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読めない君が笑う時  作者: ゆー
それから。
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風は水面を渡りたい

昔から、丈夫とは言い難い身体だった。


普段から学校は休みがち。当然、独学だけでは勉強についていくにも限界があり、周りにも気を遣われ、残るのは申し訳無さだけ。


そして、人というのは、何事にも時が経つにつれて扱いというものが変わってくるものだ。


良きにせよ。悪しきにせよ。


私にとってそれは、大変残念な事に『悪しきにせよ』だった。


『何であの子ばかり?』


『私が何でそんな事まで?』


責める理由は無いだろう。それは、少なからず当たり前に疑問に思う事だ。

けれど、膨れ上がり続ける不満は、いつか解消しなければ爆発してしまう。それもまた、当たり前。




その捌け口が、根本の原因たる私だった。ただそれだけだ。




責める理由は無いだろう。それは、少なからず予想出来た事だ。


ただ。


それでも。


今まで向けられていた笑顔が塗り替えられ、霞んでしまう事は、辛かった。












『ゆっくり休んでいくといい』

『無理をしないで、貴方なりの歩みでよいのですよ』


心身の療養の為、逃げる様に故郷を出た私に、小さな旅館を営んでいた祖父母は、悪意の欠片も無い柔らかい微笑みを見せて、そう微笑んでくれた。


けれど、ただ甘え続ける訳にはいかない。


私を知らない町で、私はまた零から私を始めていかなければならない。

これ以上弱音は吐けない。迷惑はかけられない。

笑顔を作り上げて、私は私を作り出す。


明るく元気で、天真爛漫。理想とするならば、そんな感じだろうか。


私の新生活が、始まった。




大変有り難いことに、この町の人達は緩すぎ…失礼、大変大らかな人が多く、私自身、想像よりも遥かに早く馴染む事が出来た。それでもやっぱり、勉強についていくことは大変だったけれど。


『…身体、大丈夫か?志乃』

『うん。ありがとう、賢くん』


町ですれ違った学生、先輩だろうか?から聞こえてきた会話がふと耳に入り、私は振り返った。

あまり身体が丈夫ではないのだろうか。何処か弱々しく歩く、儚く清楚な女の子を、男の子がしかと支える様にして横を歩いていた。


『どうかした?』

『…いえ』


突然、立ち止まった私を疑問に思ったクラスメイトが戻ってくる。

何てことの無い声を返しながら、私は胸の奥から込み上げる羨望をひたすらに押し殺していた。


『(私にもああいう人がいれば、何か一つでも変われたのだろうか)』


今更考えたところで、詮無きことだけれど。

それでも、…それでも。やっぱり、恨めしくて、羨ましくて。

何よりそう思ってしまう浅ましい自分が、嫌いだった。


『来年はついに高校受験だねー。風峰さんはもう決めてるの?』

『……あー…私は』


かけられた問いに悩む素振りは見せども、第一志望は既に決まっていた。比較的近くて、通いやすいところ。

けれど厄介な事に、今の私の学力で果たして通用するのかは些か怪しい、そんな学校。


『…まだ決めかねています』

『だよねー…あー憂・鬱…』

『あはは…』


こんな私でも優しく接してくれる彼女は、間違い無く友人と言えるだろう。それでも尚、後ろめたいと感じるのは、やはりまだ己を曝け出せないからか。


そんな私だが、最近、気になる人がいる。






『………』


皆がわいわいやっている教室の中で、ぽつんと一人、我関せずで本を読む物静かな女の子。

長い黒髪、大人びた容姿。少なからず演じている私が、他者を気にすること無くマイペースを貫き通す事が出来る彼女に心惹かれることは、至極当然のことだった。


『あの人…』

『?ああ、水無月さん?…何というか、声かけづらいやねぇ…』

『…怖い人なのですか?』

『…いや、そんな事は無いと思うよ?どちらかというと、ただ私らに興味が無いだけって感じかなぁ…』

『興味…』


人の顔色を窺って生きる私からすれば、とんでもない話だ。

けれども、だからこそ。


『…憧れてしまいますね…』

『?…何か言った?』


あの人の様に、強くあれたら。












『あ、あの……!!』

『………?』


それから数週間。…数週間、その人を影から眺めるだけの無為な日々を過ごした訳だが。

漸く今更勇気を振り絞って声をかけた私と、彼女の瞳とがついに交差する。


『(わ…)』


改めて間近で向かい合うと、何て綺麗な人なんだろう。これで同い年だと言うのだから、世は不平等だ。

そして、長い髪に隠れた瞳を目の当たりにして、私は今までの考えを改めることになる。


『(……、寂し、そう?)』


感情の読み取れない瞳から確かに覗く、昏い影。

私がそれを理解出来たのは当たり前だった。


この目を私はよく知っている。

その目を私はよく知っていた。

だって、他の誰でもない、私と同じ。


けれどどうして?


貴方は一人で大丈夫な人なのではなかったのですか?


他人のことなんて興味が無かったのではないのですか?


いいや。


『(それこそ、私が勝手にそう思っていただけではないか)』


彼女に対する印象はひっくり返された。


けれど、私の決意までは変わることは無い。


水無月葵さん。私は貴方に憧れています。

貴方と仲良くなりたいです。 


『何かご用でしょうか?』

『…あの、私…』


だから。


だから。






『私に、勉強を教えていただけませんか!?』






嗚呼、もっと。


声をかけるにしても、もうちょっとましな言葉は無かったのか。


そして、私はこの言葉を末永く後悔することになる。












「夕莉」

「うう…」


「夕莉、起きてください」

「うぐぐ…」











「まだ323問しか終わっていません。終わるまで終わらせませんよ」

「おわーー!あーちゃんの鬼ーー!」


あれから2年近く。

人生何があるか分からないもので、私と彼女・水無月葵さんは、すっかり心通わせた大親友となっていた。心、通っていますとも。はい。


最近、心做しか抑揚というものが機能し始めた彼女の低いお声が私の鼓膜を無慈悲に刺激し、逃げ場を求めて、私は彼女のスカートの中へと頭をぐりぐり押し付けた。

死へと誘うASMRなど、一体何処に需要があるというのか。


「人の膝を勝手に借りた挙句、何たる言い様。…そして撫で回さないでください」


てしっ、と、たおやかな手が、我が意に反してすべすべな玉肌の上を好き勝手に滑る不届きな腕を叩く。


「…これが……」


やわやわな太腿に挟み込まれて至福を味わっていた頭をがばりと起こすと、私はついに溜まりに溜まった鬱憤をこれでもかと吐き出した。吐き出さざるを得なかった。


「これが撫で回さずにいられますか!?腱鞘炎が川の向こうで笑顔で手を振っているというのに!こんなの現役JKの柔らかい生太腿の一つや二つ撫でないとやっていられませんよ!」

「ですか」

「はい出た!DEATH COME(死よ来たれ)!無慈悲で無情な死の宣告!何故あーちゃんは先輩に対するLOVEの一欠片くらい風峰に向けられないのかっ、甚だ理解に苦しみます!」


彼女が笑顔を取り戻したきっかけとなった、彼女の従兄。私では成せなかったそれをいとも容易くやってのけた憎たらしいお顔を、脳内で何度も張り倒す。私は妄想の中では古今無双なのだ。


「…ラブが無いからでは?」

「え」


素気ないお言葉に、古今無双・膝を折る。

何たる悲報。私達の間に、愛は無かった。こんなに辛いのなら、愛などいらぬ。

思わず顔から色を無くした私を、同じく白い目で見ていた彼女が、ふわりと自然な微笑みを見せた。


「私が夕莉に向けるのはライクでしょうし」

「あーちゃん…♡♡♡」

「満たされましたか?ではとっとと勉強に戻ってください」

「あーちゃん……………」


愛は愛でも、愛の鞭。

即座に流れる様に虚無に戻った親友に背を押され、机に積み重ねられた忌々しい課題と向かい合う。

嗚呼、赤く腫れたペンだこが痛々しい。自慢の温泉でゆるりと癒やしたい。


「何故、テストなどという文化がこの世界には存在するのでしょうか…持つものと持たざるものを淘汰するシステムなど、無益な争いを生むだけなのでは……?」

「持つ持たないではなく、やるやらないの問題です」

「う」

「…一応、夕莉が苦手とする分野を分析して、私なりに纏め上げた課題ですから。これさえ乗り越えられれば、補習の心配も無いかと」

「うう」

「夕莉はやれば出来る子ですから、頑張りましょう?」

「ううう〜」

「はい、風峰、良い子、出来る子、賢い子」

「う、うぐぐ…か、カザミネ…ヤル…デキル…カシコイ……エライ…」

「偉くはない」


…分かっている。この山は、彼女が出来損ないの私の為に苦労して作り上げてくれた努力の結晶だ。

受験勉強の時もそうだった。私が見苦しく喚く姿を素っ気ない目で流している様に見えてその実、彼女は私の為に出来る事を考えてくれた。


その見えづらいだけで確かにある優しさのおかげで、私は今もこうして彼女の隣にいられるのだから。


何も返さずに、のうのうとそこにいるだけが、許される筈も無い。


「かーざみね(棒)。かーざみね(棒)。かーざみね(棒)。かーざみね(棒)」

「オ、オデ…テンサイ……オレサマ…オマエ…マルカジリ…」


ただ甘えるだけの子供は、卒業したのだ。












「夕莉は」

「あい…」


どっぷり外が暗くなった頃、死闘を終えて精魂尽き果て崩れ落ちる私を肘をついて眺めていた彼女が声をかけてくる。


「私に声をかけたこと、後悔していないのですか?」

「……?」


一瞬、言われた事が理解出来なかった。

顔を上げた先にあったのは、俯く暗いお顔。出会った頃によく見ていた顔。


「私は、正直人付き合いが上手とは言えません」

「ですね」

「こうして、酷いことも平気でします」

「確かに」

「…………」

「いたいいたいいだいおみみひっぱらないで」


自分から言い出したくせに、子供の様に口を尖らせてざ・お冠な彼女から何とか逃れると、乱れた御髪を整えて私はいつもの様に笑う。


「後悔なんて、する訳無いじゃないですか」

「……」


大人びている様に見えて、年相応に可愛らしい親友のおかげで取り戻した笑顔で。


「あの日、勇気を出して声をかけて良かった。その気持ちは一度でも揺らいだことはありませんよ」

「…ですか」

「ですです。ほら、風峰、単純ですから」

「ですね」

「…………」

「おみみひっぱらないでください」


息の合ったやり取りを済ませて顔を見合わせると、私達は小さく吹き出した。

そこにいる私に、もう後ろめたさを取り繕う仮面は無い。


故郷から遠く離れた地で、心から信じられるかけがえの無い友に私は出会えたのだ。


逃げ出す事を選んで良かった。

声をかけて良かった。

皆に会えて良かった。




後悔なんて、あるもんかっ。




「うーん…!無事、無間地獄を乗り越えた事ですし!また二人で仲良く温泉で流し合いっこしましょうか!今夜は寝かせないぜあーちゃん!」

「…ふふ。ですね」
















「上がったら次の課題に取り掛かりましょう」

「…………………………………………………………………?」

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