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読めない君が笑う時  作者: ゆー
3章 長くて遠い回り道
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第44話 守ってくれた人

『全く、全く、全くもう。全くもうだよ失礼しちゃうよね』

「………」


ぷんぷんすこすこ。人の上で、そんな擬音が聞こえて来そうなふくれっ面で幼女は子供らしく怒りを露わにしていた。その横顔を下からよくよく眺めれば、成程確かに葵が小さくなればこんな感じなんだろうな、と今更ながらに思い当たる。

今更ながら、というより、ここでなくては気づけないのかもしれないが。


『『お前もそれで満足なんだろう…?(キリッ)』とかさ。こんな愛くるしいめちゃかわな死神いるかーい!』

「………」


とは言え、ポンコツ臭漂う古くさいツッコミを華麗に腹に入れられながらも、俺は正しい反応を返すことは出来なかった。出来る訳が無かった。

頭の中がぐるぐるする。当然、頭を強く打った事だけが原因ではないだろう。それよりも余程強烈な衝撃ではあるが。




だって




だって、こいつの話したことがもし本当だとして、なら俺は本当は葵の事を知っていて、なのに今の今まで綺麗さっぱり忘れていて。…葵は、その事を全く表に出さずに横にいて。


だとしたら、素知らぬ顔で俺はこれまで一体どれだけ葵を傷付けて…。


…そして何より


『あれ、ノリが悪い』


こいつは、いやこの人は、生まれてこれなかった筈の、俺の。


「………ねえ、さん……?」

『………』


嘘だ。そんなことあり得る訳が無い。信じられない様相で見つめている俺の事を、彼女は今の今までつまらないツッコミをしていた幼子と同一人物とは思えない落ち着いた顔で見つめていた。


『…どうなんだろうね』

「……え」


ぽつりと動いた口は、されど何処か頼りなく。


『はっきりと、お姉ちゃんだよ。とは言えないかもしれない。多分、色々『混ざっている』んだろうから』

「………」

『でも、『確かにいる』んだと思うよ。小さな、他愛もない奇跡が起きて、私は今ここにいる』


『混ざっている』。その言葉が意味する事を、はっきりと理解することは出来なかった。

思えば、この空間も、彼女自身も、何もかもが有り得ない事だらけだ。

子供がノートに描いた妄想じみた出来事だろうと、こうまで立て続けに畳み掛けられるとそりゃあ理解も追いつかない。


『私のこの性格は、昔の君が思い描いた“お姉ちゃん“を模したもの』 


けれど、未だ混乱から抜け出せない俺を他所に、“自称姉さん“は己の真実を淡々と口にする。

胸に小さな手を当てて、懐かしむ様に、愛おしむ様に。


『そしてこの姿は、君の深層心理の一番奥、蓋をされた記憶の中にある、いや、あった“君が一番大切な女の子“』


静かに、事も無げに。


『私はそこに勝手に間借りさせてもらってるだけだよ』


それこそまるで、他愛ない世間話をするかの様に。


『…ああそっか。あの子が私に辿り着いてしまうのも、そのせいか』


相変わらず、何を言っているのか分からなかった。それでも、柔らかく語るその微笑みを見れば、嘘を言っていない事だけは分かる。


『すっかり慣れ親しんじゃってたものだから、つい。てへ』


その何とも軽い口調から、事は言う程大きな問題ではないのでは?と思ってしまいそうになってしまうけれど。


『だけどいい加減、返してあげなくちゃか』


けれども違う。逆だ。全て錯覚だ。




これは、ある種の覚悟を決めた人の顔だ。




『あの子がまた君の元に来て、そして私の元に来てくれたおかげで、君を託す事が出来た』


力の入らぬ腹の上に跨りながら、彼女は笑う。満足そうに、清々しく。これが過去の葵の姿だと言うのなら、気付かぬ訳だ。ニコニコと笑顔で歯を見せて笑うこの葵と、今の柔らかく微笑む葵とで、外見の差も含めて印象が余りにも異なりすぎるから。


けれど、その様に変化したのも、恐らくは俺のせいなのだろう。

従兄に存在を忘れられて、葵は笑顔を失った。

それでも俺の側にいて、また少しずつ笑える様になった。

思い出を忘れた事も知らずに笑う従兄の横で。

それは果たして、良いことだったのだろうか。いや、良い悪いの問題では無かったのかもしれない。


『楽しかったなぁ。君を通して色々なものを見て、触れて』


気づけばいつの間にか、彼女の腕の中に淡く輝く小さな箱が出現していた。ゲームのコントローラーや、おもちゃの銃。様々な物が詰め込まれたまさにおもちゃ箱と言うべき物が。そのどれもこれもが、俺には見覚えのあるものばかり。


『だから、もう十分。十分すぎる』


そして、再び箱が光りに溶けるようにして消え失せると、その奥から容姿に見合わぬ悟った様な顔が現れる。


『あ、でももう一つ』

「(………か)」

『――――…した』


勝手に話を進めないでくれ。そう言いたい筈なのに、依然として身体に力は入らず、最早口も上手く回らない。彼女がそうさせているのか、それとも本当に俺がその時へと近づいているせいなのか、それは分からない。分からない、けれど。


『気に病む必要は無いよ。元々在るべき形に戻るだけだから』

「なん、で」

『お?』


けれどどっちにしても、このまま一人で勝手に満足して、一人で勝手に消えていく様な、そんな別れだけはしたくなかった。その意地だけが、俺の口を動かしていた。


「…なんで、そこまでして、俺の傍に…」

『寂しいこと言うなぁ』


その言葉を聞くやいなや、笑いながら悲しそうに眉を下げる…姉さん。その顔はとても年下とは思えなくて。

心は既に無意識に認めているのか、彼女をただの幼女と見なすことはとっくに無くなっていた。


「……」

『君はあの子を心配する時に理由を探した?』


諭す様な声色に、黙って目を逸らす。


…探さない。葵は最早俺にとって家族で、助ける事が当たり前、いや、そうする事が自然みたいなもので。つまりはそういうことなのだろう。

流石は、俺の…。


『…本当、君は昔から無茶ばっかで、そのくせ自分の事を省みないクソガキで。私が君の知らないところでどれだけ尻拭いをしたことかと』

「………」

『君、私がいなかったら二桁は異世界転生してるよ?』


…お、俺の、姉。ことお節介に関しては一家言ある様だ。


『ずっと心配だったけど……でも、もう大丈夫だよね?』

「………」

『君にはもう私以外に寄り添ってくれる人がいる。支えてくれる人がいる。……まだちょこっと危なっかしいけどね?』


『そして、いざ自分が無茶を止める側に回った時、果たしてどう思うか。今現在よ〜く身に染みていると思うから』

「………」


いの一番に飛び出した葵を止めに入った瞬間の事を言っているのだろう。

十数年生きてきて、恐らくは最も肝を冷やした瞬間。目の前で二つの命が喪われかねなかったあの一瞬を。


そっち側に回って漸く思い知った。

俺が倒れた時、チャラいのにぶん殴られて顔を腫らした時、葵がどれだけ心を痛めていたのか。




『だから、これが最後のお節介』




言葉を失った俺の額に、彼女が緩やかに手を当てる。

柔らかい温もりが掌から全身に染み渡る様に広がっていき、それに連動する様に、彼女の身体が徐々に薄く透けていく。


それはまるで、俺の中へと融けていく様に。


『短い間だったけど、君に逢えて嬉しかった。話せて楽しかった』

「………」

『だから最後に、…最初で最後だから。…一回だけ、私を呼んでもらってもいいかな?……総護』

「…………っ」


待ってくれ。まだ話したい事が。

無理矢理身体を動かして、彼女の腕を掴み取る……掴み取ろうとした腕は、既に半透明の身体をすり抜け虚しく空を切った。


「……………ね…………」


世界は残酷だ。お別れはいつだって唐突にやって来る。俺も、葵もそうだった。…そして、母さんも。


「……ね……」


葵に似て、母さんに似て、俺に似た笑顔で姉さんは笑う。

どうしようもない弟を、それでも愛おしくてたまらないと言わんばかりに。







「姉さん!!!」







喉が張り裂けん勢いで、その名を叫ぶ。一瞬目を丸くして、そして次の瞬間、顔をくしゃくしゃにして心の底から嬉しそうに笑う満面の笑顔と、頭を撫でる小さな温もりが、白い白い空間で最後に俺の目に焼き付いた、忘れたくても忘れられない光景―――


―――――





――――――――





―――――――――――











『兄さん!!!!』


―――――っ

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