて聞いたよ」
「間違ってないじゃん。俺だって人間なんだよ。痛い時は痛いって言う生物だ」
金司は手を叩きながら大笑いを上げた。頭にきた佳志は金司の机にある金属の模型を取ろうとしたが、金司はその手を押さえた。
「おっと、私の大事な物に手を出すんじゃないよ」
「関係ないよ」
「黙れ。そのすぐに物持って人ぶん殴ろうとする癖やめようぜ佳志」
「うるせえ。それよりさっさとアイスコーヒーとキャスターと灰皿よこせよ」
「何だよそれ! お前は中々面白い奴だなぁ。そんなに飲んだり吸ったりしたいのか?」
「うん。俺にとっちゃガソリンみたいなモンだからよ」
「そうかそうか。じゃあ相当今、燃料切れってとこかな?」
「その通り。元気が出ない」
「じゃあはい。これデミタスコーヒーだけど、これとキャスターね」
金司は自分の机にその二つを用意した。
「灰皿は?」
「もちろんそのデミタスコーヒー飲んでから、缶を灰皿代わりにして使えばいいのさ」
「…………」
佳志は黙ってその缶コーヒーを飲み切り、目の前にあったタバコの箱を取り出し、口にくわえた。
「火は?」
「おーそうだった」
金司は透かさず彼の口元にある葉っぱに自分のジッポライターの火をつけた。
佳志は久しぶりなのか、心地よくそのひと時を味わった。
窓越しから見ていた亜里沙は、「何だこのシュールな光景は」と言わんばかりの目でその様子を見ていた。
その一本の煙草を吸い切り、缶の穴に煙草をやると、金司は机に両手をついた。
「さて、ここからが本題だ。お前に一つ、任務を言い渡す」
「早くない?」
「警察なめんなよクソガキ。おっと、怒るなよ」
「怒らないよ」
「ならよかった。じゃあ言うね。あの亜里沙って子いるじゃん?」
「あの苗字なしっ娘か。そいつが?」
「可愛いよね?」
「知らない」
「可愛くない?」
「任務は?」
「そしてだ、お前はその亜里沙と一緒に、今大暴れしているバラードを食い止めてほしいんだ」
「暴れてるの?」
「暴れてるよ。お前ほどじゃないけど結構暴れてるよ」
「どんくらいだよ」
「ドカンドカンって感じだね」
「なるほどな。で、俺は何でそんな人間と手を組まなきゃいけないの?」
「それは任務を成功してからのお楽しみだ」
聞いていられないと思った亜里沙はすぐに部長室へかけつけた。
「ちょっ、部長! 何なんですかさっきから!? 話が見えません!」
「え、何で?」
「だって、そもそもこんな与太者と手を組む義理なんてないし、そもそもさっきから何ですかこのシュール過ぎる会話は! 可愛いとか可愛くない? とか知らないとか! 意味分かんないですよ!」
「まぁ大人なんてこんなもんさ。では、頼んだよ二人とも」
気付けば署の出入り口の前に、警察の服を着た亜里沙と地味な私服姿の佳志が並んで立っていた。
「何でよりにもよってアンタと手を組まなきゃいけないのよ!」
「知らねえよ。こっちが聞きたいくらいだ」
「アンタもちょっとは部長に反論しなさいよ! 何であんなあっさりだったのよ!」
「俺は気にならないから」
「私は気になるの! アンタみたいなチンピラと、手を組む筋合なんて…!」
「あるんじゃない?」
「え!? あるの!?」
「まぁ知らないけど、とにかく行ってみようぜ。バラードの溜り場ってどこ?」
「ロールバーってとこ。たく、あんな奴ら私独りでイチコロよ。アンタは油断しそうだから引っ込んでなさい」
「……うん。引っ込んでるよ」
「そこは協力しようよ」
亜里沙と佳志はそのロールバーという酒場へと歩いた。
そこはバラードというジャージ族が頻繁にたむろう、いわばたまり場である。異様に人数が多く、バーテンダーにとっては有難迷惑である。
そこにいる瀧宮という男は不機嫌そうにカウンター席で貧乏ゆすりをしていた。
「いつになったら俺らはGSF集団に勝てるんだよクソが!」
「俺らじゃ不可能なんじゃ……」
気を使って話しかける舎弟に、瀧宮は更に機嫌を損ね、男をぶん殴った。
「諦めてんじゃねえぞ腑抜け野郎! いいか? 俺らは下剋上すんだよ! 里宮の野郎が引退してから俺らは完全な根性なし扱いされてんだよ!」
「里宮時代でも大した扱いされてないじゃないっすか……」
「うるせぇ! 諦めたらそこで試合終了なんだよ!」
「蓮さん……スラムダンク見すぎなんじゃ……」
「うるせぇんだよテメェはさっきから!」
瀧宮がその舎弟を蹴り上げると、出入口の扉が開いた。
そこには1人の女、亜里沙が警察手帳を見せていた。
「警察です」
「女……? サツが何の用だ?」
「言われなくても分かってるはずよ。ここをたまり場にするのはやめなさい」
「ぎゃはは! コイツ何言ってんだ! バッカじゃねぇの!」
瀧宮の大笑いで周囲にいた連中も同時に爆笑し始めた。その嘲笑いで腹を立てたのか、亜里沙は急に罵倒し始めた。
「アンタ達! 店の人が迷惑してんでしょうが!」
「アァ? そうなのバーテンダーさんよぉ?」
そう瀧宮はバーテンダーに問うと、彼は「めっそうもない」と冷や汗をかきながら両手を左右に振った。
「だってよ。警察さん? 俺ら取り締まる義理なんてあんの? あ? おい?」
「今のどう見ても脅しに近いじゃない!」
「んな根拠どこにもねーんだよ。出てけや」
すると、再び出入り口の扉がゆっくり開いた。
「チッ……大勢連れてきやがったのか……」
しかし、やってきたのは1人のみ。
瀧宮はその男の顔を見ると、急に形相が変わった。余裕から油断へと変わった瞬間だった。
「よ……与謝野ッ!」
佳志は肩に鉄パイプをかけ、口にはタバコをくわえていた。
「ば…バラードに、何の用だ!?」
すると佳志は吐く煙と同時に、口を開いた。
「……。見りゃ分かるだろ」
バラードの連中は彼の目立たなそうな顔を、ちゃんと覚えている。忘れない訳がないからだ。
「悪いけど、俺も今日からこの女と同じ職なんだよ」
「な、何だと? まさかお前マッポにでも……」
「なったんだよ。つまり、お前らこのアマの言う事きかなかったら俺がお前ら殺害しても誰も文句言わないんだよ」
「嘘だろ……? お前みてぇな悪漢が、正義の味方に付ける訳ねぇだろうが! ハッタリかよ! バカめ! 騙されねえぞ!」
「そうかい。お前らみたいな群れなきゃ強がれない奴らとは縁がないからな」
「縁とか関係ねえよ! この人数相手にたった2人が俺ら倒せるとでも思ってんのかコラァ!」
「思ってないよ」
「は!?」
「俺はお前みたいに喧嘩強くないから」
「当たり前な答え出してんじゃねえよ! じゃあどうすんだよ!」
「どうするって……、勝ちに行くんだよ」
「今自分で弱い事宣告しておいて何言ってやがんだお前!?」
「弱いから負けるって法則はねえよ。逆に言えば、強いから勝てるって法則もねえんだよ」
そう言いながら佳志は瀧宮に早歩きで近付いてきた。急な動きに瀧宮は動揺し、その場を動けずにキョロキョロしている間に、既に頭部には棒があった。
直撃した男は店中に響き渡り、瀧宮はあっさり気絶してしまった。
「な。弱いから負けるって法則はないんだよ」
『今のは絶対に卑怯だろ』と、その店にいた人間で思わなかった者は1人もいなかった。呆然と立ち尽くしていた亜里沙も含めて。
「そんじゃ。大将も死んだ事だし、行くか」
そう連中に背中を向けると、後ろから罵声が聞こえた。
「おいゴラァ! テメェ蓮に勝ったからっていい気になってんじゃねえぞ! この八代流星が、テメェの首取ってやんよ!」
バラードの幹部的存在の男である。彼も連中に慕われている存在で、比較的武闘派な人間である。
何にイラついたのか、佳志は速やかに持っている鉄パイプを彼の頭に目がけて投げ、避けた流星はわずかに額にカスった。
「おしいなぁ、もうちょっと下か」
「て…テメェ……。平気で人の頭に硬いモノ投げてくるって……頭どうかしてんじゃねえのかよ……」
その言葉を放っている間佳志はカウンターに置いてあった大きめのビンを手に取り、更にそこから机に叩きつけ、割った刃を流星に向けた。
「俺は別に、お前らみたいな『ヤンキー』じゃないんだよ。拳で語り合う? 俺にはそっちの方がどうかしてると思うよ」
「人殺したらシャレになんねぇだろうが……!」
佳志はその刃がとがったビンを持って構え、流星にヨロヨロと近寄った。
真っ直ぐ突き刺そうとする佳志に、亜里沙はその手を止めた。
「アンタ、こんな事していいと思ってるの?」
「いいと思ってるよ」
「人を殺して何とも思わないの!?」
「思うよ色々。俺らの任務はコイツらの抗争を食い止めるのが目的なんだろ? なら抗争する人間から消せばいいだけ」
「止めなさい。じゃあ、物を使うのは絶対にやめなさい。それ以外だったら何でもいいわ」
その条件に佳志は数秒考えた。
結果、持っていた割れたビンを床に落とし、「分かったよ」と条件を飲んだ。
「物は使わねえ」
沈黙あふれるその状況に、バラードの連中は身構えた。
佳志は一度深呼吸をし、つむっていた目を開けた。
すると彼は急に走り込み出し、連中の1人へと助走をつけたタックルをし、その倒れた相手の髪の毛を力強く掴んだ。
掴んだ頭を何度も床に叩きつけ、男を失神させた。
唖然に飲み込まれるその状況で、佳志は失神した1人を持ち、流星へと振りまわした。
失神した男の額が流星の後頭部に当たり、次に佳志は失神した男の顔を掴んで流星の鼻に向けて投げ込んだ。
「アンタ! 物を使わないって……!」
「オメエはこの人を物扱いすんの?」
皮肉な言い方で佳志は亜里沙にそう言った。間違いではないと悟った彼女はグッと抑えた。
佳志は次々と人の頭を利用した戦法で連中を蹴散らした。
最終的に、立っていたのは佳志と亜里沙とバーテンダーのみだった。
「た…たった一人でどうして……」
「ここは漫画の世界じゃないんだよ。だから現実的に考えろ」
「いや、現実でこんな事あったから現実的に考えられないのよ! アンタ一体何考えてんの!?」
「任務を成功させることと、オメエがさっき言った条件を守ることだけだよ」
そう、彼はその事だけを頭に入れ、それを行動しただけ。本当にそれだけなのであることには間違いがなかった。
そしてそれに納得しないのも、当然のことである。
先に帰った佳志は早速金司に報告した。一応任務を成功したと言うことにはなるが、始末書を書く必要があった。
亜里沙はロールバーへの被害総額を想定し、倒れている椅子や机を地道に片づけた。
日が暮れた夜になり、街をブラブラする佳志に亜里沙が後ろから何か冷たいものを彼の頬につけた。
「つめた……」
「はい。一応差し入れ」
「何だよ、お前か。初日から馴れなれしくしてんじゃねえよ」
「部長から監視を任されたのよ。何をしでかすか分からないって言われてね」
「大きなお世話だよ。オメエは俺の保護者にでもなったつもりか」
「保護者代理人とでも言ってくださいな」
亜里沙は皮肉そうに不愛想な佳志に言い、黙って缶コーヒーを渡した。
その渡された缶を見ると、ちゃんとアイスコーヒーだったことを彼は確認した。
「何でアイスなんだよ」
「え? アンタそれが好きだったんじゃないの?」
「いや、そうだけど。いつから知ってんだよ」
「ん………いつだっていいでしょ。丁度良かったのよ」
そっぽを向く彼女に、佳志は「まぁいいか」と深入りせずに前を向いた。
2人が並んで路上を歩いていると、彼は何かに気が付いた。
「お前さ、どこまで付いてくつもりなの?」
「え……」
そういえばいつまで監視をするのか、ということを推定していなかったのだ。寝るまで、家につくまで。――否。
「アンタ、今夜寝るとこあるの? 少年院?」
「一時的に釈放はされてるんだよ。だからしばらく牢の中では暮らさない」
「それは良かったわね。でも外に出たはいいけど寝るところは?」
痛い所を指摘してくる亜里沙に、佳志も抜けていたのか、地味に愕然としていた。
それを察した亜里沙はニヤニヤと不快な笑みをし始め、そっぽを向く彼の顔を覗き込むようにする。
「あれれ~? 僕、住むところないのー?」
「……………」
「オバサン困ったなぁ~。若い子供が寝るところもないなんて気の毒だなぁ」
「……………」
「参ったなぁ。オバサンねー、一人暮らしだから分からないのよー」
「オバサン、俺はいいからさっさとコタツ入ってみかんでも食ってろよ」
嫌味を嫌味で返し、亜里沙は逆切れした。言うまでもなく彼の頭を打っ叩く。
「アンタをちょっとでも心配した私がバカだったわよ!」
「んだよさっきから……」
「素直にでもなれば私が何とかしようと思ったのにさ! 本当バッカみたい」
「どう何とかすんのか教えてみろよ。俺みたいな奴に部屋代奢るほど、お前の家庭は余裕ないはずだぞ。見た感じ」
「うっさいわね! 好きにすれば? 永遠とホームレス住み着いてるとこの仲間入りにでもなって、場所撤去されてのたれ死ねばいいのよアンタなんか!」
カンカンになった彼女は彼を放って逆方向に早歩きで去ってしまった。
佳志は「何なんだ」と一言呟き、ポケットから箱を取り出し、そこから煙草を一本を口にくわえて火をつけた。
事実、彼に住む場所などない。自分の親の身元も分かっていないのだ。
いつの間にか彼は、途方に暮れていた。