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読めない君が笑う時  作者: ゆー
それから。
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メイドな君がもてなす時

バレンタイン(?)SS

「おっつおっつ〜。やー悪いね〜少年。愛しの素直クール妹系恋人ちゃんとチョコ塗れでしっぽりイチャイチャしたかったろうに爆発しろくそがぁ!!!」

「謝罪なのかキレるのか、せめてどちらかにしません?」


まだ開幕2秒も経っていませんでしたぜ?




時はバレンタイン。恋人の恋人による恋人の為の甘くて甘い甘ったるい1日である。

そして、独り身の独り身による独り身の為の苦くて苦い苦々しい1日。


そんな微笑ましいこの日に降臨するは、禍々しい憎悪が滲み出た満面の笑顔という、情緒が行方不明な我らがマスター。言うまでもなく後者である。

今にも世の恋人達に向けて辻パイ投げでもしでかすのではないかという殺気から逃れる様に、僕は静かに距離をとりました。


因みに、俺は今はバイトを終え、着替えと帰り支度を済ませて、洗い物をしていたマスターと店内で寛いでいるところである。他に人影は無い。静かなものだ。店内はバレンタイン限定メニューのチョコレートの甘い香りが未だ漂っているが。


マスターはそんな俺に特に傷ついた様子もなく、何やらアンニュイな溜息を吐いて、カウンターに頬杖をついた。


「これでもマスター反省しているのよ?こんなに使い勝t…気が利くのに女っ気がちっとも無かった童t……パシr…、いい男にっ、漸く出来た恋人との初めてのバレンタインを邪魔して良かったものかと」

「お気遣いありがとうございます…と言う気は無くなりました」

「んん?何故なにゆえ?」

「何故でしょうね」


自分の胸に手を当ててよく考えてみるといいんじゃないかな。そこに貴方が独り身の理由が詰まっていると思いますよ。そう思ったそこの貴方。口には気をつけないと狩られますよ。


「まあ、気にしないでください。当の恋人にキッチン接近禁止令を出されてしまったので、寧ろちょうどよかったです」

「おや。なんか恋人っぽいイベント。帰ったらチョコを塗りたくったあの子がお出迎えして『兄さん、私を食・べ・て♡』ってかぁ?てかぁ!?」

「俺、もう帰りますねー」


一体、いつの時代のノリなのか。

でも、指摘したらマスター繊細だからショックで1週間くらい寝込みそうで面倒く…怖いんだよなぁ。

誰かこの心優しい女性に慈悲でもくれないかと、そんな事を人知れず祈りながら淹れてくれたホットチョコレートを飲み終えると、俺は愛する恋人の待つ家へと帰る為に立ち上がった。


「少年」

「はい?」


出口に向かう俺の背中にマスターが声をかけてきたので、大人しく振り返る。


「今日の御駄賃…でもないけど、私からのバレンタインは家に届けてあるから、楽しみにしていなさいな」

「…はい??」


その表情は、何だか面白そうというか、愉快というか、それでいて年上の気遣いを感じさせる様な奇妙な感じで。

明らかに何か含んだものを感じつつも、今日のところは黙って家に帰るのだった。












「おかえりなさいませ、ご主人様」

「……………………………………………………」


トンネル(玄関)を抜けるとそこにいたのは、可愛らしいフリルに彩られたエプロンに身を包んだミニスカメイドだった。


誤解無き様に言わせてもらうが、断じて俺が家に帰ると見せかけてメイド喫茶に遊びに来た訳でも、実はメイド喫茶に住んでいる訳でも無い。

目の前にいる、滅茶苦茶美人で仕事が出来そうなクールなメイドは、紛うこと無き水無月さん家の葵ちゃんであった。


「…………………」

「に、…ご主人様??」


細くて長い脚を惜しげもなく晒しながら、スカートを揺らしてメイドが固まる俺へと歩み寄って下から見上げてくる。

頭上で揺れるヘッドドレスが、眩しい絶対領域が、意外と無防備な谷間が、俺の利発な思考を妨げる。いえーメイドさいこー。もえもえきゅん。


ではなく。


この姿、実は俺には見覚えがある。

具体的には風峰後輩にゲザって見せてもらった端末上の小さな画面で。

勿論、データも送ってもらった。諭吉渡そうとしたら引かれた。


「葵、さん」

「はい」

「……その格好は?」

「マスターに頂きました。兄さんが喜ぶ、と」


そう、学園祭で葵が着用したであろう、コスプレ喫茶の制服。

そう言えば、マスターが協力したとか言っていたっけ。あの人、実はコスプレ好きだなんだよなぁ。本人はバレてないと思って隠しているけれど。


「……全くあの人は……」


いい歳してイタズラ好きなんだからありがとうございます今後も忠を尽くしますつきましては次のバイト無給でいいです寧ろ金払いますマスター様。


「…お気に召しませんでしたか?」

「めっっちゃ好き」

「…………で、ですか………」


?何故だろう。葵がたじろいで一歩後ろに下がった。変なことを言ったつもりは無かったのたが。メイドは全男子の夢の筈なのだが。


「こほん。…という訳で、本日はバレンタインという事で、不肖、このメイドの葵がご主人様を丁重にもてなさせていただきます」

「おお〜…」


しかし、すぐに態勢を立て直すと、その場でスカートを広げて優雅に一礼。

何とも絵になるその光景。感動で最早、言葉も出てこない。出てくるのは何かキショい感嘆の声だけ。後、ミニスカ持ち上げると、その、危ないからさ、ね?


「ご主人様。お荷物、お持ちいたします」

「おお…」

「さあ、どうぞこちらへ」

「おおお…」

「……酸素の元素記号は?」

「O……」












「どうぞ、召し上がれ」


着替えを済ませて(葵が脱がせようとしてきたので阻止した)、シャワーを軽く浴びて(葵が背中を流そうとついてきたので全力で阻止した)、一息ついた俺の手をとって、葵が心做しか誇らしげに案内したのは、何とも美味しそうな食事が並ぶ豪勢な食卓であった。

食欲を唆る香りを漂わせる料理達は、あれ?today is my birthday(流暢)だっけ?と言わんばかりの勢いである。


「おお…最近、熱心なのは知っていたが…」

「ふっ」


何度目かという、“お“が織りなす驚愕の溜息を吐きながら、俺は恐る恐ると席に着けば、わざわざ俺の後ろで待機するメイドが、腰に手を当てて豊かな胸を張った。


「日々の研鑽の賜物ですね」

「となると、こっちは?」

「…………それは、冷凍食品…ですけど……」


まるでお店で作られた様な一角を俺が指し示せば、途端に丸くなり意気消沈する葵メイド。


「…分かってるくせに。…兄さん、意地悪です……」


そして続けざまに、頬が膨らませてむすっと。やべえ可愛い。

あかん。素直に感情を出す様になってから、俺の中で葵の可愛さが留まる事を知らない。


「ごめんごめん」

「……早く食べて」


葵ちゃん、拗ねすぎて敬語行方不明事件。これは完全犯罪なので解決は不可能。迷宮入り。出来たらこのまま気付かないでいて欲しい。何故って、kawaiiから。


しかし、俺が箸を取っても、葵は後ろで待機したまま動こうとしない。

後頭部に向けられる視線が熱すぎて、俺は冷や汗を垂らしながらつい、振り向いてしまった。


「…葵は?」

「メイドですから」


澄ましたお顔ですげない反応。

けれども、可愛い恋人を立たせっぱなしで一人飯を食う、というのも気まずいし寂しい。何より、葵がこんなに頑張ってくれた料理。二人で一緒に食べたいというもの。


「じゃあ、ご主人様の命令。一緒に食べよう。ご主人寂しい」

「…ですか」


という訳でご主人様の特権を乱用するとしよう。

元より、俺がそう言い出すであろうことは予想していたのだろう。聞き分けの悪い子供に、仕方ないなぁ、とでも言わんばかりに小さく息をついて、葵が素直に席に着く。


向かいではなく、隣に。


「「いただきます」」


仲良く手を合わせて、早速出来立ての料理を口にする。


「ん」


そしてびっくり。味付けも、焼き加減も、まさに俺好みの、思わず目を瞠る程の出来。教えた身ながら、まさか短期間でここまでの成長を見せるとは。


「美味しいですか?」

「…凄く美味しい。正直、びっくりした…」

「ふっっ」


緊張と期待を込めた瞳で料理ではなく俺をじーっと見ていた葵も、その反応にご満悦らしい。

満足そうに鼻を鳴らし、何度か元気よく頷くと、たおやかな手を動かして、おかずをスムーズに箸で掴み上げる。


「兄さん兄さん。はい、あーん」

「…あーん」


そして箸は己ではなく、俺の口元へ。

俺もまた、葵がそうするであろうことは予想出来た。出来る程度には、最早お馴染みの光景である。


「…ふふ」


それでも、何度繰り返そうと、俺が一口口にする度に、彼女が本当に嬉しそうに顔を綻ばせる。どれだけ気恥ずかしくとも、この笑顔を曇らせる選択肢は俺の中には存在しないのだ。













「…気持ちいいですか?」

「…それはもう」


大変豪勢な夕食を終えれば、俺は今度はメイドによる膝枕を堪能していた。

ミニスカなものだから、後頭部には葵の生の太腿の柔らかく温かな感触が直に伝わってくる。


脳が溶けそうです。成程、これが人を駄目にする枕。この世界に、これを超える心地良さの枕など果たして存在するのだろうか。いや、しない。反語。


「お腹一杯ですか?」

「うん…」


更には頭まで撫でてくれるのだから、こんなんもう違法ですやん。

ああ、『怠惰』と『堕落』の二文字が向こうから大手を振って俺を招いている。もう、全てを委ねて良いのではないか。


「……それは、困ります」


けれど、このまま眠りに落ちてしまいそうな俺の返事を聞いて、頭上の手がピタリと止まった。


「ふぐ」


ぷに。


ほんのり低くなったお声と共に鼻をつままれ、反射的に目を開けば、目の前には赤く染まった顔で俺を見下ろす恋人のご尊顔と―――


「ん」


小さなお口に咥えられた、何やら小さな茶色い物体。


それは。と口に出すよりも早く、葵が顔を近づけてそれを唇に押しつけてくる。

つんつん、と丁寧に入り口をノックし、僅かに開いた口内へと舌を差入れる事でそれを運び込むと、そのままお互いの熱で融け合わせる。


甘いチョコは、名残惜しむ間もなくあっという間に融けて無くなってしまう。

ただし、口内に漂う甘い香りと、情熱的な熱だけははっきりと。


「…まだ、お腹一杯ですか?」

「………」


唇の端についたチョコを舌でぺろりと舐め取ると、挑発的な光を微かに覗かせながら葵は妖艶に微笑んだ。

どうやら、メイドではなく、小悪魔だったらしい。


「…短すぎて分からなかったかも」

「ふふ。ですか。…なら、まだたくさんありますから、存分にご賞味ください…」



またまたご満悦そうに鼻を鳴らすと、葵は懐からもう一つチョコを取り出して、口に咥え、いや、食べた。


「ん」

「……」


ちょんちょん。

欲しいのならば、取りに来い。唇を示す指と、潤んで揺れる目が、それを大いに物語っていた。


「わー」


無礼なメイドには灸を据えなければならない。ということで力を入れて身体を入れ替えると、葵が楽しそうに声をあげる。


「ご主人様に取りにいかせるんだ?」

「躾けますか?」

「…いや、俺も駄目なご主人だからおあいこかなぁ…」

「ですか。…なら、後で一緒にお仕置き、ですね?」


何だその魅力的な提案。


具体的にこの後、どんなお楽しみが起きたかは置いておいて、俺の、俺達の初めてのバレンタインは、素晴らしく胃のもたれる1日となったのである。




…これは、お返しが大変だ。

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