捌け口
K子ちゃんは会社員である。
友達はいない。
べつに人嫌いというわけではないが、一人が好きなのだ。だから会社では他の社員と必要以上の会話はしないし、仕事が終わるとすぐにじぶんのアパートの部屋に帰っていた。部屋には最愛の飼い猫モーちゃんが待っていて、K子ちゃんを癒やしてくれる。
モーちゃんはかわいがる専用で、仕事の愚痴を聞いてもらったりはしない。そういうものを吐きたくなった時には、専らインターネット上に吐き出していた。
小説投稿サイト『小説家になりお』にK子ちゃんはユーザー登録している。
『ただいま14連勤中。休みがほしいよ〜』
『今日、部長からこんな無茶なお願いされた』
『うちの会社のやり方、こんなんなんだけど、これって会社としてどうなんだろう?』
活動報告ページでK子ちゃんは愚痴を吐く。
もちろんけっして個人名なんかは出さない。自分の中に溜まったモヤモヤとしたガスを吐き出すように、グチグチとひとりごとのように、ひたすらに愚痴を呟く。
K子ちゃんは小説もいっぱい書いていて、いつも楽しみにしてくれる読者さんも少なからずいる。
『お疲れ様』
『それはひどいねー。そんなお願い聞く必要ないよ』
『それは会社として問題ありだねぇ』
活動報告を見た読者さんからそう言ってもらえると、K子ちゃんはいくらかスッキリする。
それで会社を変えられるわけじゃないし、部長から頼まれたことが消えるわけじゃないけど、いくらかスッキリするだけでも意味があるのだ。
調子に乗ってK子ちゃんは『小説家になりお』上に愚痴を吐きまくった。
そのうち自己嫌悪に陥った。
楽しいことを書くべき小説投稿サイトに、こんな仕事の愚痴を書き込みまくってる自分はなんてやつだ。
こんなもの読んで、読者さんが面白いわけがないじゃないか。
みんな優しいから、面白くないなと思いながらも、あたしのことを思って聞いてくれてるだけなんだ。
そう思ったので、今後一切『なりお』上で愚痴は吐かないことを宣言した。
他にいいサイトを見つけた。
それは『さえずっター』という有名なSNSサービスで、みんなは交流目的で利用しているところだった。
K子ちゃんは『小説家になりお』という交流の場所はもうあったので、『さえずっター』は交流目的ではなく単なる愚痴吐き場と決め、フォローだのレスポンスだのはまったく期待せずに、ただひたすらにそこで愚痴を吐きまくった。
『仕事がきつい……』
『やめたいけど、やめても行くとこない』
『あのオッサンの首しめたい』
もちろんほんとうにオッサンの首をしめるつもりはまったくなく、ただ愚痴を吐き、『いいね』はひとつもつかなくても、誰かが見てくれるだけでいくらかK子ちゃんはスッキリするのだった。
ある日K子ちゃんは『小説家になりお』上で、出版社の編集者さんが書いたという、こんなエッセイを見つけた。
『書籍化したいなら、さえずっターとかに愚痴書き込みみたいなのはしないほうがいい。
せっかく出版社の目に留まっても、そんな愚痴を吐いてばっかりなのをもし見つかったら、この作家さんは人間性に問題ありと思われてチャンスを自ら潰すことになる。
出版社はそんなところまで見ている。気をつけよう』
K子ちゃんはただ楽しみのために小説を投稿していたけど、これが書籍化されて、お金になったらいいなとは思っていた。
急いでさえずっターの呟きをすべて削除し、それからは楽しい書き込みしかしなくなった。
K子ちゃんに友達はいない。
愚痴を聞いてくれる人など誰もいなくなった。
愛猫のモーちゃんは何が何でも可愛がる専用だし、そもそも猫に愚痴ったところでひとりごとと変わりはない。
某巨大匿名掲示板で呟いてみたところで、それはじぶんの愚痴というよりは匿名さんの愚痴に過ぎない。聞いてくれるのも顔のない匿名さんだし、何より真面目に聞いてはくれない。
K子ちゃんはストレスの捌け口を失った。
48連勤で疲れ果てていたある日、彼女は10階建のビルの屋上から飛んだ。
鳥になったみたいで、自由を全身で感じることができた。
笑いながら、K子ちゃんは眼下の人のいっぱいいるアスファルトの上へ落ちていった。