第2章:構造リテラシーとの出会い
**第2章:構造リテラシーとの出会い**
その日も、午前中は資料作成とクライアント対応で終わった。昼休みになると、湊は給湯スペースでインスタントコーヒーを淹れ、いつものように自席でメールをチェックしていた。
「藤井さん」
隣の席から声がした。日下部ミカが、声をひそめるように言う。
「ちょっと、これ見てみてください」
そう言って、彼女はノートPCの画面をくるりとこちらに向けた。開かれていたのは、Googleスライドの1枚目。タイトルが目に飛び込んでくる。
**《構造リテラシー:報酬と評価の見えない仕組みを読む》**
藤井は眉をひそめた。「なんだこれ?」
「構造の読み方、って知ってます?」
ミカは、いたずらっぽく笑いながら、コーヒーをひと口すすった。
「最近、これ見てて……自分の“評価されない理由”が分かったんですよ」
湊は画面に視線を戻す。スライドには、こんな言葉が書かれていた。
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**“あなたがどれだけ成果を出しても、なぜか評価されない。それは、あなたが間違っているからではありません。**
**組織が動く“構造”を見ていないだけです。”**
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背筋に何かが走った。
「ほら、うちの会社って、“仕事を回す人”と“仕事を流れさせる人”が分かれてるじゃないですか。でも、評価されるのって、だいたい後者なんですよ」
「……分かる気はする。でも、それって……うまく立ち回るってことだろ?」
「違うんです。“うまく立ち回る”じゃなくて、“構造を理解して動く”んですよ」
ミカは、別のスライドに切り替えた。そこには、円形のダイアグラムが描かれていた。円の中心には「経営」とあり、その周囲に「戦略企画」「広報」「営業」「法務」などの部署が配されている。そして、そのさらに外縁に「現場オペレーション」「制作」「広告運用」などの部署が囲っていた。
「この図……うちの会社の実質的な“力の分布”なんですって。公式の組織図じゃなく、“見えない影響力の構造”。でね、評価や昇進は、この“内円”に近い人ほど通りやすいんですよ」
湊は、ハッとした。
広告運用部は、確実に外縁に位置していた。いくら成果を出しても、それは“構造”の外で起きていること。どれだけ回しても、中心に届かない。
「でもさ、じゃあ俺たちはどうすればいいんだよ」
湊が言うと、ミカはまた笑った。だが、今度は少し真剣な表情が混じっていた。
「私も最初そう思ってました。でも、“構造リテラシー”って、ただ文句を言うための武器じゃないんです。どうすれば“構造に乗れるか”を学ぶツールなんです」
そのとき、ミカのPCにSlackの通知が届いた。チラッと見えたのは、あるオンラインセミナーの案内だった。
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**【実践・構造リテラシー入門】
“成果が伝わらない人のための、見えない評価構造の読み解き方”
ゲスト講師:野本 誠(戦略企画部マネージャー)**
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「え、野本さんが……講師?」
「そうなんです。実はこの講座、社外向けっぽく見せてるけど、うちの会社の構造がモデルなんですよ。社内で言えないことを、外部の“学び”として話してる。ある意味、裏マニュアルです」
湊は言葉を失った。
野本。あの“言わないけど知ってる側”の象徴。
彼は、こういう“構造”の仕組みを読み解いたうえで動いていたのか。
「この講座、もうすぐ募集締め切っちゃうんで、気になるなら……」
ミカの声が途中で止まった。そこに、戦略企画部の社員が通りかかり、湊たちに軽く会釈したからだ。ミカはさっとPCを閉じた。
しばらく沈黙が流れた後、湊は口を開いた。
「……俺も、それ、受けてみようかな」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど静かだった。だがその胸の奥で、小さな炎が灯るのを感じた。
“努力が届かない理由”を、他人のせいにしたくはない。
だが、自分の働き方に“視点”が足りなかったとしたら――
それを知る勇気だけは、まだ失っていない。