第3話 ユーノの憂鬱
今回は深紅の髪の少女、ユーノの視点での話です。
燃えるような深紅の髪を額の上でギュッと結び、ユーノは水の都ヴィネーチェの石畳を力強く歩いていた。
背中には、少し古びたギターケース。それは、彼女が10歳の誕生日に、大好きだった父親から贈られた大切な宝物だった。
高級品ではないけれど、毎日丁寧に手入れをし、いつも彼女の傍らにあった相棒だ。
「ここもダメ、か…」
壮麗な装飾が施された劇場の重厚な扉の前で、ユーノは小さくため息をついた。
これで今日、何度目の門前払いだろうか。
ヴィネーチェにある劇場は、どこも伝統と格式を重んじる場所ばかり。
自分の歌と才能には絶対の自信があったが、実績のない無名の新人であるユーノに、彼らがステージを用意してくれることはなかった。
「申し訳ございませんが、当スペラ劇場はすでに名の知られたアーティストの方のみと契約しておりまして…」
「お気持ちは嬉しいのですが、まだ無名の方にいきなり舞台をお貸しすることは…」
丁寧な言葉づかいの裏に透ける、冷たい拒絶。ユーノは唇をきゅっと結んだ。
強気な思いとは裏腹に、最後に訪れた劇場でも同じように断られると、さすがに肩から力が抜けていくのを感じた。
ヴィネーチェの太陽は明るく輝いているのに、ユーノの心には少しずつ影が差し始めていた。
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(これから、どうしよう…)
途方に暮れかけたそのとき、ふと街角で耳にした噂が頭をよぎった。
ヴィネーチェのすぐ隣にある、治安の悪いスラム街――カヌードル。
そこに、地元ではかなり有名なライブハウスがあるというのだ。
格式ばったヴィネーチェの劇場とは違い、そこなら実力さえあれば、新人でもステージに立たせてもらえるかもしれない。
(カヌードル…少し怖い場所だって聞くけど…でも、歌える場所があるなら!)
わずかな希望の光を見出したユーノは、迷わず踵を返し、カヌードルへと続く道を探し始めた。大切なギターが、彼女の背中でカタンと音を立てた。
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ヴィネーチェの華やかさとは打って変わって、カヌードルに一歩足を踏み入れると、空気はホコリっぽく、建ち並ぶ建物も古びていた。
道行く人々の目も、どこか鋭く、油断ならない雰囲気が漂っている。それでもユーノは、臆することなく地図を片手に目的のライブハウスを探した。
大通りをキョロキョロしながら歩いていたときに、不意に声をかけられた。
「あの……すみません」
見ると、痩せた少女がうつむき加減に立っていた。着ている服は薄汚れ、見るからに貧しそうだ。
「大切なペンダントを、あそこの瓦礫の下に落としちゃって…重くて、運べないんです」
そう言って、ジメジメとしたせまい路地裏の一角を指さした。
少女の頼みに、ユーノは少し驚いたが、すぐにうなずいた。
「うん、いいよ。手伝ってあげる」
困っている人を助けるのは当たり前だ。ユーノはそう思って、彼女と一緒に路地裏に向かった。
肩にかけていたギターケースを、邪魔にならないようにそっと路地の脇に置いた。そして、少女と一緒に瓦礫に向き合う。
「せーのっ」
少女が片方、ユーノがもう片方を持ち、ぐっと力を込めて瓦礫を持ち上げた。その、ほんの一瞬の隙だった。
突然現れた男が、ユーノが置いたギターケースを持ち抱えて、走り去っていくのが見えた。
「あっ! 待って!」
しまった、と思ったときにはもう遅い。
両手は瓦礫でふさがっていて、すぐに追いかけられない。あわてて瓦礫を地面に下ろし、ユーノは男の後を追って全力で走り出した。
「返して! それは私の…!」
叫びながら必死に走るが、入り組んだカヌードルの路地は、よそ者のユーノには迷路のようだ。男はあっという間に人混みに紛れ、その姿を見失ってしまった。
「うそ…どうしよう…」
息を切らして立ち尽くす。
一番大切なギターを、こんな場所で失ってしまうなんて。
あまりの出来事に、頭が真っ白になる。
これからどうすればいいのか、不安と焦りで胸が締め付けられた。
そのときだった。
「おい! あんた!」
不意に、少しぶっきらぼうな声が聞こえた。
驚いて顔を上げると、そこには、さっき路地裏にいた少女の腕をつかんだ、見慣れない青年が立っていた。
青年は、少し困惑したような、それでいて何か言いたげな顔で、まっすぐにユーノを見つめていた。