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読めない君が笑う時  作者: ゆー
終章 もう一度出会い、紡いでいく二人
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第48話 想い、溢れて

その日は、前触れの無い大雨の日だった。







『―――そうか。ちょうど風峰さんの家にいたのか』

「はい。…電車が動いていないので帰れそうにありませんが」

『無事ならいいんだ。…出来れば迎えに行きたいけど…』

「兄さんは台風の日に畑の様子を見に行っちゃう系男子ですか?」

『違います』


電話口の向こうから苦笑する声が聞こえてくる。

顔が見えないのをいいことに私は少しだけ顔を離すと、深い溜息をついた。


ここ数日、明らかに不審な態度を取り続けているというのに、それでも深く突っ込まないその優しさがとてもありがたく、そして後ろめたい。


「兄さんこそ一人で…」

『いや、ちょうど隼人が来てたんだよ。だからこっちは心配しないで大丈夫』

「…ですか」


こちらを心配させまいとしているのだろう。いつもよりも気持ち柔らかく感じる声が耳元で響く感覚に、知らず知らず口元を緩ませていると


「あーちゃ〜ん。お風呂、利用時間外なら貸切で…おや、電話中」


しー。

言葉無く人差し指を立てれば、部屋に入ってきた夕莉も口元を押さえてチャック。


『噂をすれば?』


可愛らしいその仕草にくすりと息を鳴らしてしまえば、微かに声が聞こえていたらしい兄さんが向こうから声をかけてくる。


「ふふ。ですね。兄さん、それでは私達は仲良く女子会と洒落込みますので」

『ですか。では、私達は仲良くむさ苦しいパジャマパーティと洒落込みましょう』

『――絵面がきつい』

「ふふふ…」


遠くから小さく聞こえる低いツッコミにまたまた肩を震わせる。もう一言二言言葉を交わしてお休みを告げると、私は静かに通話を終えた。


「すみません、お待たせしました夕莉………夕莉?」


放っておいてしまった親友がやけに静かだと思い振り向けば、夕莉は何故かきょとんと目を丸くして私を見つめていた。予想外なその反応に、思わず私も首を傾げてしまう。


「どうしました?」

「……あーちゃん、よく笑う様になりましたねー…」

「…………ですか」


何とも無しに放たれたその言葉に、つい頬が熱くなった。

…自覚はある。あるけれども、面と向かって指摘されると中々に恥ずかしい。己の中の浮ついた気持ちを見透かされているようで。

口の中を意味も無くモゴモゴさせると、私は改めて夕莉と向き直ると手招きする。部屋の主であるはずの夕莉は特に反抗することも無く、ストンと私の目の前に正座した。


「さてさて、この大雨でなあなあになっていましたけど、いよいよわざわざ我が家にいらっしゃった件についての話し合いをそろそろ再開出来るのでしょうか。どきどきわくわくですね。そわそわ」

「…お待たせしてすみません…」

「怒ってませんよー。別にあーちゃんが開始早々固まって無言になって長い時間が経っていたとしても、風峰の声にはこれっぽっちも反応しないのに先輩の着信には秒で反応したとしても、怒ってませんよー。よー…」

「……ごめんなさい」


姿勢よく熱いお茶を啜る可愛らしい笑顔の中に確かな圧を感じつつ、私は小さく咳払いすると、口を開いた。


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「ずず」


開いただけだった。音が無い。

既に慣れてしまったのか、夕莉が似合わぬ澄まし顔でお茶を再び啜り始める。わざとらしいその音を聞いて尚、私は声を発せずにいた。

ゆっくりとお茶を堪能した夕莉が湯呑みを置くと、先に彼女の方から声を出す。


「まあ、話は大体聞かせてもらいましたけど、……難儀ですねぇ…」

「ゆ、夕莉…」

「…まあ、言える訳ありませんよね……」











「先輩が記憶を取り戻したことで、今更になって自分のしてきたことが恥ずかしくなりました候、なんて」

「あう」












「あーちゃんぇ……」

「う…」


そう。そうなのだ。…………『それだけ?』と言われたらそれは返す言葉も無いのだけれど。


兄さんがいる。私を覚えている。今と昔の私を両方知っている。

兄さん大好きを臆面もなく表に出してアプローチしていた私も、無表情の裏に好意を隠しつつ割と好き放題振る舞っていた私も知っている。


その二つを掛け合わせて私がしてきたことをいざ振り返ると、なにか、もう、『あれ?こいつ俺の事好き過ぎじゃね?』とか思われてもおかしくない。何も間違えていないのだけど。


兄さんの視線が、ただでさえ最近『やれやれ全く仕方ないなぁ葵ちゃんは』みたいな生温かさを覗かせていた兄さんの視線が、記憶を取り戻した事により更に生温かくなった、というか熱い様な気がしてならないのだ。


………。


もしかしなくても、私は呆れを通り越して、記憶を無くす前の子供の葵ちゃん扱いされているのでは?


一度そう考えてしまうと、兄さんの頭を撫でてくれる大きくて優しい手ももう、親目線の様にしか思えなくなってしまって。

恥ずかしいやら寂しいやら、何やら色んな感情が頭の中を巡り巡って兄さんの前でどんな自分であれば良いのかが分からなくなってしまった。


「同じ部屋で暮らしてるんでしたっけ?風峰それ聞いた時、びっくらこきましたよ。花の高校生ですよ?男は皆オオカミですよ?先輩大分耐えてる方ですよ?」

「うぐ」

「攻め攻めすぎですあーちゃん。風峰でももう少し守りに割り振っていますよ?」


…それ故の逃走。普通に会話は出来るけれど、既に就寝だけは別室でさせてもらっている。今兄さんの寝顔を見たら、心臓が高鳴り過ぎてどうにかなってしまいそうなのだ。己の想いと言えど、まさかここまで大きくなっていたなんて。


「ゆ、夕莉…」

「はいな」


もう、誤魔化せない。私は兄さんを。兄さんが。


「兄さんが…兄さんなんです…」

「先輩は先輩ですね」

「違うんです。兄さんは何時だって兄さんなんですけど兄さんが兄さんに戻った事で私の中の兄さんと兄さんが合わさって兄さん兄さんつまりそれはもう兄さんなんです」

「なんて?」


すき。


「ああ…もう……っ……尊い………尊いです………っ」

「あーちゃんが拗らせたやべーファンみたいなことに…」


もしこの想いを伝えたのなら、貴方は応えてくれますか?

教えてください。知りたいです。貴方にとって私は何ですか?ただの従妹?それとも。

何でもいいんです。貴方が私を望んでくれさえすれば、何だって。

貴方は私の光。貴方の為なら私はこの身を捧げられる。捧げたい。


支えて、寄り添って、ただ傍にいられれば。


それだけでいいと思っていたのに。それだけで十分だと思っていたのに。




思って、いたのに。




「(すき)」


それだけじゃ足りない。抑えられない。


「(好き)」


溢れてくる。


こんな熱い想い、私は知らない。


あの日から、何にだって心が動くことは無かったのに。

色褪せていた日々が、貴方がそこにいるだけで鮮やかに彩られていく。

温かい炎が、私の冷えた心を溶かしてしまう。



              『私を求めてほしい。』



「兄さん…にいさん……」

「あーちゃん…」


こんな相談をされたところで困るだけだろうに、夕莉はただ黙って私から吐き出される想いを聞き続けてくれた。

私が兄さんに寄り添った様に、夕莉もまた私に寄り添ってくれた。


優しい彼女に私は何を返せるのだろう。満面の笑顔一つ満足に返せない私が。

湧いては尽きぬ悩みが私の中をぐるぐる回り続ける。囚われ、絡め取られ、情けなく縋り付いた私の頭を、夕莉が優しく撫でてくれた。


「うん…うん。…まあ、もやもやは一旦水に流すのが一番ですよ」

「……うん」

「落ち着いて、ゆっくり向き合って考えましょう?私はいつだって『葵ちゃん』の味方ですよ」

「………夕莉」


静かな囁きが、荒れた私の心を落ち着かせる。

顔を上げれば、そこには大切な友人の顔。ころころ変わる豊かな羨ましい表情だけど、その人のありのままを見つめる優しい瞳だけはいつも変わらずそこにあった。

彼女が私の友人でいてくれたことが今、心から有り難い。


そしてまた、彼女は打って変わって歯を見せて天真爛漫な笑みを浮かべると、私の手を引っ張って立ち上がった。


「という訳で!当温泉旅館『風ノ峰』、特上おもてなしフルコース(可愛い若女将兼看板娘付き)を心ゆくまでご堪能して、身も心も一度溶かしちゃいましょそうしましょ」

「お世話になります…」

「いえいえお背中お流ししますよお嬢様ー。いえーい現役JKの珠の肌ー」

「……夕莉も現役では?」

「お友達と仲良くむふふなお付き合い……これは風峰大分青春してるのでは!?」

「…えっちなのは駄目ですよ」


意気揚々と大股で歩く夕莉に引きずられながら、私はされるがままに彼女自慢の温泉へと連行されていく。


何故か嬉しそうな彼女とお互い一糸纏わぬ姿で背中を流し合いながら、私は静かに小さな決意を固めていた。




兄さん…………私は。

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