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読めない君が笑う時  作者: ゆー
3章 長くて遠い回り道
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第43話 ごくありふれた奇跡のお話

ゆらゆら。ふらふら。


私はただそこを揺蕩うだけの存在だった。


そこに意思は無い。思考は無い。形作られる前に私はいなくなったから。

ただ一つ、私の中に残るのは、『嫌だ』、『ごめんなさい』という、顔も知らない誰かが嘆き悲しむ悲痛な叫び。


だからこれは、『私』が『私』になってからの、今更『私』が振り返るだけのお話。別に珍しくもない、ありふれた小さな奇跡の物語。






“………“


今になって分かる。この時の私が如何に不安定な存在であったのか。

恐らく、背後から指でちょん、と一押しされるくらいで、何か良くないモノに変質する様な、そんな存在。


“………ウ………“




分からない。何故、私はここにいる。




“………“




分からない。


分からない。


何も。


…何も。











“……………ン……?“


…揺蕩い続けて、どれほどの時間が経ったことだろうか。


ある日、私の耳…身体にとある音が響いてきた。

どれだけの騒音だろうと微塵も揺らぐことの無かったこの頼りない身が、その音によって面白いくらいに形を揺らがせていく。


これは一体何だろう。耳をつんざくこのやかましい音は。

音…声……鳴き声…。そう、泣き声だ。


赤ん坊の泣き声だ。






“…………“






“……………ウ……“






“……………う“






“………………うう…“











“うるっっっせ“











え、うるせ。まじでうるさい。本当うるさいばちくそうるさい。

何?何なの?お宅は近所迷惑とか考えない感じ?隣人に挨拶とかしない訳??

そんなんでこの先やっていけると思ってんの?


文句の一つや二つでも言ってやらねば気が済まぬと、私は声の下へと誘われる様に流れていく。




「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

「あ、あはは〜……超元気……」


“超うるせえ“


そこにいたのは、涙とか汗とか色んな液体で顔をぐちゃぐちゃにした女の人と、その腕の中に優しく抱かれた近所迷惑ベイビー。

文句を言おうと開きかけた口が、途端に噤んでしまう。その小さい顔を目の当たりにすると、胸の奥底から何か温かいものが滾々と溢れ出てくるのだ。


長い時間をかけてじわじわと積もっていった黒いモノが、瞬く間に浄化されていく。


…何故だろう。この人達を見ていたら


あ。


私、この子といたいな。


そう思った。




きっとそれは、極々ありふれた『奇跡』みたいなものだったのだろう。

『奇跡』なんて、それこそそこら中に転がっているのだろうから。

だって、後から知ったけど『奇跡』ってちっちゃいメダルで交換出来るし、細い崖を四人で一輪車で落ちること無く踏破するだけでも『奇跡』なんでしょう?そりゃあ、ありふれて…え?それは違う?


…まあ、そんな小さな小さな『奇跡』が積み重なって、そこに縛られ堕ちていくだけだった私を、それこそ『奇跡』的にこの子が拾い上げた。

私が何故か還ること無く揺蕩っていたのもある意味『奇跡』だし、何の因果かこの子の元へと誘われたのだって『奇跡』だ。


そして私は、妙に馴染むこの子の中へと勝手に入り込み、まだまっさらなその世界の中で暫しの時間、ゆっくりと心を安らげることとなるのだった。












「■ちゃ〜ん♡こっち見て〜♡」


また長い間眠り続けていたと思ったら不意に誰かに呼ばれた様な気がして、ふと意識を覚醒させる。


“………“


女の人……この子のお母さん…が寝そべって、端から見たら大分痛々しい感じでカメラを向けている。カメラを向けられたその子はまだ幼く………もう、そんなに、大きくなっていたのか。一人で玩具に夢中になる一回り大きくなったその背中を見て、つい目を瞠る。


「■ちゃ〜ん。こっちですよ〜。よっイケてるベイビー、今日も傾いてるわねっ」

「……」

「おやおや?こっちにこんなに美味しそうなおやつがっこれは見なきゃ損よね!」

「………」


しかし、写真…。そんな紙切れ一枚撮るためにそこまで尊厳をかき捨てたくなるものだろうか。理想の画角を求めすぎて最早ブリッジしてるけど。

頭上から二人を眺めながら、私はその珍妙な光景に疑問を感じざるを得なかった。けど、何だろう。疑問と共に微かに湧き出る、この温もりは。


「……………」ぷい

「駄目か〜〜………」


振り向くどころかそっぽを向く、何ともつれない我が子にガクリと肩を落とすお母さん。

当の本人と言えば、我関せず、といった様子で今度はまあるいボールを弄くっている。

まあ、私的には別にどうでもいい………


…とは思うけど、お母さんが落ち込んでる姿はどちらかと言えば、見たく、ない、…かも?


………………。



………。




ゴキッ。




「!!??」

「お。こっち向いた。や〜ん可愛い〜〜♡♡」

「!?……!?!?……っ!?」プルプル

「めっちゃ見てくるじゃん。急にファンサしてくれるわね。その歳で需要を理解してるとか将来はアイドルかな?」


とまあ、これもんよ。


まあ、この子の首をちょっと動かしただけだけど。…無理矢理。

お母さんはこの子が振り向いてくれて嬉しい。私は生意気なクソガキに己が分を弁えさせて楽しい。この子は……首のコリ取れたね。やったじゃん。


「………!!!」

「ひゅ〜。ふふん、…後であの人や■■にも見せてあげなきゃね。貴方の息子と弟はこんなに可愛いわよって」


“…おとうと“


おとうと、おとうと……弟か。…まあ、確かにそんな感じかな。よく分からないけど、しっくりくる気がする。

…うん。私は、この子の『お姉ちゃん』。そう、お姉ちゃんとして、しっかり見守ってあげるとしよう。

感謝しなよ弟。首のマッサージまでしてくれる優しいお姉ちゃんに。

…聞こえる訳無いだろうけど。


「………!!!」

「ん?ていうか、よく見ると震えてるし顔真っ赤じゃない?え、嘘やだ!?病気!?」



やべ。



慌てて拘束を解く。すぐに平静を取り戻した我が子に安堵の溜息を漏らすも、念の為に病院に連れて行くその姿を見て、愛されていることにほっとして。…私じゃないことに…いや、申し訳ない事をしちゃったなと苦笑する。


何度似たような光景を見たことだろう。そんな感じで日々は続いていった。

たまにしか目覚められなかったけど、とても楽しい、……心地の良い日々だった。












「おにーちゃんおにーちゃん」

「…おー」


いつの間にやらこの子がまた少し大きくなり、気が付けばある時からその後ろにこれまたちっこいのが付いてくるようになっていた。

本当に、子の成長は早い。会う度会う度大きくなっているものだから、下手に時間を置いたら、会っても気付けなくなりそうだ。


「■■■ね、おにーちゃんだいすき〜」

「…そーですか」

「ですかですか〜♪」


何が楽しいのか、ニコニコ笑顔で弟の周りをちょろちょろするちっこいの。

しかし弟は、読んでいる本から目を離さない。


“………“


……ふっ。すかした面しやがって。見えてんだからな澄ました顔のその裏でかわい子ちゃんに懐かれて内心心臓ばっくばくなの。全く私というものがありながら…。


「おにーちゃんは■■■のことすき?」

「え」

「すき?」

「………」

「…………」


四方から顔を覗き込んで『おにーちゃん』から望む答えを引き出そうと奮闘するちっこいの。しかし、『おにーちゃん』と言ったら、恥ずかしいのか徹頭徹尾無言な有様。…おいおい。そういうの止めなって。こういう天真爛漫な子に限ってメンタル弱々だったりするんだか


「………(ぶわぁっ)」

「!?」


言わんこっちゃない!笑顔のまま涙吹き出したよこの子!?癖強いな!?


「え、あ、あお、」

「…いーのだいじょーぶ。おにーちゃんがわたしをきらいでもわたしはおにーちゃんのことすきだから。そのじじつだけをこのむねにかかえ、■■■はこれからをひとりでいきていきまする。みじかいあいだでもおそばにいれてしあわせでございました」


…癖強いなぁ!?

涙を垂れ流しながらふらふらと、足取り重く去ろうとするその背中を焦った様にこの子が見つめている。引き止めようにも謝ろうにも、上手い言葉が出てこないのだろう。


“…あ〜もう“


ほら言え!言っとけって!素直になれちびすけ!

すか、すか。触れもしない、触る手もない。それでも背中を叩いた気になっていれば、願いが通じたのか、この子が漸く動き出す。


「……す、」

「?」

「すき…………らいじゃ、ない…」


絞り出した答えに思わず頭を抱える。…この馬鹿…!そんな中途半端で納得してくれる訳が…


「きらいじゃない?」

「じゃない」

「つまりすき?」

「え」

「■■■のことすき?」

「え」

「きらいなんだ……」

「す、す、すき…」

「えへへ〜わたしも〜♡」

「……うん……?」


おう、ちょろい…。既に尻に敷かれる?未来が見えてしまうぞ。

けれど、腰に抱きつかれながらも、決して引き剥がそうとはしないその仲睦まじい姿はこの目にはとても眩しくて、とても羨ましくて、………少し妬ましくて。


ちっこいの。…いや、…従妹…、だったか。

……仄かに感じ取れる、まだ小さい蕾の様な、けれども真っ直ぐな恋心。

……もう、私は必要無いのかもしれない。必要も何も、私が勝手に中にいるだけなのだが。


どうか何時までも二人が仲良くあります様に。無論、聞こえる筈も無いだろうけど、そんな細やかな願いを込めて、私はもう一度、ゆっくりと意識を沈めていく。

二人の姿を眺めていく内に芽生えた、胸の奥の温かさに一人身を埋める様に。




















「■■■っ!!!」




――――――――!!!???


耳をつんざいたのは、けたたましい衝突音。

緩やかに溶けていくはずだった意識が、瞬間的に覚醒する。


何だ。一体、何が起きた。


視界が開けて、直後、己の眼を疑った。


本来、私がいるのはただただ真白い世界だった。その筈なのに、今この世界にはありとあらゆる揺らぎが散らばっている。

揺らぎは様々な形を持っている。玩具であったり、本であったり、椅子であったり。現実的なものから幻想的なものまで、輪郭が確かなものと不確かなもの、千差万別、本当に様々だ。


恐らくこれはこの子の記憶、知識の欠片。何が起きたのかは皆目見当がつかないが、先程の衝撃でこの子の中から零れ落ちてしまったらしい。


「…………」


そしていつの間にかその中心には、大の字で寝っ転がる持ち主がいた。


虚ろな目で宙を見つめ続けていたと思えば、ゆらゆらと幽鬼の様に立ち上り、覚束ない足取りでこの空間を立ち去ろうとする。


その今にも消え去りそうな背中を眺めた途端、私は言い知れない悪寒を覚えてしまった。放っておいたら何か、とても良くない事になる。そう確信できた。


”だめだよ”


”そっちに行っちゃだめ”


彼の周囲を漂いながら、私は必死に語りかける。

けれども声は届かない。当たり前だ。私に姿なんて無いんだから。声なんて出し様が無い。


一歩一歩、ゆっくり、けれど確実に、あの子は■へと近づいていく。


ああ。


ああ。


あの子がいってしまう。


いや。




()()()()()




どうすればいい。


何か、()()()さえあれば。

仮初でいい。今だけでも、私が使える器さえあればこの子に声を届けられるかもしれないのに。

焦りだけがこの身を支配する。このまま、ただ見送ることしか出来ないのかと。




その時だった。




“っ………なに、これ…“


視界の隅に、女の子が倒れていた。

よく見覚えがある女の子が。




…ああ、そうか。




この子も今の衝撃であの子の中から零れ落ちてしまったのか。


…大切に思っていたんだ。こんなにも不安定でしかないこの世界で、ここまではっきりと形を残すほどに。


何て都合が良い。いや、…悪い。これもまた奇跡と言えるのだろうか。


でも、これなら。


これをよすがに私が身体を手に入れれば、仮初といえどもあの子の手を引っ張れるかもしれない。引き戻せるかもしれない。


でも。


でもそうしたら。


私がそうなったら、この子は、この記憶はきっと、戻れない。


“っ!!“


迷っている暇は無かった。こうしている間にも、あの子は一線を踏み越えてしまいそうだったから。

どちらにしてもこれ以上考えている時間など、無かった。


私が、君を守らなきゃ。




“………ま………“



(お姉ちゃん)()を守るんだ。






『待って!!!!!』

















…どうやら私の突飛な考えは上手くいってくれたらしい。

“身体“を手に入れた私は、去ろうとするこの子を呼び止め、どうにかこうにかその手を引っ張り上げることに成功した。


散らばった欠片も何とか掻き集めて、この子は無事に生き延び、何も知らないままこの空間から眠るように消え去っていった。問題無く現実で過ごせているだろう。


…けど、その代償として。




『………』


戻ろうとした。けれど駄目だった。


身体は、あまりに馴染みすぎている。それはまたも奇跡か、それともまた別の繋がりか、……心のどこかで、戻りたくないと願ってしまっていたからか。

もしそうなのだとしたら、私が望んでいることなど分かりきっていた。


…ねえ、私、君と話せるよ。

『私』であって『私』でない、けれど『私』として、君と話が出来る。


会ってみたいな。話がしたいよ。仲良くなりたいんだ。………謝りたい。


『やあ』


だから私は君の前に現れる。

あの世とこの世の境目が曖昧になる、その季節に。


『…元気?』


それはある種の罪滅ぼしでもあった。どうかこの子を忘れないでと、この子は確かにここにいるよと、君の中にあるんだよと、そう伝えるために。


『幼い姉ってどう?』


そして、それはそれとして姉の素晴らしさ、尊さをとく知らしめるために。


…気持ちは分かるけど、そんなに怒らないでほしい。……仕方ないだろう。





だって私は、お姉ちゃんなんだから。

弟には、好かれたいものなのだ。

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