表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TAKE OFF  作者: 佐倉千波矢
1/1

TAKE OFF

 なぜパイロットになったのだろう。

 ふと、私は思った。

 周囲には、ただ静寂があるのみ。見えるものは、黒いビロードの上一面に鏤めたダイアモンドのような星々の輝き。

 いつかはこうなるかもしれないとわかっていた。パイロットになったときから。いや、パイロットになる決意をしたときから。……このまま私は何処ともしれず、いやにだだっ広い空間をさまよい続けるのだろう。この小さな脱出ポッドでは、酸素ももう残り少ない。

 私は再び、瞼を閉じた。星々はあまりに透明で、見ている私の心まで透明にしてしまう。

 閉じた瞼には、五年前に別れた妻の寂しげな笑顔──私が宇宙港を離陸する朝にいつも見せたあの笑顔が浮かぶ。今頃は、アツシと幸せに暮らしているはずだ。私が遭難したことを聞いたら、悲しむだろうか……。

 もう、離陸することもなくなるわけだ。星々の間に分け入って行く新たな希望と、もしかしたら二度とは戻れぬかもしれないという不安の入り交じった、あの奇妙な一瞬。

 私は離陸の瞬間が好きだった。



 私が初めて船に乗ったのは、十歳の時だった。父の転勤に伴って、火星へ行ったのだ。

 今でこそ人類は太陽系内を自由に飛び回り、恒星間飛行も盛んに行っている。だが当時は恒星間飛行がようやく実現に漕ぎ着けられた頃で、火星に行くことすら一般人にとっては滅多にないことだった。

 だが、今と少しも変わらないのは、少年たちの宇宙志向。十人中八人までが将来は宇宙に出るんだと良い、十歳の私もその一人だった。

 宇宙船は夢。宇宙飛行士は憧れ。そんな年頃だった

 だからその時の火星行きが決まったときの私の喜びは、十年を過ごした家を離れることや、幼なじみのアツシとマリコに三年間会えなくなることすら打ち消すものだった。

 火星へ向かって家を立つ日、アツシは微笑み、マリコは泣いた。熱烈に宇宙を想っていたアツシは、盛んに「羨ましい」を連発していた。だが、マリコは泣きじゃくっていた。

「行かないで、トオル。行っちゃいや」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにし、私の服を掴んで離そうとしなかった。

 その時の泣き顔と、五年前に離婚したときのマリコの顔がオーバーラップする。

「もう待つのはいやなの。待っているだけなのはつらいのよ」

 そう言って泣いた、五年前のマリコ。

 いつしかマリコの姿は薄れていき、やがて火星に行くときに乗った船の展望室が浮かんできた。

 最上層にあったその部屋は、壁の代わりに特殊強化ガラスを張り巡らして、拡大スクリーンを備えており、冴え冴えとした宇宙空間を彼方まで見渡すことが出来た。

 船内アナウンスでこの部屋を知った私は、火星に到着するまでの数週間、暇さえ有ればそこに入り浸った。真っ暗闇にした部屋で星を眺めているだけで、何時間でも退屈せずに過ごすことができた。

 そしてあの日も、いつものように星を見ていた。

 コンソールをいじって、あちこちの星を拡大していたときだった。スクリーンの一角で何かが白く光っていることに私は気付き、すぐにその辺りを拡大し直した。

 するとスクリーンいっぱいに映し出されたのは、鈍い銀色の宇宙服だった。

 即座に私は、途中で切れた命綱と、ひしゃげたロケットノズルを確認した。そしてこの宇宙服の中身に何が起こったのか、朧気に悟った。

 船のスタッフに知らせなくては、と思った。だが身体は震えるばかりで、少しも言うことを聞かなかい。それでも、宇宙服から目を離すことだけはできなかった。

 やがてその宇宙服がゆっくりと遠ざかり始めた。少しずつ身体の向きが変わっていく。そのため私はヘルメットの中の顔をはっきりと見た。いや、見えたような気がしただけかもしれない。その顔はあまりにも鮮明すぎた。

 目を軽く閉じた、安らかな死に顔。口元には微笑みすら浮かんでいた。至福とさえ言えるような顔だった。

 頬に涙が伝った。なぜ泣くのか、自分でも判らなかった。

 涙でゆがんだスクリーンの中、徐々に、徐々に、宇宙服は遠ざかっていった。やがてそれが元の白い点に戻っても、私は泣き続けた。

 怖かったのかもしれない。夢や憧れではない、現実の宇宙の姿を見たことが。宇宙は本来、もっとも危険な場所なのだ。地上よりも、海よりも、空よりも。人のいるべきではない場所だ。

 このガラスの向こうは、「死」一色の世界。

 それなのに、なぜ?

 なぜあの宇宙飛行士は微笑んで死ぬことができたのだろう。誰一人いない死の世界で。友も家族もいない空間で。

 宇宙が恐ろしくなった。だがそれ以上に私は、あの人の気持ちを知りたいと思った。夢は消えた。憧れは消えた。だが、あの人の死に顔が残った。至福の笑みを浮かべた顔が……。



 夢から覚めた私の周囲は、先刻と同様に静寂が支配していた。

 あまりの静けさに何か狂おしいものを感じる。静寂に心が吸い込まれそうな気がしてきて、私は無理矢理目を閉じ、別のことを考えた。船の事故のことを。

 機関部の突然の暴走。私に判ったのは、それだけだった。緊急事態を告げる不愉快なブザー音に混じった、悲鳴のようなアナウンス。情報源はそれしかなかった。

 非番だったために自室で寝ていた私は、即座に通路へ飛び出した。

 走り回る人々。靴音。機械の操作音。怒鳴り合う声。微かな爆発音。隔壁が下りる合図音。スピーカーからは、鳴りやまないブザーと、「緊急脱出せよ」を繰り返すアナウンス。

 近接の非常脱出口へと走った。

 脱出ボッドの並んだ小部屋は既にドアが開いており、いくつかのポッドが発射されている最中だった。

 空いている一つに素早く横たわり、スイッチを入れた。即座に私は内部で固定され、たちまち二重の蓋が下りて完全にロックされた。間をおかずにポッドが動き出し、少しして船外へ押し出される軽い加速感があった。

 やがて身体の固定が解除され、同時にポッドはビーコンを発し、通信機とスクリーンがオンになった。

 そしてはっきりと見た。船が爆発する瞬間を。近くにいたランチやポッドがそれに巻き込まれるのを。

 だが次の瞬間強い衝撃を感じ、気を失った。

 気が付くと、私は一人だった。

 時計は爆発時から数時間経ったことを、座標は爆発地点から数百キロメートル離れたことを告げていた。船の爆発で吹き飛ばされたようだ。

 周辺を探査したが、何も見つからなかった。他のポッドもランチも。通信機は無言だった。人の声どころか、ビーコンすら入らない。

 助かった者はいるのだろうか。仮にいたとしても、私と同じ状態だったなら助かったと言えるかどうか……。

 脱出ポッドの使用は、緊急時の近距離への離脱に限られている。そばにポッドを回収するランチがあるときの脱出方法であり、緊急脱出以外の機能はほとんど備わっていない。ランチがない事態は想定されていなかった。

 さらに数時間が過ぎた。だが依然として私は一人だった。そして、既に諦めていた。

 ここが太陽系内であったなら、まだ諦めはしなかったろう。私の乗っていたのが恒星間船ではなく、惑星間船だったなら。

 宇宙飛行士たちは脱出ポッドを「カンオケ」という愛称で呼んでいたが、まさか本当にそうなるとはいったい誰が思っていたろう。

 あのときの宇宙服の人と同じ状態となった。知りたかった彼の気持ちを存分に味わえるというわけだ。

 私は自虐的に笑った。

 いつかはこうなるかもしれないとわかっていた。けれども、宇宙で死にたいとは思っていなかった。離陸するときにはいつも、無事に帰還することを願っていた。

 それは地球にマリコがいたからだ。矛盾しているが、マリコの元へと戻るために、私は離陸していたんだ。

 だがもう二度と、地球へ、マリコの元へ、還ることはなくなった。マリコ、私は今、君から永遠に離陸していく……。

 狂おしいほどの激情に囚われた。この感情は哀しみなのだろうか。



 しかしもう少し時間が経てば、こうした哀しみも薄れていくだろう。徐々に。あの宇宙服が遠ざかっていったように、この想いも徐々に。

 代わりに想うのは、少年の日に抱いていた、切なくなるほどの宇宙への憧れ。パイロットの資格が取れた日の喜び。見習いパイロットとして、初めて地球-ステーション間船に乗り込んだときの興奮。

 そうだ。最後に残るのは宇宙への想い。哀しみはじきに薄れていく。

 そして私も、あの宇宙飛行士のものと同じ微笑みを口元に浮かべるかもしれない。

 なぜか、そんな気がした。

部屋の片付けで出土した大昔の遺物をリサイクル~♪ その7。

以前参加していた同人誌に掲載したもの。

レイ・ブラッドベリ作品に出会えたのは萩尾望都先生のコミカライズのおかげです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ