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読めない君が笑う時  作者: ゆー
3章 長くて遠い回り道
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第41話 護りたい人

「……………」

「……………」

「……………」

「……………」


空気おっっっっっも。サイヤ人が修行してる部屋並に重い。


俺は突然の不意打ちすぎて何と声をかければいいのかすら分からないし、葵は葵であれからこちらを一瞥すらせずピクリともしないし。


「………」

「………」


とはいえ、時間は有限。刻一刻と時は過ぎる。どうすればいい。この場を切り抜けるために……。せめて、保健の先生が帰ってきていつもの独り身ジョーク(ガチ)でこの場を凍り付かせてくれさえすれば…いや、いっそのこと『何を馬鹿な真似を』と怒鳴りつけてくれれば。




針が時を刻む音だけが無情に鳴り響く中、考えで夢中になって俯きっぱなしだった面をふと上げて、気づく。いや、気づいてしまった。


葵の組んだ腕、己の袖を皺が付くほどに強く握り締めるその腕が、微かに震えている。


「………」


腫れた頬を、脳内で思いっきり殴りつける。

『切り抜ける』などと。俺は何を馬鹿な事を考えていたのか。

『家族』が不当に傷つけられたのだぞ。怒って当たり前ではないか。悲しくて当たり前ではないか。


自分がその立場になった時、どう思うのか。月城さんはそれも含めて『そういうところ』だと言ったのだろう。お前が大事にしたい人は、お前を大事にしたいのだと。


「葵」

「……」

「…ごめん。また迷、…心配かけた」


ベッドの上で態勢を整え、葵の方へと真っ直ぐに向き直り、そう言って深々と頭を下げれば、漸くこちらを見てくれた葵と目と目が合う。


「…痛みますか?」


てっきり怒ってばかりとおもっていたその瞳が頼りなく揺れていることに気づいて、訪れるさらなる後悔。ゆっくりと俺の頬を撫でる滑らかな手は、どこぞのチャラいのとは比べ物にならないくらい、優しい手つき。じくじくしていた痛みがあっという間に引いていく様だ。


「…いや?」

「痛いんですね」

「はい」


駄目だ。この場において、頼りになるお兄ちゃんを演じることは悪手でしかない。そもそも、その腫れた頬でおめーは何をカッコつけてんでい、という話ではあるが。


「喧嘩、じゃないぞ」

「知っています」

「やり返してもない」

「聞いていました」


未だ固い声ではあるが、葵はしかと俺の顔を見つめている。

そのままゆっくりと視線を下ろすと、彼女は己の冷たい両手で俺の手を包み込んだ。


「兄さんは頼まれなくとも自分から手を差し伸べはしますが、頼まれたって手を出す方ではありません」

「…………」

「そして残念なことに、私は兄さんに手を上げそうな方に心当たりがあります」


若干、棘を感じた気がしたのは置いておいて、あのチャラい生命体は『何度誘っても』と言った。つまりは、そういうことなのだろう。

微塵も表面に出すこと無く気付かせない様に振る舞っていた葵にも驚きだが、これっぽっちも勘づきもしない何処かの馬鹿にはもっと驚きだ。お前は今まで彼女の何を見ていたのかと。


「…私が耐えればいいと思っていた」


ぽつりぽつりと、静かに、少しずつ、けれどはっきりと、葵は言葉を紡いでいく。



「少しの辛抱だ。放っておけばこんなつまらない女、すぐに離れていくだろう、と」



「何よりも、下卑た考えが透けて見える態度と目。相手する方が間違いだと」



「けれどまさか、…まさか兄さんに矛先を向けるだなんて」



「…怒っていたのは、兄さんにではありません」



「そんなことにも至らない、自分の不甲斐無さにです」



「ごめんなさい、兄さん」


包みこんだ手を両手で固く握り締めて、俯いたまま、祈るように顔を寄せた葵が震える声で謝罪を口にする。


「ごめんなさい………」

「………」


今にも消えて無くなってしまいそうなその儚さに返す言葉を失って、暫しの間、俺はなすがままに弱々しく繰り返される謝罪を受け入れることしかできなかった。


そして、手の甲にぽつりと落ちた小さな雫の感覚で、漸く己を取り戻す。


「(いや)」


できなかった、じゃない。させては駄目なんだ。

葵という少女がどういう性格なのか、お前はもう知っているだろう。この子は感情表現が薄いだけで、寧ろ感受性は強い方だ。普通に傷つくし、普通に怖がる…し、普通に楽しければ笑う、ごく普通の女の子だ。


そして、自分のせいで誰かが、いや俺が何らかの痛みを抱える、ということに強い忌避感を覚えている。もしくは罪悪感、と言ってもいい。


恐らくはそれこそが、俺が見る夢や、最近悩まされる頭痛に深く関わる真実なのではないか。何故だろう。不思議と今は、そう確信出来ていた。


だが、真実がどうであろうと、変わらないものがある。


「葵」

「……」

「どうせ聞くなら、『ごめんなさい』より『ありがとう』の方がいいかな」


俺は葵の『兄さん』で、今は『ひとつ屋根の下、共に暮らす家族』であること。

そして何よりも、俺は葵に笑って過ごしてほしい。


腫れた顔で格好のつかない間抜けな笑顔を晒す俺を、顔を上げた葵は目をきょとんと丸くして見つめている。大きくなった切れ長の目には、見紛うことなく溜まった涙。


「………」

「いや、別に俺が勝手にやったことだし恩を着せるつもりなんて欠片も無いし俺はただチャラい馬鹿を相手にするのも馬鹿馬鹿しいと思っただけなん」


また、泣かせてしまった。

焦りが口をついて飛びだした次の瞬間、強く強く、抱きしめられていた。


息が出来ない程に押し付けられる、柔らかな感触。訪れる暗闇。甘い香り。

つらつら並べ立てていたへんてこな言い訳が、一瞬で記憶の彼方へ飛んでいく。

葵は何も言わなかった。ただ、無言で胸に搔き抱いた俺の頭を優しく撫でるだけ。静かな室内に、葵が鼻を啜る音だけが小さく響いていた。


「兄さん」


葵が俺を呼び、また沈黙が訪れる。どれだけ繰り返して、どれだけの時間が経ったのだろう。


「…兄さん…」


漸く離された身体。目の前の赤く色づく整った顔はまだ潤んではいれど、もう涙は無い。それも含めての、時間稼ぎだったのだろう。


「………兄さん………」


とった俺の手を、葵は己の頬に刷り寄せる。

目を閉じて心地良さそうに、芯から安らげるとでも言いたげに。この間の様に無意識にやったりする分、多分お気に入りなのだろう。俺は安らぐどころの話では無いが。


「…兄さんは、いつもそうですね。」



「昔から、変わらない」



「変わっても、変わらない」



「ありがとうございました。兄さん」

「―――――」

「―――…です」


僅かに濡れた瞳で淡く微笑むその顔は、夢の中で謝り続ける朧気な少女の面影と瓜二つで。

記憶の中の少女と、目の前の可憐な少女の影がゆっくりと重なっていく。


ああ、そうか。


やっぱり、そういうことだったのか。


ずっと思っていた。俺は何故、葵の為にそこまで世話を焼くのだろう。

従妹だから?家族だから?…好きだから?恐らくは、まとめて全部。


そして…これ以上、失いたくないから。記憶を、思い出を。

意識の外側で、そう理解していた。


俺の記憶は欠けていた。

俺は間違いなく、葵を知っていた。


けれど、何故?


何故、俺は葵()()を忘れている?

何故、葵は真実を話さない?


…何故、ここまで核心に到達しておきながら、この期に及んで俺は己の記憶にこんなにも疑問を覚えるんだ。


零れ落ちた小さな雫を掬い取って、葵の頭を撫でる。

いつからか、自然にやってしまうようになってしまった行為。思えば、葵は最初からつっぱねることも無く、当たり前の様に受け入れていたし、何なら求めてきた。


一度理解してしまうと、ありとあらゆる行為が葵と俺にかつて繋がりがあった事を示す標であった事を今更ながらに思い知る。


「…葵は、自分が嫌いか?」

「…好きではないかもしれません。けれど、大切にしているつもりです」




「粗末に扱うことは、他ならぬ私が許さない」




「…そうか」


その言葉に込められた強い思いも、俺が忘れている理由に関わるのだろう。

けど、だからといって、自分を護るために本来の自分を殺して、押さえつけて、追い込んでまで、というのも本末転倒というか、…寂しいというか。


………。


「…一つ、葵は勘違いしてるぞ」

「………?」

「葵はつまらなくない。寧ろ可愛い」

「…………………うん?」


だからせめて、俺の前ではただの『葵』であってほしい。そう思ってしまうのは、俺の我儘だろうか。


「髪は綺麗だしすべすべだし声はよく通るしよく食べてよく眠るし」

「……え、…はい。……ですか?」

「脚長いしスタイルいいし美人だしよく食べるしでぶっちゃけくっつかれると色々困るし」

「…食べ……はい……あの、…分かりました、から」

「あのチャラいのが声を掛けるのも分からなくはないし。そういった意味ではあいつと俺は似ているとも言え「ないです。二度と言わないでください」はいすいません」


「………」

「………」





「「ぷっ」」


二人同時に吹き出して、共に笑い合う。

残念ながら、葵はくすくす肩を揺らすだけで大笑いなんてしてくれなかったけど。


とりあえず、笑ってくれた。

今は、それだけで十分だ。











俺は葵が大切で、傷つけたくなくて。


…だから、また同じ事が起きれば、俺は彼女を護るために、同じ選択をするのだろう。そして彼女を悲しませるのだろう。

俺の中で葵の存在が大きくなればなる程に、葵は傷つくことになるのかもしれない。その矛盾から、目を逸らし続けている。


そして、その懸念が現実のものとなるまで、そう時はかからなかったのだ。

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