笑顔は笑顔
「やっぱしグラボ買い換えようと思うんじゃよね。フレームレートも高めで安定させたいし」
「ぐ、ぐら…ぼ?……ふれー、む……?」
お店で二人、盤を挟んで駒を指しながら、私はお爺さんの口から発せられる謎の単語の数々に絶賛、翻弄されていた。
全く…。いくら負けが混んでいるからといって、実存するかも疑わしい謎の言葉を使って相手を惑わせるのはあまり褒められた行為ではないと思うのですが。
「嬢ちゃんどう思う?」
「ぶらぼーですげーぐれーとだと思います(??)」
「嬢ちゃんならそう言ってくれると思った。遅延まじ許すまじじゃからねFPSは。超えるか…!20万円の壁……!!」
「にじゅっ…………で、ですか……」
え、えふぴー…?『たこぱ』みたいな略語か何かだろうか。いや、兄さんがそんな事を言っていた様ないなかった様な。
えふ・ぴー・えす。……ふわふわ、ぱりぱり、さくさく…。うん、意味が分からない。そう言えばお腹が空いた。
「と見せかけて王手ぇっ!!」
「オセロに王手はありませんよ」
「角取りゃ王手みたいなもんじゃろがい!」
「ほう」
などと、思考を明後日に向けていたせいか、お爺さんの会心の一手を綺麗に見逃してしまった。『どやさ!』とでも言わんばかりの顔と、この寒い中お高そうな扇で己を扇いでふんぞり返るお爺さんを横目に、私も改めて盤面を振り返る。
「ふむ」
…なるほど、これは。…………これは。思わず目を瞠った。
…よくぞここまでの一手を打って出れたものだと、深く感嘆してしまう。それ程までに、この妙手は。
駒を一つつまみ上げると、私もまた駒を指す。
指す。
指す。
指す指す指す。
「お爺さんの詰みです」
「おかしくね?角の1個しかわしがいないって。こんなんもうたった一人の最終決戦じゃん」
「私の勝ちですね」
よくもまあ、これ程の下策を。適当に置いた方がまだましだったのではないか。
見事に置ける場所が無いせいで延々と私のターンが続いた結果、先程指した駒以外綺麗に一色に染まった盤面を唖然と見下ろすと、お爺さんはか〜っと大きな溜息をついて後ろに倒れ込んだ。
「あーやっぱ駄目じゃわわし。テレビゲームじゃないと本気出せない。…ゲーム機持ってくるからそれで再戦せん?」
「……顔突き合わせてコントローラー手に持ってやることがオセロ…?」
「うむ」
「……お店で?」
「どーせ客来んし」
何と言う諦めの境地。仮にも私は先程まで手伝いとしてここにいたというのに。
道楽でやっているとはいえ、もう少し客入りくらい気にしても良いのではないだろうか。このお店が無くなったら、私はとても寂しい。
………道楽だから、売上は関係無いのか。はい、別にお客いりません。私だけがここの作品の魅力を知っていればいいのです。ウェルカム閑古鳥。
ふい〜っと溜息をついたお爺さんが起き上がると、再び駒を並べ直す。どうやら敗北からは早くも立ち直れたらしい。別にそれならそれで心折れるどころか粉塵と化すまで負かすだけなので私は一向に構わないけれども。
また、ぱちんぱちんと駒をさす静かな時間が私達の間に流れていく。
互いが次の手を考えている合間合間に、私はぽつぽつとそれを口にした。
即ち―――
「――ほ〜。そ〜かそ〜か……思い出したかぁ……」
私なりに意を決して口にした話なのだが、お爺さんは長い髭を撫でてカラカラと笑うだけだった。
なんて事の無い話なのだろう。少なくとも、お爺さんにとっては。
「お爺さんは私にすぐ気づきましたね」
「世にも奇妙な珍しい常連さんじゃもん。昔はしょっちゅう熱心にわしの作品見てくれとったし」
「………」
「いつもいつもあやつの後ろにくっついていたのに、それがあやつが大怪我してからぱったりと。……深く聞くべきではない、と思ってはいたが」
「、………」
「総護にも言ったが、なるようにしかならんよ。そして、わしの態度も変わらん」
どちらだろうが、ただ温かく見守るのみ。
記憶があろうが無かろうが、一緒にいようがいまいが、ち◯かわ(何か小さくて可愛い小僧共)であることには変わりないのだから。言葉は無くとも、お爺さんの笑みがそう語っていた。ちなみにちい◯わに関してはこの間本人がそう語っていた。
「で、そしたらいつの間にかまた後ろに何かくっついとるじゃん?」
にやり。年の割に白い歯を見せてお爺さんが元気に笑う。今度は温かく、というよりそこはかとなくいたずらちっくに。
「大きくなってこれまた随分別嬪さんになっとって驚いたが、あの熱心な様子ですぐ気づいたぞい。あ、あの子じゃ〜ん。って」
「…ですか」
「相変わらずお兄ちゃん好き好きおーらが溢れとったし」
「…………で、すか?」
そんな馬鹿な。私はどこから見ても冷静沈着・兄さんを影から支えるTHE・内助の功な従妹だった筈なのに。
夕莉といい、最近は皆がちょっぴり意地悪に感じるのは気の所為だろうか。
何となく気に入らないので、今度は手加減抜きで完封して負かしてあげた。
お爺さんが真っ白な灰となって綺麗な涙を流していたその時。
「たのもー!!!」
「「客」」
「私が来た!」
ここでまさかのお客様。二人揃って入口を見やれば、逆光で黒く染まる小さな影。
「あおー!」
「あおさん」
「おお、世にも奇妙なお客2号」
あおさんである。何気にこのお店によく顔を出しているらしい彼女は、店の棚をちらちら楽しそうに物色しながらこちらへと歩いてくると、私達の前の盤を見て、一転白い目をお爺さんに向ける。
「じっちゃんよわよわー」
「ああん!?これじゃから素人は!!わしが手加減してやっただけじゃし!本気出せばワンパンじゃし!」
「オセロでワンパンとは」
それはもうゲームとして成立しないのでは。そんな言葉は胸に留めておいて、私は改めてあおさんと向かい合う。あの事故以降、塞ぎ込んだ姿が目立っていたが、兄さんが復活してくれたおかげで漸く今までの元気な彼女が戻ってきた。その純粋無垢な満点の笑顔を見ると、こちらまで浮足立った気分になれる。
「こんにちは、あおさん。お使いですか?」
「あおに会いにきた!」
「ふふ。ですか」
それに、最近は私にも懐いてくれているのが目に見えて、なんというか、凄く嬉しい。思わず、笑みが零れてしまう。
「わしは?」
「いらない!!」
「……………」
「あおさん、お外行きましょうか?」
これ以上いたいけな老人を虐めるのは流石に気が引けるので。
「どこ行くの?」
「そうですね〜…」
ご機嫌な彼女と手を繋ぎながら、目的地を思案しようとしてふと思いつく。
…そうだ。せっかくならアルバイト中の兄さんに突然逢いに行ってびっくりさせるのもいいかも、なんて。
「(ふふ)」
輝く笑顔で元気に否定され、遥か彼方の青空を遠い目で眺めて停止してしまったお爺さんに会釈をすると、私達は二人揃って店を後にするのだった。
「良い顔で笑う様になったのぉ……」
■
「へー、少年記憶失ってたんだー」
「そっすね」
傷も癒えて、普段通りに動ける様になった俺は早速、という訳でもないがバイトに精を出していた。
本日のバイト先はマスターの喫茶店。今はちょうど休憩時間なので、彼女に俺達に起きた出来事について軽く話していたところである。マスターは肘を付きながらも興味津々といった感じで黙って最後まで聞いていてくれた。
「へー……」
「……」
そりゃあ、記憶喪失なんて話、現実で中々見れる事ではないので珍しくもなるだろう。だから、黙って聞いていた。そう思っていたけれど。
「……あの、…これ笑っていいやつ?」
単純に経験が少なすぎてどういう言葉をかければいいのか分からなかっただけらしい。まあ、気持ちは分かる。
「過ぎたことなんで良いんじゃないですか?」
「そ、そっか。……ところで少年。……いや総きゅん。実はマスターと一緒に仲睦まじく暮らしながらもヒモとして養ってもらってたあの頃のラブ・メモリーは思い出してくれた?」
「無い記憶は思い出せないっすねぇ」
「あーなんかマスターも急に失われし記憶思い出したわ。小僧確か給料前借りしてたでしょ。よって今月給料無しね」
「外道っ!!」
い、いい歳して子供みたいな事言いやがって…。
そんなに出会いが欲しいならマッチングアプリでも使えってんだ。
ま、俺はそんなもの使わなくとも運命の相手と出逢っちゃいましたけども?ぐいぐい来られて色々と辛いくらいですけども??
「少年。グーでパンチしていい?」
そんな俺の心の中を読み取ったのか、マスターが同性も魅了する笑顔でこちらを見つめていた。その笑顔を外で見せれば余裕なのでは…?
「いいと思います?」
「君なら私の愛を受け止めてくれるかな……って」
「愛は恋人からので十分足りてるんで」
「ぁ゙ーーー!何か少年ウザくなったなぁ!可愛くなくなったなぁ!!」
「ひでぇ」
少年は大人の階段を一つ登りましたからね。何ならもう少年呼ばわりも止めてほしいけど。
「ひどいのは少年だよぉ!!真面目だし割といいかもとか思っていたのにぃ!!」
「えぇ……?」
せっかくの綺麗な髪を掻き毟って慟哭する哀れな売れ残りを白い目で見ていれば、打ち明けられる衝撃的な事実。え?この人そんな目で俺見てたの?うわ気まず。
「………少年、おねショタ好き?」
「ショタって年じゃないから」
「私にとっては少年だから」
「それそういう意味だったの?」
俺はてっきり◯滅にハマってるだけなのかと。
「あ、味見くらいなら……先っぽくらいなら……むふふ」
鼻息を荒くしながら、こちらに躙り寄るおね。
無論、いつものおふざけであることは明白。…多分。それでも、明日からバイトのシフト減らそうかなぁ、とか流石にそんな事を考えてしまう俺であったが、すぐにそんな状況ではないと考え直す羽目になる。
「ほう」
「………………え゙?」
だってマスターのすぐ後ろに、かつて無い物凄く輝く良い笑顔で笑っている葵さんが音もなく立っていたから。
「興味深いお話ですね」
「い、従妹ちゃ、葵ちゃん…いつから、そこに……」
「いつからだと思います?」
しゅば。マスターが素早く身を翻し奥へ逃げ込もうとする。
がっ。笑顔のまま、一瞬で前に回り込んだ葵がマスターの腕を捻り上げ拘束した。
堪らず膝をついて、目の前に突然出現した葵に恐怖で顔を強張らせたマスターの腕からぎりぎりと不穏な音が鳴り始める。
「痛い痛い痛いマスター折れちゃうマスターの繊細な腕折れちゃう」
「ですか。二度とコーヒー淹れられませんね?」
「ひいぃほんの冗談のつもりでしたぁごめんなしゃぁい…」
こっわ。
「お兄ちゃん……」
「お」
そんな修羅場を眺めていた俺の裾を、弱々しく引っ張る小さなお手々。
一緒に来ていたのか、見ればあおが泣きそうな顔で葵の事を指さしていた。
「…あおがね、笑ってるの」
「笑ってるな」
「…何でかな。怖くなくなったと思ったのに、やっぱり怖いの」
「……………………そうだなぁ……」
…葵。せっかくあおに日々の笑顔の練習の成果を見せられる日が来たというのに。毎日、影でひっそりと鏡の前で練習していたのに。
ここまで、積み上げてきた好感度が現在進行系で大暴落していますよ。
「…お姉ちゃんは、本当は優しい人だからさ」
「うん……」
『私の兄さんを汚そうとしたのはこの手ですか?ん??うん???』
『ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙ら゙め゙え゙え゙え゙!!それ以上そっちには曲がらないのぉおっほおお!!♡』
「……嫌いにならないであげてな」
「………………頑張る……………」
あんなに良い笑顔なのになぁ………。
…笑える様になったとはいえ、課題は多い。
それを痛感した、平和な日の事。




