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読めない君が笑う時  作者: ゆー
それから。
62/66

あおいなぎさ②

「………」


空を仰ぎ、何度も深呼吸する背中を、私は引き続き入り口の近くから無言で見つめていた。


先程の雰囲気からして、一人になれる場所を探していた、という可能性は大きい。となると、今、私が下手にちょっかいをかけることもあまりよろしくないのだろう。


ひとまずは、満足するまで好きにさせてみようか。











「あの」

「ん?」


どれ程時間が経っただろうか。ぼちぼち空が夕日に染まる頃、向こうから話しかけてきた。


改めて向かい合うと、成程大層美しい子だ。『高嶺の花』、なんて言葉がよく似合いそうな気がする。さっきの鋭い蹴りと物騒な舌打ちさえ忘れれば。


「もやもやは晴れましたか?」

「………まあ」

「ですか。それは何より」

「………それより、まだしていませんでしたよね、自己紹介」

「ああ…」


確かに。うっかりしていた。私は学年代表たる彼女のことを知っていると言えば知っているので、大して気にしていなかったが。

風で乱れた髪を整えると、綺麗な所作で彼女は私の正面に立った。


「私は」

「『真鶴』」

「ん?」

「違いましたか?」


入学式、壇上で見事な演説をしていた姿はまだ記憶に新しい。

その時とは随分感じる印象が変わってしまったものだけれど。

遮る形となった私の問いかけに、彼女は緩やかに首を横に振った。透き通る黒髪が、夕日に照らされて光を反射する。


「…違いません。…1年の真鶴、凪沙です」


ご丁寧にこちら側から読める様、反転して空に漢字をサラサラ描く真鶴氏。全くの淀みも無く、それでいて恐ろしく丁寧な字。サラリと凄いことを。

反面、顔が若干苦々しいのは、己を知る人物に見られたくないところを見られてしまったからか。


…なぎさ。『凪沙』か。うん、優しい響きの、心地良い名前だ。彼女によく似合っている。


「よいお名前ですね」

「…どうも」

「はい」

「………」

「………」

「…………」

「…………?」


自己紹介を終えると、私の顔をじーっと見つめたまま、彼女が何かを言いたそうに黙り込んでしまった。

何だろう。そんなに熱い視線を送られても、お金なんて持っていないけど…、と思いかけた所で漸く気がついた。

私もまた、自己紹介をしていない。

彼女にとって今の私は初対面、路傍の石、何か湧いて出てきた愛想の無い女でしかない。胡乱な視線を送られて当たり前だ。


「失礼しました」


ふむ。ここは一つ、人生の先輩として、卒のない小粋な自己紹介でもしてみるべきだろうか。


「2年の水無月葵です」

「『水無月』………?」

「気軽にあおたん先輩とでも呼んでください」

「…………」

「……………」

「………………」

「…………………」

「…………………………………………………………………」

「冗談です」

「でしょうね」


それが出来れば苦労する筈も無く。

場を和ませるつもりで良かれと思って繰り出した会心のジョークは、見事絶対零度の空間を作り上げてくれた。どうしましょうか、この空気。


「『水無月先輩』」

「はい、こちら水無月先輩」


にっこり。

取り敢えず全てを流すことにしたらしい、いや、してくれたらしい真鶴さんが、またまた薄っぺらい微笑みを私に向けて浮かべてきた。

何故だろう。さっきと違ってちょっぴり背筋が寒い。…ひょっとしてこの薄っぺらさは私の渾身のジョークに向けてのものだったりするのだろうか。


「ありがとうございました」

「?」

「好きにさせてくれていたでしょう?」

「ああ…」


首を傾げる私に向けたお礼と共に下げた頭を上げれば、微笑む顔からは幾分か影が薄くなっている様に見えた。

どうやら、私の選択は間違っていなかった様だ。今更ながらにホッとする。


「お礼はいりません」

「…でも」

「その代わりに、この場所のことは秘密にしておいてくれると助かります」

「……ぁ……」


更に彼女を安心させたくて、人差し指を唇に当て、私は微笑んだ。微笑んでいる…と思う。多分。

引き入れたのはこちらだけれど、あまり知られたくはない隠れ家。他にも候補は幾つか存在するが、一番のお気に入りはここなのだ。


「どの道、貴方一人では入ることは不可能でしょうが」

「入り方、教えてくれないんですか?」

「まだそこまでの仲ではないです」

「…………教えなければ誰かにばらす、と言っても?」


おや、直球に脅しをかけてきた。


「なら好きにどうぞ。寂しくはあっても無くて困るものではありません」


とはいえ、私にさして効果があるものでもない。あっさりと返された返事に、彼女が身体を揺らす。

今の私が困るのは、隠れ家よりも兄さんを奪われることですし。兄さんさえいてくれれば、そこが私にとって一番安らぐ場所となる。


「……そ」


彼女自身、本気で言っているつもりも無かったのだろう。

肩の力を抜いて小さく鼻を鳴らすと、ぶすっとした年相応のお顔で失礼にも先輩を睨みつけてくる。


「"まだ"って言いましたよね?」

「言いました」

「なら、仲良くなれば教えてもらえるということですか?」

「………」


無表情の裏で、私は小さくほくそ笑む。

正直に言えば、その狙いはあった。

人付き合いが苦手な、自他ともに認めるコミュ障。たった一度の邂逅で私がこの子の悩みを解決できる訳も無い。


「そうですね」


ならどうするか。数を重ねればいいだけだ。しつこく、辛抱強く、粘り強く、ねちっこく、少しずつ彼女と距離を縮めて、彼女の内にある迷いを紐解いていく。

言っておいて相手任せなのは、許してほしい。これが私にできる精一杯だ。一応、彼女が言い出さなければ自分から言うつもりではあったが。…嘘じゃない。


「私の攻略は中々に面倒くさいですが」

「あら奇遇ですね。私もなんです」

「………」






「ふふ。ですか」


挑戦的な笑顔に、早くも私の好感度はうなぎ登り。

果てさて、この先どの様にして彼女が私のご機嫌をとるのか。

願わくば、こんな私とのコミュニケーションでも、少しでいいから彼女の背負っているものが軽くなってくれればいい。


「では手始めに。何がお好きなんですか?水無月先輩は」

「兄さんです」

「心折れそう」


初めて出来た後輩。先輩として、少しくらいかっこつけたいと、そう思うから。

















「機嫌良さそうだな」

「………ん?」


その晩。


布団に入ってさあ寝ましょう、といったまさにその瞬間、隣の兄さんから放たれたその言葉に、私は思わず自分の顔をペタペタと触ってしまう。


「何か変でしたか?」

「いや、表情は無だったんだけど」

「けど?」

「何か雰囲気が浮かれていた、というか?」

「……………」


表情に浮かべていなくとも、兄さんは感じ取ってくれる。その事実を改めて認識して、胸の奥底から滾々と温かいものが湧き出てくる。それを身体で表現する様に、私は頭を兄さんの胸にぐりぐりと擦り付けた。


「さっきの『用事』、そんなに上手くいったのか?」

「んー……」


自分の事でもないのに何故か嬉しそうな兄さんに頭を撫でられ、甘んじてそれを一通り受け入れると、私は兄さんのお腹の上に乗っかって、その両手の指に己の指を隙間無く絡めた。


「聞いてくれますか?」

「何でも聞きたい」

「…ですか」


柔らかく優しい声色に、頬に熱が灯るのを感じ取る。

緩やかに兄さんの上に倒れ込んでその首筋に顔を埋めると、朝ぶりの兄さんの匂いを堪能した。ちょっとした悪戯心でシャツを下に引っ張れば、たくましい胸元がチラリと覗き、匂いが濃くなる。うん、善哉。


「ちょっと素直じゃなさそうだけど、とても可愛らしい後輩が出来まして」

「うん」

「柄でも無いけど、……これからが楽しみなんです」

「…そっか」


「わぷ」


私の何でもない言葉を聞いた直後、背中に回された兄さんの腕に途端に力が込められて、強く抱き締められた。

感極まった様な抱擁に、けれど悪いものは欠片も感じず、私もまた、全てを兄さんに開け渡す様にして手を回すと、その胸の中に飛び込み、甘える様に目を閉じた。


ああ。


ああ、安心する。心から安らげる。


あの子にも、こんな出逢いがあれば。

少しでも、安らげる居場所になれるのなら。




「(ああ…)」




お姉ちゃん。貴方が何を思い私達を心配してくれていたのか、少しだけ分かった様な気がします。

葵も少しは成長出来ているのでしょうか。


そうだったら、嬉しいです。


眠気に誘われる暗闇の中に映り込んだ、あの小さな背中が肩を揺らしていた気がした。

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