第6話 お祖母様の革袋を開けたら、店の空気が凍った
翌朝、私はティムくんと一緒に大通りを歩いていた。
「リリスさん、今日の依頼はいいんですか?」
「その前に買い物。昨日の戦いで、服も靴もぼろぼろになっちゃったから」
私は焦げて穴の空いた袖を持ち上げてみせた。 ティムくんは自分の杖に目を落とした。先端の近くに、昨日の障壁で入ったひびが走っている。
「僕も杖を直さないと……。でも修理代、銅貨十枚で足りるかな」
「ティムくんの杖も見てもらおう。いいお店を知ってるの」
大通りの真ん中に、ひときわ大きな三階建ての建物があった。 白い石の壁に、金色の天秤の紋章が掲げられている。ガルド商会の本店だ。
入口には革鎧を着た警備の人が立っていた。 私たちの格好を見るなり、その人は眉をひそめて一歩前に出た。
「失礼ですが、ご用件は? こちらは一見のお客様はお断りしておりまして」
焦げた服の少女と、ひびの入った杖を抱えた少年。 追い返されても仕方のない見た目だとは思う。
私は腰の袋から、ハンスさんにもらった銀の札を取り出した。
警備の人の顔色が変わった。
「そ、それは……! 少々お待ちください!」
警備の人は慌てて奥へ走っていった。 ティムくんが小声で聞いてくる。
「リリスさん、今の札って何なんですか……?」
「街道で狼に襲われてた商人さんを助けたら、お礼にもらったの」
ほどなくして、小太りの見覚えのある人が階段を駆け下りてきた。
「リリス様! ようこそお越しくださいました!」
ハンスさんだった。 今日は旅装ではなく、仕立てのいい上着を着ている。
「その節は本当にありがとうございました。さあさあ、どうぞ中へ」
案内されたのは二階の装備売り場だった。 壁一面に武器や防具が並び、ガラスの棚には色とりどりの薬瓶が光っている。
「冒険者の装備を揃えたいんです。炎に強い服と、魔力を回復する薬と、それから」
私はティムくんの背中をそっと押した。
「この子の杖を、一番いいものに」
「えっ」
ティムくんが固まった。 ハンスさんは心得たように頷いて、売り場の店員さんを呼んだ。落ち着いた雰囲気の、三十歳くらいの女の人だ。
「マルタ、リリス様のご要望を承ってくれ。こちらは私の命の恩人だ」
マルタさんは最初に、耐火の布で仕立てた旅装を持ってきてくれた。 次に、裏地に火蜥蜴の革を張ったローブを持ってきた。深い赤色の生地で、手に取ると驚くほど軽い。
「火蜥蜴の革は、炎を浴びても焦げません。ご自身の炎の熱からも身を守れますので、火の魔術師の方には最上の品です」
「これにします」
「……お値段は、金貨八枚になりますが」
隣でティムくんが咳き込んだ。
「き、金貨八枚……! 僕の村なら家が建ちますよ……!」
金貨一枚がどれくらいなのか、私は正直よく分かっていなかった。 家では買い物をしたことがほとんどないのだ。
「あの、金貨一枚って、銀の鈴亭だと何泊できますか?」
マルタさんが一瞬ぽかんとして、それから真面目に答えてくれた。
「銀の鈴亭でしたら……半年ほどでしょうか」
半年。このローブ一着で、四年分の宿代だ。 少しだけ手が震えた。
でも、昨日の戦いを思い出す。 炎が自分の袖を焦がしたとき、もう少しで腕まで火が回るところだった。あれが次に起きたら、火傷では済まないかもしれない。
「……これにします」
それから魔力回復薬を十本。一本で銀貨三枚だった。 マルタさんの説明では、一本飲めば炎一発分くらいの魔力が戻るらしい。四発で倒れる私にとっては、五発目と六発目が手に入るということだ。
最後に、ティムくんの杖を選んだ。 樫の木に小さな月光石をはめ込んだ杖で、補助魔術の効きを良くしてくれるものだそうだ。金貨四枚。
「だ、だめです! そんな高いもの受け取れません!」
ティムくんは両手を振って後ずさった。 私はその手をつかんで止めた。
「昨日、ティムくんの障壁が割れかけたよね」
「それは……」
「あれが割れてたら、ナイフはティムくんの腕に刺さってた。そうなったら、私は次から炎を撃てなくなってたと思う」
ティムくんが黙った。
「これはティムくんへの贈り物じゃなくて、パーティーの装備。ティムくんが光の印をつけてくれないと、私の炎は当たらないんだから」
しばらくして、ティムくんは小さく頷いた。 新しい杖を受け取る手が、少しだけ震えていた。
「よろしければ、奥の試し場でお試しください」
マルタさんに案内されて、売り場の奥の小部屋に入った。 壁際に的が一つ立っているだけの、石造りの部屋だ。
ティムくんは深呼吸をしてから、新しい杖を的に向けた。
「光の印」
杖の先から光の粒が飛んだ。 古い杖のときは、ろうそくの灯りくらいの淡い光だった。今は違う。的の真ん中に、小さな星のようにくっきりと光が灯っていた。
「……すごい。魔力の通りが全然違う」
ティムくんは杖と的を何度も見比べた。 それから私のほうを振り向いて、深々と頭を下げた。
「リリスさん。この杖に見合うように、絶対に強くなります」
「うん。私も、そのローブに見合うようにならないとね」
私は肩の赤いローブを軽く引っぱってみせた。 ティムくんがようやく、いつもの顔で笑った。
会計はカウンターで行われた。 ローブと旅装と靴、薬が十本、それにティムくんの杖。合計で金貨十四枚と銀貨三十枚だった。
私は腰からお祖母様の革袋を外した。 家を出てから、一度も中身を数えたことがない。紐をほどいて、袋を傾けた。
金貨がカウンターの上に流れ出した。
じゃらじゃらと音を立てて、金色の山ができていく。 いつまでたっても止まらない。
最後にことりと音を立てて、白く輝く硬貨が三枚転がり出た。
売り場が静まり返った。
マルタさんが両手を口に当てていた。 ティムくんは杖を抱えたまま、口を半開きにしていた。 ハンスさんの顔からは血の気が引いていた。
「は、白金貨……」
ハンスさんの声がかすれていた。
「白金貨は一枚で金貨百枚です。それが三枚と、金貨が……」
マルタさんが震える手で金貨を数えた。 百二十枚あった。
金貨四百二十枚。 銀の鈴亭に、二百年以上泊まれる計算だった。
「……え」
一番驚いていたのは、たぶん私だった。 お祖母様は少しだけ用意しておいてあげると言っていた。少しだけ、と。
ハンスさんはすぐに売り場の人払いをして、声を落とした。
「リリス様。失礼を承知で申し上げます。これだけの大金を持ち歩くのは危険すぎます」
「……はい。私もそう思います」
「よろしければ、当商会でお預かりいたしましょう。預かり証をお渡ししますので、必要なときにいつでも引き出せます。もちろん、リリス様のご身元については一切お尋ねいたしません」
ハンスさんの目は真剣だった。 私は少し考えて、頷いた。金貨二十枚だけを手元に残して、残りは全部預けることにした。
預かり証の書類に名前を書く。 リリス。家名の欄は、やはり空けたままにした。
ハンスさんはそれを見ても何も言わなかった。
ガルド商会を出ると、昼の日差しがまぶしかった。
赤いローブは肩にしっくりと馴染んでいた。新しい靴は足音が軽い。 隣を歩くティムくんは新しい杖を大事そうに抱えたまま、ずっと黙っていた。
大通りを半分ほど歩いたところで、ティムくんがようやく口を開いた。
「リリスさんって……何者なんですか?」
「ただのFランク冒険者だよ」
「ただのFランク冒険者は、白金貨なんて持ってないです」
「お祖母様が、少しだけ用意してくれてたの」
「少し……」
ティムくんが遠い目をした。 私は思わず笑ってしまった。
でも、笑いながら決めていた。 このお金は、結果を買うためには使わない。仲間と自分が生きて帰るための道具にだけ使う。
「さ、行こう。今日の依頼、まだ間に合うよ」
「はい!」
私たちは冒険者ギルドへ向かって歩き出した。
その背中を路地の陰から見ている男がいたことに、私はまだ気づいていなかった。 ギルドの酒場で、いつもボルドさんの隣に座っている男だった。




