5.歪めるための眼鏡
「レンズ、ですか……?」
代子は少し戸惑った表情を見せる。
確かに、眼鏡のフレームについてはこれまでいくつか試しに掛けてきたのだけれど、それらの眼鏡は全てレンズがただの平板のガラスだったりそもそもガラスすら嵌められていない伊達眼鏡ばかりだった。
ちゃんと度が入っている眼鏡は普段使いのもの以外には無かった。
確かにレンズに気を配るという視点はいままで代子には無かった。
しかし、レンズを工夫したからと言って、なにがどう変わるというのだろうか……?
「レンズの工夫って、どういうものですか……?」
「結論から言わせていただくと、瓶底眼鏡を作ります」
聯倶郎は確信に満ちた笑みとともに力強く頷いて見せる。
「え……、でも、瓶底眼鏡は現実には……」
「廃れるには廃れるだけの理由があるということです。その前に、お客様が普段使いにしている眼鏡をお持ちではないですか? おおよその視力を確認したいので」
「はい、あります」
代子はバッグから眼鏡ケースを取り出し、中から出した眼鏡を聯倶郎に渡す。
眼鏡を渡された聯倶郎は軽く眼鏡を覗き込み、眼鏡を横向きにしてレンズの幅を確認している。
「度数は大体-7.0程度でしょうか? 視力としては0.1以下。……かなり屈折率の高いレンズを使っていますね?」
「……屈折率ってなんですか?」
返された眼鏡を受け取りながら疑問を口にする代子。
「光が屈折する度合いを数値化したものです。眼鏡による視力の補正というのは、近視の場合、網膜より手前にズレた位置で光の焦点を合わせてしまう目にあえて眼鏡のレンズで光を屈折させて網膜で焦点を合うように調整する手法です。屈折率が高いレンズほどより強くレンズを通る光を曲げる訳ですから、視力の低い方には、より強く光を屈折させてくれる眼鏡が必要になる。光を屈折させる単純な方法としてはより太いレンズを使えば良いのですが、レンズの材質をより屈折率の高いものに変えることで、レンズを太くせずに度数の高いレンズを作ることが出来ます。真壁様はその眼鏡を作る際に、レンズの種類を選ぶ提案を販売店の店員にされませんでしたか?」
「あ~、確かにされた気がします。料金割り増しだとレンズを薄くして眼鏡を軽く出来ますみたいに言われた記憶がありますね。軽い方が首とか楽かなって思ったので割り増ししてもらいました」
「レンズを薄くすると眼鏡が軽くなる。確かにそれも重要なメリットですが、それともうひとつ、非常に大きなメリットがあるんです」
「なんですか?」
「レンズが太いと、外側から目が小さく見えてしまうのです」
「……あ~」
代子は、なにかを察したように感嘆を漏らした。
「これは近視用眼鏡に使われる凹レンズの性質上の問題で、レンズを通った光がレンズの厚い部分から薄い部分へ収縮してしまうプリズムの仕組みに因るもの。よって、眼鏡を掛けている人の目はレンズの薄い中心に収縮し、実際より目が小さく見えてしまうようになる」
「それ、確かに聞いたことあります」
「私が不案内な分野な上に真壁様には釈迦に説法ではありますが、女性のメイクの要点のひとつはいかに自然に眼を大きく見せるかという点にありまして。目の美しさとインパクトは女性の容姿の重大なポイントです。ですから、目が露骨に小さく見えてしまうようになる瓶底眼鏡は非常に嫌がられます。技術発展によるレンズの薄型化はこのような美容の観点で求められていた訳です。恐らく真壁様に屈折率が高く薄いレンズを提案した眼鏡屋の店員は、プリズムの作用で真壁様の眼差しの美しさが損なわれるのを防ぎたかったのではないかと思われます」
「なるほど……」
代子は、返された自分の眼鏡をまじまじと見詰めながら頷く。
「ですから、真壁様の理想の眼鏡造りのために、このプリズムの作用を逆手に取ろうと思います!」
「……どういうことです?」
「目が小さく見える眼鏡を意図的に造るのです!!」
「…………おぉ」
「真壁様のいまの眼鏡は屈折率が高い高価なものですが、あえて屈折率の低い、レンズの厚いものを用意して外側からみた真壁様の目が小さく見えるようにします。それと、リムの位置とレンズの形状で、ある程度目の位置を調整出来ますから、元の顔がわかり辛くなる、真壁様本来の顔立ちと目の完璧な位置関係を崩すような位置に目が存在しているように見せ掛けることが可能です!」
「……そんなこと、出来るんですか?」
呟くように尋ねる代子。
その声色には、聯倶郎のプランに対する、救世主を前にしたような切実さが含まれていた。
「『眼鏡を外せば実は美人』を3次元に顕現させる方法を職業柄常に考えているのが我々眼鏡職人であり眼鏡屋です!」
いや、それ絶対あなただけだと思う。代子は反射的に思ってしまう。
「『眼鏡を掛ければ実は美人』を創造するための原則は、眼鏡を外した姿を誰にも想像させないことだと考えています。真壁様の適度な視力の低さを利用して屈折率の低いレンズを使う。これが一番確実だと私は考えています!!」
「…………」
代子は無言で、続く聯倶郎のプラン説明を促す。
「加えて、眼鏡のリムの形状も出来るだけ真壁様の顔立ちに似合わないものを選ぶべきでしょう。具体的には眼鏡を極端に小さくするか大きくするかのアプローチになりますが」
「眼鏡が小さいと……、顔が大きく見える?」
「そうですね。逆に大きい眼鏡ですと眼鏡が顔にフィットせず、眼鏡が顔から浮いているような印象になります」
「あ~、往年の眼鏡っ娘っぽいかも」
「ただし、太いレンズを使用しますので、かなり重い眼鏡になってしまう可能性はありますね」
「あ~~~~、悩みますねぇ……」
「とりあえず、二通りのプランで進めましょうか。リムの形状は両方ともラウンド型をおススメします。具体的にはリムの形状が真円になっているものです」
そう言いながら聯倶郎はカウンターの下からひょいと眼鏡を取り出した。
冗談みたいに丸い円がふたつ並んだ、リムの円が大きな眼鏡が二種類。
リムが大きなものと小さなものの二種類だ。
「このラウンド型の眼鏡は丸顔寄りの方と大変相性が悪いことで有名です。顔の丸さが眼鏡によってより強調されてしまいます。顔立ちの幼さがより強調されてしまう訳ですね」
「あ~、それは確かに最悪……」
アイドルグループ『スイートエルゴ』での活動は、自分との顔の輪郭との戦いだった。
他メンバーよりやや幼い顔立ちはグループのアクセントとしては効果的ではあったが、あまり幼さを強調し過ぎるとグループのビジュアル的な調和を乱してしまう可能性が有った。
美人顔揃いのグループにおいて丸顔を活かしつつ、なおかつ他3人と並んでも違和感の無い大人っぽさを確保し続けるバランス感覚が常にメイクに求められてきた。
代子も専属のメイクさん達もかなり苦労させられてきた。
その上で、この丸顔を過剰に強調するラウンド型眼鏡を購入しようとする行為は、これまでのアイドル活動をある種背信するような背徳感を感じさせられるのだ。
……丸顔の強調かぁ。
だとするなら、いままで「似合わないから」と避けてきた髪型に挑戦するのもアリかもしれないな……。
その後、リムが大きなものと小さなものの二種類のラウンド型眼鏡を掛け比べた。
大きな鏡の前で眼鏡を着脱しにらめっこを続ける。
かなり悩んだ末に代子は小さい方のフレームを選んだ。
大きい方はやや眼鏡を掛けている顔に不自然さがあり、なおかつレンズを嵌めたときの重さを想像すると避けた方が良いと思えた。
そしてなにより、小さい方の眼鏡フレームは、掛けたときに顔が膨れ上がるように大きく見えたことが代子に衝撃を与えた。
丸顔が目立ち過ぎないようにメイクや髪形に細心の注意を払ってきた努力を瞬く間に台無しにする破壊力がその眼鏡にはあった。
やはりプロの眼鏡選びは別格だ。
いや、自分の(アイドルとしての)プロ意識のせいで、『本当に似合わない眼鏡』は無意識下で避けていた可能性がある。
例の、SNSでバズった私物の眼鏡を買うときも、かなりしっかりと鏡の前でにらめっこして似合う眼鏡を選んだし、なんらかの拍子にファンにこの顔が見られる可能性があるなというのは頭の隅に常にあった。
「改めてではありますが、この眼鏡はフレームもレンズも真壁様専用のオーダーメイド品になります。特にレンズは現在ほぼ製造されていないくらい屈折率の低いレンズを目の位置を考慮しながら加工する形になりますので、ほぼゼロから造るレベルの手間賃が掛かりまして……」
そう言いながら聯倶郎は電卓を叩き表示された数字を代子に見せた。
「少し割高になってしまいますが……」
確かに、眼鏡にしてはかなり高額だ。
しかし、払えない額ではなかった。
なにより、自分が求めているものを作ってもらえるのだからなおさらだ。
「大丈夫です。お願いします」
代子の言葉に、検眼枠の男は安堵したような笑みを浮かべた。
その後、代子はカウンターの中に招き入れ、スコープを覗き込ませるおなじみの機械で視力検査が行われた。
それから聯倶郎は、代子の顔の写真を撮り、目と目の間など目元のいくつかの個所の長さを定規で測り、コンピューターに取り込んだ写真に眼鏡の画像を重ね、仮完成の様子を代子に見せる。
それから、眼鏡の完成には二週間を要するとのこと。




