3.眼鏡が似合うアイドル
真山代子は千葉県のほどほどに裕福な家庭に生まれ、ギリギリ生活圏が海に接していない地域で育った。
田舎と言うほど寂れた地域ではないが、地元民や同年代の知り合い達が薄っすらと抱く都会(東京)への羨望や劣等感、それに伴う地域全体の閉塞感に漠然とした忌避感を抱いていた。
東京の大学へ行こう、出来れば一人暮らしをしよう。そのように中学生辺りから心に決めていた。
オタク気質だった彼女にとって上映館数の少ない映画や都内でしか行われないイベントのために長距離の電車移動を強いられるのも地味に苦痛であった。
学業の成績が優秀だったことと家庭が裕福だったことで大学入学に伴う一人暮らしはあっさりと了承された。
東京での一人暮らしの夢は叶う。
代子は、大学在学中に簿記二級の試験に合格することを目標にしていた。
それは簿記を扱う職業に就きたいからとかそういう理由とは少し違い、肩書きとしてそういう資格を持っていたらなにやらインテリジェンスを誇示出来て格好良いのではないかという非常に短絡的な憧れに因る目標である。
しかし、ここで急に人生の転機が訪れた。
地元で接点があり、同時期に上京してきた友人、『藍染虹菜(本名)』が結成予定のアイドルグループに代子を誘ってきたのだ。
しかもその結成予定のアイドルグループというのがどうやらメジャーレーベル主導のそこそこの規模のプロジェクトらしく、精々SNSに自撮りを載せていた程度のことしかしたことがない、一切芸能界などと縁が無かった代子が誘われて良いレベルのモノなのか、現在の代子にとってさえも疑問である。
当時もかなり疑問に思ったが、代子は虹菜の誘いに乗った。
虹菜に比べて、自分の名前の字面が少々地味だったのが気になったので、自ら『真壁白乃』という芸名を名乗ることにした。
そしてこのふたりに、レーベルと提携していたタレント事務所のタレントふたりが合流して、4人組アイドルグループ『スイートエルゴ』が結成された。
このアイドルグループの特徴としてはその圧倒的なビジュアルの『強さ』にあった。
代子は地元の女子の中では比較的背が高い方だったのだけれど、グループメンバーの他3人は代子よりもさらに少し背が高く、しかも3人とも美人系の顔立ち。その見栄えのビジュアル暴力に加えて歌う曲はパンクロック調の激しいサウンドをアイドルソング的に聴きやすくしたようなもの、衣装も格好良い寄りのものが多く韓流アイドルの人形的な辛さと日本のアイドル的な生々しい甘さが同居したようなビジュアルでアイドル界隈でそれなりの存在感を有していた。
アイドルになってから引退するまでの約9年間は本当に大変な日々だった。
ほぼ素人の段階から歌とダンスのレッスンをしながら、撮影やらライブやらで日本中を飛び回ることとなる。
正直それまでの人生においてアイドルになろうなどと望んだことは一度として無かったが、自分がどれだけ恵まれた環境を与えられているのかは充分理解出来ていた。
要求されたパフォーマンスに代子は全力で答え、『スイートエルゴ』の一員として9年間を駆け抜けたのだった……。
多忙ゆえに大学在学中の簿記二級合格は諦めざるを得なかったが、大学とアイドル活動を掛け持ちしていた最中に簿記三級には合格した。
「『眼鏡を外すと実は美人』な女の人になるのが夢なんです」
元アイドル・真山代子の告白に、検眼枠の男・福江聯倶郎は興味深げに「ほう……」と呟いた。
「その、いまのご時世こういうことを言うと良くない印象を与えてしまうかもしれないのですが、あくまで客観的な事実として言わせていただきますと」
「はい」
「眼鏡を掛けていないいまのあなたは非の付け所の無い美人だと思うのですが」
「そうですよね。ありがとうございます」
わたしは謙遜もなにもなく、平然とお礼を言う。
自分が美人である。
それは代子にとっても絶対的な事実である。
元アイドルで、現在も散発的ながらタレント活動をしている代子。
周囲からどのように見られているのかを徹底して客観視しなければならない職業。
冷徹な分析として「自分が美人である」。それは謙遜など必要無い前提要素なのだ。
業務上で謙遜して見せることはあっても、自己分析の帰結として「自分が美人である」という事実は揺るがないのだ。
現在も、ショートボブの髪にアイドル時代に爆イケ女子の同僚達に囲まれて培った強めでかつ可愛らしさも感じさせるメイク、オトナっぽいパンツとブラウス。
私服でも間違い無く美人の部類に入るルックスのはずだ。
「ただそうですね……。その、これを見て貰えませんか?」
代子は自分のスマートフォンを取り出し、一枚の画像を表示し、聯倶郎に見せた。
「これは……」
聯倶郎は興味深げに覗き込む。
そこに映っているのは代子を写した写真。
ただその写真の代子は眼鏡を掛けていた。
それは私物の眼鏡。
アイドルとしての仕事の最中はコンタクトレンズを使っているのだが、そのときは楽屋裏の待ち時間で資料の読み込みをしていたので一時的にコンタクトレンズを外し、眼鏡を掛けていたのだ。
「ちょっと待って下さい? その写真見覚えありますよ……」
スマートフォンの画面を見た聯倶郎は懐から自分のスマートフォンを取り出し操作を始める。
そして「ああ、やっぱりそうだ」と言いながらスマートフォンの画面を代子のスマートフォンの隣に並べる。
そこに写っていたのは代子のスマートフォンの画面と全く同じ画像。
眼鏡を掛けた代子のオフショット。
「……まぁ」
「その、非常に恥ずかしながら、私は眼鏡を掛けた美男美女の画像を集めるのに心血を注いでおりまして。SNSのタイムラインにこの画像が流れて来たときには、『いいね』を押して秒で保存させていただきました」
「それは……、ありがとうございます」
「失礼ですがお客様、テレビで活躍されている方だったりするんですか……?」
「ええと、テレビ出演はあんまりしたこと無いんですけど、一応アイドル活動をしていました」
「……名前は確か、真壁白乃、さま?」
「はい、そうです」
「あああ、すいません! すぐに気付けなくて!」
「そんな。むしろ名前を知っていただけて嬉しいです」
まぁ実際、業界人かアイドルに詳しい人でない限り『スイートエルゴ』とか知らないと思う。
『一般人』への認知度の無さは自覚している。
むしろ、『SNSでバズった眼鏡の画像』のお陰とは言え眼鏡屋さんが自分のことを認知していることに逆に驚かされた。
「その、眼鏡を掛けた美男美女に造詣が深い福江さんから見て、この画像を見てどう思いましたか?」
「非の打ち所が無い眼鏡美人です」
間髪入れずにそんな感想が飛んでくる。ほぼノータイムだった。
「真壁様の元々お美しい顔にスクエア型のフレームの眼鏡が良く似合ってらっしゃる。真壁様はどちらかと言えば丸顔寄りですから、柔らかい顔の印象にシャープなデザインの眼鏡が非常に相性が良い。眼鏡が顔立ちを引き締めています。そして個人的には黒縁のフレームが太過ぎず細過ぎない適度な塩梅なのもポイントが高いですね。真壁様の顔立ちを隠し過ぎずそれでいて眼鏡の存在感はしっかりとそこにある……」
「…………はは」
眼鏡屋さんとしての専門的な意見とある種のオタク的な熱量のある持論がない交ぜになったものを早口で急にお出しされて、代子は思わず気圧されてしまった。
いや、そもそも代子が話を促したので、ドン引きするなんて失礼だと思うのだが。
たぶん聯倶郎は、自分と似た方向性で『眼鏡』に偏執的な執着を持っているのだろうなと、改めて理解した。
「この写真はアイドルグループのメンバーに撮ってもらったもので、その子も良い写真だって褒めてくれて、フォロワーのみんなからも良い反応を貰えました」
「これほどの写真に対しての評価としては、妥当と言わざるを得ませんね」
力強く頷く聯倶郎。
『スイートエルゴ』内において、代子は『ユニットきってのインテリキャラ』という位置付けにされていた。
高校卒業後上京してタレント事務所に自らを売り込んだ虹菜と高校生の頃からタレント活動をしていた他2人。難関大学に現役合格して通学している(していた)代子はグループ内ではむしろ異色の経歴だったのだ。
「ユニット内での個性付けや役割分担って重要だし。高学歴キャラが頭良さそうな感じのことしてるのはファンに絶対ウケるから!」
この写真を撮った虹菜はそのようなことを鼻息荒く捲し立てていた。
眼鏡を掛けて資料を読んでるだけで『インテリキャラ』は正直ちょっと安易過ぎるのではないかと思ったが、結果この写真を添えた投稿は大ウケで、『スイートエルゴ』を知らない層にも広く見られるほどに大バズりした。
しかし代子は、それでも言わなければならなかった。
「……でもわたしは、この写真に関しては、どうしても『良い写真』だと思えないんです」
「ほう、何故です?」
「眼鏡を掛けているのに、美人過ぎるんです」
「…………」
わたしの告白に、聯倶郎は噛み締めるように頷く。
そこにどのような考えが篭められているのかは、明確に読み取れなかった。
「それこそ漫画とかアニメたまに居ると思うんですけど、普段眼鏡を掛けていて地味で目立たない女の子が眼鏡を外すと実は美人でした、みたいなシチュエーション。あれが憧れなんです。でもわたしにはそれが真似出来ない。どんな眼鏡を掛けてもある程度似合ってしまう。眼鏡を外すと美人なのが最初からバレてしまうから眼鏡の着脱によるギャップ、みたいなものが作れないんです」
……打ち明けている途中から、自分の言葉に先程の聯倶郎のそれに近い熱量を帯びていることに気付いて少し恥ずかしくなった。
いわゆる『急に早口になるオタク』みたいなヤツだ。
相当馬鹿なことを言っている自覚はあるが、この人物は眼鏡に対して、もっと言えば眼鏡を掛けている人の容姿に対して、並々ならぬ情熱を持った『同類』ではないかという確信をすでに抱いていた。
自分の言っていることを理解出来る度量があると、期待出来るのだ。
「『眼鏡を外すと美人』を創造するなら、まず『眼鏡を掛けると美人じゃない人』を創造しなければならない」
不意にそう宣言する聯倶郎の口元には微かな笑みが零れていた。
検眼枠越しに見えるその眼も、薄っすらと細められている。
獲物を前にした怪物のような、凄惨な笑み。
でも検眼枠の冗談みたいなデザインのお陰で、その不気味さが外に漏れるのを巧みに抑えられている。
「わたしは、あなたのようなお客様が来て下さるのを、待ち望んでいたのかもしれません」
ほとんど陶酔するかのようにそのようなことを口にする聯倶郎。
「我々は造らねばなりません。眼鏡を外すと美人になる人間が掛けるべき眼鏡を」




