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読めない君が笑う時  作者: ゆー
終章 もう一度出会い、紡いでいく二人
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第46話 私の光

夢を見た。


『ん…』


真っ白な空間だった。何も無い、白い、白い空間。

そこに私は立っていた。


『ふむ』


はてさて、ここは何処だろう。辺りを見回したところで分かるはずも無く。

そもそもどうしてこんなところにいるのだろう。悩みは尽きること無く湧いてくる。見覚えも無い。地平線すら見えない。明らかに現実世界ではない。まず間違い無く夢。


ならば所詮はそういうものだ。整合性を求めるだけ間違いということ。


『お休みなさ』


慌てたところで何が出来る訳でもない。という訳で私はその場に正座すると、再び眠りにつく準備を…


『いたっ』


しようとしたところで頭をぽかんと叩かれたと思ったら、何やら視界の端にちらちらと何かが映り込んできた。


それは何とも小さな、けれど元気に飛び回る小さな光。


その光は私の周囲をくるくる回ったかと思うと、目の前でゆっくりと動きを止めた。何だろう。顔なんて存在しない筈なのに、呆れられている気がしてならないのは。


『……………』


にらめっこ……という訳でもないが、暫く光と対峙して。


『………………お姉ちゃんさん?』


私の口が突拍子もない問いかけを発したのは、その直後。

何故そう思ったのだろうか。分からない。分からないけれど、不思議とそう確信出来た。

その答えを裏付ける様に光は小さな身体をピンと跳ねさせると、またくるくると回りだす。


…………ああ、そうか。


『お姉ちゃんさんが兄さんを連れ戻してくれたんですね』


現実で滾々と眠り続けていたあの人が急に呻きだしたのは、きっと。


そっと両掌を差し出すと、光は誘われる様にその中に小さな身を休める。

仄かな温もりが掌から伝わって、ゆるゆると全身に染み渡って行く。


まるで私の中へと流れ込む様に。


『…ぇ』


けれど、そこから伝わってくるものは……。


…これは、『お別れ』?


『…行ってしまうのですか?』


答えは返って来ない。

肯定を表すかの様に、光はまたゆるゆると私の眼前で上下の動きを繰り返すと、静かに離れて空へと昇っていく。


『…ですか』


行かないで。喉から出かけた言葉を押し込めて、私はそれだけを絞り出した。

本当は、引き留めたくて仕方なかった。せっかく出来た新しいお友達。もっと話したい事が沢山有るはずなのに。


でもきっと、それはまたの機会にお預け。


『また会いましょう。……お姉ちゃん』


白い世界が輝きを増して、私の視界を覆い尽くしていく。











「…………ありがとう」


目を覚ました時、私の瞳からは一筋の涙が零れ落ちていた。












学園祭が終わり、身も凍る様な寒い季節がやって来る。

その間、顔見知りのお婆さんが亡くなったり、月し、志乃先輩が長い旅に出たりと、短い時間でも色々な事があった。そして今日、漸く兄さんが退院する。


ここしばらく、毎日欠かさずお見舞いに来ていたせいか、看護師の方が微笑ましそうにこちらを見る視線が少しくすぐったい。その視線から逃れる様に私は足を速めると目的地まで最短の道を進んでいく。


そうすれば時を置くことなく、兄さんの病室が見えてくる。そして『それ』を前にして、私ははたと動きを止めた。


「………」


ああ、まただ。


そこに描かれた数字を見る度に、私の心臓はどくりと跳ねて、途端、上手く呼吸が出来なくなる。


「……さん、まる、……さん」


札に刻まれた番号を一つ一つ口にする。

この扉の奥に、あの人はいる。怪我だってもう大したことは無い。戸を開ければ、いつも通りにあの温かい笑顔で迎えてくれるはずだ。私の名前を呼んでくれるはずだ。


けれど。


けれど。



けれどもしも、あの日みたいにきょとんとした目で私を見ていたら?




『きみはだれ?』




「…………っ」


頭の中にかつての光景が浮かび上がり、私は堪らず口元を手で覆う。

あまり目立たぬ様に脇に寄ると、静かに壁にもたれついた。


「……は………はっ………っ」


視界がふらつく。息が苦しい。過呼吸に近い状態。


駄目だ。兄さんにこんな姿は絶対に見せられない。見せる訳にはいかない。

何の罪も無いあの人に、これ以上罪悪感を背負わせる訳にはいかないのだ。


落ち着け。…落ち着け。無理矢理身体に言い聞かせながら、小さな深呼吸を繰り返す。


「ふぅー………ふっ………」


何度繰り返しただろう。滲む汗はまだ引かない。


「っ」


もう一度息を吸おうとして、止まる。

後ろから、誰かに柔らかく抱き締められた。途端に安心する匂いと体温が、私を包み込む。


この匂いを私は知っている。この温もりを私は知っている。

兄さんの元に来る前に、感じたものと同じだから。


「………ぉば、さん……」


霞む視界で振り返った横顔は、あの日とはまるで違う優しさに満ち溢れた横顔。

私がよく知るおばさんの顔。


「大丈夫よあおちゃん。……大丈夫だから」

「っは……ごめんなさ、…ごめ……なさ……」

「うん。…大丈夫…大丈夫よ…」


優しく背中を擦るその手が堪らなく懐かしい。昔は兄さんだけでなくおばさんにもいつもお世話してもらっていた。お母さんが苦笑いしてしまう程に。

苦しさとは違う涙がまた流れそうになって。暫しの間、私達は廊下で二人、静かに身を寄せ合うのだった。












「おや」

「お?」

「あ」


漸く落ち着いて、兄さんの病室に入ろうとするおばさんの後に続こうとしていると、おばさんが手をかける直前、戸が勝手に開いた。そこから出てきたのは…


「久しぶりだな、葵」

「………お父さん」


同い年の女子の中では些か背の高い私よりも大きな、そして逞しい大柄な身体。固めた髪の毛にばっちり着こなした皺一つ無いスーツ。私を見下ろすその顔立ちは、一見すると冷たい印象を覚えるが、全くそんなことは無いと私は知っている。


「何、あんた来てたの?」

「…相変わらずのご挨拶だな姉さん。大事な一人娘を救ってもらって顔を見せない訳無いだろう。そうでなくとも可愛い甥っ子なのに」


さり気に叔父馬鹿みたいな事を言っている気がするが、私もおばさんも特にツッコむ事も無い。私達家族は皆何処かしら、多かれ少なかれ似たもの同士なところがあるから。


「…まあ、可愛い娘はお兄ちゃんに夢中でこっちにろくに顔を見せないが」

「う」


不満を存分に含んだ声色に思わず身を竦ませ、ついおばさんの背中に隠れてしまう。

そう言えば、最近ちっとも家に顔を出していなかった。何ならお母さんとはちょくちょく連絡を取り合っているが、お父さんとは会話することすら随分ご無沙汰な気がする。お互い口数が多い質ではないから、しなくても大丈夫かな、……と。つい。便りが無いのがいい便り、的な。悪気は無かった。…無かった。


「うんうん最早うちの子と言っても過言じゃないわよね。という訳で、ちょーだい?」

「まだやらん」

「え〜ケチー」

「ケチじゃない」


気安い家族としての二人の会話を耳にしながらも、私はついついその奥の様子を窺おうとしてしまう。…お父さんが戸の前に立っているせいで中の様子が全く見えない。


「お父さん」

「ん?どうした葵。父さんと久しぶりのハグでもしたくなったか?」

「どいてください」

「あ、はい」

「涙拭けよ愚弟。送ってやるから。あおちゃん、後でね」


おばさんの何故か苦笑いする様な声を背に、私はもう何度か深呼吸をする。


うん。大丈夫。大丈夫だ。

震える膝を奮い立たせて、私は力強く一歩を踏み出した。











「あれ、葵」


…出迎えたのは、何とも気の抜けるような兄さんの何でもない声だった。

普段着に着替え、コートを羽織る途中だった兄さんがあっけらかんとした様子でこちらを見ている。


「兄さん」


兄さん。兄さん。元気な兄さんだ。

何だろう、もう、兄さんが息をしている、今日も元気に生きているその事実だけでホッとする。尊い。


「迎えに来てくれたのか?ありがとな」

「…ん」


次々込み上げる諸々の感情を無表情の奥底にむぎゅっと押し隠し兄さんの前に歩を進めると、柔らかい笑みと共に、大きな温もりが頭を優しく撫でてくれる。

目を閉じて、それを余すこと無く堪能しきると、私は改めて兄さんと向かい合った。


「さっきおじさんも来てくれたよ。割と久しぶりに会ったかもなぁ」

「はい、今会いました」


葵についても色々話したぞ。そんな事を言い出した兄さんに、一体何を聞いたのか戦々恐々とするが、そうなると、それよりも些か気になる事が出てくる訳で。


「…お父さんは」

「ん?」

「お父さんは、私の事を話さなかったんですか?」


私の事を話した。でも私が聞きたい私の話はそこではない。

兄さんが私だけを忘れていたその奇妙な事実を、家族が皆十年近くに渡り隠し通してきたその事実を、お父さんは打ち明けたのか。


「あー…」

「………」


無論、話したはずだ。お父さんだってきっと辛かった。可愛い甥っ子に隠し事をして、本心から笑って接する事が出来ない事が。

私を一人差し置いて兄さんと絆を深める。そんな真似が出来る人ではないから。


そして、それもこれも全部、私のせい…


「『ありがとうございました』って」

「え?」


私の、


「『俺と、何より葵の心を守ってくれてありがとうございました』。……って頭下げたんだけど、何かお互いにペコペコする変な空気になった…」

「………」

「全然気にしてないし、寧ろ面倒かけたの俺だし、感謝してるくらいなのにな。流石にこんな特殊な状況でどう振る舞うのが正解なのか分からなかったよ」

「………」

「不思議だよな。何があろうと俺達は家族なのに」


そう言って、兄さんはさも世間話をするかの様に苦笑する。私を安心させるいつも通りの笑顔で。


「ですか」


ああ、やっぱり――


「え゙」


やっぱり兄さんはいつも私を救ってくれる。いつまでも子供のままの私を光の下に連れ出してくれる。兄さんこそが、かけがえのない私の光。

真っ正面から思いっきり抱き着いて、戸惑いがちなその声も気にせずに腕に強く力を込めて胸に顔を埋めた。目を閉じて、ただ静かに、兄さんの暴れる心臓の音に耳を傾ける。

それだけじゃ足りなくて、身体も強く押し付けた。伝わるだろうか。兄さんと同様、いや兄さん以上に高鳴るこの胸の鼓動が。伝わってほしい、兄さんを希う私の鼓動が。


ああ、少しの隙間すらもどかしい。…いっそ融け合って、一つになれたのなら、どんなに。


「兄さん」

「は、はいっ」


気づかれぬ様にその胸に静かに唇を落として、私は兄さんの顔を見上げた。

何故か真っ赤に染まったその顔に向けて、私は、笑う。


「退院、おめでとうございます」

「…ぁりがとう、ございます…」


笑えていたら、いいな。


「帰りましょう」


私達の家に。

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