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【ネトコン13応募中】北極星に送る

作者: 一条 香夜

 世界の北端が近い村がある。

 北の果てに近いその村では夏には日が沈まず、一日を通して明るい時期が存在している。

 しかし冬が来ると陽が長くても三時間ほどしか射さず、雪が地表を覆ってしまう日もある。そんな場所に村があった。

 そこでは古くからの伝統が脈々と伝わっていた。


 夏至。一番太陽の恩恵を受け、太陽が沈まぬ日に十五歳前後の少女が巫女として天の恵みに感謝を伝える舞を捧げ、村から少し歩いた湖に花と穀物を備える祭りを行う。

 夏至から数か月後の初雪が降りだす時期。その年初めて雪が舞った後の満月の夜には一年で旅立ったものたちを送る火を夜通し焚く。この村では夏至の祭りを収穫祭。初雪後の火焚きを北極送りと呼んでいた。

 収穫祭が終わった後から旅立ったものがいる家では北極送りの準備が始まる。

 今年十三になるタピオは今回の火守役になる。火守は村の中で順番に回ってくるもので、今年はタピオの家が役目の年になっていた。

 この年の初雪は少し遅く、夏至から三か月が経った頃であった。


 いつもよりも寒さが少し厳しい満月の夜に煌々と火が燃えている。

 燃え盛る火へ向けて旅立ったものがいる家が飾り木を投げ込む。シラカバの木板に各家の紋と死者の名前を彫り刻まれた飾り木はパチパチと音を立てて、ほのかに甘い香りが夜に漂い出す。

 そうして飾り木が全て投げ込まれ、父がタピオを呼んだ。

 「決して朝が来るまで絶やしてはいけないよ。何かあったらすぐに呼びなさい」

 火守の役目が決まってからずっと言い聞かされてきたことに少しうんざりとしながら、村の大事な儀式なのを理解しているタピオは父の言葉に頷いた。

 「わかっているよ」

 「火を絶やさないために薪を入れすぎてもいけないからな」

 「熾りすぎてやぐらが崩れてしまうから、だよね。大丈夫。ちゃんと教えてもらった通りに薪は入れていくから」

 「ではタピオよ。火守を頼んだぞ」

 「ちゃんと役目を果たします。父さんにも火の加護がありますよう」


 父親が家に戻り、タピオはやぐらの近くに準備された風除けの幕の中に入った。

 送り火が見えるように隙間が作られた風除けは厳しくなった夜の風を和らげてくれる。母が淹れてくれた体温を維持するためのハーブティーを飲むと生姜とシナモンが口に広がった。

 パチパチと火が熾り続けている。


 ランプの灯りを頼りに、タピオは自宅から持ち出した道具を取り出した。

 雪が解け春が来ると今は眠っている森の動物たちが動き出し、湖の魚が姿を水面に見せる。

 次の春からタピオも狩りを行う男たちの一員に加わる。そのための弓矢や釣り具の準備を進めないといけない。

 手先を動かすのは眠気を遠ざける。火が燃える音を聞きながら、タピオは黙々と手を動かした。

 作業に集中しすぎて火が消えないよう時折顔を上げ、火が少し落ち着いていると薪を足す。

 そうして何時間かが経った真夜中。風除けの幕の中に人影が差した。


 「タピオ?起きている?」

 声をかけながら、姉のイロナが入ってきた。その両手にはカップがあり、カップからは湯気が立っている。

 「僕は起きていたよ。姉さんこそもう寝ているかと思ってた」

 イロナが座れるように椅子を出す。準備された椅子にイロナは腰かけた。

 「普段なら寝ているわ。でも今日はタピオが火守をしているでしょ。私が夏に舞った時にタピオが飲み物をくれたから、今度は私が」

 今年の夏の収穫祭で踊ったイロナがカップを手渡した。

 甘い匂いが湯気と一緒にタピオの鼻に届く。

 「ここも火を焚いているし、送り火があるから大丈夫とは思ったのだけどね。お母さんがお茶を渡していたのも知っていたのだけど、体が冷えたらいけないと思って」

 「これお母さんが?」

 飲み物を一口含んだタピオが尋ねた。毎年冬になると寒さで冷えた体を温めるため、ブドウジュースにスパイスを入れて作られる飲み物は母の味だった。


 「ううん。私が作ったの。シナモンの量とかお母さんに聞いてね。おいしい?味見はしているのだけど…」

 「大丈夫、お母さんの味と一緒でおいしい」

 「よかった。火守で大変な時に変なもの飲ませたら大変だったもの」

 「そんなことない。この時間に持ってきてくれただけでもうれしい。ありがとう」

 料理があまり得意でないイロナが作った飲み物をもう一度口に含む。

 収穫祭の舞や裁縫などはうまくこなせるのに、なぜか料理だけは苦手な姉が作ってくれたことがうれしく、つい何口も飲んでしまいそうになる。

 作業をしていてあまり実感がなかったが、少し冷えていたタピオの手先に温度が戻る気がした。


 タピオは作業の手を止め、送り火を眺めているイロナと同じように送り火を見た。

 深く静かな夜に火が煌々と燃え続けている。この送り火が終わって少しすると、森も湖も雪が全て眠らせるのだ。


 「…今年の飾り木は多かったね」

 イロナがぽつりと言葉を漏らした。

 前の年の冬は長く深く、そして冷たく。村の高齢な者の体力を奪うには十分で、普段の冬よりも多くの者が亡くなった。

 タピオとイロナの祖父も寒さで体調を崩し、そのまま春を迎えることができずに星に向かっていったのだ。

 飾り木を投げ込むのは人が亡くなった時だけではない。

 狩りをする大切な相棒である猟犬が亡くなった時なども飾り木を彫る。長く深い冬が明けた後、森で動きだした餓えた獣に立ち向かって相棒を亡くした家もあった。

 「冬が長かったから…おじいさんも長生きではあったけれど」

 「そうね。自然の理だから仕方がないけれど、飾り木が多いと忘れようとした寂しさがどうしても出ちゃう」

 イロナが送り火からタピオの手元へと視線を移す。


 「春になったらタピオも狩りに出るね」

 「うん」

 「一人前になった証だからうれしいけど、私はまだタピオを送りたくないから」

 「まるで僕が狩り苦手みたいじゃないか」

 「弓矢がうまいのは知っているわ。けれど獣たちも狩られたくない。」

 イロナが言わんとすることは理解できる。

 「それにタピオ、森に入るとたまにぼっとするんだもの。クマが目の前にいても気づかなさそうなくらい」

 「さすがに狩りの時まではぼっとしたりはしないよ」

 姉なりの心配とは分かっていても、自分がそこまで気を抜くと思われるのは少し心外なタピオが顔を少ししかめた。


 春から秋の森に薪を集めに入った際などを知っているタピオを知っているからの心配ではあるのだが。

 送り火に薪を足すためと、気恥ずかしさをごまかすために幕の外へ出た。

 火の粉が舞う先。深い夜空に数多の星が輝いてる。薪を足すと星へ届かんとするように火の勢いが増した。

 幕へ戻り、腰を落ち着ける。


 「ねえ、これっていつまで続くのかな」

 「いつまでって日が昇るまでよ」

 「そのいつまでじゃなくて。いったいどのくらい先の時代まで、この送り火って続くんだろう」

 それはタピオが今回の火守に決まってからずっと疑問に思っていたことであった。

 「去年も今年も。きっと来年も誰かが亡くなる。他の家のおじい、おばあが」

 誰かが亡くなるだけではない。

 「村から出ていく人もいる」

 今この瞬間に隣にいるイロナも、もしかしたら村の若者ではなく他の村の者と結婚し、この村を出ていく未来もある。

 いつかは絶対タピオの両親もいなくなる。

 タピオ自身が村を出ていく未来もあるかもしれない。


 「そういうことを考えてしまうんだ。今こうして送るのは僕たちには当たり前なことだけども、僕らが死ぬときにこの送り火は焚かれるかなって」

 火守の役割を教えてくれた父には言えない。

 年の近い姉にだから出せる、抱えていた言葉だった。

 「送り火が焚かれなくなった時、僕らはちゃんと星に向かうことができるのかな」

 この村では送り火で死者を送る。

 村がいつかなくなった時。村が残っても送り火を伝えられなくなった時。その時に自分たちはどうなるのだろうと。

 「姉さんは考えたことある?」

 「そうね…」

 自分の分を飲み干したイロナがカップを地面に置き、口元に手を当てた。

 イロナが考え事をする際の癖を見て、タピオは姉がこの質問に対して真正面から向き合ってくれていることを感じた。


 「多分何も変わらないと思うの」

 口元から手を外してイロナが言った。

 「変わらない?」

 思いもよらないイロナの言葉をタピオが繰り返した。

 「変わらない、のは正しくないのかもしれないけれど変わっていくことは変わらないと思うの」

 「どういうこと?」

 「例えばね」

 村の長老たちが口伝で伝える送り火も、夏の収穫祭の舞も。

 「ずっとずっと変わらないわけではなかったと私は思うの」

 もっと古い時代。まだ狩猟や収穫も安定しない時代。村にまだまだ多くの人がいた時代。

 「長老たちが知らないだけで、実はやり方が少しずつ変わっていたかもしれない。もしかしたらもしかして、収穫祭の舞も送り火もしていなかったかもしれないわ」


 それはタピオが全く想像していない言葉だった。

 収穫祭の舞も送り火も昔々になかったかもしれない、今と違うかもしれないとは考えてもいなかったからだった。

 タピオの中ではずっと昔から今まで変わらず続いているもの、続けていくもの伝統という認識であったからだ。

 「もしかしたらずっと送り火も舞も変わらず続いているかもしれない。でも誰もずっと続いてきているか、なんて分からないわ」

 幕の中。暖を取るための火がゆらゆらと揺れている。

 「姉さんは送り火も舞も変わっていくかもしれないって思う?」

 「いつかはね」

 お父さんたちには内緒、とイロナが言葉を付け加えた。

 「タピオがいつかお父さん、おじいさんになった時。今と同じやり方をしているかもしれない」

 「していないかもしれない、ってことでしょ」

 姉の言葉にどうにも納得いかない、といったようにタピオが呟いた。

 「姉さんは送り火や舞がなくなってもいいってことじゃないの。僕はずっと続いていくと思っていた。だから送られないことがこわい」

 生まれて物心がついてからずっと、送り火も収穫祭もタピオの中では変わらず続いているもので。

 これからもずっと続いていくもの。変わることなんてない、変わらず続いていつかが来た際にぷつりと途切れるかもしれないもの。


 「もしもの話だとしても、姉さんは送り火も収穫祭がなるかもしれない。変わるかもしれない。そう考えているってことは伝統がなくなっても構わないってことではないの」

 「なくなることを良しとしているわけではないわ」

 「じゃあ何なの」

 「伝え続けることは難しい。いつかはなくなるかもしれない。でも、過去から続いてきた全てがなくなるわけではない。そう思っているだけよ」

 「全てがなくなるわけではない…」

 「私が変わらない、っていうのはね。送り火と舞をしようとした思い。続けてきた思い。これは変わらないってこと」

 始まりがどのような理由があったとしても、今の時代まで形が変わっていたとしても。この先どうなるか分からないとしても。

 「何かに感謝し、いなくなった人たちを想う。その気持ちはこの先もきっと変わらない」

 いつかこの村自体がなくなったとしても。他の村で。国で。時代で。

 「タピオがずっとずっと先で旅立ってしまった時。その時に送り火がもし行われないとしても」

 この村では死者が星に向かえるように、星に向かったあとに次の世へ向かえるように送り火を焚く。

 「空へ送ってくれる気持ち。そして収穫祭のように実りを感謝する気持ち。それは変わらない、私はそう思うの」

 だから、何も変わらないとイロナは言う。

 タピオがこれまで思ったことのないことをこれまでも姉は言葉にすることがあった。

 収穫祭の舞を伝え教えられた時に姉がこういう考えに至る何かがあったのか。


 「じゃあ姉さんは送り火がなくなっても、僕たちは星に向かうことができるって思う?」

 「うん」

 「形が変わっても、誰かが星に行くように願ってくれるだろうから?」

 「そう」

 「僕はずっと、送り火も収穫祭も途切れたらそれで終わりだと思っていた」

 「そうね、今の形は途切れてしまったら終わってしまうものね」

 「だからこわかった」

 星に向かうことを祈ってもらえないのなら。そうなった自分の魂がどうなってしまうのか、村自体がどうなってしまうのかがタピオには想像つかない恐怖であった。

 「私もこわいわ」

 慣れ親しんだものが消えて、自分がきちんと送られないと考えるのはイロナでも怖いという。

 「だけど他の村でもね、似たようなことをしているんですって。それを聞いてから今みたいに思うようになったの」

 イロナは十三の歳になってから、収穫物の交易のために他の村に出ることもあった。その際に他の村の伝統を聞いたという。

 「この先がどうなるかなんて、今の私たちには分からないわ。占いおばあでもないと」

 穀物の収穫を太陽と星に問う、村の占い師がタピオの脳裏に浮かぶ。

 占いおばあと呼ばれるその人も、天の全てを知ることはできないと以前に言っていたことも一緒によぎった。

 本が好きなイロナは占いおばあの家に通っていた。交易だけでなく、占いおばあともこんな話をしていたのかもしれない。

 「それでも今の私たちは太陽に感謝し、星に見守られ星を目指す。だから今の私たちに大切なのはこれまでこの地で過ごした人たちを送り火で見送る。太陽に感謝をする。その気持ちをずっと伝えていくことだと思うの」

 幕の外で送り火が燃えている。

 星に向かって舞う火の粉を見ない年がこれから来るのかどうか。イロナの言うように誰にも分からないのだろう。


 「ありがとう姉さん」

 「何が?」

 「姉さんの言うとおりだ、ってそう思った。自然への感謝と誰かを想う気持ち。この先がどうなるか分からなくても、それを伝えることが大事なんだなって」

 「あ!これは私の考えだからね!タピオはこれからタピオなりに考えるんだからね!」

 男衆は狩りもするから、女衆と感じるものが違うとイロナが言う。

 冬が終わって春が来る頃、タピオは初めての狩りに出る。狩りに出るようになったらきっと収穫祭の意味も、送り火についてもイロナとは違う考えを持つのかもしれない。

 それでもタピオはイロナが語ったことは忘れないと心に決めた。

 姉の語る思いも忘れたくない、自分に子どもができた時に話してあげたいとタピオはそう思った。

 話していた内にいつの間にかタピオのカップの中も無くなっていた。


 「姉さん」

 「何?」

 「ジュースってまだ家に残っている?」

 「あるわよ。ああ、もう飲み切ったのね。カップをちょうだい。夜中だし上着も持ってくるわ」

 タピオの希望を聞くためにカップを持ってイロナが幕から出る。それに合わせて、タピオも送り火へ薪を足すために外へ出た。

 薪をくべて空を見上げる。いつの日か自分もこの空へ向かう。その向かい方がどうなるのか。

 イロナの話したとおり向かい方がどうなるかは分からないけれど、けれどもどのようなやり方であってもきっと誰かが送ってくれるのだろう。

 今はこの火守をやり遂げ、自分のできる限りで星へ向かう魂を見送ろうとタピオは星を見つめる。

 夜空に星々がきらめいて、送り火の煙は絶えることなく空へ立ち上っていた。 



〈終〉




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