Faille 1
日本、都内。そこには新宿、渋谷、秋葉原、銀座、その他色々とあるが、その中に一つ、とてつもなく治安が悪い事で有名な街があった。
黄金美町。
ビルが見えなくなるほどに立ち並び、車はビュンビュンと通る大通りもある、そこは何の変哲もない大都会だ。その町、黄金美町には三つの地区があり、1つは先ほど言った大都会、黄金美地区。そこには黄金美工業高校が建てられている。
もう1つは東側にある田舎、赤星地区。そこは丘もあれば森も存在し、赤星高校が建てられている。
そしてもう一つは西側にある西南地区。そこはアパートや住宅が並ぶ、ごく一般的な住宅街だ。ここに普通科西南高校がある。
学校を三つ挙げたが、三校は特に大きな因縁もない普通の関係だ。
しかし、問題は黄金美地区にある、街のストリートギャングだ。それはある意味、街の醍醐味でもあるかのような示しをつけてある。
街の不良集団は黄金美地区でおよそ三つ。
一つはバラード。彼らは典型的なジャージ族であり、中には学生もいる。リーダーは存在せず、一応まとめているのは瀧宮というモヒカンのピアス男だ。
二つ目は黄金美町と言えば、と連想ができるくらいにオーソドックスかつ有名な武闘派集団、メイルバール。彼らはチャラいかつ剛腕な筋肉を持つ集団で、時々一般人にも迷惑をかける事がある。アタマは辺留晃。
三つ目は過去にハッカー集団をも雇い、現在では一人一人が絶妙的な格闘技術を持つ猛者ばかり集まる黒ずくめ集団、GSF集団。街最強とも言われる。しかし彼らは一般人には迷惑をかけることはなく、NPO団体との協力をもするくらいに気さくな人間たちであり、何よりそこのヘッドは非常に器が広いことで有名である。名前は慎。見た目は大分悪漢的だが内面は親切である。
彼らは日々、因縁を繰り返し、時々抗争もする事もある。バラードが下剋上でGSF集団に立ち向かう事もあるが、それでバラードが勝ったことは一度もない。
黄金美町では不良集団だけではなく、ある1人の男によって町の治安が大きく変わったケースもある。
深夜、相変わらず風紀が乱れた格好をしたチンピラが二人、黄金美町の繁華街でブラブラ歩いていると、ヨタヨタとぎこちない歩き方をしているサラリーマンに目をつけた。
チンピラたちはわざと男の肩にぶつかり、罵倒し始めた。
「おいコラァ? テメェどこ見て歩いてんだぁ?」
「えっ……そっちから……」
「俺の友達が肩痛めてんだけどよぉ!? どうしてくれんだよ!」
肩をぶつけた男がわざとらしく「いたたたた」と激しく悶絶し、男は困惑した。というかわざとらし過ぎて困惑した。
「おい、何とか言えや。お前財布は? あんだろ?」
「いやないです……」
「ジャンプしてみろや!」
男はジャンプをすると、まぎれもなく「チャリン」という男が響き、挫折した。
「うおー、結構持ってんじゃん。十万? 二十万!?」
チンピラの1人は残った財布を地面に捨て、さっきまで悶絶していたもう1人のチンピラが平気な顔で歩いた。
膝をついて泣き寝入りする男の横を、誰かが通った。
サラリーマンの男は何か違和感を感じ、通った男を目で追った。
バコン!
男は二人のチンピラの内、さきほど肩をぶつけた1人の後頭部に向けて思い切り鉄パイプを振りおろした。
「いてぇ!」
「テメェ何してくれんだコラァ! ガチな賠償金モンだぞ!」
武器を肩にかけているその男は平然とした表情をしていた。
「俺のお友達が肩痛めてんだけど。賠償金はよ」
「は……はぁ!? 何言ってんだコイツ!?」
すると男は自分の持っている鉄パイプに指差した。
「もう一度言うけど、俺のお友達が今肩ぶつけて大分ヤバいんだよ。慰謝料は? お前金持ってんだろ? 早く寄こせよ」
「バカかお前、そんな鉄屑が友達かよ! 笑かすんじゃねぇよバーカ!」
ゲラゲラと嘲笑う二人に、男は睨む――暇もなく2人共に棒を振り回した。
しりもちをついた1人に透かさず棒を縦に振りおろし、誰も止める事もなく棒は男の額に直撃した。その男は二斜線向こうにまで響き渡った。
「こ……コイツ何だよ……、俺らがお前に一体何したってんだよ……」
肩を痛めたフリをした男が後ずさりをし、そう震え声で言った。それを聞いた男は実に冷たい表情でこう言った。
「別に、何もしてないけど」
『一般人にカツアゲをしたから』『前にイザコザに合ったのか』ではなく、彼にとっては本当に何もなかった。あるはずがなかった。
「ちょっ……ちょっと待て。金ならやる、二十万だ。二十万ありゃ満足だろ? な? ほら、金だよ」
「それはさっきの人のお金だろ。オメエの金よこせよ」
「は……は? 金なんて何だって一緒だろ……?」
「オメエは今ここに倒れてる友達を一般の奴らと『一緒』って言えるのか? このまま放っておくつもりかよ」
「人と金は違うだろうが! 価値観って奴だよ!」
「なら俺はオメエに何の価値も感じてないし、最初からぶっ殺すつもりだったからそんなハシた金いらないよ」
「まっ……待てって……待てよおい! 悪かった! 俺らが悪かった! このお金さっきのオッサンに返すから! 謝るから許してくれよ!」
その言葉は鉄パイプが当たった音によって全てもみ消されてしまった。
男は倒れている奴らの服の質を確かめ、小さく呟いた。
「……メイルバールかよ」
同時に二十万の札束を持ち、その金にさきほどのサラリーマンがかけつけた。
「えっと、ありがとうございます!」
「このお金、何に使うの?」
「何って……家族のための生活費だよ。大事な嫁と息子のためなんだ。頼む、返してくれ」
「………そうかい」
男はさり気なくサラリーマンのポケットの中にその札束を仕舞い込んだ。
「君、何者なんだ? 職業は?」
「そこにいる奴らと同じ……、いや、それ以下の地位の人間だから、もう忘れて。俺も久しぶりにここ歩くから今の街の状況なんて知ったことじゃないけど」
「そ……そうか。とにかく助かったよ。また会った時に、ちゃんと礼をするよ」
男はその場から立ち去った。
黄金美町の深夜は、何より物騒である。
その後、彼は警察にあっさり拘束され、再び(・・)少年院へ放り込まれた。
「出た十五分後……か。君、どうしたらそう凶暴な人間になれるのかな?」
牢の奥で監視官がそう男に問う。男はそっぽを向いた。
「俺は別に、拘置所に行ったって人生は変わらないよ。外へ行ったって、ここにいたって、死ぬにしても、閉じ込められた気分は治まらないんだからよ」
呆れた監視官の横に、1人の中年の男がやってきた。監視官は直ちに敬礼をし、中年の男から一歩離れた。
「与謝野……佳志くんかな?」
「誰だよ」
「君は確か、数えきれない傷害罪、窃盗罪、それと……殺人を犯しているらしいね」
「だから人は殺してねぇよ! ぶっ殺すぞテメェ!」
佳志という男はとじ込まった牢の檻に両手でつかみ、その中年の男を今でも倒そうとするかのような目で睨みつけた。
「おお怖い怖い。この檻が開いたら私はすぐに、この日を命日にしていただろ」
「なめてんのか……」
「君に一つ、頼みがある」
その深刻な目をする男に、佳志は両手の力を抜いた。
「な、何だ?」
「いいか? 君は本来、五年間ここにいる予定だった。懲役六年の処罰だからな。だが、それを私はちょっとこじらせてもらったよ」
「どういうことだよ」
男は「うぉっほん」と一度咳払いをし、下をうつむいた。
わずかな躊躇いを持った後、ゆっくりと頭を上げ、男は佳志にこう告げた。
「君に、一度だけチャンスをやる」
男は右の人差し指を縦にし、そう言った。
佳志は呆気な表情で黙っていた。しかしその表情は速やかに途切れ、普段のしかめっ面へと戻った。
「どういう風の吹き回しだよ」
「君を我々警察の、公安部へ入社してほしい」
「俺に警察を雇えって言いたいのかい?」
「まぁ極論、そういう話だ」
「乗らねえ。バカかオメエは。そういう胡散臭い話に乗るほど、俺は無能じゃねーんだよ」
そう拒否すると、男はあっさり軽い顔になり、足を横に向けた。
「そっか。それは残念だ。これに乗ったらまず君は自由になり、かつ黄金美町内に限りどんな喧嘩も、何かしらの訳があり次第、全て許すという話だったんだけどな。しかも君の大好きなアイスコーヒーを飲める日が劇的に近くなるし、キャスターも吸えるのになぁ。あー残念だ」
どの言葉に反応したのか、その条件を聞いた佳志は透かさず檻に張り付くように両手を掴んだ。
「乗った」
まるでその言葉を待っていたかのように笑みを浮かべる男は、足を檻に向けた。
「そう答えてくれると思ったよ。佳志警察」
檻の鍵はその瞬間から解放され、佳志はその空間から身を出した。
場所は取り調べ室に移り、そこに男と佳志が座った。
「私の名前は鷹羽金司。君の名前は?」
「よさの。分かってるのに聞いてくんじゃねぇよ」
「いや、最終確認しただけだ。まぁその曖昧な苗字さえ知れば十分」
「曖昧ってどういうことだよ」
「ほら、黄金美町には君の苗字、結構いるじゃん? GSF集団のヘッドとか、君のお母さんとか」
「そういう事かよ。で、どうして俺を公安部って訳の分からないとこに入れたんだ?」
「実は警視庁長官からの命令なんだよ。君を一時的に開放しろって」
「警視庁……? しかも長官だと? おい、陰謀があるはずだぞ。何考えてんだ」
「別に。私に聞かれても仕方ないじゃないか。えっとね、公安部には私と、今日入社した君と、それともう1人女の子がいるんだよ。君と同じ年代の子がね」
「そうかい。つまり俺を抜いたらたった二人の一課になってたってことか。どんだけ人手不足なんだよ。そりゃ年少の奴さえも使いたくなるわな」
「まぁ……そこらへんは置いといて。君を一ヶ月間、自由の身にする。しかし条件がある。動き回っていいのは黄金美町だけ。そして私が言う任務を一度たりとも失敗しないこと。一度でも失敗をしたら、君は再び牢の内。五年間暮らしてもらう」
「自信は任務の内容によるよ」
不安げな佳志に金司は両手を大きく広げた。
「簡単な事さ。君の、得意分野だからね」
「俺に特技なんてねーぞ」
「佳志君、君は人を地獄の果てまで痛めつけるのが得意だろ? ならそれを生かせばいいだけさ」
「んな事俺の得意分野でも何でもねーよ。いくら犯罪者相手でもその言い草は人聞き悪いじゃねーの?」
「犯罪者だけじゃない。君は見た目からして『普通の一般人』と見せかけた筋金入りのチンピラ。今時のヤクザならありがちな事だ」
「街にいるゴロツキと俺を一緒にすんじゃねえ」
「別に同類とは言ってない。君はそれ以下って言ってるんだ。自覚ぐらいしてるだろ?」
佳志はとことん言われる事に対して腹を立ち、瞬時に椅子に足を乗せ、金司の胸ぐらを掴み始めた。
「テメェなめてんじゃねぇぞゴラァ!」
場はあっさり荒れ地に果て、机も椅子も、金司も倒れてしまった。
金司の顔に拳を突き付けようとするが、佳志はそこでピタッと止まった。
「ふっふ……、君が人を『殴』れないのは私も承知の上さ。何が原因か知らんが、殴ると何かが出てくるんだっけ?」
「オメエ……」
瞳を縮小し、今でもエグり殺そうとでもするその顔で、金司を睨んだ。しかしそれ以上何をやってもどうにもならないと気付いた彼は一度その場を立った。
ネクタイを整えながら立ち上がる金司は椅子を立たせた。
「佳志、君は何で真夏でも長袖を着てるんだ?」
「そんな事オメエに関係ないじゃん」
「タトゥーでも入ってるのか? それとも傷――」
佳志は倒れている自分の椅子を持ち上げ、金司に投げつけようとした。
しかしその時。
耳鳴りがするほどに高い銃声が、その狭い空間で放たれた。
「アンタ……部長に何してんのよ」
撃ったのは金司ではなく、入口に立っている若い女だった。弾は幸い誰にも当たらず、佳志の足元に放った。
金司は冷や汗をかいて女を見た一方、佳志は何の動揺もせずに持っている椅子を女に振り回した。恐怖より先に激昂を選んだ彼に、金司はその椅子を押さえ、佳志の腹に一発膝蹴りし、壁へと投げた。
「やはり……、檻から出すと私の命日がいち早く来るモノだな」
「部長……このチンピラは一体……」
「新人だ」
「え」の一言も出ず、女は体が固まってしまった。金司は呆れた表情で女の肩を叩き、事務所へ戻った。
「まぁ、仲良くしてやってくれ」
女は冗談じゃないと言った顔で、ため息をついてしまった。