4.『眼鏡を外すと実は美人』は実在し得るのか?
「……確かこの辺にあったと思うんですけど」
代子は一旦席を立ち、店内に陳列されている無数の眼鏡を見て回り、「あっ、これです」と言いながらひとつの眼鏡を手に取り、カウンターに戻って来る。
代子が手にしていたのは茶色いフレームの眼鏡。
フレームは太い丸みのある四角に近い形のウェリントン型。
「70年代のGIグラス。フレームはアセチルセルロース製。米軍の官給品として採用されていたモデルでしたので、GIグラスという通称で呼ばれています」
「別名、『避妊眼鏡』ですよね」
聯倶郎の解説に捕捉を加えながら、代子はその眼鏡を掛けた。
「どうですか?」
そして顔を上げ、GIグラスを掛けた顔を聯倶郎に見せた。
「お客様相手とは言え、ここは正直な感想が求められていると思いますのでハッキリ言わせていただきますが」
「はい」
「とても魅力的で似合っています。理知的でありながら同時にチャーミング。非の打ち所の無い眼鏡美人です」
「ですよね~」
そう言いながら代子はカウンターの端に置かれた鏡を覗き込んで眼鏡を掛けた自分の顔を確認した。
米軍で支給されていたGIグラス。
そのデザインのダサさから装着者の魅力を大きく損なうことで『避妊眼鏡』などという呼び名を与えられていた眼鏡だ。
「そもそもこの『避妊眼鏡』って、いまとなってはクラシカルで逆に格好良いデザインだと思うんですけど」
「それはもう、当時の流行と、そしてなによりそれを利用していた組織の風土でしょうね」
「この眼鏡がダサいと思っていた人達からの蔑称ってことですね?」
「はい。恐らくその呼び名を考えた人や定着させた人々は眼鏡を掛けた男性女性に尊みを感じない人々だったのでしょう。これは時代や場所、コミュニティが違えば美的価値観に差異が生じるという次元の話ですので、眼鏡っ娘や眼鏡男子に魅力を感じない人々の間ではそういう呼び名が広まってしまったというだけなのですが」
「アメリカの屈強な軍人さんがこの眼鏡掛けてたら絶対格好良いと思います」
これじゃあ『避妊眼鏡』じゃなくて『子宝眼鏡』ですよ、という言葉が喉から出そうになったけどギリギリで押し留めた。
元アイドルの口から出すにはあまり妥当ではない領域に突入しそうだ(それを言うと『避妊眼鏡』もかなりギリギリではあるのだが)。
「それは間違いありません。ただその眼鏡がダサく見えているコミュニティではどうしようもなく魅力を損なうアイウェアに見えていたのでしょう。
しかし、真壁様の眼鏡姿が美人に見えてしまう問題は眼鏡をどう捉えるかという価値観とはまた別の次元の問題です」
「はい」
「真壁様が、単純に美人過ぎるのです」
「…………」
代子はGIグラスを外した。
こちらで片付けておきますのでお預かりしますよ、と聯倶郎に言われたので礼を言いながらGIグラスを預けた。
「真壁様は、『世にも奇妙な物語』というテレビ番組をご存じでしょうか?」
「え……? あ、はい。知ってます、けど?」
急に突拍子も無い話題を振られて、代子は面喰いながら頷く。
「少し不気味な物語のオムニバスストーリーを放送する長寿ドラマシリーズなのですが、その中に『くせ』というタイトルの作品があります。放送は……、30年位前でしょうか?」
「わたし、まだ生まれてないですね」
そう告げると聯倶郎は眉毛だけを持ち上げて驚いたような表情を作る。
「時の流れに若干のショックを覚えましたね。まぁ斯く言うわたしも再放送を見ただけなのですが」
なんだか言い訳がましく響く聯倶郎の言葉。
「……話を続けますね。菊池桃子が演じる会社員が主人公なのですけど、彼女には『褒められると条件反射的に物を盗んでしまう』という奇妙な癖がありました。しかし菊池桃子が演じているだけあってその会社員は非常に美人で、他人との会話で気軽に褒められてしまう訳です」
静かに頷く代子。
実は『菊池桃子』という女優の名前も聞いたことがあるだけで顔は全く連想出来ない。
しかしそれを口にすると話の腰を折りそうだし、芸事の上下関係的にもかなり失礼な感じになりそうなのでしっかりと口を噤むことにした。
「そもそも妄りに相手の容姿の良し悪しを話題にするというのが少々デリカシーが無いと言えなくは無さそうですがそこは当時の時代性ですね。男達は美人を無視出来なかった。そこで主人公は極力容姿を褒められないように、普段は三つ編みに眼鏡という地味な格好で過ごしていたのですよ」
「ほう……」
『三つ編み眼鏡』というフレーズに代子は露骨に興味を示した。
「容姿を褒められないための地味なスタイルとしての三つ編み眼鏡なのですが、ここでひとつ大きな問題が」
「…………」
「美人過ぎるんですよ。眼鏡っ娘好きのフィルターが関係無いレベルで目鼻立ちが整い過ぎているし眼差しの美しさが眼鏡で全く隠せていない! 菊池桃子さんの麗しい容姿を三つ編みと眼鏡でデコレートするという試みは非常に倒錯的で素晴らしかったのですが、整った容姿が、完全に眼鏡を貫通していました。ただその点についてはドラマの制作サイドも自覚的だったようで、三つ編み眼鏡の地味なスタイルにも関わらずその主人公は褒められてしまいます。眼鏡掛けていない方が可愛いんじゃないの的なニュアンスでっ!」
「……わたしの眼鏡姿にも菊池桃子さんと同じ現象が起きているとおっしゃりたいんですね?」
「その通りです。これは眼鏡を掛けた男女の尊みを理解出来るかどうかの次元を超えた話で、眼鏡が有ろうと無かろうと、目鼻立ちや顔の輪郭の美しさが、どうしようもなくバレてしまう!」
「顔の輪郭が、バレる……」
「この世にも奇妙な物語のエピソードを思い出すたび、私はある種の絶望感を抱いてしまうのです。『眼鏡を外せば実は美人』な女性というのは実在し得ないのではないかと。漫画の世界だけのファンタジーなのではないかと! 『実は』美人という点が重要です。不意打ちのようなギャップが重要な訳ですから眼鏡を掛けていても美人だと明確ならばこの前提は成立しなくなる! しかし世の美人の皆さんは正直眼鏡を掛けたところでその美しさが損なわれることは無い。私はね、正直ぐるぐる瓶底眼鏡が実在している漫画の世界が羨ましいんですよ。あんなにも安易に、『眼鏡を外せば美人』を顕現させ得る眼鏡が存在している世界が、眼鏡職人として心から妬ましい……!!」
「…………」
初対面の相手に話すにはあまりにも異様な性癖慟哭なのだが、代子にとっては全く笑えないし気味悪がれない話だった。
だってそれは、代子がずっと抱いていたわだかまりそのものだし、自分がずっと言語化出来なかった思いが、聯倶郎によって具体化されてしまったのだから。
「……その問題に、解決策は無いんですか? さっき仰っていた、『眼鏡を外したら実は美人』な人が掛けるべき眼鏡っていうのは、どういうものなんですか?」
代子が恐る恐る尋ねると、天地を打ち砕かんばかりに力強い握り拳を作っていた聯倶郎は、排熱するような溜息と共に握り拳を解いた。
「……その、いまさらではあると思うのですが一応の確認をよろしいでしょうか?」
「はい、なんですか?」
「真壁様は『眼鏡を外すと実は美人』というギャップシチュエーションに憧れてぐるぐる眼鏡をご所望だった、という理解でよろしいですよね?」
「はい、そうです」
「そうすると、真壁様は眼鏡を掛けているときはむしろ美人に見られたくない、という理解でよろしいのでしょうか?」
「まぁ、結果的にはそうですね」
わたしは少し言葉を濁しながら返事をする。
「それは、わたしがアイドル活動をしていた理由でもあるんですけど、たぶんそもそもは変身願望みたいなものがあるんですよね。それこそ、アニメの魔法少女モノみたいな、アイテムのボタンひとつで違う自分に変身するみたいな。ちょっと、というかかなり子供染みてるんですけど」
「初期衝動は大切だと思いますよ。その願望のお陰でアイドルとして活動出来た、ということでしょう?」
「まあ、そうですね。眼鏡というのは、そういう願望を叶えてくれる変身アイテムになるんじゃないかと思ってたんです。でも現実の眼鏡はそれほど劇的なものじゃなかった。アイドル活動に取り組んでいた理由は眼鏡を外したときのギャップを高めるために裸眼状態のルックスを磨きたかったからで。アイドルは見た目が人並み以上なのが前提条件みたいな世界なのでそこは、色々研鑽するのには良い環境だったんですけど、眼鏡を掛けたときの姿が『変身前の形態』と言えるほどギャップが無かったんです。自分で言うのもなんですけど、ノーメイクでもそれなりに顔が整っているので、それで眼鏡を掛けても、全然思った通りにならない。地味とか不細工になれなくて。アイドルグループが解散してから改めて色々眼鏡を試してみたんですけど全然理想通りの眼鏡に出会えません」
「ふむ……」
聯倶郎は納得したように深々と頷く。
ちなみに当たり前だが、『スイートエルゴ』が解散した理由に眼鏡は関係無い。
メンバー4人の芸能人としてのキャリア形成にそろそろアイドル活動は不合理ではないかという理由の解散だ。
ファン達に対しては、『それぞれ別々の目標のための解散』というようなことをアナウンスしていた。
代子としても、簿記二級を取る目標は捨てていなかったので、最近本格的に勉強を再開している。
ただ、アイドル活動を終えたのを切っ掛けに、漠然と「難しいかもな」と思っていた『眼鏡探し』を本格的に始動した点は大きい。
結果、どのような眼鏡を掛けても似合ってしまうという贅沢極まりない切実な悩みにぶち当たってしまっているのだ。
「眼鏡と人相の相性、似合う眼鏡似合わない眼鏡は人によって異なりますね。顔面における眼鏡の占有率によって顔の印象はかなり変わる。しかし真壁様の場合は、多少相性の悪い眼鏡であってもその優れた容姿を隠すことが出来ない」
代子は神妙に頷く。
「ですから、まず、レンズの方に工夫を凝らず必要があります。その上で、フレームによって最も似合わない眼鏡の最大値を模索します」




