第39話 護るべきもの
……めんどくさい……。
必死に辛抱していたつもりだったが、努力の甲斐なく、口から大きな溜息があえなく漏れ出した。
ああ、めんどくさい。本当にめんどくさい。ただひたすらに、心の底からめんどくさい。
どこか他人事のように、冷めきった目で俺は目の前でべらべらと聞いてもいないことを話し続ける男子を見つめる。自分が自分ではないのではと錯覚するくらい、心はとうに冷え切っていた。
「な?頼むよお兄ちゃん。葵ちゃん紹介してよ。何度一緒に回ろうと誘ってもつれないのよあの子」
笑ってしまうくらいに、耳に届いた言葉が右から左へとそれはそれはスムーズに抜け落ちていく。
『チャラい』という言葉を擬人化したらひょっとしたらこんな感じになるのではないだろうか。そこまでコスプレのクオリティを高められることにいっそ尊敬の念を持たなくもないが…いやないな。無理。
まさか、現代でここまでの旧時代の遺物が出土されていたとは思わなかったが、祭りの前の雰囲気にあてられてこういう輩が出てくるのも致し方なし、か。
ていうか、何よりもそれよりも気安く葵を名前で呼ぶな。後、俺お前のお兄ちゃんじゃない。ていうか、よく見たらこいつ先輩やないかい。年上じゃん。
「悪いようにはしないからさ〜」
分かっていたことではあるが、ニヤニヤしたいやらしい笑顔から放たれるは、これまたいやらしい台詞。ここまで空虚に聞こえる言葉もそうそうないのでは?
不愉快すぎて割愛したが、そもそも最初の声のかけ方からして失礼すぎて瞬間的に『あ、俺こいつ無理だな』って思ったぐらいなのに。こんな奴用の礼節なんて教わってないよぅ。仮にもチャラつくくらいならそれくらい察せよチャラ男。人と話している時くらいガムを食うな。俺を女の子だと思って丁寧に扱え。ごめんやめて。
そんなくっだらないことをぼんやり考えながら、俺は今日の献立に思いを巡らせる。
最近、葵に聞いても『お肉』としか返ってこないんだよな。中3男子かーいってね。
「…なぁおい、俺がこんだけ丁寧に頼んでんだからさ」
芳しい反応が返ってこないことに苛立ったのか、頭を乱暴に掻きながらチャラ衛門が一歩踏み出してくる。キレんの早いよ。『ジャックナイフだよチャラ沢君』て呼んでやろうか。つまんな。
「チャ……先輩」
「あ?…ちゃ?」
「ちゃ?」
「………ちゃ…」
「………」
危ない。チャラ先って言いそうになっちゃった。お互いにちょっと変な空気が流れかけたけど、チャラ兵衛は無言で話を促してきた。気が利くじゃん、チャラ治郎。
「そもそも先程の台詞からして、本人にはもう断られたんですよね?なら話はそこで終わりでは?」
「分かってねーな。だからお前に頼んでやってんじゃん」
「………?」
ねーなって、そりゃ分かんねーよ。このチャラんぽらんはどういう思考回路してんだ。ちゃんチャラおかしくてへそで茶が沸くわこのチャラ之助。…また、変な空気になっちゃったじゃん。何とかしてよ、チャラ蔵。
いや、多分話が通じる相手じゃないな。俺の脳内の辞書はチャラ語がインストールされてないもん。始まる前から勝負は決してるよ。
「葵が断ったなら俺からは何も。それでは」
相手するだけ時間の無駄だと踵を返しそうとして。
頬を強烈な衝撃が襲ったのはその直後だった。
「舐めてんのか!いいからさっさと言う事聞きゃぁいいんだよ!!」
「…………」
問答無用でいきなり殴りかかるとか、こいつゴロツキか何か?
どこか切れたのか、口の中に広がる不快な鉄の味を味わいつつも、俺は目の前のグラップラー茶羅から一切の視線を反らすことなく睨み返した。
すると、舐めてかかっていた相手が全く怯まなかったことが予想外だったのか、あっさりとチャラ太くんはたじろいだ様子をみせてしまう。弱。今度からお前のあだ名、マホメド・チャライJrな …いや、お前には少し勿体ない。
「尚更、葵に紹介する理由が無くなりましたね」
「この……!」
「それで満足するというのなら幾らでもどうぞ」
頬を殴りやすい様に差し出せば、また奴が一歩下がる。
自分でも阿呆な事をやっている自覚はあるが、たったそれだけで葵に付きまとわなくなるならまぁ、1、2発安いものだろう。だが、まだ少しでも葵にちょっかいを出すようなら……。
一度手を出してしまった以上引っ込みがつかなくなってしまったのか、すかさずぶチャラてぃ…そろそろめんどくさいな。チャラ先がもう一度俺へと拳を振りかぶる。だが悲しいかな。あんたのそんなチャラついた拳なんざ
「いつ……!?」
我が友、隼人の足元にすら及ばない。
殴ったはずのチャラ先が痛そうに拳を押さえ、対して殴られたはずの俺はその場から一歩たりとも動いていない。口の中に溜まった血を地面に吐き出して、ただ無造作に睨みつける。
最早、相手することすら面倒だ。どこまでも冷めた態度が余計気に食わないのか、忌々しげに俺を見つめるチャラ先。こちとら不快なだけでなんの感慨も湧きはしないが。
「気済みました?」
「てめ……」
三発目。仏の顔もだぞこの野郎。ていうか周り見えてないんですかねチャラ先。
ここ一応学内ですよ。流石に大騒ぎになっても面倒なので、今度はその手首を掴みとってみた。…まさかこんなあっさりととれるとは思えなかった。修行が足りん。
「がっ…痛ぇ…!?」
そんなに力を込めたつもりは無かったのだけれど、チャラ先は苦しそうにその顔を歪めている。本当にそんなつもりないんだけどな。でも反省する様子とかなさそうだし…。
…この暴力が葵に向けられる可能性があったと考えれば、少しくらいなら、いいか。
「おい」
「…あれ?」
そして気づいた。いつの間にか横から入り込んできた太い腕が、チャラ先のもう片方の腕を掴み上げていたのだ。メキメキと骨が軋むやばそうな音を両腕から上げながら、チャラ先が面白い鳴き声を上げる。残念ながら防御力は下がりません。
何とも不機嫌そうな、獰猛な声が俺達の間に響き渡る。
「何してんだお前」
「ひ、土方隼人…!?何でお前が……!」
「何してんだお前」
同じ台詞だが、二回目は大分ドスが効いていた。俺もちょっと冷やっとしちゃった。両腕を無理くりに捻りあげられているせいで大変面白い体勢になっているチャラ先が、身体を震わせて乱入者たる隼人に怯えの目を向ける。
「何だよ!お前には関係っ、…あぁあ!?」
「何度も言わせんな。お前は、何を、していた」
「折れっ……ぎっ…!?」
人間の可動域ギリギリまで拗られた腕の激痛に、チャラ先は世にも奇妙な悲鳴を上げている。あ、俺はもう離した。
「隼人」
「………」
やめてあげようよ。それ一応カテゴリー的には人間なんだから。
俺に肩を叩かれた隼人は意外にもというべきか、素直にチャラマンドラゴラを解放してくれた。舌打ちと軽い睨みがセットで何故か俺にも付いてきはしたが。
「おい」
「ひ…」
倒れ込んでゼエゼエ言ってる珍獣に隼人がしゃがみ込んで至近距離で睨みをきかせると、そのまま後ろを指さした。俺と珍獣が二人揃ってそちらに目を向ける。
『!?わ…あわわ』
窓からバッチリ携帯で撮影していた様子の女子生徒が、気づかれたことに気づいて携帯を落としかけ、アワアワと何度かキャッチをミスって、散々テンパった後漸くしゃがんでその身を隠した。…がっつり見えてたんだけど、あれ風峰さんやんけ。
ていうか、今更ながら気付いた。風峰さんが呼んだのか、騒ぎを聞きつけたのかは知らないが、既にそこそこの生徒が窓からこちらを見ている。素直に心配してそうな生徒もいれば、手に携帯を持っているただの野次馬も。…これはしくじったな。
今の御時世、動画というものは瞬く間に拡散するものだ。別に謀った訳ではないけれど、彼の今後の学園生活は大きな暗雲がさすものになるだろう。果たしてこのまま学園に残れるや否や。しかし、3年生という大事な時期に馬鹿な真似をしているものだ。勿論、同情する気も無いし、正直もうどうでもいいが。
「見ての通り、お前がやったことは全て撮ってある」
「……う」
「今後、俺やこいつ。勿論、今の生徒やこいつの従妹の前に現れてみろ」
「…………」
「どこに逃げようと探し出して」
バチン。何とも豪快な音を出して隼人が拳を叩いた。
ビクン。何とも悲痛な面持ちで珍獣の震えが増した。
ゴキン。重ね合わせた拳から聞こえる不穏極まりない音。
「…俺の名前を知ってるんだ。…意味は分かるよな?」
「隼人」
「うへぇあ……」
「…どんなに遠く離れた所だろうと俺はやって来るぞ」
「隼人」
「…何だ」
「もういいって」
「ひ……ひいぃ……」
隼人の肩を掴んで、強めに引き寄せる。
…流石に可哀想になってきた。お茶の間にチャラ島君の失禁ぐタイムなんて放送されて何が楽しいと言うのか。局に猛烈抗議待ったなしだろう。
何故か俺に舌打ちすると、隼人はチャラ先の胸ぐらを掴んで片手で無理やり立ち上がらせる。鼻先が触れ合う程の距離で絶賛睨みつけられているチャラ先は可哀想なくらい歯を鳴らしていた。
「失せろ!!」
こちらから俺の前に立つ隼人の顔は見えなかったが、多分覇王色は出ていたのだろう。怯える主みたいな顔で着の身着のままチャラ先が脱兎の如く逃げ出していく。
ふん。雑魚め。帰ってひたすらドラゴンボールのOPでも歌い続けるんだな。
騒がしい元凶さえいなくなれば、途端に静寂が訪れるというもの。
野次馬も彼が睨めばあっという間に散っていく。風峰さんを除いて。
まあありがたかった。俺も俺で、この顔では格好がつかないというもの。
「ありがとう、助かった。けど、後輩巻き込んじゃ駄目だよ隼人」
「…………」
隼人がまた俺に苛立たしげに舌打ちする。何だよさっきから。傷つくなぁ。
「…巻き込まれたのはこっちだ」
「あ、そうなんだ」
どうやらあそこでぷるぷるしている小動物に救われたようだ。そこでちゃんと応えて駆けつけてくれるのも彼らしい。しかし、風峰さんに要らぬ心配をかけてしまった。後でちゃんとお礼を言っておかなければ。
そして呑気に頭を掻いていれば、隼人が俺の前に立って凄んでくる。
「何で良いように殴られてた」
「何でって…」
「お前ならあんな雑魚どうとでもできただろうが」
成る程。イライラの理由はそれか。…っていやいや買いかぶりすぎじゃないかな。
以前、面倒事に巻き込まれてお前と何故か殴り合いの喧嘩する羽目になった時はお前が片腕使い物にならなかったから運良く勝てただけだし。一般ピーポーに逸般ヤンキー理論押し付けちゃ駄目よ。まぁ、そんなことを言ったら更に不機嫌になることは目に見えているので、俺は黙って顔を逸らす。
「はっ」
興味をなくしたのか、つまらなそうに隼人が鼻を鳴らす。
「で、お前はその顔を従妹にどう説明するつもりなんだ」
「………………あ」
別に大した拳ではなかったけれど、頬は痛々しく腫れ、口の端からは血が流れていた。
俺の顔からも、先程までは少しもかかなかった冷や汗がだらだらと流れてくる。
「…は、隼人と喧嘩したってことで一つ…」
「鬼かお前は。何で覚えの無い罪で、俺がお前の従妹に恨まれなきゃならん」
「ですよね」
「せいぜい上手い言い訳を考えるんだな。ほら、とっとと保健室行くぞ」
…まずい。別の意味で頭が痛くなった。隼人に促されるまま保健室へ向かう道中、俺は延々と頭を悩ませる羽目になるのだった。




